第13話 氷皇? の公演会

 両親への挨拶を終えて、大体一ヶ月が経ち――日本舞踊の公演会がある日となった。


 蒼太君がお家に来た時……そして、みんなで勉強会をしていた時に話していたものだ。



「すっげぇ人の数。俺浮いてねえか?」

「大丈夫だよ。瑛二は元々浮いてるから」

「よっしゃ霧香久々の喧嘩するぞ」

「今日も負けないからね」

「はいはいそこのカップル、いちゃいちゃしない。二人とも浮いてるから」



 霧香ちゃん達のやりとりを光ちゃんが止める。それを見ているとつい笑みが零れてしまった。



 二人……そして、巻坂さんとも仲良くなってきた。

 彼も霧香ちゃんと同じで、かなりコミュニケーション能力が高い。


 そして何より……霧香ちゃんと蒼太君の事が大好きなんだなって。見ていると伝わってくるのだ。



 特に、霧香ちゃんの事が大好きなんだなって伝わってくるから。蒼太君とは別の意味で安全な男性なんだと分かった。



「お、お母さん。お父さんの格好変じゃないか?」

「ふふ、似合ってるに決まってるでしょ、お父さん」

「そうですよ、パ……お父さん。似合ってるので堂々としてください。……というか、お仕事行く時もスーツですよね?」

「いつものとは違うスーツだからこそ違和感が……」

「ほらもう、凪の方がしゃんとしてるわよ。背筋伸ばして」



 今日はパパとママも一緒に来ていた。


 保護者としてはもちろん、二人も蒼太君の日本舞踊が気になったかららしい。今日が休日で良かった。



「ふふ。早速入りましょうか」

「……二人とも、静かにね?」

「任せてくれ。これでも芸能鑑賞の瑛ちゃんって名乗ってるんだ俺は」

「……まあ、こんなだけど大丈夫だよ。みのりんの邪魔する訳にはいかないからね」



 霧香ちゃんは仲良くしたい子は呼び方を変える。蒼太君もその一人だった。


 蒼太君も少し困惑していたけど、拒否感はないようだった。そういえば私も最初は同じ感じだったなと、見ていて楽しく思ったものだ。



 そして、私達は一連のやりとりを終えて会場に入り――改めて、会場の広さに驚いた。


「……こんなに大きかったんですね、この会場。名前だけは聞いたことあったんですが」

「ほんとだね。これ何千人入るんだろ」



 小さく呟くと、光ちゃんが何度も頷いてくれた。

 こういう所は来た事がなかったから、かなり新鮮な気持ちだ。



 席を探すと……真ん中の前よりの席と、かなり良い席だった。

 買った物ではなくて蒼太君から貰った物だからなんだと思う。千恵さん達は関係者席みたいな所に居ると聞いていた。



 席順は左からパパ、ママ、私、光ちゃん、霧香ちゃん、巻坂さんとなった。


 席に座ってパンフレットを見て――思わぬ文言を見つけて目を見開いてしまう。

 光ちゃんの方を見ると、同じ部分を見ていたらしくて目が合った。



「見間違えじゃないよね……?」

「そう、ですね? 巻坂さんは……」

「……初耳だなこりゃ」

「え、なになに? 何が?」



 霧香ちゃんはまだ見ていないらしく、首を傾げていた。

 巻坂さんにパンフレットを指さされ――同時に巻坂さんが霧香ちゃんの口を手で塞いだ。




「――!」

「驚くのは良いけど大声はダメだからな」

「!」


 霧香ちゃんが大声を出しそうになったが、ギリギリ間に合ったらしい。彼女が巻坂さんにこくこくと頷くと、巻坂さんが手を離した。



 それと同時にアナウンスが流れ始めた。



 時間を確認した所、始まるまでは時間はあるようだったけど……恐らく、注意事項や演目の説明などがあるからだろう。


 色々と気になる事はあったけど、一度飲み込んでから席に座り直したのだった。



 ◆◆◆


『本日最後を締めくくるのは、人間国宝である市竹つる様唯一の弟子となる海以蒼太様の舞となります』



 そのアナウンスの後、会場が暗くなった。

 楽しみで心臓がドクドクと音を立て、私は深く座って背もたれに体重を預けた。



『それでは皆様、どうぞお楽しみください』



 ――公演会が始まる。



 一つ目の演目は、鳴り物と三味線の音と共に始まった。



「――」



 その舞台上には一つの世界が創られていた。



 キラキラとしていて、とても綺麗な世界。


 どこを見れば良いのか分からない。……ううん。強欲にもその全てを見たいと思ってしまう。



 演者の表情のつぶさな変化がここからでも分かった。


 その手の動きはマフラーを編む母のように優しく繊細でありながら、しなやかな力強さを持っている。


 ひらひらと動く度に揺れる着物は、蝶のように綺麗だった。



 そして、それらを手伝うように鳴り物や三味線の音が心を打ち付けてくる。




 凄い、とか。素晴らしい、とか。そんな言葉すら陳腐に思えてしまうくらいに――私は魅了されていた。



 全身があわ立つような感覚。呼吸や瞬きなどの生理現象すらも置いてきぼりになってしまう。



 全てを捧げてまで、舞台の上に全神経を集中させたい。そう思わせるような輝きがあった。



「――ふぅ」



 一つ目の演目が終わり、息を吐く。

 長く目を閉じ、乾いた瞳を潤わせるが……良くない。目を悪くしてしまう。ちゃんと瞬きをしなければ。



 心臓が興奮でドクドクと脈打つのが分かって、胸の上に手を置いて落ち着けようとして――けれど、落ち着く暇もなく二つ目の演目が始まった。



 二つ目の演目はより凄まじいものだった。

 一つ目の演目でしっかりと心を掴まれ……【日本舞踊】という世界に取り込まれたからこそ楽しめたんだろうと、後になって気づいた。



 でも、気がつけば二つ目の演目が終わっていた。そしてすぐに三つ目の演目が始まる。


 余韻に浸る間はない。……それどころか、次の演目が始まる間も楽しいと思える。



 次は一体、どんな演者が魅せてくれるのだろう。


 どんな世界が創られるのだろう。



 生唾を飲み込み、鳥肌の収まらない腕に手のひらを当てる。




『続いてが最後の演目となります』



 その言葉に自分の耳を疑ってしまった。



 もう最後……なの?


 腕時計で時間を確認し、本当にもうこんな時間だったんだと驚いて。次が蒼太君の番だと思い出す。




 今までの演目も筆舌に尽くしがたいほど素晴らしいものだった。


 だけど、彼は――この公演会の最後を締める。比べるのは無粋だと分かっていても、期待してしまう。



 ドクドクと脈打つ心臓の上に手を置き、目を瞑る。




 深呼吸を一度挟んで目を開くと、幕が上がった。



「――ぁ」




 どっちだろう、と思っていた。日本舞踊と言っても、もちろん女形だけじゃない。

 どちらでも良い。でも、できればあの写真の姿を見てみたい。




 幕が上がった瞬間、結ばれた黒髪が光に照らされた。




 音はない。鳴り物も三味線も、唄もない。





 静寂に包まれた会場。舞台の上で彼はうっすらと瞼を開く。




 ドクン、と心臓が強く脈打った。

 今までよりも一層強く、大きく。会場に響いてしまったんじゃないかと思ってしまうほどに。




 でも、その音はすぐに聞こえなくなった。




 ゆっくりと彼は回り、その着物に目が行った。



 白い布地に、蒼い花が彩られた着物。

 それは蒼太君に似合っていた……なんて表現も弱い。

 彼が着るためだけに作られたのだろう。本当に綺麗だ。



 続いてまた髪、そして手や足のしなやかな動きに目を奪われる事となる。




 男性的、女性的、という言葉は現代に即さない。

 それは分かっているけれど……それでも、彼が本当に男性なのか分からなくなってしまう。


 それほどまでに女性的な動きで、思わず見惚れた。




 だけど、それだけでは終わらなかった。




 彼の瞳と目が合う。その瞬間――彼は笑った。



 ニコリと、優しく柔らかく、太陽のように暖かい微笑み。

 あの日、迎えに来てくれた時のように自然な笑みだった。




 それから彼の動きが変わった。知識がないせいで、何がどう変わったのか言葉にする事は難しい。



 強いて言うのならば――いつもの蒼太君になった、だろうか。



 ただ美しいだけではない。見ていると安心するような、それでいてドキドキするような。そんな感覚だ。




 彼の舞を見ていると伝わってくる。彼の人生が。

 この動きが身につくまで、一体どれほどの研鑽を積んだのだろうか。想像がつかない。


 丁寧で上品な所作は、普段の彼を想起させる。

 日常生活の細かな動きが今の彼に繋がっているんだなと、心に様々な感情が渦巻いていく。


 やがて、その感情は一つに固まっていった。




 ――綺麗だな、蒼太君。




 ――本当に。大好きなんだな、私。




 ◆◆◆



 公演会が終わっても、少しの間私達は立つ事が出来なかった。会場は静寂に包まれている。


 暖かいお湯に浸かったような充足感に包まれる。このままぼうっとして、そのまま眠ってしまいたい。



 だけど、そういう訳にもいかない。



「凄かった、ね」

「……はい。本当に」



 光ちゃんが呟いて、それに同意する。そうする事しか出来ない。



 横を見れば、パパとママ、霧香ちゃんと巻坂さんもこくこくと頷いていた。



 それと同じくらいのタイミングで、外に出る際の注意を促すアナウンスが流れた。いつまでもここに居る訳にはいかないと、深呼吸をしてから立ち上がった。




「凪様」


 パパとママ達と移動を始めようとした時、前の席の方から名前を呼ばれた。聞き覚えのある声に振り向けば――そこには須坂さんが居た。




「少しお時間を頂けるでしょうか」

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