第12話 【氷皇】のご挨拶

 凪が家に来た次の週。

 今度は俺が凪の家に行って、ご両親に挨拶する番であった。



「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。パパもママもすっごく優しいですから」

「……分かってはいる」



 彼女の表情を見ていて分かる。

そわそわとしているが、それは緊張というよりは楽しみにしているようで。彼女が両親を愛している事も伝わってきていたから。


 同様に、両親も愛情を持って凪と過ごしたのだろうと思う。

 


 だけどそうなると……異性の友人として紹介されたらどうなるのだろうか。話ぐらいは聞いてくれると思うが、少し怖い。



「このマンションですね。三階に私の部屋があります。もうお母さんとお父さんも来てますから」

「……分かった」


 だけど、引き返さない。引き返そうとは思わなかった。



 覚悟を決めて、凪の部屋へと向かった。



 ◆◆◆



 凪が部屋の扉を開けた瞬間――二人の人影が見えた。


 まさか玄関で待っているとは思わず、脳が一瞬フリーズした。



「は、初めまして。海以蒼太と申します。凪さんとは仲良くさせて頂いております」

「ふふ、硬いですよ。蒼太君」



 咄嗟ながらも、噛む事なく自己紹介が出来て安堵する。


 一度お辞儀をして顔を上げると――その男性と女性。凪のお母様とお父様は、俺を見て目を丸くしていた。



「あらあらあらあら。まさか凪のお友達がこんなにかっこいい子だなんて。ねえ、お父さん?」

「……負けた」

「パパは蒼太君と何を競ってるんですか」



 凪が珍しくジト目で父親を見ていた。同時に悟る。

 ……本当に良いお母さんとお父さんに育てられたんだな、と。



「自己紹介が遅れてごめんなさいね、蒼太君。私は凪の母親の東雲しののめ和美かずみと言います。気軽にお義母さんって呼んでね」

「え、えっと?」

「……ごめんなさい。こういう人なので。お母さんと呼んでくれれば喜びますから」

「わ、分かりました? お母さん」



 少し考えたが、こちらの方が良いのだろう。向こうから距離を縮めてくれるのであれば、こちらからも歩み寄らないと。


 そして――凪のお父様であるが。



「ふふ、お父さん。自己紹介しないと」

東雲しののめ大吾だいごです。凪の事、今までありがとう。お父さんの事も気軽にお義父さんって呼んで欲しい」

「……?」


 あれ、もっと刺々しい反応が来ると思っていたんだが。

 予想以上に優しく……まっすぐな言葉が向けられた。



「ふふ、お父さんも認めてくれたみたいね?」

「……蒼太君、凄いですね」

「ちょ、ちょっと話が読めないんですが」



 凪が驚いたように俺を見つめてくるが、よく分からない。


 すると、凪がじっと大吾さんを見つめた。



「ママももちろんそうなんですが、パパも私の事が大好きなんです。……蒼太君の話をしても、一応気をつけるようにって言われて。もちろん私を心配してですよ」

「まあ……それはそうだろうな」



 凪ほど魅力的な人であれば尚更心配だろう。そういえば痴漢対策も教えられたと言ってたしな。



「お父さん、昨日も言ってたのよ。もし不埒な輩なら成敗する! って」

「せ、成敗ですか」



 でも……それも仕方ないというか、自分の目で確かめたいという気持ちも分かる。


 話で聞いていたが、実際に会ってみると……というのも珍しい話ではない。仲の良い相手の事はつい良い部分だけを伝えたり、とかもあるからだ。



「でも、認めてくれた……って事で良いのよね? お父さん」

「……そうだな」

「えっ、あの、さすがに早くないですか?」



 ほぼ一目である。見極めるも何もなかった。


 だけど、大吾さんは不思議と……暖かい目で俺を見ていた。



「なんだろう。不思議と蒼太君を見ていると安心するんだ。それに、凪を任せるなら蒼太君しか居ないだろうなとも思った」

「…………ふむ?」

「一つ基準を決めていたんだ。凪を任せるのならお父さんよりかっこいい人じゃないとダメだと。……という事で蒼太君。凪の事を末永くよろしく頼む」

「ちょ、ちょっと色々話が飛躍してませんか!?」


 基準があまりにもあれというか、それ以前に色々勘違いされてないか?

 助けを求めて凪を見ると、彼女も目を丸くしていた。



「あらあら、凪のお婿さん探しが一番大変だって思ってたんだけど。見つかったみたいで良かったわ」

「ちょ、お母さん!?」

「ふふ、蒼太君もお義母さんって呼んでくれて嬉しいわ」

「あの!?」



 まさかそこまで見越して……と思っていると、隣で凪がため息を吐いた。



「こういう方達なので、話半分くらいで聞いて大丈夫ですよ」

「……な、なるほど?」

「そちらの方が都合も良いので」

「なんの都合だ?」

「いえ、こちらの話ですので大丈夫です」

「そ、そうなのか?」


 なんとなく気になったのだが……それよりも、と凪が手を一つ叩いた。


「立ち話もなんですので、リビングでお話をしましょう」


 ◆◆◆


 リビングにて……ソファを譲られた。少し申し訳なく思いながらも、気を遣いすぎると相手に失礼でもあるのでそこに座った。


 凪は俺のすぐ隣に座った。少し近いような気もするが、二人も気にしていないようなので良いだろう。


 そして、凪が両親をじっと見つめた。いつになく真面目な表情で。



「実は……パパとママに謝らないといけない事があります」


 その声も普段より硬かった。どうしたのだろうと彼女を見ると、その瞳がこちらを見つめた。



「蒼太君に助けられた事について詳しく話していないんです」

「……なるほど」



 彼女が謝りたいと言っていた理由。そして、言わなかった理由もなんとなく察しがついた。


 凪は両親から愛されて育っている。そんな大切な子が痴漢の被害に遭ったとすれば……。



「その前に、私がこちらに来た理由も蒼太君に話しておきますね」

「あ、ああ。そういえば聞いてなかったな。上京してきたんだったか」

「はい。以前も言ったと思いますが、今私は半一人暮らしをしてる状態です。ママが週の半分はこちらに来る感じですね。パパも月に一度はこちらに来てくれます」


 ふむ。半分は、か。そうなると半分は一人という訳だが。



「こちらに来た理由としては、環境の変化が目的です。中学生までは仲が良い人も出来ず、その。色々ありましたので」

「……そうか」



 凪ならどこでも人気になりそうなものだが、逆に嫉妬なども多かったのだろう。

 蒼い瞳が陰り、深くは追求しない方が良いだろうと察する。



「それで環境の変化を考え、交通の便と学力の事を考えてここに来る事になったんです。近くにパパの信頼出来る警察の友人なども居て、安全性は高かったので。一応他にも理由があったりはしますが、長くなってしまいますから」

「なるほど」


 環境の変化、か。俺も何度かあったな。


 最初は私立の小学校に行っていたが、市立の小学校に変えて。それでも……これ以上考えるのはやめておこう。



「結果的にそれが良い方向に向かったと」

「そうですね。霧香ちゃんと光ちゃんに出会って――蒼太君に出会う事が出来ましたから」



 一度凪が微笑んで、でもそれは一瞬だけの事であった。



「もちろん、ここで暮らすために色々話し合いをしたのですが……その辺りも今は割愛します。話を戻しますね」



 そこで凪が視線を両親へと移した。



「蒼太君に助けられたと、ぼかして言っていましたが……実はその時、痴漢に遭いそうになっていたんです」

「……痴漢!?」

「大丈夫だったのか……!?」

「はい、直前で蒼太君が助けてくれましたから。それから、蒼太君は私の傍でまた痴漢が現れないか見ていてくれました」



 思い出し、自然と顔が熱くなっていく。いくら口下手で話しかけて怖がらせたくないとはいえ……何も言わずに近くに居るのはないだろうと思う。


 それはそれとして、凪の話に耳を傾けた。



「パパとママに言ったら心配されるだろうなと。もしかしたら、帰ってきてと言われるかもしれないと思って……言い出せませんでした。ごめんなさい」


 凪が小さく俯く。ずっと心に引っかかっていたのだろう。



「凪。男の人が怖くなっていたりはしない?」

「怖くない、とは言えないです。でも、蒼太君のお陰で少しずつ良くなってきてます」

「……」



 凪のお父さんがじっと何かを考え込むようにして。凪を――ではなく、俺を見てきた。

 それに会わせて、お母さんも俺を見てきた。



「ありがとう、蒼太君。凪を助けてくれて」

「ありがとう、蒼太君」

「……えっと。…………どういたしまして?」



 これを言って良いのか少し迷ったものの、隣で凪が笑顔を見せてくれたのでこれで合っているのだろう。



「でも、俺も凪が怖がったり嫌な気持ちにさせるのが嫌だっただけですから。それに、凪も普段は注意していたみたいですし」



 それはそれとして、凪のフォロー……というか彼女が話していない事についても言っておく。今の凪なら遠慮して話さない可能性もあったから。



「……そうだな。凪」

「は、はい!」

「まず、話してくれてありがとう。でも、話してくれなかったのはお父さんちょっと寂しい」

「……本当にごめんなさい」

「とはいえ、これはお父さん達の責任でもある。確かに『嫌な事があればいつでも帰ってきて良い』とは言ったけど、無理に連れ帰るつもりもない。ちょっとお母さんに来る日を増やして貰うくらいはするが」


 お父さんは優しく微笑みながら言った。……本当に凪の事を愛しているんだなと伝わってくる。



「ええ、そうね。お父さんは一人でも大丈夫だし、お母さんはいつでも来れるからね。交通費の事も、凪が気にする事は何もないんだから」

「……はい」

「凪」



 凪が反省したように俯いていて、お母さんが一度名を呼んだ。そして立ち上がって近づいてくる。



「本当に良かった。凪が無事で」


 ぎゅっとそのまま凪が抱きしめられた。……そして、なぜか俺も抱きしめられていた。



「本当にありがとう、蒼太君。これからも凪の事をお願いして良いかしら」

「もちろんです」



 もう凪に絶対あんな顔はさせない。

 凪達に、そして自分にも宣言するように言った。



「じゃあ、この話はこれくらいにしましょう。凪の事は蒼太君が守ってくれる。もちろん他になにかあればお母さんとお父さんに頼るのよ?」

「……! うん!」


 凪が笑顔で頷く。彼女が両親に愛されてる事が痛いくらいに伝わってきて……本当に良かったと、心がぽかぽかとしたのだった。


 ◆◆◆


「良いなぁ。お父さんとお母さんもこんな時期が……あったっけ?」

「ふふ、なかったわねぇ。でも、凪が楽しそうで良かったわ」



 それから凪との話をしたのだが……お父さんの距離の詰め方が凄い。

 というかもう『お父さん』と『お母さん』呼びで定着してしまった。そう呼ばないと悲しそうな顔をするのだ。



「ぱ。パパ。ちょっと蒼太君との距離が近すぎませんか? あんまり困らせてはダメですからね?」

「ま、まさか凪……嫉妬か?」

「嫌っちゃいますよ」

「誠に申し訳ございませんでした。息子が出来たような気分でつい」



 凪とのやりとりを見て、細かな関係性も分かってきた。

 お父さんも凪との距離感が絶妙で、凪が遠慮をしない理由が分かる。


 お父さんから凪へと視線を移せば、彼女は俺を見ながら何かを考えているようだった。



「……蒼太君が息子。それも楽しそうですね」

「凪?」

「楽しいと思いませんか? 蒼太君がお兄ちゃん……もしくは私がお姉ちゃんでしょうか? それか――」



 凪がそこで言葉を切る。



 蒼い瞳がちらりとこちらを見てきて、唇の端がゆっくりと持ち上がる。



 どこか妖しさすら覚える蠱惑的な笑みに――一瞬、心臓が止まったかと思った。



「――ふふ。蒼太君はどれがお好みですか?」

「……ど、どれでも」



 羞恥で顔が熱くなり、それでも彼女の表情から目を逸らす事が出来ない。



「……お母さん。凪が見た事ない表情してる」

「ふふ、成長を感じるわねぇ。今夜はお赤飯かしら。後で買ってこなきゃ」




 しかも、二人に見られながらである。


 ちょっとその、色々と……ああもうダメだ、頭が回らない。



「蒼太君とどんな関係になったとしても、毎日が楽しくなりそうですね」

「……そうだな」




 ――という感じで終始凪に翻弄されたが、どうにか凪の両親への挨拶は済んだ。



 最後に、もし時間があればと今度行われる公演会のチケットを渡すと三人ともとても喜んでいた。後で瑛二達にも渡しておこう。彼らもこういうのが好きなら良いのだが。



 それと、最後まで色々と勘違いされていそうな雰囲気だったが、凪は訂正する事もなく……聞いても『後で言っておきますね』とだけ返された。


 本当に大丈夫だろうか。……大丈夫だと思っておこう。

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