第11話 【氷皇】宅へ
蒼太君が学校まで迎えに来てくれた次の日。私は蒼太君のお家に来ていた。
お家というか、お屋敷と言っても良いかもしれない。
玄関まで蒼太君が迎えに来てくれて、軽く部屋の案内をされながら居間へと向かった。そこに蒼太君の両親が居るらしいから。
凄く緊張する。でも、私が言い出した事だから頑張らないといけない。
蒼太君のご両親、どんな方なんだろうか。気がつくと手汗が滲んでいて、口の中がカラカラに乾いていた。
「大丈夫だ、凪。みんな優しい人だから」
「は、はい」
優しく微笑んでくれる蒼太君に感謝しながら、うるさく鳴り響く心臓の上に手をそっと重ねる。
「ここが居間だ。凪の準備が出来たら開けるよ」
蒼太君が心の準備をする時間を設けてくれた。それに感謝しながら一度、二度と深呼吸を挟む。
そして、蒼太君に向けて頷くと――
そこには若い男性と女性。そして、お手伝いさんのような女性が一人居た。
「は、初めまして。東雲凪と言います。そ、蒼太君とは仲良くさせて頂いております!」
第一印象は大切だ。
お家で挨拶の練習をしておいて良かった……噛まずに言えた。
お辞儀をしていると、蒼太君の空気の抜けたような笑みが耳に届いた。
「お父様、お母様。須坂さん。こちらの方が私と初めてお友達になってくれた東雲凪さんです。凪、顔を上げても大丈夫だ」
「は、はい!」
顔を上げると――とても驚いた表情をしている三人が目に入った。
一番最初に立ち上がったのは、荘厳な雰囲気を持つ男の人だった。
「失礼した。蒼太の友人というのがまさか――こんなに綺麗な方だとは思っておらず。私は蒼太の父親の
続いて、とても綺麗な黒髪を持つ女性が立ち上がる。
「私は蒼太の母親の
――この方達が蒼太君のお父さんとお母さん、なんだ。
二人とも凄く若く見える。それに、とっても優しそうだ。
蒼太君のお母さんはもちろん、少しだけ威圧感のあるお父さんも……その内から滲み出る優しさが隠しきれていない。
そして――最後に、エプロンを着けたお手伝いさんらしい女性が綺麗にお辞儀をした。
「お初にお目に掛かります、東雲様。蒼太君のお手伝いをしている須坂と申します」
須坂さん。この方もとても優しそうな方だ。見ているだけで緊張がほぐれていきそうな感覚があった。
三人に改めてお辞儀を返しながら、不思議と心を暖かいものが満たしていた。
――なんでだろう。初めて会ったはずなのに、そんな気がしない。
少しぼうっとしてしまって、蒼太君の咳払いに意識を引き戻された。
「まずは座ってから話をしようか。ずっと立ちっぱなしなのもな」
「は、はい!」
「では私はお茶のご用意をして参ります」
蒼太君に言われ、蒼太君のお母さんとお父さんと机を挟んで座る。
「最近蒼太と交流があったと言うのが――君なんだね」
「は、はい! そ、蒼太君には凄くお世話になってます!」
蒼太君には本当に……感謝をしてもし切れない。だから、今日はその事についても話したかった。
「実は、蒼太君に助けられた事から交流が始まったんです。それから蒼太君と仲良くなって、彼の良い所をたくさん知りました」
蒼太君と知り合って、まだ少ししか経っていない。知った気になっていても……私は蒼太君の事を全然知らない。
彼が私と仲良くなりたいと言ってくれたように、私も彼の事を仲良くなりたかったから。
「もっとたくさん蒼太君の事が知りたくなって、今日はいきなりのご挨拶となってしまいました。申し訳ありません」
つい感情に身を任せてしまい、昨日は蒼太君に言ってしまった。
もちろん忙しそうなら別日にするつもりだったけど、それでも礼儀がなっていなかったのは確かだ。
「……昨日、蒼太から聞いた時は驚きましたが。歓迎しますよ。蒼太の初めてのお友達ですもの」
「……そうだな。蒼太の話を聞かせて欲しい。だが、すまない。少しだけ席を外す」
二人の言葉にホッとしながらも、蒼太君のお父さんが立ち上がった。
やっぱり怒らせて……と思ったけど、違った。
蒼太君のお父さん、宗一郎さんが去り際に目尻を手の甲で拭っていたのが見えていた。
「宗一郎さん……いいえ。お父さん、すっごく喜んでるんですよ。蒼太にお友達が出来て……しかもお家に来るくらい仲の良いお友達が」
「ご心配をお掛けしてすみません」
「蒼太が謝る事は何一つないんですよ。悪いのはお母さん達ですから」
すっと、千恵さんが静かに立ち上がって蒼太君に近づく。
彼の頬に真っ白な手を合わせた。
「ごめんなさい、蒼太。……私達のせいで不便な思いをさせて」
「お母様達のせいではありません」
「いいえ、私達のせいです。……ごめんなさい。本当に」
蒼太君に何があったのか、私は知らない。今から知っていくつもりだ。
だけど、蒼太君を見ていると分かる事もある。
今彼を見ていて分かる事は……両親を深く愛しているという事だ。
「過去より、今の蒼太君を見てくれませんか。千恵さん」
「……凪、さん?」
「過去の事は私には分かりません。勝手に首を突っ込んでしまって申し訳ありません。でも、今の蒼太君をその目で見て欲しいんです」
千恵さんは蒼太君を見ているようで、どこか違う……過去の蒼太君を見ているように見えた。
蒼太君と千恵さんの目が合って、彼は優しく微笑んだ。
「私は……ううん。俺はずっと幸せだよ。母さん」
「……蒼太」
「母さんと父さんが何を言っても、俺はずっと幸せだった。今はもっと幸せになっただけだよ」
千恵さんの瞳から涙が溢れた。そして、蒼太君をぎゅっと暖かく……優しく抱きしめる。
蒼太君が目だけを動かして私を見てきた。
「ありがとう、凪」
「ふふ。どういたしまして」
それから宗一郎さんと須坂さんも戻ってきて。たくさん蒼太君の話をしたのだった。
◆◆◆
話していると……蒼太君はまだどこかご両親に遠慮があるように見えた。さっきの千恵さんとのやりとりもあったし、見間違えではないだろう。
その気持ちは痛いほど分かる。私も昔はそうだったから。
だけど、話しているうちに少しずつその遠慮もなくなっていくのが分かって、嬉しくなった。
それと、須坂さんとも蒼太君の話がすっごく弾んだ。
蒼太君がお料理が苦手な事は初めて知ったし、後で一緒に料理を作りたいと言ったら快く引き受けてくれた。
その後――ずっと居間に居ても気が張るだろうと気遣いを受けて、蒼太君のお部屋に行く事になった。
……お部屋に行く事になった。
男の子の部屋……というか、お友達の部屋に入るのは初めてだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だぞ。自分の部屋みたいに、っていうのは難しいかもしれないが。楽にして欲しい」
「は、はい!」
また緊張が見抜かれていた。思わず苦笑いをしていると、彼がじっと私を見つめている事に気づく。
「ありがとう、凪」
「……? 先程お礼は聞きましたよ?」
「その後の事もだ。母さんと父さんとあんなに話したの、久しぶりだから。須坂さんも凄く喜んでた。全部凪のお陰だ」
「私の、ですか?」
「凪が友達になってくれて、家に来たいって言ってくれたから。俺も少し父さんと母さんを誤解してたし。……だから、ありがとう。凪」
その言葉はすっごく嬉しかった。
私のお陰と言ってくれたから、ではない。
蒼太君が両親とこれからは仲良く出来そうだから。それが自分の事のように……ううん。自分の事以上に嬉しくて。
「どういたしまして」
蒼太君の顔が緩んで笑顔になっていく。本当に優しい笑い方だ。
――と、そこで蒼太君が止まった。
「着いたな、ここが俺の部屋だ」
「ここでしたか」
「入ってくれ。特に何もない部屋だけどな」
「それでは失礼します」
扉が開かれ、中に入る。
――ふわりと、彼の匂いが鼻をくすぐってきた。
「ここが俺の部屋だ」
「わあ……本でいっぱいです」
「本くらいしかないんだけどな」
「本がたくさんあるのは良い事です。……?」
部屋を見渡して、机の上に置かれていた写真立てに目を奪われた。
「こちらの女性は……? 凄く綺麗な方ですね」
着物を身につけた黒髪の女性。舞を踊っている最中の写真らしい。
肌は白く、
……あれ。どこか見覚えがあるような。
もしかして――
「――蒼太君?」
「……よく気づいたな」
「え、え? 本当に?」
「俺だ。これは去年の公演会で撮られた写真だな」
じっと蒼太君を見て、次に写真を見比べる。こうしてみれば、どことなく蒼太君の面影があった。睫が長いのもそうだし、肌の綺麗さとかもそうだ。
日本舞踊の中には女性の役をして舞う……女形というものがあったはずだ。その写真なのだろう。
「メイクの力って凄いだろ?」
「もちろんそれもありますが……蒼太君の顔の良さもあるのかな、と」
「そうか?」
「はい。蒼太君、美形でかっこいいですから」
「そ、そうか……ありがとう」
照れたように頬を赤く染める蒼太君。少し……ううん。すっごく可愛い。
「でも、本当に綺麗ですね」
「俺も思うよ。……一応言っておくが、俺が飾った訳じゃないからな。須坂さんが現像して渡してきたんだ。よく撮れてるからって」
「そうだったんですね。ちなみに予備であったりするんですか?」
「いくつかあったはずだ。貰うか?」
「ぜひ!」
蒼太君の写真が貰える。しかもこんなに綺麗な写真が。帰ったらすぐお部屋に飾ろう。
「お礼にとびっきり美味しいご飯作りますね。須坂さんと一緒に」
「そ、そういえば須坂さん達に確認取ってたな。別にお礼とか考えなくて良いんだぞ? それこそ、さっき俺も助けられたんだし」
「じゃあお礼とは関係なく作ります。料理を作るの、好きなんですよ」
昔から料理を作るのが好きで、蒼太君にも食べて欲しかった。彼が食べている姿を見るのも好きだったから。
そう言えば、蒼太君が頬を緩ませて頷いた。
「それなら遠慮なく頼む」
「お任せください。ママ直伝の肉じゃがを作るつもりですので」
「楽しみにしてるよ」
蒼太君にも美味しいって言って貰えるよう頑張ろう。
◆◆◆
しばらくの間、蒼太君のお部屋でゆったりとした時間を過ごした。
本の話をしたり、日本舞踊について話を聞いたり。
その時間が凄く楽しくて、安心した。
「……凪、今日はずっと楽しそうだな」
「はい! すっごく楽しいです! 蒼太君と一緒に居られると、とっても安心するんですよ」
私達はベッドに腰掛けて一つの本を開いていた。
彼との距離は近い。空気越しに彼の体温が感じられて、凄く安心する。
それと――彼の匂いも心地よかった。
「本当に。安心する匂いです」
「……臭うか?」
「良い匂いですよ。私、蒼太君の匂いも好きですから」
安心して、でも不思議と心臓がドキドキする匂い。
「もっと近づいて良いですか?」
「……ああ」
「ふふ。ありがとうございます」
彼と肩が触れるほどの距離に来る。
それでも……もっと近づきたくて、体を傾けて彼の肩に顎を乗せた。
すぐ目の前に蒼太君の顔がある。
「な、凪? さすがに少し近すぎないか?」
「蒼太君が良いって言ってくれたんですよ」
蒼太君の手の甲に自分の手の甲を触れさせると、体温が伝わってきた。
「安心してください、蒼太君。……私からこんなに近づくのは蒼太君だけです。霧香ちゃんと光ちゃんから来る事はあっても、私から行くのは蒼太君だけですから」
「そ、そう……か」
じっと、赤くなっていく蒼太君の顔を見つめる。
本当に綺麗な横顔だ。いつまでも見ていられそう。
あの頃の私に話したら驚くだろうな。こんな至近距離で彼の顔を見ていられるなんて。
――そんな事を考えていて、私は気づいて居なかった。
彼に近づき過ぎて……彼の腕に自分の胸を押しつけていた事に。
気づいたのは随分後の事で、羞恥でしばらく彼の顔を見る事が出来なくなったのだった。
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