第5章 最終話 未来へ向けて

「来ましたね、凪」

「はい――お母様」


 学校が終わって、放課後。私は家に戻っていた。


 ……蒼太君と避難している家ではなく、先月まで暮らしていた家。そして、これからまた戻ってくる家に。



 理由は、昨日蒼太君に話した――新しい事を始めるため。



「もっと気を楽にしてください。私の――お母さんの前なんですから」



 にこやかに微笑むお母様。緊張を見破られていたらしい。


 ふぅと小さく息を吐いて、自律神経を整える。改めて、お母様を見た。……真面目な場だから、一応はお母様と呼んでおく。



「では最初に、目標の方を言語化してみましょうか。凪は私から何を学びたいのでしょう?」


 その言葉に改めて背筋を伸ばす。早速切り替える時間だ。



「――抽象的な目標としては、将来。会社を継ぐ蒼太君の隣で支えられるようにすることです。お母様がお父様を支えたように」

「では、具体的な目標はどうでしょう?」

「蒼太君の秘書となることです。スケジュール管理や、商談をする際の補佐など。彼の肉体的負担、精神的負担……業務の負担を軽減させる事が目標です」

「よく出来ました」



 返ってきた言葉に心の中で息を吐く。言語化する事は大切だ。自分で再確認する事で、頭の整理を付けられるし、伝達能力を確かめる事も出来る。


 思考はそこまでに、次の質問の準備をするために切り替える。


「では、そのためにどうしますか?」

「インターネットや資料で学ぶ……という事も大切です。しかし、現場で実際に働いていた……今も働いている人からしか学べない事はたくさんあると思います。特に、お母様の働きはとても優秀だとお父様から聞いています。なので、お母様から実際に学びたいのです」

「ふふ、分かりました。一番にお母さんを頼ってくれたの、とっても嬉しかったですよ」



 ニコリと柔らかい表情に包み込まれる。心の底から安堵出来るような微笑みに……思わずほっと息を吐いてしまった。


「さて、ここからは凪の答えを聞いての質問となります」

「はい」


 じっとお母様を見つめる。絶対に目は逸らさない。



「――もし、蒼太君が会社を継げなければどうしますか?」

「絶対に蒼太君は会社を継ぎます――という答えは望まれてない、と思います。現実的に考えれば、そちらの可能性が高い事も理解しています」


 お父様は仕事に関しては絶対に手を抜かない。もし蒼太君が上に立つ者として相応しくないと判断されれば、話はなくなるだろう。


 ……実際、蒼太君に才能があるからお父様は提案した訳だけど。何事も絶対がある訳じゃない。



「それでも、ここで学ぶ事は無駄になりません。蒼太君が幹部のような役職になったのなら、その秘書として支えます。一サラリーマンとして民間企業で働くのならば、私も同じように働くでしょう」


 将来どうなるのか、それは誰にも分からない。


 だけど、それでも――


「お母様から学んだ事は必ずどこかで役に立つと考えています」

「分かりました。ではもう一つ聞きます」



 その次に来るであろう質問を予測して、生唾を飲み込む。



「子供が出来た時、凪はどうするんですか? 働くのか――それとも、専業主婦となるのか」

「……その時は専業主婦となる予定です」


 少しだけ詰まってしまったものの、それが私の決めた事だ。


「まず最初に、お母様を責めてる訳ではありません。ただ、私は……子供が出来たとしたら、その子をお仕事より優先したいです」



 子供とはたくさんコミュニケーションを取りたい。……すれ違ったりしないように、という思いもあるけど。

 蒼太君と蒼太君のご両親のように、仲良くしたいから。



「もちろん、空いてる時間で蒼太君を手伝うつもりではありますが……そこまでの余裕があるかどうかはまだ分かりません」


 調べていると、子供が出来るとかなり忙しくなる事が分かった。母乳をあげる時間に、おむつを変える時間。そして、夜泣きなどがあるから。



「では、凪は――いくつぐらいの時に子供を授かりたいと考えているんですか?」

「遅くとも、二十代のうち。出来れば二十五前後で授かりたいと蒼太君と話し合っています」



 三十代に入ってから授かるのも……ダメではないと思う。けれど、子供とはたくさん遊んであげたいから。なるべく体力のあるうちに、と話していた。



「そうなると、ここで学んだ事は……どれだけ早くとも、蒼太君が会社を継いでから数年程度で必要なくなる可能性もありますが。それは理解してますか?」

「もちろんです」


 どれだけ早くとも、大学卒業。でもそれはさすがに不可能だろう。


 恐らく、お父様の補佐から始まって、実績を積み重ねつつ……と考えれば、私が秘書をする期間は限りなく短い。


 お父様の補佐をする時から手伝うつもりなので、秘書の期間がゼロにはならないはずだけど。それでも短い。



 だけど、それで良い。



「一日二日で終わる試験を合格するために、何十、何百時間も勉強をする。そう考えれば、数年も蒼太君の隣で支えられるなら何の不満もありません」


 もちろん、それだけじゃない。試験のために勉強をするのは大切だけど、『勉強』の目的は『試験』だけじゃない。『知識を身につける』事だ。



「もちろん、子供が大きくなってきたらまた蒼太君の秘書として手伝うつもりです。……二人目、三人目を授かったら手伝いが遅くなるとは思いますが」

「……ふふ、それは楽しみですね。子育てはお母さん達も手伝いますから」

「ありがとうございます」


 その時のことをつい考えてしまい、楽しくなる。


「お母様や――蒼太君のお母様達が手伝ってくれる、という前提があれば。蒼太君のお手伝いも多少は出来ると思います。それでも子供を優先する事に変わりはありませんが」

「なるほど、凪の気持ちは分かりました」


 眼を瞑り、私の言葉を咀嚼するように深く頷くお母様。



「では、質問これでは終わりです。……凪」

「……?」


 お母様が腕を広げた。その意味が分からずに首を傾げると、お母様が楽しそうに笑う。



「ちょっと雰囲気が硬くなりすぎたので、ハグ、しましょうか。スキンシップも大切ですから」

「……はい!」


 その心遣いが嬉しくて、大きく返事をしてしまった。

 少し恥ずかしくなって咳払いを挟むも、お母様……ママがさあ、おいでと言ってくる。



 ゆっくりと手を伸ばしてハグをすると――安心する匂い、そして暖かさに包まれた。


 ママとハグをするのはとっても久しぶりな気がする。



「……凪、大きくなりましたね」

「ママとパパ、須坂さん達が育ててくれたからですよ」

「ふふ、そういう意味もありますが。私が言いたいのはそちらではありませんよ」


 暖かく、柔らかい声。聞いていると、とても安心する。


「蒼太君に出会って、彼と過ごして。凪は精神的に目覚ましい成長をしています」

「そうですか?」

「はい。一皮むけた、と言いますか。彼と二人暮らしをして、良い成長をしたんだと思います」



 ぎゅっと強く抱きしめられる。蒼太君と違って、すごく力強い訳じゃないけど、とても安心する温もりだ。



「もっと早く、抱きしめてあげられたら……凪の成長をもっと感じられたんでしょうね」

「そう、かもしれません。でも、また機会はありますよ」


 ママもパパも、私とすれ違って……とっても後悔してる。

 だから、もう後悔はさせない。



「私達が子供を授かったら、私の分までいっぱい抱きしめてあげてください。いっぱい成長を感じられると思います」

「……ありがとう、凪」


 まだ少しだけ遠慮していたのか、抱きしめる力が少しだけ強くなる。



「でも、まだまだ凪も成長するはずですから。またこうしてスキンシップ、取らせてくださいね」

「はい。またたくさんハグします。まだまだ成長するところ、見せますから」


 そう言えば、ママの笑う声が部屋に響いて――それからまた少しだけ、ハグを続けた。



 そして、話が戻る。



「さて、では改めて。習い事がない日は私や……時には友人を呼んで、凪に必要な事を教えます。内容は本当に多岐にわたりますから、大変ですよ」

「覚悟しております」

「……凪、もう少し肩の力を抜きましょうか。蒼太君と同じで、凪にもたくさん時間はありますから」


 そう言われ、一度深呼吸を挟んだ。……大丈夫、落ち着いた。

 最近はメリハリを付けられていなかったから、切り替えが下手になっている気がする。これから頑張ろう。


「そうですね。社会経験なども時には積んで貰うので、一言でまとめると――折角なので、『花嫁修業』と名前を付けておきましょうか」

「ふふ、そうですね。良さそうです」


 蒼太君の隣へ並び立つ花嫁になるための修行。うん、ぴったりだと思う。




「では、『花嫁修業』について、詳しく話していきましょうか」




 ――そうして、私も歩むべき道のりを見据えた。彼が頑張っているのだから、私も頑張りたい。



 学業もあるけど、大丈夫。蒼太君も……お友達も居るから。




 未来に向けて一歩ずつ歩きだそう。









 第5章 元氷姫との同棲〈〜完〜〉――――――――――――――――――――――



 あとがき


 皐月です。氷姫の5章はこれにて終わりとなります。


 5章は蒼太君と凪ちゃんが将来を見据えて動き始めるお話となりました。


 書籍が発売される五月までにここまでは終わらせたいなと考えておりましたが、無事に終わって本当に良かったです。


 6章からは二年生編になる予定です。

 それまでのお話……春休みやバレンタイン、蒼太君の初お給料の話などは幕間にて書きたいなと思っております。


 二年生編……ということはクラス替えなどがありますが。凪ちゃんと蒼太君は元々他校ですので問題はありません。

 瑛二君と同じクラスになれるのかは気がかりですが、きっと違ったとしても今の蒼太君なら大丈夫でしょう。多分。


 六章では書ききれないと思いますが、夏休み編や学園祭、体育祭編などの定番イベントは書きたいところです。



 それと、書籍の情報です。

 電撃文庫様のXにて昨夜カバーデザインが公開されました! タイトル入りのやつですね!

 近況ノートでも公開しておりますので、気になった方はご確認ください!



 そして、こちらは書籍と関係あるようなないようなお話にもなりますが……書籍化記念IFで書くお話が決まりました!


 皆様のコメント、とてもありがたかったです! 私一人では到底思いつけないようなネタをたくさん頂く事ができました!



 IFの内容としましては……『立場入れ替えIF』にしようかなと思います! 蒼太君が東雲家、凪ちゃんが海以家に育てられたお話ですね!


 こちらは書籍が発売される5月10日から毎日投稿を始めますので、お楽しみにお待ち頂ければなと思います!



 それでは! また来週から幕間を投稿致しますので、よろしくお願い致します!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る