第96話 過去と約束
アルバイトが終わり、俺は伊東さんとロビーに居た。今日は迎えに来るまで少し時間が掛かるらしい。
こうして時間がある時、伊東さんはよく話し相手になってくれるのだ。
ただ、今日は俺から伊東さんに言わなければならない事があった。頃合いを見て話を切り出す。
「伊東さん。その、先程はありがとうございました」
「ん? ……ああ、見てたんすか。休憩室の」
「すみません。廊下で聞いてました」
「いやー、恥ずかしいところ聞かれたっすね」
苦笑いをしてコーヒーを一口飲む伊東さん。
珍しく、ふうとため息を吐いていた。
「ごめんっす、海以っち」
「……? どうして伊東さんが謝るんですか?」
「多分海以っち、気づいてたっすよね。車木さん達がああいう事してたの」
「……えっと。はい」
わざわざ嘘をつく必要もないだろう。そう思って頷くと、伊東さんの表情が苦虫を噛み潰したようなものへと変わった。
「やっぱそうっすよね。ほんとごめんっす。俺がついていながら嫌な目に遭わせて」
「い、いえ。……あの人の言葉が分からない訳ではなかったので」
「分かっちゃダメっすよ。あれはただの
伊東さんが珍しく強い口調でそう言ってきた。本当に珍しい事だ。
「思ったとしても口にしないのが大人っすし。……何より、頑張ってる人を嘲笑う人の言葉に聞く価値なんてないっすよ」
「それは……そう、ですね」
「はい、そうっす。海以っちは俺の目から見てもめちゃくちゃ頑張ってるんすから。要領も良いっすよ。この短期間でめちゃくちゃ上達してるっす」
その言葉はくすぐったく、嬉しいものだった。
だけど、俺に足りないものもたくさんある。
「でも、俺もまだまだですよ」
「慣れと経験があればどこまでも伸びるっすよ。こういうのは気持ちが大事っすからね」
……気持ち、か。
そうだな。絶対にやりきるという気持ちは持っておかないといけないな。
「もしかしたらどこかで詰まる事があるかもしれないっすけど、絶対に折れないで欲しいっす」
「もちろんです。……半端な気持ちで目指そうとは思ってませんから」
「言うと思ったっす。そういうところ好きっすよ」
将来を考え――お義父さん。宗一郎さんと話して決めた事。
やるからには全力でやる。そして成し遂げる。
「……うん。やっぱ良いっすね。その顔」
「……?」
「俺、真面目な人好きなんすよ。応援したくなるっす」
伊東さんはそう言った後。じっと俺を見てきた。
「海以っち、今年で高校二年生っすよね」
「はい。そうです」
「そっすか。となると、後二年……大学は行くんすか?」
「はい。元々行く予定でしたし、宗一郎さんからも行った方が良いと」
「なるほど。なら……あと六年っすか。十分っすね」
六年。俺が大学を卒業するまで……?
でも、それが一体どうしたんだろうか。
「海以っちはきっとこれから大成するっすよ」
「……そうなれるよう頑張ります」
「頑張ってくださいっす、って言いたいんすけど。俺も頑張るっすよ」
そう言って、彼は強い光の灯った瞳でじっとこちらを見てきた。
「海以っちが大学を卒業するまでに俺も腕を磨くっす。……その時は俺、海以っちと一緒に頑張りたいっす」
「……!」
それは、つまり――
「目指せ、幹部職っすね。六年で俺もやれるところまで出世しておくっすよ」
「……どうしてまた、いきなりそんな事を?」
「頑張る海以っちを見てたらすぐ傍で応援したくなった、って理由もあるっす。……けど、実はちょっと過去に色々あったんすよ」
伊東さんが今度は少し気まずそうに笑って頬をかいた。
「大学時代、仲良かった親友が起業しようとして、俺も応援してたんすけど……結果は大失敗。何人かでやってたらしいんすけど、そのうちの一人が悪い金貸しに騙されたんすよ。親友が代表だったから、色々責任を取らされる形になって」
「……なるほど」
「そいつ、かなり真面目な性格で……ぶっちゃけると海以っちに似てるんすよ。せめて俺に相談してくれたら……とか。今でも考えるっす」
気まずそうな表情がやがて、過去を悔やむようなものへと変わっていった。
「だから、六年後の海以っちに足りないものは俺が埋めるっす。そうしないとまた後悔する事になるぞって俺の直感が言ってるんすよ」
……そういう事だったのか。
「ちなみにその親友の方は……」
「鬱になって
「そうだったんですか」
色々あったようだが、今前を向いているのなら良かった。今も交流もあるようだし。
「多分海以っちはどこまでも真面目で居るっす。俺はそういう海以っちが好きっす。だから、真面目じゃない俺がその枠を将来埋めたいって思ったんすよ」
「……真面目ですよ、伊東さんは」
「いや、真面目ならこの口調も直ってるっすよ」
けらけらと笑う伊東さんに釣られて俺も頬が緩む。
……嬉しいな。事情はどうあれ、将来着いてきたいと言われるのは。
「でも、友達だからって贔屓はしないですよ?」
「お? 言うっすね? 任せろっす。六年後には海以っちからスカウトされるくらい優秀になっておくっすよ」
彼は笑いながら手を差し出してた。
「約束するっす。海以っち――いや。蒼太っち」
「……!」
「もう友達っすから、オフの時は普通に
「……分かりました、裕太さん」
その手を掴み、握手をする。
「約束です。大学を卒業する頃には――俺も、裕太さんの上に立てるような人になります」
「はいっす。楽しみにしてるっすよ」
――約束。守る為にまた頑張らないといけないな。
その時。入り口の自動ドアが開く音がした。
運転手さんが来たかと思って入り口を見て――目を見開いた。
「……凪、と。宗一郎さん?」
「迎えに来ましたよ、蒼太君」
「訳あって今日は私が来る事になった。少し話したい事があってな。……君は経理部の伊東裕太君、だったか」
宗一郎さんの目が裕太さんへと移り、彼はビシッと背筋を伸ばした。
「……あ、はっ、はいっす……じゃなくて、はいです!」
「無理に敬語を使おうとしなくて良い。原田から優秀な新人だと伝えられている。事情も知っている」
裕太さんが全力でビシッと頭を下げる。凄く綺麗なお辞儀であった。
「あ、凪。この人は伊東裕太さん。簡単に言うと俺の教育係みたいな感じで……それで、友達だ」
「お家でよく話してくれたお方、ですね」
凪が会うのは初めてだ。家では話していたが。
「初めまして。東雲宗一郎の娘、そして海以蒼太の
「ご、ご紹介にあずかり光栄でありますっす。経理部の伊東裕太と言いますっす!」
少し口調がおかしくなっているが、凪はあまり気にしていないようで柔らかく微笑んでいた。
「でも、宗一郎さん……話ってなんでしょうか?」
「……例の件に大きな動きがあった。と言えば伝わるか」
例の件……というと、南川グループの過激派の人達か。
「詳しく話したいから会議室を押さえている。来て欲しい」
「分かりました。……という事なので、裕太さん。ありがとうございました」
「あ、またっす。蒼太っち。宗一郎様と――凪様も」
またぺこりとお辞儀をして、裕太さんが会社の外に出て行った。……六年後には口調も直ってたりして欲しいな。
「……伊東君と仲良くなっていたんだな」
「……? 宗一郎さん、知っているんですか?」
「会うのは初めてだ。履歴書で一目見たときから何かを持っていると感じてな。元々特殊な口調もあって面接で落とされそうになっていたのだが、私の一存で通した」
「……面接でも抜けてなかったんですね。あの口調」
本人は就活の時は直したと言っていたが、恐らくどこかで漏れてしまったのだろう。
「そういう意味では蒼太君と仲良くなるのも必然とも呼べるか」
「……? どういう意味ですか?」
「いや、何でもない。ひとまず会議室に向かおう」
そこで言葉を切り、宗一郎さんは歩き始めた。遅れて俺と凪が後ろを歩く。
「蒼太君、良いお友達が出来たんですね」
「そうだな。凄く良い人だよ。……本当に、凄く良い人で。優秀な人だ」
先程のやりとりを思い出して、自然と頬が緩んだ。凪もニコリと笑って俺と手を繋いで来た。
「お父様が言った通りです」
「なんて言ってたんだ?」
「ふふ、それはですね――」
「二人とも、会議室はここだ」
凪の言葉を遮るように宗一郎さんが振り返った。そういえばこの階にも会議室があったなと遅れて気づく。
「中は防音だ。長くするつもりはないが、念のためだな」
「分かりました」
そして、俺達は会議室へと入った。
――一体どういう話をされるのだろうと疑問を抱いて。でも、凪の表情からして悪い話ではないのだろうと思いながら。
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