第95話 海以蒼太の武器
土曜日。蒼太君がアルバイトに向かった後、私はパパへ電話を掛けていた。
「もしもし、パパ。少し良いでしょうか?」
『どうした? 凪と蒼太君にならいくらでも時間を作るつもりだが』
返ってきた言葉に思わず嬉しくなってしまう。
もう蒼太君が私と同じで、家族になったんだなって。改めて実感したから。
それはそれとして、真面目な話になるので切り替えないと。
「蒼太君に関するお話です。……正確には、蒼太君というよりは会社の事で少し気になった事があったので」
『何かトラブルに巻き込まれたのか?』
「そう、ですね……それ自体は問題ないです。でも、少し引っかかる事がありまして。私の直感みたいなものなんですが……」
話しながらも少しだけ迷う。
あの日。蒼太君から話を聞いて思った事。
これから先、何度もこういう事は起きると思う。その時は私が絶対に支えるから大丈夫。
だけど、一つ気になった事があったのだ。
『なんでも話してみて欲しい。凪の直感はよく当たる事もある』
「……そう、ですね。では――」
言うだけ言ってみよう。もやもやを抱えるよりはずっと良い。
少しの緊張を飲み込んで、口を開いた。
「社内に息の掛かった人物が居る、という可能性はありませんか」
『――スパイ、か』
「直球で言えばそうなります」
私情はある。蒼太君の悪口を言われたから……悪感情は決して小さいものではない。
だけど、それだけではない。
思考をまとめながら、パパが続ける言葉を大人しく聞いた。
『私も考えなかった訳では無い。ただ、社内となると少し探るのが難しくなる』
「……難しい、ですか」
『ああ。理由としては調査をするとしても単純に数が多いこと。それは良いとしても、調査は慎重にしなければならない。仲間に裏切り者が居る、となれば社内の不和に繋がりかねないからだ』
……ふむ。
『不可能、とは言えないが。今後のリスクを考えると調査は難しいんだ』
「……」
パパの言葉は正しい。それは分かっている。けれど。
「――もし、スパイが居たとして」
杞憂なら良い。でも、杞憂じゃなければ……
「蒼太君を狙ってくる。……ううん。蒼太君が狙われやすい時期なのではないかと」
『……そこまで予想がついていたか』
そう言葉にしながら、自分の中で再度整理をつけた。
こう言ってはあれだけど、今の蒼太君は狙い時だ。
言うなれば、羽化を待つ蛹のような状態。成長の為には必要で、だけど一番無防備な時期。
「となると、やはりパパも分かっていた事でしたか」
『……すまない』
「いえ。これが蒼太君の為なら――」
『違う』
言葉を遮られて口を閉じる。
『確かにこれは蒼太君にとっても必要な事だ。……だが、
「それも、分かっているつもりですが」
『……いや、凪はまだ誤解している』
返ってくる言葉に首を傾げた。少しの静寂の後、パパが話を続けた。
『――時に、凪。凪は大成する者に必要な力はなんだと思う?』
唐突な言葉。でも、今までの話と関係ある事なのだろう。
大成する者に必要な力……難しい。一つに絞る事は。
頭脳は必要だ。体力もそう。行動力やコミュニケーション能力は言わずもがな。
少し考えるも、簡単に答えは出てこなかった。
「……分かりません」
『では、答え合わせをしよう』
久しぶりにパパからの授業だ。聞き漏らさないように私はスマホに耳を押し当てた。
『大成する者の特徴。それは――』
◆◇◆
「海以っち、お弁当良いっすね。愛妻弁当っすか?」
「あいさっ……えっと。恋人が作ってくれたものです」
お昼は食堂で伊東さんと食べていた。伊東さんはうどんを食べていて、俺は弁当だ。
「懐かしいなぁ……俺も学生の頃は彼女が作ってくれたんすよね」
ぼんやりと遠くを見つめる伊東さん。
俺はまだ、そこまで伊東さんの事を知っている訳ではない。アルバイトと言っても平日は短い時間だから、伊東さん達社員と過ごした時間も短い。
「学生時代の伊東さんってどんな感じだったんですか? 部活とか」
「サッカー部っすよ。中高やってて、大学もサッカーのサークル入ってったっす」
なるほど、サッカー部。伊東さんなら何かしら部活をやっていそうだと思ったが。
「この口調もその時染みついたんすよね。なんかよく分からない決まりがあったんす。大学生の頃に矯正しようとしたんすけど、毎日夢に竹刀持った先輩が出てきて……」
「た、大変だったんですね」
どうやら部活は相当大変だったらしい。……今も抜けてない辺り、本当に。
「ま、楽しかった記憶の方が多いっすけどね。……あの頃から元カノがおかしくなったっすけど」
苦い顔をする伊東さん。確か、お金遣いが荒かったんだっけか。
「高校からずっと付き合ってたんすけどね。恋は盲目ってやつっすよ」
「……恋は盲目」
「あの頃の俺、周りからすっごい止められてたんすよ。今思えば浮気の噂とかも本当だったんだろうなって」
いや、お金以外にも色々あったらしいな。この感じ。
「今となっちゃ苦い思い出っすね。……まあ、当時の俺は楽しかったんで、別に恨んだりとかはしてないっすけど」
「なんか、意外です。伊東さんにそういう過去があるのは」
「ははっ、そうっすね。よく言われるっす」
伊東さんがことりとお箸を置く。
「でも、あんな事があったから今の俺が居るんすよ。……こうでもしないと人生やってられないってのもあるっすけど」
彼の言葉は普段よりいくつもトーンが落ちていて、その顔からは哀愁が漂っていた。
「……ごめんなさい」
「いやいやいやいや、海以っちが謝る事ないんすよ? てか話し始めたの俺っすし」
不躾な事を聞いてしまったかと思うも、伊東さんは全力で首を振ってきた。
「聞いて欲しかったんすよ、海以っちに。別に理由はないんすけどね」
「……そう、でしたか」
気にしすぎてはいけないなと小さく首を振り、お弁当に手をつける。
「俺も、少しだけ話して良いですか? 恋人の――凪との話」
「お、聞かせてくれるんすか!? めちゃくちゃ聞きたいっす!」
伊東さんは時々自分の事を話してくれるけど、俺はあまり話していなかった。
友人――と言ってはいけないのかもしれない。あくまで仕事仲間、という事も忘れないようにしないといけない。
それでも、仲を深める事が出来たら良いなと俺は凪との事を話し始めたのだった。
もちろん話せる範囲で。
◆◆◆
「海以君、すまないが資料室でこの付箋に書いたものを取ってきてくれないかね?」
「分かりました」
午後、休憩から戻ると原田さんに一枚の付箋を渡されてそう言われた。
資料室はそこまで遠くないが、原田さんも何かと忙しいのだろう。俺としてもそんなに手間じゃないので、断る理由もない。
「それじゃあ頼むよ」
一度お辞儀をしてから俺は資料室へと向かった……のだが。途中で歩みを止めてしまった。
すぐ目の前に休憩室があって、つい先週の事を思い出してしまったから。
「考えすぎだな」
さすがに二週連続で、という事もないだろう。
それに、もし万が一があったとしても――もう大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせ、休憩室の前を歩こうとして。
「やっぱさぁ。会社に子供が居るの腹立たない?」
「車木さん、声でかいですよ」
「良いじゃん別に。みんな思ってるでしょ」
ドクン、と心臓が強く打ち付けられた。
「結局はコネでしょ。高校生でエリートまっしぐらなんてさ。おんぶにだっこで七光り。あーあ。真面目に働いてるのが馬鹿らしくなってきた」
「く、車木さん……」
「久佐もそう思うでしょ? 仕事だって私達がやってる何倍も遅いしさ」
……聞かない方が良い。だけど、どうしようか。また戻って別の通路から資料室に行くべきか。聞かない振りして通り過ぎようか。
しかし――
「伊東も思うでしょ?」
「――え?」
――油断している所に思いもよらない人物の名前が聞こえてきて、頭の中が真っ白になった。かと思えばすぐに頭は回転を始める。
同部署内に『伊東』という名前を持つ人は一人しか居ない。そのはずだ。
「……そこで俺に振ってくるんすか?」
聞こえてきた声、そして特徴的な口調は彼しか使っていないもの。
「まあ良いっすけど。俺も言いたい事あったっすし」
「お、ほら。言いなよ。あんな子供のお守り押しつけられて大変でしょ?」
目を瞑り、そこに背を向ける。
これを聞くのは……少し、耐えられないだろうから――
「ちょっとおふざけが過ぎてるっすよ。車木さん。久佐っちも」
――低く、重い言葉が背中を引っぱってきて。俺はまた足を止めた。
「……はぁ?」
「はぁ? じゃないっす」
決して声が大きい訳ではない。それでも彼の声は、廊下まで聞こえていた。
「別に海以っちの事を好きになれとは言わねえっすよ。別に誰が何を思おうがその人の勝手っすし。……だけど、口にするなら話は別っす」
彼の表情はここから見えない。それでも不思議な圧があって、息を飲んでしまった。
「運も実力のうち、なんて言葉はあるっすけど。運だけじゃ人生はどうにもならねえっす。実力があって初めて運にも意味が出てくるっす」
「……何が言いたいの?」
「ぶっちゃけ不快っす。友人が憶測だけで悪口言われるの。しかも何もできないやつ、みたいな言われ方をするのは」
ストレートに球を投げる伊東さんの言葉に、俺はその場から動けなくなっていた。
「少なくとも、俺が新卒で入ってきた時と同じかそれ以上の業務は出来てるっすよ。海以っちは」
自分を恥じた。一瞬でも……伊東さんの事を疑ってしまったから。
「車木さんは海以っちの事を何も知らないからそんな事が言えるんすよ」
「ふ、ふん。もう
「や、絆されたってか。普通に仲良くなっただけっすよ。俺、真面目な人は好きっすから」
当たり前のように言われ、少し驚く。同時に、心に暖かいものが広がっていく。
「俺からも車木さんに一つ言わせて貰うっすよ。人の悪口を社内で言うのはやめた方が良いっす。社内の不和にも繋がるっすし、自分の評価を下げるだけっす。……あと、自分の意見を他人もそうだって押しつけるのもっすね」
……伊東さんらしいな。ちゃんと自分の意見を言えるの。
話を聞いていたその時――後ろに気配を感じて。俺は振り返った。
「すまないね、海以君」
「ッ……? 原田、さん?」
原田さんがそこに居て。俺にそう言ってきた。どうしてここに居るのかとか、分からない事が多かったのだが……原田さんがニコリと笑い、小声で話し掛けてきた。
「宗一郎様からの伝言がある。海以君に」
……お義父さんから?
何だろうと首を傾げそうになりながらも、大切な事だろうと耳に意識を寄せる。
「『海以君には敵が多い。これからも増え続けるだろう。しかし、海以君が想像している以上に仲間も多い。それを
「……!」
以前から言われていた。この道を進むのならば、敵は多くなるだろうと。
だけど、味方も居るとも言われた。その時はお義父さんやお義母さん……自分の両親や凪、瑛二達の事を言っていると思ったのだが。
お義父さんからの伝言は、――恐らく彼の事を言っている。
頭の中で何度もその言葉が反響していた。仲間が多い、か。
原田さんが俺を見て、どこか満足したように頷いた。
「さて。後はこちらは任せて、海以君は資料室に行って欲しい。彼女の事も……宗一郎様からの仕事でね」
……任せた方が良いのだろう。俺が出来る事なんて限られているし。
「分かりました。ありがとうございます」
「上司は部下のお手本にならないといけない。気にしないで良いんだよ。……部下を守るのも上司の仕事だ」
……ほんとに良い人達が多い。恵まれてるな、俺。
お礼を言い終えると、原田さんが休憩室へと入っていく。そして、パタリと扉が閉められた。
「車木君。伊東君の言う通り、最近の君の行動は目に余る。……その事について少し話がある」
扉越しにその言葉が聞こえてきて、俺はその前を通った。
「……仲間。仲間、か」
自身の胸に手を当てると、じんわりと暖かくなっていくのを感じる。
俺はまだまだ半人前にすらなっていない存在だ。今は頼ろう。幸い、人には恵まれている。
ただ、頼りすぎも良くない。適度に人を頼りつつ、自分で考えられる事は考える。
……頑張ろう。まだまだここで学ぶ事はたくさんあるのだから。
あと、お礼も改めて言わなければ。今回は色々、たくさんの人に助けられたから。
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