第93話 お返し
「おはようございます、蒼太君」
「…………おはよう、凪」
目が覚めると、普段とは少し違う場所。マットの上で目が覚めた。布団を掛けられていて、バスローブも着せられている。
凪は俺を見ながら、にこにこと楽しそうに微笑んでいた。
時計を見ると、既に日付は回って朝になっていて。昨夜の事を思い出して顔が熱くなるのを感じた。
「き、昨日はその……ありがとう」
「どういたしまして、です。体の調子はどうでしょうか?」
「凄く良くなってるよ。肩も軽いし、背中の張ってる感覚もなくなってる」
「良かったです。定期的にやりましょうね」
思わぬ言葉に体が固まってしまった。
「て、定期的にするのは手間じゃないか?」
「私がしてあげたいんです。料理と一緒ですよ。それに、蒼太君相手に『手間』という言葉は使いたくありません」
「……ごめん」
確かに今のは迂闊な発言であった。俺も凪に対してこの言葉は使いたくない。
「いいんですよ」
凪がにこりと笑って手を伸ばしてくる。
細く柔らかな指が髪を梳くように撫でてきて、心がじんわりと暖まっていく。
「あと、ですね。私自身、いっぱい甘えてくれる蒼太君が見たいという事もあります」
「……そうか」
「はい、そうです!」
俺としても、凪に甘えられるのは嬉しいし、それと同じか――と思いながら、同時に一つ思った事がある。
最近、凪にたくさん助けられている。
……俺は凪に何か出来ているのだろうか。
「……? どうしました?」
「……なんでもない」
多分、凪は気にしていないと思う。というか、先程の言葉が答えなのだろう。
しかし――それは俺自身にも言える事。
俺が凪にしてくれたように、俺も凪になにかしたいなと思った。
◆◆◆
「瑛二に一つ相談したい事がある」
「ん? どうした? 急に改まって」
次の日、学校にて。相談と言えば瑛二が一番最初に思い浮かんだので、話してみる事にした。
「瑛二は西沢に……あー、日頃のお礼みたいな感じでお返しみたいな事ってした事あるか?」
「お返しか。まあ、してるっちゃしてるな」
「参考にしたいんだが、どういう事をしてるのか聞いても良いか?」
「良いぜ。って言っても特別な事はしてないけどな」
瑛二がその事を思い出すように遠くを見つめ、目を細めた。
「霧香の好きな飯食いに行ったり、ゲーセンで霧香の好きなアニメのキーホルダー取ったり、ぬいぐるみ取ったり。あとは欲しいって言ってたやつプレゼントしたりだな。高くも安くもない美容グッズとか」
「ふむ。瑛二らしいな」
「ま、そりゃ俺だしな」
彼の言葉を聞きながら考える。何をすれば凪は喜ぶのだろうか。
「何でも喜ぶだろうよ……って答えは違うんだろうな」
「……まあ。喜んでくれるだろうとは思うけど」
「そんじゃ考えろ」
瑛二がニヤッと笑う。
「考えれば考えるだけ喜ぶと思うぜ。こういうのは」
「……そうだな」
瑛二の言うとおりだ。
考えよう。凪が一番喜ぶ事を。
◆◆◆
アルバイト終わり。今日は時間があるらしい伊東さんに相談に乗ってもらっていた。
「ん? 彼女にプレゼントっすか?」
「はい。その、プレゼントというか、喜ばれる事ですね」
「そうっすね。一番喜ばれたのは……あー、バッグっすね。ちょっと参考にならない……というか、しない方が良いっすけど」
「……なるほど」
この辺は聞いた事なかったが、凪もそういう物欲があったり……ないような気はするが、一応聞いてみた方が良いだろうか。
「あ、いや、まじで参考にしない方が良いっす。というかしないで。元カノはお金遣いが荒かったっすから。……俺の通帳にまで手付けようとしたから別れたんすよ」
「……大変だったんですね」
想像以上に重い言葉が返ってきて苦笑する事すら出来ず、頬が引き攣ってしまった。
「そっすよ。別れてから軽い女性不信っすし。……話逸れたっすね。高校生のうちは高めのバッグなんて買わない方が良いっす。買うにしても、海以っちが気に入ったお手頃なやつとかで良いと思うっすよ。いやガチでほんとに」
……それもそうだな。
もし凪が気に入ったものを見つけたら話は別だが、今は身につける物という括りはやめておこう。
「……ああ、そういえば友達がやってたんすけど。ネイルとか一緒に塗るの楽しかったらしいっすよ」
「ネイル?」
「そうっす。メイクはちょっととっつきにくい感じあるっすけど、ネイルならそんなに難しくないっすし。落とすのも簡単だから良いっすよ」
「なるほど」
調べながらにはなるだろうけど、それなら俺でも出来そうだ。
「他にも色々あるっすよ。迎えまでまだ時間あるんすよね? 俺も暇だし話すっすよ」
「あ、はい。お願いします」
伊東さんは瑛二とはまた違った視点で話してくれる。更に話上手なので、あっというまに時間は過ぎていったのだった。
◆◆◆
「……」
車の中で考える。色々話を聞いてみたが、何が一番喜んでくれるのかなと。
どれも多分喜んでくれるとは思うけど、一番喜んでくれるものとなると難しい。
「何かお悩みですか?」
「ああ、いえ。その。少し考え事を」
悩んでいたのがバレてしまって、運転手である
厚川さんは女性の方で、凪が小さい頃から送り迎えもしている。……という事は、凪の事も昔から知っている訳で。
助手席にはSPさんが乗っているが、こちらに干渉はしてこない。
……これくらいの相談なら大丈夫だろう。
「厚川さんに一つ聞きたいんですが……凪が一番楽しそうにしていた瞬間とか覚えていたりしますか?」
「はい、それはもう強く印象に残っております。お嬢様が海以様と婚約された時ですよ」
「そ、それは……えっと。俺以外に関する事だと何がありますか?」
嬉しいけど、今は別の事が聞きたい。そう思って聞き返すと、運転手さんはそうですねと思い出してくれながら話してくれる。
「お嬢様が賞をお取りになった時ですね。旦那様と奥様に褒められて顔を輝かせ……すぐに表情を戻されてしまいましたが。今でも覚えておりますとも」
「……なるほど」
「ですが先程も申し上げました通り、海以様とご婚約された時が私の目には一番楽しそうに映っておりましたよ」
その言葉に手を組んで考える。
……そうか。そうだな。
「ありがとうございます」
結局、これが一番良いんだろうな。多分。
「いえいえ、どういたしまして」
ミラー越しに厚川さんはニコリと微笑んでそう言ったのだった。
◆◆◆
「凪ってネイルとかに興味はあったりするか?」
家に帰って少しして。凪にそう聞くと、蒼色の瞳がまんまるになった。ちょっと唐突すぎたかもしれない。
「ネイルですか? ……そうですね。綺麗に見せるために公演会の時などは塗ったりしていましたが」
「……そうか。そうだよな」
「はい。ですが、色つきのものは経験した事がありませんね」
凪が自分の爪を眺めながら微笑む。
「言われてみて思った事ですが、やってみたさはあります」
「それなら今度、一緒に見に行かないか?」
「……! 良いですね。楽しそうです!」
彼女の言葉に少しだけホッとしつつ、自然と頬が緩む。
「ああ、じゃあ行こう。約束だな」
「はい! 約束です!」
凪が小指を差し出してきて。自分のものをそれに重ね、指切りをする。
……さて。それじゃあもう一つ、の前に。
「凪。いつもありがとうな」
「……? どういたしましてです?」
返ってきた言葉を聞いて更に頬が緩んだ。
もう反射的に言うようになったんだなと、少しだけ嬉しくなる。
「お礼をしたいんだ。凪に」
「お礼だなんて。全部、私がやりたいからやってる事ですよ」
知ってる。そう返される事は。……それが嘘偽りない本心だという事も。
「じゃあ、俺もやりたい事だから。……凪に喜んで欲しいから、お礼をさせて欲しい」
「……ふふ、蒼太君らしいですね」
絡んだ小指を引き寄せて。凪は手を重ね合わせて、握ってくる。
「分かりました。では、素直にお礼を受け取ります」
「ありがとう」
彼女の返事を待って――俺は、腕を引き寄せた。
凪は抵抗する事無くこちらに倒れ込んでくる。
「今日は凪をいっぱい甘やかしたいと思う」
蒼く澄んだ瞳がこちらを向いて。海に差し込んだ陽射しのように優しく光が灯る。
「ふふ。それなら今日はいっぱい甘えますね、蒼太君」
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