第90話 幸せな悩み
「じ、実は相談したい事があるんです」
光ちゃんと霧香ちゃんが来て、ご飯を食べた頃。
少し緊張しながら私はそう話を切り出した。
「どしたの?」
「なんでも力になるよ」
二人はそう言ってくれる。少しだけ緊張が和らいだ。そこまで、とても深刻な話ではないけど。
「じ、実は私。蒼太君と一緒に暮らし始めてから少々体重が増えていまして」
「……体重?」
「なぎりんの?」
「は、はい!」
体重管理は徹底している……はずだった。ここに来るまでは。
「蒼太君と食べるご飯は美味しくて。いえ、家族と食べるご飯が美味しくない訳ではないんですが」
「分かるよなぎりん。私も瑛二と付き合い始めてからちょっと太ったし」
「んー? でも体重増えてる? 見た感じ分からないんだけど」
こくこくと頷く霧香ちゃんに対して、光ちゃんは首を傾げていた。
「その……言うのは少々恥ずかしいんですが。確かに増えてました」
「でも元々細身寄りっていうか、女の子が理想としてる体型じゃない? ちょっとくらい大丈夫だと思うけど」
「それは本当にそう。細身だけど細すぎないっていうか。理想体型だよね、ほんと」
じーっと見てくる二人に少しむず痒くなってしまう。そこまで褒められると嬉しくなってしまう。
……でも、現実は見ないといけない。
「日本舞踊も近々再開するので、体重を戻しておきたいんです」
「あ、そっか。体のバランスとか大事そうだよね」
「そーいう事ね。理解理解」
そして、二人はうーんと悩み込んだ。
「……でもさ。凪ちゃんって多分ストレッチとかはしてるよね」
「は、はい。昔からやってるものにはなりますが」
「じゃあやれるのって食事とか睡眠だけど……その辺もなぎりんならしっかりしてるよね?」
「えっと、一応おおよそのカロリーや栄養バランスはメモしてます。少々食べ過ぎてしまう日もあるにはありますが。睡眠も七時間以上は……基本は取れてます。メモしたノートがあるので持ってきますね」
毎日どんな食事をしていたのかメモをとっていた。栄養バランスもそうだけど、短い間隔で同じ料理を出さないためにという理由もある。
キッチンに置いていたノートを取ってきて見せると、二人ともかなり驚いた表情をした。
「……やば。すごっ、これ」
「栄養バランス完璧すぎない? しかもみのりんの運動量とかも考慮……? え、これほんとに凄くない?」
「蒼太君の健康も含めてしっかり考えるのが私の役目ですから。……ちょっとお菓子とか一緒に食べ過ぎてしまう時もありますが」
「奥さん力高すぎる」
「最高のお嫁さんすぎない?」
「ふふ、ありがとうございます」
料理を任されているのだから、これくらいの事はしたい。
二人はもちろん、蒼太君も凄く褒めてくれた。続けられる限りは続けたいと思う。
そのノートがぺらりと響く音がしばらく響いた後、んーと悩む声が続いた。
「でもこうやって見てると問題点とかなさそうだよね。お菓子もこれくらいなら大丈夫でしょ」
「これくらい許容範囲だと私も思う。……あんまりこういうのは考えたくないけど。環境の変化がストレスになってるとか」
ストレス。そういえばその視点では考えた事がなかった。……幸せすぎて。
だけど、幸せとストレスは別に表裏一体ではないと思う。
どれだけ楽しい事があっても、嫌な事が一切ない事なんてほとんどないはずだ。
それはそれとして……ストレスというのもあまり想像がつかなかった。
「ストレス、ですか。私自身は感じてないと思ってるんですが」
「んー、そうだよねー。見てて幸せそうなの伝わってくるし」
「無自覚のうちに、とかはあるかもしれないけどね。でも本当に環境の変化がストレスなんだとしたら、日が経つごとに慣れてくと思う。海以君も居るし」
それもそうなのかもしれない。でも、そうなると……
「ほんとに出来ることなくなりそうだね」
霧香ちゃんが私の想いを言葉にしてくれた。やっぱり難しそうだ。
どうしたものだろうと悩んでいると、光ちゃんがあっと声を上げた。
「ね。今一つ思いついた事があるんだけどさ」
「……? なんでしょう?」
「見た感じ、凪ちゃんって全然太った感じしないじゃん」
どうなんだろう。自分では気づいてないだけで……いや、二人の反応からして私はそこまで変わってないように見えると言っていた。それを信じようと、言葉の続きを待った。
「それで一つ思ったんだけどさ。下着、キツくなったりしてない?」
「!」
光ちゃんに言われて最近の記憶を掘り起こす。心当たりは――あった。
「そ、そういえば。最近違和感があります」
「やっぱそれだ。意外と気づきにくいんだよね。私も去年あったからさ」
「私も結構前あったなぁ。最近サイズ全然上がってなかったから忘れてたけど」
着ける際に違和感があって、それも……太ったからなのかなと思っていた。
太ったのではなく、大きくなったから。そう考えると納得してしまう。
「なぎりん妻感すっごい上がってるもんね。そりゃ女性ホルモン出まくるよ」
「えっと、そういうものなんですかね?」
「まあ私もわかんないけどさ。でもほら、言うじゃん? ……好きな人に触られると大きくなるって」
霧香ちゃんの言葉で顔に熱が集まってきた。少し恥ずかしくなって、何も返さなくなる。
「それって眉唾だと思ってたけどほんとなの?」
「少なくとも私の場合は二サイズ上がってるし。元々小さかったからあれなんだけどね!」
二サイズ……も、もうそろそろ成長は終わるかなと思ってたのだけれど。
自分の胸の上に手を置くと、言われた通り下着に締め付けられている感じが強いような気がした。
「……す、少し失礼します。先生に連絡を取ってみます」
「あ、うん。そっか。日本舞踊の時は……サラシ巻いてるんだよね?」
「は、はい。体が痛まないやり方を先生から教わったのですが、少し不安なので」
スマートフォンを取り出して先生へとメールを送る。
今はお稽古の時間ではなかったのか、返事はすぐ返ってきた。
『大丈夫ですよ、心配しないでください。あまりキツくサラシを巻きすぎると、体に悪影響を及ぼす可能性があります。今は一人で試さないようにしてください。またこちらに来たとき詳しくお話をしましょう』
そう返ってきてホッとした。『ありがとうございます』と送ると、『いいえ。また凪とお稽古が出来る日を楽しみにしてます』と返ってきた。
「大丈夫らしいです」
「良かった良かった。でもあれだよね。下着買い換えないといけないよね」
「そう、ですね。……お気に入りだったんですが」
でも、仕方ない。壊れてしまわないうちに買い換えないと。
「サイズはお店で測る? 一応私もお姉ちゃんから測り方教えて貰ったから出来るけど」
「お姉さんですか? あ、巻坂さんの」
「そうそう。仲良いんだ」
霧香ちゃんの言葉に少し考えた。その後、首を横に振る。
「ですが、大丈夫です。私も体のサイズは自分で測れますので。昔、お母様から教わったんです」
「おっけ。……ちなみになぎりんのサイズってどんなもんなの? あ、恥ずかしかったら言わなくてだいじょぶだよ」
「それくらいなら別に大丈夫ですよ」
霧香ちゃんと光ちゃんなら誰かに言う事もないだろうし、大丈夫。
そう思って言うと――二人とも目を丸くした。
「……改めて聞くと凄いね」
「それだけあってそのくびれ……スタイルほんと凄いね。維持めちゃくちゃ大変じゃない?」
「努力は否定しませんが、日本舞踊の練習がかなりハードだから、という事も恐らくあります」
「ほんとに凄いよね」と二人は褒め続けてくれる。
恐らく遺伝もあるのだと思う。
だけど、それよりも二人は私の努力を認めてくれてるようで。それが本当に嬉しかった。
「私も運動は得意な方だけど、あのクオリティ見せられたら気軽に出来るとは言えないかな」
「ダイエット三日坊主の私にはもっと無理だー! 動かないで甘い物いっぱい食べながら痩せたいー!」
霧香ちゃんの言葉にくすりと笑ってしまう。
「作ってみて分かったんですが、甘い物って自分が想像している以上にお砂糖が使われてるんですよね」
「あー! やだー! 聞きたくないー!」
「現実逃避してる……気持ちは私も分かるんだけどね」
うあー! と嘆きながら机に突っ伏す霧香ちゃん。ちょっと意地悪だったかもしれない。
「でも良かったね、体重がちょこっと増えた原因が分かって」
「はい! ありがとうございます! ……そこでまた相談したい事が増えたんですが」
がばっと霧香ちゃんが顔を上げる。彼女らしい振る舞いにまた笑みが漏れてしまいそうになった。
それでは話が進まないので、少しだけ我慢をしてお話を続ける。
「色々と落ち着いたら、下着選びについて相談に乗って欲しいなと」
「……いいの?」
「は、はい。下着に関しては完全に専門外でして。お二人なら私より詳しいかなと。客観的意見も欲しいですし」
私が思う『可愛い』が人とは違う可能性もある。今までは……多分、大丈夫だったけど。正直に言うと、下着に関してはそこまで自信がない。
「そういう事なら……まあ、私もそんなに自信ある訳じゃないけど。色々話は聞いてるから多分いける」
「私も自信あり! ……でも、みのりんと選ばなくていーの?」
霧香ちゃんの言葉に少しだけ考えた。……顔に上ってくる熱を無視しながら。
「お店で選ぶのは多分恥ずかしくなってしまいそうなので。……サイズを測った後にインターネットで一緒に探そうかなと」
「まさかの反応」
「蒼太君の好みも探れる良い機会ですから」
「……大胆になったね?」
光ちゃんの言葉に苦笑いをする。確かに少し大胆かもしれない。だけど――
「蒼太君には可愛い私を見せたいですから。ですが、蒼太君に全て選んで貰うというのも少し違うかなと。将来を見据えると、新鮮味というのも大事ですし。柔軟に色んな意見を取り入れるのが何よりも大事ですからね」
「なぎりんがもう完全に新妻の顔してる。既に十年後どころか二十年後三十年後の事とか視野に入れてる」
「さっき頼まれてたの、実は私達には責任重大なんじゃないかって思えてきた」
蒼太君のために。そして、私のために。自分を着飾って悪い事は……ないとは言い切れないけれど、良い事の方が多いと思う。
でも、それはそれとして。
「あくまで予定というか、全て思い通りに行くとも思っていません。ただ、やれる事はやっておきたいなと」
「……言いたい事は分からなくもないんだけどね。でもなぎりんとみのりんなら大丈夫な気するなぁ」
「実際もう夫婦みたいな事なっちゃってるもんね」
「何事も継続する事が一番大変なんですよ。私もそこまで心配はしてませんが。……ひ、日に日に蒼太君、かっこよくなってますし」
最近の蒼太君はお肌の手入れをして、どんどんぷるぷるになっている。前からそうだったけれど、彼の事はずっと見ていられるのだ。
「……これ大丈夫そうだね、ひかるん」
「うん。まあ、ほんとにやれる事やってる感じだし。多少何かあっても私達も凪ちゃんのお母さんお父さんも居るし」
「瑛二も居るからみのりん関係も心配ないね。お姉ちゃんも居るし。あれ? これひょっとしなくても心配する要素なくない?」
「ふふ、そうですね」
私は本当に恵まれてると思う。特に人との縁に関しては。
「ありがとうございます。お話聞いてくれて」
「どういたしまして。でもあんまり気にしないでね。友達だし。……それと、今日はなぎりんに聞きたい事があるんだ」
「私も。多分同じ事聞こうと思ってる。女子会っぽい話ね」
「……? なんでしょう?」
女子会らしい、と言ってもよく分からず。そう聞くと、二人ともニコリと笑って――
「みのりんとの惚気話聞かせて」
「私も聞きたい。人の惚気話とか聞くの好きだからさ」
そう言ってきた。
それから私は蒼太君との話を……聞かせる事が出来る範囲で話したのだった。
◆◆◆
「ふう」
二人が帰って、私は一息ついた。久しぶりにたくさん話したかもしれない。
少しだけ疲れたけど――それ以上に楽しかった。
蒼太君と一緒にいて楽しかった事を二人に話す。蒼太君のかっこよかった所を話す。蒼太君の良い所を二人に話せるというのは、とても楽しかった。
今日の事を振り返りながらベッドへ寝転がった。蒼太君の匂いがして、心が落ち着く。
「ん……えへへ」
枕からはもっと蒼太君の匂いがする。蒼太君が居ない時、時々こうしてるのだ。
「蒼太君、早く帰ってこないかな」
そう呟いた瞬間――ガチャリと鍵が開けられる音が聞こえた。
「……!」
すぐに起き上がって、玄関まで向かう。
自然と歩く足は弾んで、心には暖かいものが溢れ出していた。
「おかえりなさい! 蒼太……君?」
「ああ、凪。ただいま」
そこには蒼太君が居て、私を見つけると優しげな笑みを浮かべた。
けれど、違和感があった。……何かを隠してるような。
「何があったんですか?」
「……大丈夫だよ」
少し驚いた顔を見せながらも、その表情には疲れ以外の……別のものが混じっている。
「聞かせてください。……蒼太君がどうしてもと言うのなら待ちます」
「そんなに大した事じゃないぞ」
「大した事だとしても、そうじゃなくても。蒼太君のお話なら聞きたいです」
蒼太君は少しだけ目を泳がせて――ふうと小さく息を吐いた。
「凪。……一回抱きしめていいか?」
「はい、もちろんです。一回と言わず、何回でも。いつでもいいですよ」
蒼太君がカバンを置いて。私は腕を広げた。
「おいで、蒼太君」
それとほぼ同時に、蒼太君が抱きついてきた。
「……先に言っておくが、別にめちゃくちゃ嫌な事があった訳じゃない」
「ちょっとはあったんですね」
「本当にちょっとだ」
ちょっとだとしても、蒼太君がマイナスな感情を抱いた事に代わりはない。
「聞かせてください。話して、すっきりしてください」
「……ああ、ありがとう」
そして、蒼太君は話し始めてくれた。
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