第89話 事件の進捗

 土曜日。今日は蒼太君が長時間のアルバイトをする日だ。


 アラームより早く目が覚めた。いつもこの時間に起きているから……という理由もあったけれど、もう一つ理由があった。


 それは、蒼太君の寝顔を楽しめるからだ。



 目が覚めると、真っ先に彼の方を見てしまう。彼を起こさないよう少しだけ体を起こして、横を向いた。



「……可愛い」


 すやすやと無防備に眠る姿はとっても愛らしい。


 まつ毛は長くて、彼はあんまり認めてくれないけれど、顔も整っている。


 ほっぺたをつんつんとすると、くすぐったそうに口をもにょもにょとさせていた。いつまでも見ていられそうで――ダメだ。蒼太君を見ているとすぐお昼になっちゃうから朝ごはんを作らないといけない。


 洗面所に行って、顔を洗って歯磨きをする。今日の朝ごはんはもう決まっていた。


 今日の朝食はごはんにお味噌汁、卵焼きと青菜の胡麻和えだ。


 青菜の胡麻和えは昨日の夜作っておいたし、ご飯ももう炊けている。朝はお味噌汁と卵焼きを作るだけだ。



「……よし、今日も一日頑張ります」


 そう口にし、エプロンの紐を結ぶ。

 ヘアゴムで髪をまとめて、料理作りに向かうのだった。


 ◆◆◆


「……! 美味しい」


 味見の段階で思わず呟いてしまう。今日は特に味付けが上手く決まっていた。少し調味料の配分を変えてみたのが成功だったみたい。


 蒼太君は味の変化に敏感だから……もしかしたら気づいてくれるかもしれない。気づいてくれたら良いなと頬が緩む。



 さて――蒼太君を起こしにいかないと。



 二人のお部屋に戻ると……蒼太君はまだ眠っていた。


 時々起きる事はあるけれど、最近朝はぐっすり眠っている事が多い。多分、アルバイトで精神的な疲労があるのだと思う。


 それは仕方がない事だけれど――お家の中では休んで欲しい。その思いは無事彼に届いていたようで、寝顔を見ているとほっとする。



 さあ、起こそうと思って。ふと、頭の中に一つの考えが過ぎった。



「……」


 じっと、蒼太君の顔を見つめる。ほっぺたをつっついてみる。


 前から蒼太君のお肌は綺麗だった。でも、化粧水や乳液を塗るようになってから、もっと綺麗になった。

 唇もそうで、最初の頃よりももっと瑞々しくぷるぷるになっている。



 その唇へ――自分のものを落とした。ふわふわとした幸せな感情が湧き上がり、心を満たしていく。



「蒼太君、朝ですよ」


 布団の中に手を忍び込ませ、手を握る。ピクリと力が込められた。



 ゆっくりと瞼が開いて――目が合う。


「おはようございます、蒼太君」

「……なぎ」

「はい。私ですよ」

「なぎ」



 蒼太君は眠りが深くなったせいか、ここ数日は寝惚けている事が多い。とっても良い事だ。


 ぽやぽやしている蒼太君はとっても可愛くて――愛おしい。


 握った手を上げて、もう片方の手も小さく上げられる。最初は分からなかったけど、今なら何がしたいのか分かる。


 体を傾けて、その体を抱きしめた。今のはハグの催促なのだ。


 大きくて、固い。男の子の――ううん。蒼太君の体。

 大好きな人の体はとっても暖かい。


「……おはよう、なぎ」


 寝惚けていて、どこか甘えるような声。最近やっと聞かせてくれるようになった声。


 それが嬉しくてつい、抱きしめる力を強めたのだった。


 ◆◆◆


「美味しいな。今日の味噌汁。いや、いつも美味しいんだが。いつもと少し違う気がする」

「よく気づきましたね。今日は味付けの配分を少し変えてみたんですが、上手く行ったんです」

「そうだったのか。……ん、卵焼きも美味しい」

「良かったです」


 その言葉が嘘じゃないという事は見ていて分かる。

 ほっぺが緩みきっていて、食べている間に次はどれを食べようかと視線をさまよわせる。……油断していたら食べ終わるまで見つめてしまうだろう。


「今日は頑張ってきてくださいね」

「ああ、頑張ってくる」

「帰ったらまたをしますから」

「……分かった」


 蒼太君が頑張った分、私が癒やしたい。

 彼に頭を撫でられ、私が私が救われたように。


 それに、甘えてくれる蒼太君はとっても可愛いから。


「それと、今日は蒼太君も私も大好きなハンバーグを作りますね」

「……! 楽しみにしてる」


 とびっきり美味しいのを作ろう。私が食べたい、という事もあるけど。


 ニコニコと笑顔のまま食べ、蒼太君とお話を続ける。


「そういえば、凪は今日西沢達と遊ぶんだっけか」

「はい! 女子会をしようと誘われましたので、お二人をお家に呼ぶ予定です!」

「そっか。良かったな」


 蒼太君の言葉に嬉しくなって、大きく頷いた。


 一年前――ううん。半年前の私なら考えられなかった事だ。

 お友達が出来て、蒼太君が隣に居てくれて。良かった。本当に。


 と、そこで蒼太君の表情が少し真面目なものになった。


「それと、一つ聞きたい事があるんだが」


 なんだろう? と思いながらこちらも表情を引き締める。



「その、あっちの方はどうなっているんだ? 南川さんの方」

「あ、そちらは昨日進展がありました」


 昨日は蒼太君が疲れていたようだったので、今日か明日に話そうと思っていたのだ。今は……時間もあるし、丁度いいかもしれない。



 私達がここで暮らす事となった理由。

 ――南川グループの一部が私と蒼太君を敵視していて、何をするのか分からなかったから。



「まず、そうですね。大体はどうにかなっていたのですが、二人ほど失踪者が出ておりました。名前は【南川東輝みなみかわとうき】と【南川西歌みなみかわせいか】。現在二十三歳で、【南川陽斗みなみかわようと】さんの従兄妹いとこであり双子ですね。分家の人間と言った方が分かりやすいかもしれません」

「なるほど。若いんだな」

「そうですね。幼い頃から自分達は【南川陽斗】の支えとなるんだと、をされていたらしいです……少々過激な」

「……なるほど」


 頷きつつ、彼はお味噌汁を飲むと真面目な表情が崩れる。しかし、瞬きを終える頃には戻っていた。


「しばらく音信不通となっていましたが、パパがとある人物から情報を探り取りました。現在はこの町には居ない……どころか、この県にも居ないとの事です」

「ほう」

「今はパパが南川陽斗さんと共同で二人とをするために進めているようですが、安全を期するため現在は二人に協力者がいないか調査をしているらしいですね」


 私達が暮らしてそこそこ時間が経っている。


「長く見積もっても、あと二週間で解決すると言っていました」

「……そうか」


 ということは――


「ここで暮らせるのも残り二週間――」

「――と思うでしょうが。まだ様子を見ても良いかもしれない、とパパは言っていました」

「……ん?」

「こうした暮らしが私にも蒼太君にも良い影響を与えているとパパが察しているみたいです。要するに、もうしばらく二人暮らしをしても良いと」


 蒼太君もアルバイトがあるなら、私が家事をしたり一緒に眠った方が良いと思う。


「『別で部屋を取っても良いし、なんなら家に来ても――』と言ってました。でも、こちらは二週間が終わってから改めて考えて大丈夫です。蒼太君のお耳に入れておいた方が良い事ではあったので」

「……なるほど」

「という感じですかね。昨日の夕方頃、パパが話してくれた事です」


 今すぐどうこうする事はないので、時間があるときに話そうと思っていた事だ。


「ありがとう。気になってたんだ」

「いえいえ、どういたしましてです。……という事ですので、冷めないうちに食べちゃいましょう」


 そこで話を切って、食事を再開する。



 ――今日、この時間に南川グループについて話しておいて正解だった。

 それを私が知ったのは、少し後の事になる。

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