ハロウィンSS
「そういや今日ハロウィンかー。蒼太達はなんかするのか?」
「……んー。分からんな」
瑛二に聞かれるがそう返した。
ハロウィンという事は覚えていたが、特に何をするとかも考えていなかった。話し合ってもいなかったな。
凪はこうした行事は好きなので、何かするのかもしれない。
「お? まじ?」
「何も考えてなかったな。俺は」
「まあ、二人とも別に仮装して街を練り歩くタイプじゃないもんな。俺らも別にそこまではやんないけど」
「そうだな」
瑛二の言葉に頷きつつ、ふと想像してしまった。
――もし、凪がら仮装をするとしたら。彼女は一体何の仮装をするのだろう。
少しだけそれが気になって。邪な感情が混じってしまい、俺は強く首を振ってそれを掻き消したのだった。
◆◆◆
「と、トリックオアトリート……です。お菓子をくれなきゃイタズラしちゃいますよ」
アルバイトを終え、帰ってきて。
俺は玄関で固まってしまった。
彼女は白と黒のクラシックなメイド服を身に纏っていた。
そのエプロンドレスは可憐なレースと刺繍で彩られていた。フリルの付いたスカートは膝より少し上の丈で、ニーハイを履いている。
そのニーハイと綺麗な脚が伸び――そこに付いている物を見て、また息を飲んでしまう。
ガーターベルトだ。
それだけでも、十分な破壊力を保っていた。保っていたのだが。
頭の上に乗せられたのは、猫耳を模した白いティアラ。そして、腰からは黒い猫の尻尾が伸びていた。
猫耳メイド――予想外の仮装に、思わず心臓を押さえてしまった。
「そ、蒼太君!? 大丈夫ですか!?」
「……ちょっと、可愛すぎると思う」
どうにか喉の奥から声を振り絞り、そう伝える。
正直、猫耳は似合うだろうと思っていた。何でも似合うだろうが、特に。
そして、同時にメイド服も似合うかもしれないと思ってしまっていたのだ。まさか両方の合わせ技で来られるとは……。
「そ、そうですか? 勇気を出した甲斐がありましたね」
ほんのり頬を赤く染める凪。その尻尾がゆらゆらと揺れているような錯覚を起こしてしまう。
「そ、それはそれとして。トリックオアトリートですよ、蒼太君。お菓子をくれなきゃイタズラします!」
「……そ、そうだった。お菓子だな」
「あれ? あるんですか?」
「ああ。帰りに買ってきたんだ」
カバンの中からお菓子の包みを取り、凪へと渡す。
「ありがとうございます。ちょっとだけイタズラしたさはありましたけど」
「い、イタズラか……何をされるか怖いな」
凪の言葉に頬が引き攣るも、彼女はくすりと笑うのみである。
「あ、蒼太君の仮装もあるんですよ!」
「ん、そうなのか?」
「はい! ……あ、ですがその前に」
凪がくるりと回り、そのスカートの端を指でちょこんと摘んだ。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
ニコリと笑って、彼女は小さく背伸びをし――
唇を重ねられた。
ローズの高貴な匂いが鼻腔から脳を揺さぶる。
ビリビリと電気を流されたかのように、脳が痺れた。
「せっかくなので香水も付けてみたんです。どうですか?」
「……凪に合ってると思う。上品な香りだ」
「ふふ。ありがとうございます」
白い手袋の付けられた手が俺の手を握った。普段と違う感触に心臓が音を早めた。
「さ、蒼太君も一緒に仮装しましょうか!」
◆◆◆
「可愛いです、蒼太君」
「こ、これ。ちょっと恥ずかしいな」
凪に着せられたのは……執事服。それだけならまだ良いのだが。
頭に犬耳のカチューシャ。そして、腰には犬しっぽがついている。茶色で、恐らく柴犬仕様だ。
「に、似合ってないんじゃないか?」
「そんな事ないです! すっごく似合ってますよ! いっぱいなでなでしちゃいたいです!」
凪は俺へとスマートフォンを向け、何枚も写真を撮っていた。許可は出したものの、かなり撮っている。
「……なでなで、していいですか?」
「だ、だめじゃないが」
「やった!」
凪の手が伸びてきた。
頭へと手を置かれ、いつもより少し乱暴にわしゃわしゃと撫でられる。
少しだけ恥ずかしかったが。いつもと違うそれも心地いいものだった。
「すっごく、すっごく可愛い……」
小さく凪は呟き、手が恐らく俺の耳(犬耳の方)をくにくにとしていた。付け耳なのだが、なんとなくくすぐったく感じてしまう。
そのまま凪の手が下りていき、今度は頬を撫でられた。
「蒼太君のほっぺた、触ってて気持ちいいです」
「べ、別に面白いものじゃないと思うが」
「いえ、楽しいですよ。どんどん触り心地が良くなってます。蒼太君のお肌ももうぷるぷるですからね」
凪に手伝って貰いつつスキンケアを始めたのだが、時間が経てば経つほどかなり効果が現れた。
体質なのか、元々肌荒れはそこまでなかったのだが。目に見えて肌質が良くなったのである。
「いつまででも触ってたいですね。ふふ」
「凪が楽しいなら良いんだが」
思えば、俺もよく凪の頭や顔を撫でている。それと似たような事なのかもしれない。
そこで凪が満足したのか、手を離し。
その目が何かを思いついたように見開かれ。
彼女は優しく微笑んだ。少しだけイタズラっぽく。
「……お手」
差し出された手。
一瞬の間を置いて……そこに手を置いた。
「!」
凪の目が見開かれる。
……その蒼い瞳の奥から、なにか別の感情が浮かんできているようだった。
ぐっと凪は目を瞑り、次に開かれた時にはもうその感情は消え去っていた。
その代わりに。ぎゅう、と音が出そうなくらい強く抱きしめられた。
「飼っちゃいたいくらい、可愛くてお利口さんです」
耳元で囁かれた言葉に体がどんどん熱くなっていく。
一瞬、一瞬だけ。
俺も凪になら飼われてみたいと思ってしまった。
でも、それはちょっと特殊な方向に行ってしまいそうだ。
「蒼太君、一緒に写真撮りましょうか」
「……そうだな」
今度は凪と二人で写真を撮る。意識を切り替えるためにふうと体に籠った熱を吐き出した。
「あ、ちょっと待ってくださいね」
凪がスマホを一旦置いた。何をするのかと思えば、自身の猫しっぽを弄り始めた。
柔らかいワイヤー? のような物が入っているようだ。自由自在とまでは言えないが、かなり柔軟に動いていた。
「蒼太君の方もちょっと失礼しますね。あ、前を向いておいてください」
「わ、分かった」
続いて俺の犬しっぽも触り始めた。何をする気だろうか。そう思いながらも前を向く。
「完成です。それでは写真、撮りますね」
凪が手馴れた様子でスマートフォンのカメラを向けてきた。
最近は西沢達から色々教えて貰って、写真を撮る事にもハマり始めているらしい。
「はい、チーズ」
凪が隣に寄り添うように座り、指を絡めるように握ってきた。お互い白い手袋をしているので、少しだけ変な感じである。
そして撮られた写真は――
「見てください、蒼太君。すっごく可愛く撮れましたよ」
「……ああ。そうだな」
ニコニコと微笑みながら写真を見せられた。
俺と凪が写ってるのは当然だが、注目すべきはそこではない。
俺と凪の背中の方。
そのしっぽが絡みあっているのだ。指を絡めるよりもずっと深く。ぎゅっと絡んでいた。
思わず見入ってしまうくらい、とても良い写真だ。
「蒼太君にも送りますね。壁紙にしても良いですか?」
「ありがとう。俺もするから全然良いぞ」
俺も壁紙に設定しておこう。誰かに見られないようにしなければ。
そこで凪はスマホを少しだけ弄って。俺に写真を送ってくれた。
ふと違和感があったのか、凪はしっぽを見る。またくすりと笑った。
「ちょっと変な感じですね。でも、蒼太君と離れられないのはなんというか……嫌じゃないです」
絡んだしっぽは簡単には外れないようになっている。
激しく動いたりしたら離れてしまいそうだが。このままだとあまり身動きは取れないだろう。
「折角ですし、今日は一緒に行動しましょうか。しっぽを先に外してしまった方の負けという事で」
「面白そうだな」
それでは、と凪がパンと手を叩いた。
「今から始めです。……そういえば、かぼちゃプリンがあるんですよ。一緒に食べましょう」
「ああ。取りに行くか」
それからしばらく、そのゲームを楽しんだのだった。
◆◆◆
一時間ほど経った頃の事である。
凪がソファに座りながら、そわそわとしていた。
「凪。どうしたんだ?」
心配になって聞くと、凪はピクリと肩を跳ねさせた。
「じ、実はですね。……少し、御手洗に行きたくなってしまいまして」
その言葉に苦笑する。我慢していたのか。
「行ってきたらどうだ?」
「そ、それだと私が負けという事になってしまいます」
「ならないよ。体の作りとかも関係あるしな」
確か、女性の方が膀胱の位置が近いんだったか。
それでも凪は、簡単には首を振ろうとしなかった。
「……何があっても負けは負けです。か、かくなる上は蒼太君に着いてきて貰うしか」
「そ、そう来たか」
凪は悩むように顎に手を置いた。少しして、その蒼い瞳が揺らぐ。
「……今、私の中で羞恥心と負けたくない心が戦い終わりました」
「ど、どっちが勝ったんだ?」
「羞恥心、です」
凪が少しだけ悔しそうにそう言って。絡んだしっぽを解いたのだった。
◆◆◆
「それでは、考えておいてくださいね」
「……ああ」
負けた方には罰ゲームを想定していた。それもゲームが始まって、すぐに凪から教えられた事である。
勝った方が負けた方に好きな格好をしてもらう、というものだ。
凪からどんな格好をして欲しいと聞かれたのだが、俺はすぐに答える事が出来なかった。
いつか良さそうなものが思いついた時に言おう。ちょっと今は――
「蒼太君が望むなら、どんなお洋服でも着てあげますからね」
こんな事を言う彼女の前だと、ちょっとタガが外れてしまいそうである。
「それは一旦置いておきまして。そういえば蒼太君、まだ言ってませんよ」
「ん? 言う?」
凪の言葉に首を傾げる。凪が小さく笑った。
「ハロウィンなのにまだ言ってない事があるじゃないですか、蒼太君」
「ああ、そういえばそうだったな」
普段、あまり言う機会がなかったので忘れてしまっていた。
改めて凪へと向かって。自然と笑顔になりながら言った。
「トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃイタズラするぞ」
「……」
「……?」
凪は言葉を返してこない。どうしたんだろうと再度首を傾げる。
「イタズラで、お願いします」
その言葉に息を飲んでしまった。
「な、凪?」
「お菓子は、ありませんので」
「い、いや。でもそれならさっきかぼちゃプリンで……」
「ありませんので」
凪の言葉は有無を言わさぬもの。それ以上言葉が紡げなくなってしまう。
そのしっぽがちょんと、俺のしっぽに当てられた。
同時にそっと手が重ねられる。
「イタズラ、してくれないんですか?」
「……」
本当に、凪は……凝ってるというかなんというか。
その頬に手を置くと、凪は頬を手に擦り付けてきた。本当の猫のように。
「……にゃん」
続く言葉に理性の紐は簡単に引きちぎられ。
俺は、凪の唇に自分の唇を重ねたのだった。
ハロウィンはまだ終わりそうになかった。
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