第87話 親友の真意

「しっかし、楽しい時間はすぐ過ぎてくな」

「そうだな。夜まで食べていかないのか?」

「今日はやめておくわ。また今度にでも頼もうかな」

「そうか。分かった」

「では、また今度ですね」


 六時を過ぎ、もう瑛二達が帰る時間となってしまった。


「色々落ち着いたら私の家にも遊びに来てよね!」

「はい! みんなで遊びに行きます!」

「お、いーね。私も行きたい」


 そのやり取りを見ていると、いきなり瑛二に袖を引かれた。


「どうした?」

「帰るって言ったけど、その前にちょっと話そうぜ。霧香達、五分だけ待っててくれ」

「ん? おっけー! なんなら三十分くらいどっか行っててもいーよ!」

「俺らは邪魔か。風邪引くだろうが」


 なんだろうと思いながらも凪を見る。こくりと頷かれた。


 瑛二に連れられて外へと出る。寝室でも良かったのだが、瑛二に断られた。


「うう、さむ」

「一月だしな。確か、明日は雪降るんじゃなかったか?」


 日も落ち、外は冷えきっている。俺も瑛二も着込んでいたが正解だった。

 あまり関係ない話をすると風邪を引きそうだと、瑛二を見る。


「それで話ってどうしたんだ?」

「んー、まあ。蒼太なら問題ないと思ってるけど一応な」


 瑛二がいきなり肩を組んできて、耳打ちをしてきた。


「ちゃんと避妊はしろよ?」

「ッ……お、お前な」


 一瞬からかわれているのかと思ったが、彼の表情は至って真面目なものだった。


「……してるよ」

「お、まあ蒼太ならしてるか。安心安心」


 少し恥ずかしくなって瑛二から目を逸らしてしまうも、真面目な話だぞと息を吐く。


「や、まあ何かあってもどうにかなるとは思うけどな。東雲の実家は太いなんて言葉じゃ言い表せねえしよ」

「それとこれとは話が別だろ」

「ああ、そうだな。世間的な目もあるし、高校も辞めさせられ……あー、どうなんだろうな。案外どうにか出来るもんなのか?」


 瑛二の言葉に押し黙る。

 もし、そういう事になったとして。お義父さんがどうにかしようとしてくれるような気もする。

 それこそ、あの人は使えるものは家族以外全て使うというスタンスなのだから。


「ありえるな。でも、そこまでさせる訳には……いや。させたくない」

「そう言うと思った」

「世間からの目が冷たい、というのはどうしようもないしな」


 うんうんと頷く瑛二を見つつ、改めて考える。


 子供、か。


「ちなみに瑛二は何歳くらいでお父さんになりたいって思ってる?」

「その辺は霧香とも話してるけどよ。遅くとも二十代。良い職場に就ければ二十五前後で、とかは考えてるぜ」


 なるほど。二十五前後……二十代前半だとかなり早いイメージはあるな。二十二までは大学生と考えると、卒業してから三年前後の計算だ。


「男の子だろうと女の子だろうと、休みの日くらい一緒に遊びたいだろ? どうせなら元気なうちにって事だ」

「そうなると、やっぱり早い方が良いか」

「お前の場合はお金の事は気にしなくて良いだろうしな。早くても良いんじゃね? 学生のうちに、とまでは言えないけどよ」


 お金、か。


 将来、子供が出来たとして。お義父さんを頼るべきか否か。


「……」

「なんとなく考えてる事は分かるし同意する。でもな、蒼太」


 思わず考え込んでしまっていると、瑛二に肩を叩かれた。


「そういう時は頼られた方が嬉しいと思うぞ。少なくとも、俺に娘か息子が居たらそう思うね。孫なんざまじで湯水のように金を使うと思うぞ」

「それは……そうだろうな」


 もし、俺と凪の間に子供が出来たとしたら、さぞ甘やかす事だろう。その子に子供が出来たとしたら、更に甘やかすかもしれない。


「だから、甘やかされる分には甘やかされりゃ良いだろ」


 瑛二の言葉にも一理ある。しかし……意地、というかなんというか。


 そんな事を考えていると、瑛二が笑った。


「そう気ぃ張り詰めんなって。まーた調子崩すぞ?」

「うっ」

「少なくとも、お前になんかあったとしても嫁も息子か娘も路頭に迷う事はないってこった。もっと楽観的に行こうぜ」


 瑛二はそう言ってバシバシと肩を叩いてくる。少し痛い。


 痛かったが、同時に嬉しくあった。


「好きに生きりゃ良いんだよ。人生は一回しかないんだからな」

「好きに、か」


 そう言われると難しいものである。元々深く将来の事を考えていなかった、というのもあるが。


「おう、好きにな。もしやる事が見つからないんなら、それこそ社長でも目指したらどうだ?」

「お、お前な……割とシャレになってないんだぞ、それ」

「やっぱそうなってんのか。なんとなく予想はしてたけどな」


 凪に言われた時はまさか、と思っていた。思っていたのだが。


「最初は書類の作り方とかテンプレートについて教えて貰っていたんだ。最近『上に立つ者の心得』とか『人から恨みを買わないように出世する方法』とか話してきてるんだよ」

「ガチで後任にするつもりじゃねえか」


 カラカラと笑う瑛二に笑い事じゃないぞと告げるも、彼は本当に楽しそうであった。


「なあ。結構言ってきてるんだけどよ。俺、割とお前の事評価してんだぜ?」

「どうしたいきなり」

「や、お前さ。道端で困ってる人とか居たらすぐ話し掛けに行けるタイプじゃねえか」


 それがどうしたんだとまた彼を見る。


「蒼太。俺の一番嫌いな言葉知ってるか?」

「……さあ、分からないな」

「『正直者は馬鹿を見る』だ」


 瑛二の声はいつもより固く、顔も強ばっていた。


「そういや言ってなかったが。昔、霧香がいじめられっ子だったんだ」

「……また初耳な情報だな。そういう風には見えないが」

「そうだな。今みたいになったのは中学からだし。いじめられてたのは俺が原因だったんだよ」


 ふと見えた瞳の陰りにこちらも表情を正す。瑛二はふうと息を吐いて気分をリセットし、続けた。


「最悪な事に、いじめてた奴は優等生だった。反対に霧香は勉強が出来なくてな。俺が絶対に違うって言って、やっと先生が信じてくれたくらいだ。そのせいでいじめはエスカレートしたけどな」

「……それは」

「最終的には俺がどうにかしたよ。でもな。あの時からつくづく思うんだよ。なんでただ真面目に生きてるだけの霧香が不幸な目に遭うんだって」


 その言葉に、漂う緊張感に俺は何も返せなくなった。


「忙しいから掃除を代わってくれって言われた。忙しいから日誌を代わりに書いてくれって言われた。宿題を写させてくれって言われた。そんで、あいつは全部一人で抱え込もうとした。……裏で『便利屋』って言われてたって知った時にゃさすがに手が出そうになったな」


 その時を思い出してか、瑛二が顔を歪めた。それも一瞬の事だ。

 彼が感情的になるのは、これで二度目の事。


「だから俺は、正直者が、優しい奴が損をするのが嫌いだ。それが現実って分かっちゃいる。それでも嫌なんだよ」


 その言葉を聞いて、どう感じるのが正解なのかは分からない。


 それでも俺は、嬉しく思った。


「だからあの時、怒ってくれたんだな」


 凪が縁談を受けようとした時。瑛二は今までに見た事がないくらい怒っていた。


 家族の為に身を捧げようとした凪。そして、失恋をしかけた俺。

 その状況に怒っていたのだ、彼は。


「……ああ。まあ、あん時は感情が先走ってたからな。どうにかお前を向かわせようと違和感を突き詰めたんだよ。結果的に合ってはいたが、今考えると全然違う可能性もあったもんな」


 あの時の俺はかなり視野が狭くなっていた。瑛二の論も、『そうであって欲しい』という思いが大半だったと思う。

 だが。結果的に、それで正解だった。


「もし違ったとしても、事態が悪くなる可能性は低かったと思ってるぜ。東雲は前から両親に愛されてたっぽかったんだろ?」

「ああ。少しではあったが話してくれていたな」

「それなら最悪、蒼太が両親を説得すりゃ済む話だ」

「簡単に無茶を言ってくれるな……」


 ほう、と白い息を吐く。冷たい空気が肺へと入り込み、体を内側から冷やしてくれた。


 それにしても、瑛二と二人きりというのは久しぶりな気がした。学校では周りに誰かが居るし、こんなに込み入った話もめったにしなかったから。


 そんな事を考えながらも、あの時の事を思い返す。

 もしの話だと分かっているが。凪の事であり、つい真剣に考えてしまう。


「説得もしたと思う。あの時の俺なら」

「ああ。俺もお前ならしたと思うぜ」


 冷えた空気は熱くなってしまう心には丁度良いが、体には悪い。

 そろそろ戻らなければ凪達も心配するかもしれないし。


「本題をまとめてみると?」

「あれだよ」


 瑛二がどこか照れくさそうに笑い、拳を突き出してきた。


「なんだかんだあったが、お前が幸せそうで何よりってこった。頑張って良かったって話だ。お互いな」

「……ああ、そうだな」


 その拳に拳を当てる。こつん、と思っていたより良い音がした。


「お前って、意外と情熱的だよな」

「うっせ。感情的って言え」


 その言葉に笑い――今しか、伝わらないような気がしたから。再び口を開く。


「ありがとな、瑛二」

「良いって事よ。いや、違うか」


 瑛二は笑い返そうとして。何かを思いついたようにニヤリと笑った。


「どういたしまして」

「ああ」


 そこまでやり取りをして、俺達は中へと戻ったのだった。


 ◆◇◆


「さあさあなぎりん! 吐いて貰うよ!」

「え、えっと?」


 蒼太君達が居なくなって、私は霧香ちゃん達に詰め寄られていた。


「とぼけても無駄だよ! もう明らかにそういうオーラ出てるから! さあ! キリキリ吐きたま――いでっ」

「霧香ちゃん、ライン超えすぎ。プライバシーとかもあるんだから」

「うぐっ……ごめんなさい」


 途中で光ちゃんから手刀を貰って霧香ちゃんは大人しくなった。その様子に思わず笑ってしまう。


「ふふ。でもそうですね。私だけなら別に良いんですが、蒼太君の尊厳にも関わる事なので」

「ちょっと最後ので余計気になったかもしれない」

「……私も」


 ほんの少しだけ口を滑らせてしまったけど、多分大丈夫な範囲のはず。多分。


「無理に聞こうとは思わないんだけどさ。一個だけ聞いてもいい?」

「なんですか?」


 その瞳に宿っていた好奇心が消えたので、こちらも姿勢を正した。


「何かしら問題とか起きてないかなって。意外とそういう事の相性とかもあるからさ」

「相性、ですか?」


 その言葉がよく分からず首を傾げるも、光ちゃんは分かるようで。あー、と納得の声を上げていた。


「確かに聞くね。頻度が多すぎるとか、反対に少なすぎるとか」

「そ。痛くしてくるのとかね。なぎりんはなさそうだけど、キスマーク付けられるのが嫌って子も居たし」

「き、キスマーク、ですか」


 そう呟きながら、ふと目を逸らしてしまう。


 ちょっと。ちょっとだけ好奇心で調べた事があった。でも、あれは内出血の事らしくてやっていない。


「そ。後は痛くされるのが嫌とかね。逆も然り。って事で、意外と問題とか多いんだよねぇ」

「私も時々聞くね」

「い、意外と皆さんお早いんですね?」


 そう聞き返すと二人は苦笑いをした。


「まあ、意外とねー。年上と付き合ってる子とか。もちろんそこまで行ってない子の方が多いけど」

「私は昔から聞き役だったからね。そういう相談もされたんだよ。経験ないから答えようなかったけど」


 なるほど、と返された言葉に納得をした。

 確かに私も……もし相談をするとしたら、二人にすると思う。


「という事だから、もしそういう相談がしたくなったら言ってね! なんなら話したいってだけでも聞くからね!」

「……ふふ。はい、分かりました。その時がもしあれば、お願いします」


 でも今のところ、不満も何もない。

 それどころか、幸せで溢れてしまいそうな事になってしまっているから。意図的に抑えてるくらいなのだ。


 だから、多分大丈夫だと思う。

 ううん。大丈夫。


 それでも。その言葉は嬉しかった。


「お二人とも、ありがとうございます」


 一年前の私とは違う。今の私には、頼りに出来る友人が居る。その事実が嬉しかった。


 二人はニコリと、暖かく笑ってくれて。


「どーいたしまして!」「どういたしまして」


 その言葉に私の心も暖かくなるのだった。


 それから数分して、蒼太君達は帰ってきて。


 楽しかったその日は終わりを告げた。きっと明日からも、楽しい日々は続くはずだ。

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