第14話 将来の事

 何度か唇を重ねて抱きしめる。


 観覧車が真横に着く頃にやっと。俺達は落ち着いていた。


「待たせてすまなかった」

「全然待ってませんよ」

「いや、待たせてしまった。……一年以上も」


 晴れて交際する事となった。結婚を前提に。


「待ったの内に入りませんよ。それに、私も楽しんでましたから。蒼太君と一緒に居るの」

「……ありがとう」

「ふふ。どういたしまして、です」


 自然と目が合って。再び、唇を重ねた。


 唇に感じるのは、今まで感じた事がないくらい柔らかいもの。

 鼻腔から脳へと甘い香りが突き刺してきた。


「色々、あったが。もう迷わないよ、俺」

「……話し方。さっきのでも良いんですよ?」

「いや……」


 俺は首を振ろうとして。目を瞑った。



「そう、だね。じゃあ凪の前でだけ、で居ようかな」

「……! はい!」


 瑛二達の前だと別だけど。

 凪の前でなら恥ずかしくもない。


「蒼太君が悩んでた事も、もちろん知ってましたよ」

「……ごめん」

「もう、謝らないでください。怒ってないですし。それだけ真剣に悩んでくれていたって事ですから」


 凪の言葉に笑い、その体を抱きしめる。


「僕は、凪が好きだ」

「はい!」

「凪を支えられるようなひとになりたい」

「もうなってます……という言葉は求めてませんよね」


 凪の言葉に頷いて。一度離れて、その眼を見た。


「時間は、かなりかかると思う」

「ふふ。追いつけますかね? 私に」

「追いつくよ、必ず」


 額を合わせて。子供のような笑う凪へ、そう返した。

 多分、僕も子供の頃のように笑ってると思う。


「蒼太君が頑張れるよう。支えますよ」

「僕だって。凪が頑張れるよう支える」

「お互い支え合って生きる。……それが人生のパートナーですもんね」


 その言葉に深く頷いた。


「僕が凪を幸せにする」「私が蒼太君を幸せにします」


 その言葉も同時で。心が通じ合っているようだった。


「凪に出会えて良かった」

「私も。蒼太君と会えて良かったです」


 笑顔の凪に我慢が出来なくてつい――抱きしめてしまう。


 強く抱きしめてしまうが、凪はそれに応えてくれる。それが嬉しくて。幸せで。


「あ、蒼太君! そろそろ頂上ですよ!」

「……うん」


 少し名残惜しく思いながら、凪から手を離した。


「わあ……! 夕陽です!」

「綺麗だね」


 夕陽が沈む瞬間、というのは綺麗なものだ。


 そして、凪を見る。



 ……ああ。


「本当に。綺麗だよ」


 その雪のように白い髪に陽の光が当たり、キラキラと輝いている。


 その蒼い瞳に映る夕陽は鮮やかで、宝石のようにも見えた。


「……私。小さい頃はこの見た目にコンプレックスとかもあったんですけどね」


 その鮮やかな瞳が俺を見つめてきた。

 暖かくも涼し気な光に照らされる。


「蒼太君がいっぱい褒めてくれたので。自分が好きになりましたよ」

「……それならもっと褒めて、自分を大好きになって貰わないといけないね」

「ふふ。そうですね」


 その頬は陽のせいか……そうでないのか、ほんのりと紅色に染まっている。


「私だって。蒼太君の見た目も好きですからね。クールに見えて、結構子供っぽい所とか。目は優しいところとか」

「……そっか」

「はい! これからもどんどん褒めていきますからね!」

「うん。お願いしようかな」


 頂上から少しずつ降りていく観覧車の中。また、抱きしめ合って。唇を重ねる。


 そんな時間がいつまでも続いて欲しい――続くんだなと思うとまた、嬉しくなったのだった。


 ◆◆◆


 遊園地の帰り。

 俺は、凪の家へと来ていた。理由はもちろん――


「宗一郎さん。千恵さん。凪さんと、結婚を前提に交際させていただきたく思います」


 交際。そして、結婚を前提にという報告及び許可を貰いに来たのだ。


 普通の家ならば、こんなに早く……とか思うかもしれないが。凪の家は別だから。


 凪の能力を考えたら、俺より良い人が居るかもしれない。宗一郎さんなら知ってるかもしれない。


 しかし、それはそれとして。


「私からもお願いしたいと思うよ。頭を上げてくれ、蒼太君」


 許可が出ないとは思っていなかった。



 宗一郎さんに言われた通り、頭を上げると。


 二人は柔らかく微笑んでいた。


「パパとしては……やっと、という感じだが」

「ふふ。宗一郎さん、ずっと待ってたんですよ。いつ来るかな、いつ来るかなって」

「ち、千恵。そんな子供のような……こほん」


 宗一郎さんが姿勢を正して咳払いをした。


 凪が目を合わせてきて、二人で笑う。


「そうだな。二人と一つ話したい事がある」

「なんでしょうか?」

「『結婚を前提』という事は。『婚約』と受け取って構わないかね?」


 宗一郎さんの言葉に目を見開いて。


 頷いたのは、凪と同時の事であった。


「はい」「もちろんです」


 婚約。

 たかが中学生が、と思われるのが普通だ。五年も経てば――いや。三年もしないうちに別れるカップルだって少なくないのだ。


 しかし。俺は凪と将来を共にしたい。共にすると決めたのだ。



 俺達の言葉を聞いて。小さく宗一郎さんが笑った。


「分かった。今まで見合いの話は断ってきたが、更に断りやすくなるな」


 やはり、来てたのか。と思って。当たり前かと目を瞑った。


 凪ほど綺麗で、良い人なら。そういった話が来てもおかしくない。


「もし困った事があれば力になろう、蒼太君」

「……すみません。一つ、お願いしたい事があるのですが」

「何でも言ってくれ」


 宗一郎さんの後ろでは、千恵さんがニコニコと優しげな笑みを浮かべていた。凪の笑い顔は千恵さん譲りである。


 改めて宗一郎さんへと視線を向けて。


「お時間がある時に、ビジネスについて教えて欲しいです」


 そう言った。


 宗一郎さんの瞳が小さく揺れた。驚いていたのだ。


 そして。その口から笑みが漏れた。


「ビジネス、と来たか。具体的には何を習いたいんだ?」

「全て、と言いたい所なんですが。宗一郎さんが忙しいという事も理解しています。宗一郎さんの実体験に基づいた、今のうちにやっておいた方が良い事などを主軸としてお聞きしたいです」


 ふむ、と。宗一郎さんが顎に手を当てて。何かを考える素振りを見せた。


「蒼太君」

「はい」

「私の会社を継ぐつもりはないか?」


 その言葉に喉が詰まった。その間も宗一郎さんは話を続けた。


「私の事業は他と比べて長いものとは言えない。寧ろ、かなり短い方だ。後任育成が出来ていない現実もある」

「ですが、俺は……」

「分かっている。そういうつもりで言った訳ではないという事は」


 少し、不安に思っていた事でもある。

 凪と将来結婚するという事は……将来的には宗一郎さんの資産を引き継ぐという事でもある。


 決してお金目当てで交際……及び婚約する訳じゃない。


「凪」


 その時。千恵さんが凪を呼んだ。


「凪はどうしたいのかしら? 凪もパパの会社を継げるスキルはあるんですよ」

「私は蒼太君の力になりたいです」


 千恵さんの問いかけ凪は即答した。

 凪の瞳は揺るぐ事なく千恵さんを見つめて。千恵さんは柔らかく笑った。


「それなら。もし蒼太君がパパの会社を継いでくれるのなら、凪にはママが秘書の仕事を教えます。蒼太君を支えるお仕事ですよ」

「……はい! もしそうなれば、その時はお願いします!」


 二人のやり取りに宗一郎さんが頬を緩めた。その顔を崩さないまま俺へと言葉を告げる。


「蒼太君。私は、私の大切な人達には幸せに過ごして欲しいんだよ。事業も成功して、強く思ったんだ」


 宗一郎さんが凪を引き取った理由。それは……二人の間に子供が出来なかったから。

 世襲制、という訳ではないだろうが。宗一郎さんの意志を継いで欲しいからと話していた。


「もちろん簡単な道ではない。周りからの風当たりだって強いだろうし、学ぶ事も山ほどある。私も仕事に関しては絶対に手を抜いたりしない」

「……はい」

「しかし。一から起業するよりは博打要素も薄いだろう。我が社もかなり安定してきている。少なくとも、蒼太君に私の全てを叩き込む事が出来れば、失敗する事はほとんどないと言える」


 話を聞きながら考える。

 会社を継ぐ、か。


「もちろん無理にとは言わない。相応に責任も伴うからな。……ただ。私としては、その人柄と能力を知っている蒼太君が継いでくれると嬉しい」

「……」

「それに。もし引き受けてくれるのなら、後任育成の為に蒼太君へ割ける時間も増えるだろう」


 宗一郎さんが一度口を閉ざして。

 すると、千恵さんが口を開いた。


「すみません。一つ、良い事を思いついたんですが。良いですか?」

「ああ、なんだい? 千恵」

「蒼太君と凪。高校生に上がったら、会社にアルバイトに来ませんか?」


 ああ、と宗一郎さんが嬉しそうに膝を打った。


「良い考えだ。どんな仕事をしているのか、という事も分かる。会社というものの雰囲気を知れるのも悪い事じゃないだろう」


 なる、ほど。

 確かにそれは願ってもない事だ。


「顔見知りが出来るのも悪いことではないし。蒼太君。PCは扱えるかい? 凪は須坂から教えられていたと記憶しているが」

「基礎的な操作なら」

「はい。私も扱えます」

「それなら良い。時間はあるし、分からない事があれば私か千恵が教えよう。どうだい? 二人とも。悪い提案ではないはずだ。もちろん先程の話とは別で、アルバイトだけでも良い」


 その方向へ進んでいき。

 一度、凪が俺を見てきた。


 一度目を瞑り。脳内を整理してから。


 俺は頷いた。


「宗一郎さん」


 名前を呼ぶと。宗一郎さんが言葉を止めて、俺と目を合わせてきた。


「アルバイトは当然お引き受けしたいと考えてます」


 凪も俺の隣で頷いていた。

 社会経験を積めるのなら、早いうちに積んでおいた方が良い。


 そして。


「会社を継ぐ、というお話も。俺で良ければ引き受けたいと考えています」

「……! そうか!」


 将来の事を考えるなら。こちらの方が良いと思う。ただでさえ不況と言われる世の中なのだから。

 サラリーマンになったとして、裕福な生活を送れるか。


 もし――将来、子供が出来るのなら。不自由な思いはさせたくない。


「それなら、堂々と時間を取る事が出来る。もちろん、相応に力を身につけなければならない。周りにも認められる必要がある。茨の道である事に変わりはないだろう」

「望むところです」


 厳しい世界だと分かっている。それでも――やりたい。

 それくらい、成し遂げて見せたいという思いもあるから。


 視線を外す事なく言えば。宗一郎さんが笑った。


「良いだろう。高校生に上がるまでの間に最低限の事は叩き込もう」

「よろしくお願いします」


 不安ではあったものの。その言葉にホッと息をついた。


「何、心配はしなくて良い。欲を出しすぎなければ失敗する事はほとんどない。蒼太君ならば私と同じように……いや。私以上に良い人物になれる。これでも人を見る目は培ってきたんだ」


 宗一郎さんが手を差し出してきた。


「これから、よろしく頼む」

「はい。よろしくお願いします」


 その手を取って握手をすると。宗一郎さんも千恵さんも――凪も笑ったのだった。


 ◆◆◆


「凪は良かったの? ……会社の事」

「私は……パパには悪いんですが、そこまで固執してないんですよね。いつかは継ぐ事になるかも、とは言われていましたが」


 凪と手を繋ぎながら歩く。


 全て、凪には話した。僕が凪に劣等感を抱えていたのかもしれない、という事も。


「私。蒼太君が会社を継ぐのなら秘書になろうと思ってたんですよ」

「そう、だったんだ」

「はい! それなら求められるものも違いますからね。元々そのつもりではあったんですが、先程の話を聞いて決めたんです」


 凪の言葉に頷いて。考える。


 凪が気を使ってくれたのでは、とも思った。しかし違う。


 凪は本心から、俺を支えたいと言ってくれた。


「頑張るよ、僕」

「支えますよ、私が」


 劣等感などない。対等な関係になるために。


 環境は整えられた。後は追いつくだけだ。努力を重ねるだけだ。


「ただ、子供の事を考えれば……いっぱい頑張らないといけませんね」

「……そ、そうだね。子供にも、もちろん凪にも寂しい思いはさせたくないし」


 子供……という事はつまり、と。

 そこまで考えて頭を振った。まだ、僕達には早すぎる世界だ。


 その時だった。


「蒼太ぁぁぁ!」

「凪ちゃぁぁん!」


 遠くから聞こえてきたその声に転びそうになった。


 見ると、父さんと母さんが家の外まで出てきて。手を振っていた。


「ふふ。手厚い歓迎ですね」

「……そうだね」

「となると、今度は私が挨拶する番ですね。蒼太君と婚約させてください、と」

「即答されると思う。なんなら娘扱いされる気がする」


 父さんも母さんも歓迎してくれる。宗一郎さんのように。


「……ちなみになんですが。お義父様とお義母様って言ったら喜ぶと思います?」

「泣いて喜ぶはずだよ」

「ふふ。じゃあそう呼びます。蒼太君も良ければパパ達の事、そう呼んでください。喜びますよ」

「……次会った時に呼んでみる」


 これから忙しくなるはずだ。今までとは比べ物にならないほど。


 だけど――怖くはなかった。


「凪」

「はい」


 名前を呼んで。目を合わせる。


 大好きな目。蒼い、海のように綺麗な目。


「大好きだよ」

「私も。大好きですよ」


 ――楽しみだ。


 これから、凪と同じ道を歩んでいけるのだから。

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