第12話 修学旅行 二日目夜〜三日目

「どういう意味だ?」


 ――お前。昔の霧香に似てんだよ。そんで、今のお前見てるとな。後悔する未来しか見えねえんだ。


 その言葉の意味を脳内で考えても、よく分からない。


「まあ、昔の霧香も知らないもんな。まずはそれから話そう」


 瑛二が手を組み。話を始めた。


「霧香は昔。俺に強い劣等感を感じていた時期があった」


 息を飲んだ。


 今まで知らなかった事実。

 そして、『劣等感』という言葉が強く心に引っかかったから。


「まあ、全部話すと朝になっちまうから。手短にな」


 そう前置いて。瑛二が話を始めた。


 ◆◇◆◇◆



 俺が霧香に出会ったのは、保育園に行っていた頃だ。かなり小さい時の事だったが、今でも覚えてる。


「いっしょにあそぼうよ!」


 霧香は皆が遊んでいる間もずっと一人で絵本を読んでいる。そんな子だった。


 最初は渋々って感じだったが、霧香は遊んでくれて。その後もよく遊ぶようになって、友達になったんだ。


 小学生に上がった。

 俺は友達が増えた。もちろん霧香と遊ぶ事が一番多かったが、それ以外の子達と遊ぶ事も増えた。


 ある日の事だ。


「私は瑛二が一番だけど。私じゃ瑛二の一番になれないのかな」


 霧香が不安そうに言ってきたんだ。

 重い、とか思うかもしれないが。まだ子供だったからな。


 それに嬉しかったんだ。


 俺は誰かの友達になれても、そいつの一番になれる事はなかったから。


 浅く広く、関係を作っていたからだな。……霧香の一番になれた事が嬉しかったんだよ。話しているとまた長くなるから省くぞ。


 それから俺は霧香と遊ぶようになった。

 霧香以外と遊ばなくなった。


 あれは確か……小学校、六年生に上がってからの事だ。


 霧香は変わった。今みたいな感じにな。

 それだけならまだ良かったんだが、俺にこう言ったんだ。



「私は、瑛二の事が嫌い」



 この言葉は割と効いた。

 珍しく俺が一週間寝込んだからな。


 でも、この言葉にも色々理由があった。


 色々と絡まった結果なんだが。一番の要因は――



 いじめだった。



 自分で言うのもなんだが、俺はそこそこモテたんだ。

 でも、俺は霧香以外と遊ばなかった。だからなんだろうな。


 気づけなかった俺も馬鹿だ。


 あと一つ大きな理由がある。

 どちらかというと、蒼太に関係があるのはこっちだな。


 復活した後、俺は霧香を問い詰めた。これで話せなくなるのは嫌だったから。


 霧香はこう言ったんだ。


「瑛二は、私と居るとダメになるから。嫌いって言ったら……離れてくれると、思ったの」


 霧香は友達が俺以外居なかった。反対に俺も、霧香以外と友達を作ろうとしなかった。


 だから、なんだろう。その時の俺ももちろん幸せだったんだけどな。


「前の瑛二の方がもっとキラキラしてた。……私が、だめにしちゃった」


 って言われたんだ。


 そこからだ。

 話していて俺は、霧香はめちゃくちゃ自己肯定感が低い事に気づいた。


 自虐が始まったからだ。


 ――自分が大っ嫌い


 ――大好きな人の足を引っ張る事しか出来ない


 ――都合よく人のせいにする自分が嫌い


 ――弱い自分が大っ嫌い。


 驚きはした。そもそも俺が楽観的で前向きな人間だったから、という事もあったが。


 ここまで思い詰めてるとは思わなかった。


 ◆◇◆◇◆


「思わなかったんだ。本当に馬鹿だよ。俺は」


 何も、言えなかった。


 その顔は今まで見た事がないくらい、悲痛に歪んでいたから。


「わり、ちょいと長くなった」

「……その後は」


 どうにか声を絞り出すも、そこから先は言えなかった。


 瑛二がああ、と頷く。


「告白したな。お前が好きだって。……さすがに詳細は省くけどな。霧香の好きなとこを片っ端から言ったんだよ」

「そうだったのか。それで――」


 ――付き合ったのか、と言おうとして。それより早く瑛二が口を開いた。


「フラれたね」

「……え?」

「ま、後ろ向きなフリ方じゃなかったけどな。『ちょっとだけ時間が欲しい』ってな。俺に、って色々頑張った訳だが」

「……訳だが?」

「卒業式の日にまた我慢できずに告った」


 凄い、行動力である。

 俺なら……多分できない。


「卑怯だけど二択を突きつけてな。ここでフラれたら、俺はもうお前と付き合わないと」

「……かなり強引だな」

「でも、そうでもしないと霧香はまだ、まだだって逃げると思ったんだよ。


 その言葉は明らかに、俺に向けて告げられていた。


 逃げる……か。いや、そうだ。そうだな。


「さて、本題だ。蒼太」


 その強い光を持った瞳が俺を打ち据える。



「今のままだとお前は後悔する事になると思う。いや、なるはずだ。俺の知ってるお前なら」

「……」

「俺も迷った。言おうかどうか。この辺は人によって歩幅も違うからな。そもそも他人がどうこう言う問題じゃねえってのは分かってる」


 だけど、と。瑛二は強く首を振り。パン、と自分の頬を叩いた。


「ここで何も言わねえのは違うんじゃねえかと思った。お前の親友として」


 瑛二の言葉に目を瞑って考える。


 後悔、か。


「お前の気持ちも考えてみた。……相手は有名企業の令嬢。とんでもねえ人から日本舞踊の指導を受けて、勉強も運動もトップレベル。容姿もモデル顔負け。気後れしない方がおかしいってもんだ」

「改めて言葉にすると凄いな」


 しかし、全て事実である。

 凪は――凄いのだ。もう、本当に。


「お前も頑張ってるけどな。めちゃくちゃ」

「それでも足りないって感じだが」

「当たり前だ」


 俺の言葉を首肯する瑛二。気を使って否定したりしないのが瑛二なのだ。


「元々の努力量の差だろ。それこそめちゃくちゃ小さい頃から頑張ってる……って、これは別に言わなくてもお前の方がよく分かってるよな」

「……そう、だな」


 凪と出会ったのが小学四年生。凪はそれより前から努力を重ねてきたはずだ。


「要は、だ。小学校からスポーツ……サッカーをやってる奴に中学からサッカーをやってる奴が勝てるかって話だ。しかも本気でスポーツに打ち込んできた奴に」


 ああ、と声が漏れた。確かにそれは……すぐに勝てたりはしないだろう。


「相手は努力のやり方を知っている。それに……あんまりこんな言葉は言いたくないが、才能だってあるだろう。環境も整えられているだろうしな」


 その言葉に頷いた。


 確かに。勝つどころかその隣に並ぶ事も……難しい、とか。そういう話ではない。かなりの才能に恵まれてない限り不可能だろう。


「ちょっとキツい話になってるが……悪いけどもうちょいするぞ。お前。東雲に追いつけるまで告白しない、とか考えてるんだろ」

「……ああ」

「何年掛かると思ってる?」


 今まで、目を背け続けてきていたもの。それを目の前に突き出された。


 小さく声が漏れるも、それが言葉を紡ぐ事はなかった。


「言い方を変えよう。後何年待たせる気だ?」

「……それは」

「待つだろうな。向こうの親御さんもお前以外有り得ないって思ってるだろうし。一年だろうが五年だろうが、十年だろうが待つだろうよ」


 瑛二はそう言いながらも。その言葉や表情は俺を責めているようには見えなかった。


「ちょっと話が変わるが。お前さ。よく東雲の事嫌いにならなかったよな」

「なる訳、ないだろ」


 その言葉にだけ即答する事が出来て。瑛二は笑った。


「ああ。お前は一切東雲の事を嫌ってない。だけどよ、案外あるもんだぞ。身近な人に劣等感を抱いて、家族だろうが関係なしに嫌いになるって事は。親戚にそういうのが居て、身近にも居たし。話は山ほど聞いてきた」

「……そもそも嫌いになる理由がない」

「劣等感だな。主な理由は」


『劣等感』


 先程心に引っかかった言葉。その理由が今分かったような気がする。


 確かに俺は劣等感を抱いているのかもしれない。しかし……凪が嫌いになる事はない。今までも、これからも。


 瑛二がじっと、俺と目を合わせてきた。


「さっきは言わなかったけどな。霧香が言った言葉。あれは本心から言っていたものらしい」


 思わず目を見開いた。


 ――私は、瑛二の事が嫌い


 あの、言葉が?


「人間、劣等感くらい抱くもんだ。それで、いつまでも追いつけない。劣等感を拗らせると、それがやがて相手への『嫌悪』に繋がる事はある。少なくとも、霧香がそうだった」


 その時の事を思い出してか。瑛二は一瞬、苦々しい顔をした。だけど、すぐに首を振って表情を戻した。


「俺はそれでも霧香が好きだったから。諦めたくなかったから、めちゃくちゃ話し合いをした。……長くなるから置いとくが」


 話が上手く読めない。瑛二が何を言いたいのかも。


 どうにか頭を回転させながら、瑛二の話を聞き続ける。


「お前、東雲の事が嫌いになった事ないんだろ?」

「ない」

「それならよ。もう付き合わない理由はねえだろ。俺らと違って」


 瑛二が一口、お茶を飲む。


 その間もその瞳は俺を見据えていた。


「お前が東雲の隣に立ちたいって思ってるのは分かった。でも、お前が本当に東雲の事を好きだ、幸せにしたいって思ってるのなら」


 瑛二は一度言葉を切って、手を組んだ。


 その眼差しは柔らかいものになっていた。


「その待たせてる時間、幸せにした方が良いんじゃないのかって思う」

「……あ、あ」


 そういう、事か。瑛二が言いたかった事は。


「待たせる時間があるのなら、その分一緒に居て楽しんだ方が得だろ。お互いな」

「……自分磨きはいつでも出来る、もんな」

「ああ。それこそ横に並ぶのは結婚する時までにで良いだろ。……そんで、このまま待たせ続けたとしたら。あの時告白して付き合っていたらこんな事が出来た、あんな事も出来たって後悔すると思う。蒼太なら」


 目を瞑り。瑛二の言葉を考える。


 確かに、そうかもしれない。いや、そうだろう。


 それなら俺は今まで――


「間違っても卑屈にはなるなよ。お前はちょっと頑張りすぎて視野が狭まってただけだ。その頑張りも意味がなかった訳じゃねえ」

「……ああ」

「もっと気楽にいけ。東雲だって、蒼太が居なかったらあんなに結果は出せなかったと思うぞ」

「そうか?」

「気づいてなかったのかよ」


 よく分からない……と思っていると、瑛二が説明してくれた。


「『環境も整えられてる』って言ったが。その『環境』の中には蒼太も入ってるんだぞ。つかお前。蒼太が一番の要因だ」

「俺が……」

「ああ。どれだけ環境を整えられたとしても120%の力を本番で出せるかは別だからな」


 俺が居たから――そうだと、思いたいが。


「この辺はまた話し合え。俺には想像しか出来ないからな」

「そう、だな」


 少し、一人で思い詰め過ぎたのかもしれない。いや、思い詰めすぎたな。



 本当に好きなら。優先順位を間違えるな。



 自分を磨く。大切な事だ。凪の隣に立つのなら。


 だが、今しか出来ない事はある。確実に。


 例えば、もっと早く……それこそ、中学に入る前に告白して交際出来ていたら?


 今よりももっと楽しい学生生活を送れたかもしれない。

 修学旅行だって、もっと楽しくなったかもしれない。


 ……今考えても、後悔してるな。

 凪を待たせ続けてしまっていて。やれる事はどんどん少なくなっていく。


 待て。本当に今やるべき事は後悔ではないだろう。


 一度、大きく深呼吸をした。


 決めた。


「ありがとう、瑛二」

「どういたしまして、だな?」


 瑛二がニヤリと笑い。俺も笑った。


「しかし悪いな。同い年なのに説教じみた事言って」

「いや。これくらいズバズバ言ってくれた方が助かるよ。……一人じゃ気づけなかった」


 きっと、瑛二でなければここまで踏み込んで言ってくれなかっただろう。


 言ってくれたからこそ、自分を見つめ直す事が出来た。


「これからも何かあればどんどん言ってくれ」

「おうよ、任せてくれ。お互いな」

「ああ」


 瑛二が拳を突き出してきた。それに拳を打ち合わせる。


「霧香の事。話したのはお前が初めてなんだぜ?」


 ニヤリと笑って告げられた言葉に驚いてしまった。


「話せば長くなるってのと、単純に重いからだな。普段は聞かれてもなんとなく、とかてきとーに言って誤魔化してんだよ」

「……そうだったのか」

「ま、何にせよ蒼太にはいつか話すつもりだったけどな。タイミングがなかったが」


 確かにこうしたものは話すタイミングがないな。今がちょうど良かったという訳だ。


「話してくれてありがとな、瑛二」

「ま、俺が聞いて欲しかったってのもあったからな」


 苦笑する瑛二にしかし、俺は首を振った。


「それでも。話してくれて嬉しかったよ」

「……おう」


 照れ臭そうに笑う瑛二に。珍しくて笑ってしまうのだった。


 ◆◆◆


 次の日の朝。点呼を取るために俺達はロビーに集まっていた。

 隣には凪が居る。


「凪」

「はい? どうされました?」

「修学旅行、終わったら遊園地行かないか?」


 一瞬、凪が固まった。


 しかし次の瞬間にはその顔は――今まで見た事がないくらい、笑顔になっていて。


「はい!」


 元気にそう返してくれたのだった。



 ――後少しだけ、待っててくれ。


 絶対。幸せにするから。

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