第3話 魔法の言葉

「東雲ちゃんってさ! 親がお金持ちなんだよね!」


 だれかが言った、その言葉がきっかけだった。


「えー!? そうなの!? それならさ、メイク道具とか持ってるの!?」

「家もおっきいんじゃない!?今度遊びに行ってもいい!?」

「お母さんが言ってたよ! この辺におっきい家あるって! 東雲ちゃんと同じ苗字だったよ!」


 一気にたくさんの人が話しかけてきて。凪があたふたとしていた。


「いいんじゃない? ねえ、いいでしょ?」

「え、えっと、その。お、お父様が」

「えー! お父様とか言ってるのー?」


 やっぱり凪は、色んな人に話しかけられる事になった。

 僕がいたら話しかけづらいだろうから、少しだけはなれていた。……でも。


 ちょっと、いやだった。



「凪は学校終わったら、僕と遊ぶから」


 自分でもびっくりした。


 凪の近くに来て、そう言ってしまっていたから。女子達もびっくりしていた。


「えー? 一日くらいいいじゃん」

「そーそー! ねー、良いよね?」

「だめ、だ」


 こわい。


 人と話すのは、いやだ。つかれるし、傷つけてしまうかもしれないし……傷つけられてしまうかもしれないから。


 でも。凪がこまってるのを見るのは、もっといやだったから。


「凪は僕と遊ぶ」

「えー? 東雲ちゃんはいやだよねー?」

「私達と遊ぶよねー?」


 凪はふるふると首をふった。それは、どっちの言葉へのものなのか分からない。


 でも、女子達は僕への言葉だと思ったらしかった。


「ほらー。東雲ちゃん嫌がってるじゃん」

「さいてー」

「ち、ちがっ」

「東雲ちゃんかわいそー」


 凪がまた首をふろうとしたけど、女子達が割り込んで話を続けた。


 凪はそのせいか、うまくしゃべれなくて……そのまま休み時間が終わってしまった。


 ◆◆◆


 帰りの会が終わってすぐ。

 凪が、僕の手を引いた。


 そのまま歩く。小学校から出て、人が少なくなって。そして、やっと。


 凪が顔を向けると。そのほっぺたから、ぽろぽろと涙がこぼれおちていた。


「ちが、ちが、うんです……ご、ごめん、なさい」

「な、凪?」

「ごめ、んなさい。わ、私、あんな、こと」

「き、気にしてない! 気にしてないから!」


 そのぽろぽろと流れる涙を、凪は手のひらでふいた。

 首をふって気にしてないと言っても、涙は止まらない。


「でも……でも、私。なにも、いえなくて。蒼太君、傷つけて」

「いや。僕も、ちゃんと話せなかったから」

「でも、蒼太君は。私を、助けてくれました」


 そして凪が。


 ぎゅっと、抱きついてきた。


「な、凪!?」

「いや、です。蒼太君と、はなれるの」

「は、はなれない。はなれないから」

「……ほんとう、ですか?」

「ああ。本当だ。はなれないから」


 あれが凪の本心ではない事くらい、分かってる。……本心だったらちょっと凹んでたけど。違うって分かった。


「……ごめんなさい。もう、あんな事にならないように、しますから」

「おこってない。僕も、凪と立場が逆だったら。同じ事、しちゃってたはずだから」


 顔を押し付けてくる凪。そう返しても、はなれない。


「わ、私と。友達でいてくれますか」

「あ、当たり前だよ。……というか。友達でいてくれないと困るというか」


 やっと。やっとできた友達なんだ。


 ……そうだ。

 こんな時、お父さん達がどんな風にやっていたのか思い出すんだ。


「ず、ずっと。いっしょにいてくれますか」

「うん。ずっといっしょにいるから」


 凪にぎゅっと抱き返して、頭をなでる。


 さらさらなかみは雲みたいにやわらかくて、気持ちよかった。


「……」


 凪が目をまん丸にして、おどろいていた。

 ちょっとはずかしかったので、手を取ろうとしたら。凪が手を上げて、手を重ねてきた。


「凪?」

「つ、続けてください」

「で、でも」


 それでも手を取ろうとしたけど、凪がふるふると首を振った。


「続けてくれないと。ずっと、ぎゅーってしちゃいます」

「……」


 いやじゃ、ない。それでも。

 凪にぎゅっとされたら。心がぽかぽかするから。


 でも、少し困ってしまう。帰れなくなるから。


「……僕もぎゅってし続けるって言ったらどうなるの?」

「え!?」


 そう言われると思ってなかったのか、凪は声を上げた。


「そ、それは……私が楽しくなっちゃいます」

「僕もいっしょだけど」


 凪があたふたとする。でも、さっきのようにいやな困り方はしていない……と思う。


 ううん。そうであってほしい。


「じ、じゃあ。このまま続けますよ? ……続けますからね」

「う、うん」


 凪の言葉に。また心がうるさくなりはじめる。


 だけど、凪の言ったようにはなれる事はなくて――


「ごめんなさい。蒼太君」

「いいよ。……ごめんなさいより、ありがとうの方がうれしいよ」


 そう言ったら。凪が小さく笑う声が聞こえた。


「ありがとうございます、蒼太君。助けてくれて」

「……うん。どういたしまして」


 そう返すと、凪がもっと強くぎゅっと抱きついてきた。


 通りがかった人ににこにこされるのを見て、僕達はやっと離れたのだった。


 ◆◆◆


 あれから二年が過ぎた。


「凪。帰ろう」

「はい、蒼太君」


 六年生に上がっても、俺と凪に友達は出来なかった。


 ……出来なかったのだ。


 凪は少しずつ話しかけられる事は増えたけど、自分から仲良くなりに行こうとしない。

 俺は……凪を独占してしまってる状態だから、だろう。凪以外との関係は今までと変わらない。


「明日、最後の運動会ですね」

「そうだな。……俺も頑張らないと」


 リレーのアンカーとなってしまったから。頑張らねば。


 すると、凪は小さく笑った。少し寂しそうに。


「蒼太君が『僕』って言うの、私は好きなんですけどね」

「……子供っぽいだろ」

「まだ子供じゃないですか、私達」

「それは……」


 分かってる。だけど――


「あの人達から言われた事、気にしてるんですよね」

「……」


 凪の言葉に何も言えなかった。

 その日から『僕』の一人称は『俺』へと変わって。少しずつ、話し方が変わってきていた。


「あんな人達の言葉なんて気にしなくて良いのに。ただの嫉妬ですよ、蒼太君への」

「……別に。そんな、嫉妬されるほどの人間じゃないし」

「怒りますよ、蒼太君」


 凪が腕をつかんでそう言った。


「蒼太君はすごい人なんです」


 その、蒼い目に見つめられると。何も言えなくなってしまう。


「すごく、気遣いができるんです。生物係が何もしないで帰ってしまった後に水槽のお掃除をしたり、お庭にあるお花に水が足りなくて一人で水やりをしたり」

「凪も、手伝ってくれただろ」


 俺がやろうとした時。決まって、凪は手伝ってくれた。


「それに、凪は次の日にその係の人に注意もしてくれた」

「でも、最初にやろうとしたのは蒼太君です。私一人だけならやっていたかどうかも分かりません。お花に水が足りないという事は気づけませんでしたので」


 凪の言葉にあの時の事を思い出して。空を見上げた。


「……母さんが言ってたんだ。あの花、水の管理が大変だって。一日でも忘れたら枯れるかもしれないからって」

「お花の知識もあるじゃないですか。すごい事ですよ」


 顔を下ろして凪をみると、その目に見つめられていて。そのまままっすぐにほめられると、背中がむずがゆくなる。


「だから、蒼太君はすごいんです」

「……あ、当たり前の事をしてるだけだから」

「その当たり前ができるってすごいんですよ。本当に」


 凪が小さく笑う。それだけで、心臓の音が大きくなってしまう。

 あの頃から変わらない。どうしてなのか、分からない。


「……ありがとう」

「ふふ。どういたしまして」


 凪はこの『どういたしまして』という言葉を気に入っている。


 あの日。俺が言った時から気に入ったらしい。


『すてきな言葉です。これからは私も使うようにします!』


 あの後そう、言ったのだ。


「でも、凪」


 その思考を追いやって、凪を見る。


「凪はああ言ったけど。凪ならきっと、俺がいなくても水槽とか花壇の世話、すると思う」

「……でも私、知識とかありませんよ?」

「図書室に行って調べたりすると思う。凪なら」


 そう言い切ると。凪が小さく首を傾げた。


「どうして、そう思うんですか?」

「凪だから」


 考える事もなく、そう返した。


「二年も一緒にいるから、分かるよ。凪が俺の事をちゃんと見てくれていたみたいに」

「そ、そうですか」


 凪の事を考えていると、自然と笑ってしまいそうになる。

 凪が顔を真っ赤にして目をそらした、


「なら。蒼太君の理想の私で居られるよう、がんばらないといけませんね」

「……別に、俺はどんな凪でもいいけど」


 凪がこれ以上がんばる必要はない。もう、すごくがんばってるから。


 だけど、凪は首を振った。


「もっとがんばりますよ、私は」


 これは、何を言っても聞かないだろうなと思った。


 それなら。


「じゃあ俺もがんばる」

「蒼太君はいっぱいがんばってますよ」

「一緒だよ、凪と」


 そう返したら、凪が眉をぴくりと動かして笑った。


「似た者同士ですね、私達」

「そう、だな」


 凪の小指がそっと。小指に絡んできた。少し驚いてしまったけど。


 帰るまで、その小指は離さなかった。

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