第69話 見守る者たち
◆◇◆
ベンチで暖かな時間を過ごしている二人を覗く、三つの人影があった。
「……くそ、さっきは言いたい放題言いやがって」
「今思えば腹立つよな。ぜってえ一矢報いてやる」
「何かいけない扉を開きそうになっちまったが、海以の野郎にあんな可愛い婚約者が居るなんて許せねえ。あとあんなイチャついてるのも許せねえ」
三人は、会話なのか独り言なのかも分からない言葉を吐き散らしていた。
先程まで怖がっていたはずなのに、今ではその瞳を憎悪で赤く散らしている。
「そういやさっきあの女が言ってたの何だったか?」
「東雲……栄一郎? 宗次郎? んなのどうでもいいだろ」
「どーせ脅しだ脅し。調べた所でなんもねえよ」
あの方の忠告も無視して、何をするかと話し合っている。
「はぁ」
一つ、ため息を吐いた。
あれだけ忠告を受けておきながらこれでは、もう若気の至りでは済ませられないだろう。
それにしても。ここまで愚かだとは……本当に、彼はよく頑張ったものだ。
「君達」
声を掛けると、三人はビクリと震えた後に振り向いた。更に、私を見て目を丸くしていた。それもそうだろう。
私の身長は彼らより遥かに高い。背は二メートルと少し。図体も人より大きいのだから。
彼らを見下げながら。腕を組む。
「東雲凪様と海以蒼太様に何かをするつもりならば、黙って見過ごす訳にはいかないな」
「な、なんだよ」
「誰だよおっさん!」
……おっさん。おっさんか。私ももうそんな歳か。
いや、そんな事はどうでもいい。
「東雲家専属のボディーガード、とだけ伝えておこう」
「……ぼ、ボディーガード?」
昨夜、宗一郎様から依頼があった。
『凪からの頼みだ。年末に近い時期で申し訳ないが、護衛について欲しい。普段の倍額は払おう』
話を聞くと、どうやら凪様の婚約者が厄介事に巻き込まれる可能性が高いとの事。
凪様がどうにか出来るとおっしゃっていたらしいが、荒事になった時のための保険として依頼したそうだ。当然すぐに了承の返事をした。
基本、凪様から合図があった時のみに出てくる事になっているが。
……目の前で護衛対象を傷つけようと画策しているのを見て、無視出来るはずがない。
仕事としても、私情としても。
「二人の邪魔はさせない。決して」
凪様がやっと掴んだ幸せ。
今、ああして笑えている。
あの笑顔を奪わせたりはしない。この命に替えようと。
「……な、なんだよ。やるってのか?」
「警告だ。今すぐ居なくなるのならば何もしない」
何も出来ない、と言った方が正しい。下手な行動を取れば、宗一郎様に迷惑を掛けることになってしまう。
しかし、向こうから来るのであれば好都合ではある。
「……な、なあ。これってまじでやべえやつじゃねえのか?」
「か、帰ろうぜ」
最初はやる気だったらしいが、残りの二人がやっと、取り返しがつくかどうかの瀬戸際だと気づいたようだ。
「……チッ。行くぞ」
一番前にいた少年が舌打ちをして、背を向けた。
「私は常にお二人……凪様と蒼太様の傍についている。何か出来るとは思わない事だ」
その言葉は聞こえていただろう。しかし、返事をする事なく……三人は離れていった。
「ふう」
それを見届けて、一息つく。
凪様は小さい頃から知っている。
娘のようだ、と言うと、宗一郎様に怒られてしまいそうだが。勉学に疎い私には、それ以外の言葉で言い表す事は出来ない。
昔から大人びた子だった。父親を追い求めてひたむきに頑張る姿は……決して子供らしい姿とは言えなかった。
図体の大きい私に怯える事もなく、父……宗一郎様についてよく聞かれたものだ。
凪様に婚約者が出来たと聞いた時はとても驚いた。……凪様が政略結婚を受け入れようとして、宗一郎様とすれ違った話を聞いた時も驚いたが。
「今はこうして、幸せへの道を歩んでいる」
いきなり蒼太様を路地裏に連れ込んだ時はどうなるかと思ったものの……こうして仲睦まじい姿を見ていると、とても微笑ましく思う。
依頼を引き受けた理由も。婚約者の姿を見てみたかったから、というものがなかった訳ではない。
しかし……
「凪様があれだけ心を許しているのなら、何よりだ」
凪様は蒼太様の頬を手で温め、慈母のように暖かな視線を向けている。
お二人を護らねばならない。
やっと子供らしい顔を見せるようになった凪様と……凪様の心を溶かしてくれた蒼太様を。
すると、凪様の瞳がこちらへと動いた。
まずい、体を晒していた。
凪様には、『蒼太様が聞いたら落ち着かないと思うので、なるべく姿は見せないで欲しいです。……そのうち紹介はする予定ですが』と言われていたのだ。
慌てて移動しようとすると、凪さまの口が開くのが見えた。言葉は発していない。
(ありがとうございます)
そう、言っている気がした。……いや、言っている。私は読唇術は扱えるのだから。凪様も分かってやっているのだろう。
一度、頭を下げてから。私は場所を移動した。
あのお方に報告をしなければいけない。
『私だ。どうした』
スマートフォンの奥から聞こえてくるのは雇用主である……宗一郎様の声だ。
「凪様と蒼太様に接触がありました。人数は三名。全員男子高校生で、蒼太様と同じ小学校、中学校に通っていたと思われます」
『凪達はどうだった?』
「一度目は、凪様が無事退けました。私の出番もありませんでした……が、その後。仲睦まじくしているお二人の邪魔をしようとしたのでつい先程警告をした所です」
『そうか。ありがとう』
「……」
宗一郎様は気づいておられるか分からないが、かなり変わった。凪様に婚約者が出来てから。
良い変化だと私は思う。
『後は私がやっておこう』
「……つかぬ事をお伺いしますが。何をするのでしょうか」
『警告だ。……凪が怒る程の者なのだ。会話が通じるか怪しい所がある。家族にコンタクトを取ろう』
その言葉に思わず目を見開いてしまった。
「本気、でしょうか」
『念には念を入れる。あの二人が幸せに暮らすためなら、私は全てを差し出すさ』
思わず言葉を失ってしまった……が、宗一郎様の笑う声で私は意識を取り戻した。
笑う? 宗一郎様が?
『なに。最後の言葉は冗談だ』
普段は決して冗談など言わない。脳の整理をしようとしている間にも、宗一郎様が話を続ける。
『私を誰だと思っている』
「それは……今やこの道で知らない人の方が少ない――」
『違う』
言葉を遮られ、私はまた口を閉ざした。
『私は凪の父親であり――蒼太君の義父だ』
その言葉の端からは笑いが零れている。珍しい、どころではない。初めての事だ。
『あの二人の父親なんだ。父親で居なければならない』
「……申し訳ありません。おっしゃっている意味がよく理解出来ておらず」
『簡単な事だよ』
一拍の静寂の後。宗一郎様は言った。
『蒼太君も凪も、とても素晴らしい子なんだ。私は二人を導ける大人であり続けなければならない。……家族に掛かる火の粉なんて、簡単に振り払えるくらいには。当然の事だが、何も犠牲にする事なく』
その言葉に私は本気なのだと悟った。しかし、その悟りすらも非常に詰めが甘かった。
『何にせよ、悪い芽は早めに摘んでおくものだ。すぐに動こう』
「す、すぐにですか!?」
思わず動揺してしまった。驚きはしたものの、大声にならなかった事だけが救いである。
『ああ。万が一、という言葉は嫌いだからな。やるなら確実に、だ。情報も昨夜から集めておいた。仕事も終わらせたから手筈は整っている』
「……承知しました。私も移動を――」
『いや。君は凪達を見ていてくれ。これまでと同じようにな』
宗一郎様の事だ。私以外のボディガードを連れていく事だろう。
了承の旨を告げ、電話を切ろうとした時だ。
『最後に一つ、聞いても良いか?』
「はい。なんでしょうか」
『凪は……そして、蒼太君は。どんな様子だ?』
その言葉に思わず、笑いそうになってしまった。
本当の意味で……父親らしくなったと。たかが護衛の身で言える事ではないのだが。
「そうですね。凪様が少々暴走したりしましたが」
『暴走?』
「蒼太様への愛が少し大きくなりすぎてしまい、ですね……しかし」
壁から顔を覗かせる。そこに居た二人は――
「とても。とても幸せそうですよ。この世の中に居る誰よりも」
凪様へともたれかかる蒼太様。その蒼太様の頭を優しく凪様が撫でていた。
一見すれば、幼い子供と母のような光景。……凪様の表情はとても優しかった。
しかし、蒼太様の事が大好きなのだと。ここからでも伝わってきていた。
『……そうか。ありがとう』
「どういたしまし――失礼しました」
凪様の合図を聞く為に、常にお二人の会話は聞こえるようにしていた。盗聴しているようで心苦しいが。
しかし、つい会話を聞きすぎてしまい……そう言いそうになってしまった。
『……ふふ』
電話の奥で、宗一郎様は笑った。
『不思議な子だろう? 彼は、人を変える力がある。きっと君も
「……申し訳ありません」
『責めていない。もう十数年の付き合いだろう? 時折酒も飲み合う仲なんだ。嬉しく思うよ』
そこで宗一郎様は言葉を区切った。
『二人の事を頼む。誰にも邪魔されないようにな』
「承知しました。……それでは失礼します」
電話を切り、ふうと息を吐く。
今回は色々とヘマをやらかしてしまった。宗一郎様が寛大だっただけで、本来なら契約を打ち切られるレベルだろう。
これからはより一層、気を引き締めなくてはならない。
二人を見ると。蒼太様が顔を上げ、凪様と手を繋いで立ち上がろうとしている所だった。
二人とも――とても良い笑顔をしていた。
仕事だから守るのではない。……もちろんその思いもあるのだが。
幼い頃から知っている凪様と、その凪様を救ってくれた蒼太様。
この二人の幸せを守りたい――と。その思いの方が一層、強くなっていた。
◆◇◆
「……ふふ」
「どうした? 凪」
凪のスマートフォンに通知が鳴り、凪はそれを確認して笑った。
「いえ。そうですね。一応言っておきます」
凪は一度首を振りかけたが、少し考えた後にそう答え。柔らかく笑った。
「あの人達の事、昨日お父様に伝えていたんですよ。今連絡が来まして」
凪がポケットにスマートフォンをしまって。俺の手を両手で包み込むように握った。
「『もうその事は心配しなくて良い。お父さんが全部どうにかするから』とだけ、連絡が来たんです」
「……宗一郎さんが?」
「はい。お父様が」
思わず頬が引き攣りそうになった。
「一応言っておきますが。お父様は『迷惑』だなんて考えてませんからね」
凪の手が離れ、引き攣った俺の頬を戻すようにぐにぐにと優しく揉まれた。
「『心配』だから、です。お父様の中で……いいえ。私達の中で、蒼太君はもう立派な家族なんですよ」
――蒼太君の家族が私を受け入れてくれたように。
と、凪が付け加えて。
俺は笑った。嬉しくて。
先程まで悩んでいた事全てが、どうでもよくなってしまうぐらいには。嬉しかった。
「……恵まれてるな。俺は」
「蒼太君自身が優しく、強いからですよ。類は友を呼ぶ、と言いますから」
それは過大評価だ、と言いそうになり……やめた。
過大評価なのだとしても。その評価に見合う男になれば良い話だから。簡単な事だとは思えないが。それでも、ならなければいけない。
「さて。それじゃあお洋服を買いに行きましょうか」
「そうだな」
そうして歩き始めたのだが、程なくして凪が声を上げた。
「……あ。そうです。今度、蒼太君に似合う和服も見ませんか? お家にいっぱいあるんです」
和服、か。
七五三などの時にしか着る事はなかったが。
「良いな。凪と着て祭りなんかにも行ってみたい」
「……! はい! では近いうちに、一緒に選びましょう!」
凪とどんどんやりたい事が増えていく。少しずつやっていこう。
まずは――
「蒼太君が好きなお洋服、いっぱい教えてくださいね?」
「……ファッションには疎いが」
「蒼太君以外の方からの評価は気になりません。蒼太君に好きだと思っていただけたら、それだけで私は満足ですよ」
凪の言葉にまた笑い、凪も笑う。
そうして話していると、すぐに服屋に着いたのだった。
――まだまだ楽しい時間は終わらない。
誰にも邪魔される事のない。
楽しい――幸せな時間は続いた。
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