第64話 全部、塗り替えちゃいます

「ち、ちちちが。違うんです! そ、そそそのですね! た、確かに私は蒼太君が居ない間にベッドでゴロゴロして、蒼太君を楽しんでしまう変態さんですが! け、決していかがわしい事をしていた、すっごく変態さんではありません!」


 母さんにどう説明しようか迷っていると、凪が来て……手を引かれ、部屋に連れ込まれた。


 そして。顔を真っ赤にしながら、そう捲し立てられのだった。

 変態さんの上位はすっごく変態さんなんだとか。そちらの方に気がいってしまい、思わず笑ってしまった。



「大丈夫だ。そんな勘違いはしてない。……あー。まあ、そのだな。ノックをしても返事がなくて……なんとなく嫌な予感がしたから入らなかったんだ」


 ドアノブに手を掛ける所まで行ったのだが。先程母さんが来たのを思い出し、入らなかったのだ。


「もし寝ていたら起こすのはまずいかなと思ってな」

「……そ、そうだったんですか?」

「ああ。……まあ。その、部屋では何をしてても別に構わないんだが」


 凪の顔がリンゴのように、更に真っ赤になった。完全に自爆である。


「……うぅ」

「一応言っておくが。俺は気にしてないぞ」


 顔を手で覆い隠す凪へとそう告げるも、あまり効果はなく。


 すると、凪がスッと手をどけ――腕を広げてきた。


「ぎゅってしてください」


 恥ずかしさからか、その顔は真っ赤で、目にはうっすらと膜が張っている。


 普段見ないその表情に、心臓がバクンと音を立てた。


「……」


 凪がじっと俺を見る。俺が抱きしめる事を疑っていないかのように。

 ……いや。言われなくてもするんだが。



 凪と同じように腕を広げると、すぐに凪が飛び込んできた。


 そのままぎゅーっと。強く、強く抱きしめられる。

 少し驚いてしまうくらいには力が強い。


 胸に当たる柔らかい感触を気にしないようにしながら。凪の背中へ手を回し、とんとんと背中を叩く。



 そうして十分が経った。


「す、すこしだけ取り乱しました。ごめんなさい」

「別に構わないぞ」


 先程よりは落ち着いてきた凪に笑い、上に着ていたコートを脱ぐ。

 そして、ハンガーに掛けていた時だった。



「何か、あったんですか?」


 その言葉に。俺は動きを止めた。


「……どうしてそう思った?」

「いえ。なんとなく、元気がないように見えたので」


 その言葉に――俺は思わず笑ってしまった。


 凪には敵わない。


 もしかしたら凪も会ってしまうかもしれない。言っておいた方が良いだろう。


「知り合いに会ったんだ」

「お知り合い、ですか? お友達ではなく?」

「俺に友達は居なかった。……ただクラスメイトだったってだけだ」


 俺の言葉を聞いて、凪は眉を顰めた。


「少し面倒な奴でな。……運動会なんかの行事の後、女子生徒から話しかけられる事が増えたって話したよな」

「……はい」

「その時に目を付けられてたんだよ。いじめとまではいかないが、からかわれたりな」


 高校に入ってからは色々あって忘れていたが。先程会い、思い出してしまった。


「……お義母さん達には」

「言ってない。……というか言えない、だな。父さんに言えば何をするか分からなかったしな。まあ、俺もそこまでは気にしてないし……父さん達も薄々気づいているとは思うが」


 精々、友人が居ない事でからかってくるぐらいだ。


「……」

「そう気にしなくて良い。あいつらも本当に変わっていなかったからな。まさか、今更友人が居ない事でからかわれるとは思ってなかったが」


 今では瑛二はもちろん、凪達も居るのだ。


「蒼太君」


 凪が俺の名を呼んだ。そして、ベッドに座る。


「来てください」


 凪に言われて。俺は隣に座った。


 凪は――俺を引き寄せた。思わず倒れそうになって、腕で支えようとしたが。「力を抜いてください」と言われ、その通りにした。


 ぽふん、と。凪の胸に顔が埋もれた。

 いい匂いと、そこから伝わってくる凪の体温と、柔らかさに。思わず戸惑ってしまった。


「な、凪?」

「蒼太君の気持ちは分かります。……私も、パパとママに心配を掛けさせたくなかったので」

「……」

「中学の頃、友人が出来たんです。……いえ。正確には友人とは呼べませんでしたが」


 凪の言葉に、俺は押し黙った。


「話しかけてくれて、嬉しかったんです。……でも、彼女は不真面目で……私のノートやお金が目当てでした」

「お金って……」

「もちろん貸しませんでしたよ。それ以降、話しかけられる事も……話しかけても無視されるようになりましたが。少しショックを引きずって……電車の中で、色んな人との付き合いを断り続けたのもそれが原因です」

「そう、だったのか」


 心に黒いモヤが掛かったその時。


「ふふ。もう気にしてないんですよ? 蒼太君が居ますし、羽山さん達も居ますから」

「……そうか」


 それなら……と切り替えられれば良かったのだが。俺にそんな事は出来なかった。


「同じ気持ちですよ。今の蒼太君と」

「……」


 凪の言葉に、俺は上手く返せない。何も言えずにただ、凪と見つめ合っていると。凪がさっと視線を逸らした。


「ごめんなさい。少し意地悪な言い方でしたね」

「いや、大丈夫だ」

「蒼太君が話してくれたから。私も話そうって思えたんですよ」


 凪がまた目を合わせてニコリと笑う。

 その細く、綺麗な指が頭に置かれた。


「蒼太君」


 そのまま凪は、俺の名を呼ぶ。

 その瞳はとても優しかった。


「ちょっとでも嫌な事があったら、言ってください。今日みたいな事でも、他の事でも」


 その手が滑り、俺の耳をくすぐった。


「嫌な記憶は私で忘れちゃってください。……全部、私が塗り替えちゃいますから」


 一度、解放されたかと思えば。



 ――額にキスを落とされ、また胸に抱きしめられた。


 とくん、とくん、と。

 凪の鼓動が伝わってくる。

 その音が、そして凪の体温が全身から伝わり。渦巻いていた黒いモヤがどんどん霧散していく。


「……ありがとう」

「どういたしまして、です」


 ここは言葉に甘える事にした。


 腕を、凪の背中に回して。抱きしめる。



「……少しだけ、悔しかったんだ」


 気がつけば。言葉が零れていた。


「無視すれば良い。波を立てずにいれば、相手は飽きていなくなる。昔から分かっていたのに。今日は、『本当にそれで良いのか』って自分に問いかけてしまった」


 黒いモヤがなくなった代わりに。その脆さが露呈してしまう。


 凪にはかっこいい所を見せたいのに。どうしてか、どんどんと言葉は零れ落ちていく。


「『こんな姿、凪や瑛二達に見られても何も思わないのか』って。……そう、思ってしまったんだ」


 自分が情けない。

 こんな事、言ったところでどうにもならないと分かっているのに。

 ただ、凪に嫌な思いをさせるだけだと分かっていたのに。


「蒼太君」

「結局俺は……何も言えなかった」


 それが、悔しかった。


「蒼太君。もう、無視しないでください」

「ッ、ああ。悪――」



 優しげな瞳が覗き込んできて。俺の言葉を遮り――



 唇を、重ねられた。


 それは、一瞬の事だというのに。

 ……それだけで、他の事なんてどうでもよくなってしまう。

 脳が、幸せで満たされていく。


「ふふ」


 唇を離して。また、俺を胸に抱きながら。凪は笑う。


「私、嬉しいんですよ。きっと、今までの蒼太君なら話してくれなかったはずですから」


 言葉通り。その目尻は落ち、口の端が持ち上がっていて。とても嬉しそうに見えた。


「こうした事もちゃんと話してくれて。私を信じてくれて。……大好きですよ」


 その言葉の一つ一つが。心を暖めていく。元気を与えてくれる。


 でも、と。凪は手を止めた。


「もし、その方々に次会ってしまったら。私がやっつけちゃいますからね」


 笑い混じりにそう言ってくれたのだが……その目は笑っていなかった。


 少しだけ、部屋の気温が下がったような気がして。凪の高校で起きた事を思い出し、苦笑した。


「……俺だって」


 喋る事が出来るように。少しだけ顔を離し、凪を見る。


「もし、また凪を弄ぶような人が現れたら。……やっつけるよ」

「ふふ。よろしくお願いします」


 それだけ言って。俺は元の場所に戻る。凪の心臓の音がよく聞こえた。


 凪の手が優しく。俺の頭を撫でてくれる。いつもと立場が逆転しているが。


 思わず、また頼んでしまいそうな程には……良かった。


 俺達は夕食に呼ばれるまで、そうしていたのだった。


 ◆◆◆


「す、少しだけ緊張しますね」

「……そうだな」


 夕食を食べ終え、風呂も入って……もちろん別々で。


 その後に部屋へと戻った。後はもう寝るだけなのだが、不思議と緊張してしまった。


 別に、今日する訳ではない。さすがに父さんと母さんがいる家では出来ない。


 だから、ただ寝るだけである。……しかし。色々といつもと違う事がある。


 一番の違いは、ベッドがシングルベッドだからだ。俺が小学生の時から使ってるやつである。父さんが買い換えるか聞いてくれたが、使う日が短いからと断っていたのである。


 それと、小さい頃から寝泊まりしていた部屋で凪も寝るのだと考えてしまうと……緊張してしまっていた。


「凪は……いつも奥だもんな」

「は、はい」


 ベッドは壁に部屋の角の方に備え付けられている。凪が先にベッドに寝転がり、布団を被った。


「入るぞ」

「は、はい」


 続いて、俺も寝転がる。……やはり少し狭く、凪の肩や手が当たった。


 凪は桃色でもこもこの暖かそうなパジャマを来ていた。その触れる感覚が少し気持ち良い。


「……蒼太君、狭そうですね」

「いや。これくらい大丈夫だぞ」


 凪の言葉に笑い……凪は少し考え込んだ後に。


「えいっ」


 俺に抱きついた。

 もこもこな感覚と……その中にある柔らかい感触に全身が包まれる。


「な、凪?」

「……こうすれば、蒼太君がベッドから落ちちゃう事もありませんし。お布団も被れますから」


 凪の言う通り、これなら布団がずれる事もないだろう。

 しかし。


「い、色々。当たってて、だな」

「……今更、です」

「それは、そう……なんだが」


 気恥ずかしくなって、顔が火照ってしまう。


 凪の頭は俺の首くらいの位置にあって。上目遣いで、俺を見てきていた。



 ドクン、ドクンと。凪の心臓の音と俺の心臓の音が重なる。


「寝れるか、不安だ」

「ふふ。私もです。ドキドキ、しちゃってます」


 凪はそう小さく呟いて。俺の首肩に顔を埋める。


「でも、どこか。安心しちゃいます」

「……少し、体勢変えるぞ」


 元々俺は仰向けになっていた。凪に一度手を離してもらい、俺は――


 凪の方を向いて。その体を抱きしめた。


「……!」


 凪は一瞬驚いた顔をした後に。顔を輝かせ、俺を抱き締め返してくれた。


「小さい頃。本当に小さい頃の話なんだが」


 腕の中に凪の体温を感じながら。小さく呟く。


「父さんと母さんと寝る時は、こうして抱きしめて貰っていたんだ。……だから、俺も少しだけ。安心してる」


 小学校に上がってしばらくしてからは恥ずかしくなり、やって貰わなくなったのだが。


 凪はくすりと笑った。


「私も小さい頃は、ぬいぐるみと一緒じゃないと寝られませんでしたね」

「……一人で寝るようになった後も、抱き枕がないと寝られなかったな」

「ふふ。一緒です。……今では私が抱き枕ですね」

「凪にも俺が居るからな」

「はい!」


 凪がぎゅっと、力強く。

 俺を抱きしめて、首筋へ顔を埋めた。


「……明日は一緒に出かけような」

「色んなところ、行ってみたいです。蒼太君がよく行っていた所とか、学校とかも。中には入れないとは思いますが、見てみたいです」

「ああ。行ってみよう」


 まだまだ時間はある。……色々な場所へ行けるだろう。


「……完全に言うタイミングを逃していたが。凪も今日はよく頑張ったな」

「はい! 無事許して貰えました!」

「本当に、よく頑張ったと思うぞ」


 頭を撫でると、凪はくすぐったそうに笑った。


 そして、その後も色々な話をしていると。

 段々、凪の声が小さくなっていった。眠いのだろう。


「おやすみ、凪」

「……おやすみなさい」


 すう、すうと。すぐに寝息が聞こえ始めた。しばらくの間、眠る彼女を眺めてから。小さく呟く。


「大好きだぞ、凪」


 綺麗で、可愛くて……愛らしい凪が。

 優しく……強い凪が。



 今日あった嫌な事なんて、全て忘れてしまった。全部、全部凪のお陰だ。



「……私も、だいすきですよ」


 寝言なのか、まだ聞こえていたのか分からない。でも、どちらでも構わない。……どちらでも嬉しいから。



 そして、気がつくと。俺は自分の意識が落ちていくのを感じた。




 夢の中でも凪に会えますようにと。そう願いながら。俺は意識を落としたのだった。

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