第61話 母は見た
しばらく車が走った後、ある家の駐車場へと止まった。
キャリーバッグを持って車から降りてから、その家をしっかりと視界に収める。
「ここが、蒼太君のお家なんですね」
二階まである、綺麗な一軒家だった。
「凪の家に比べれば全然小さいけどな」
「それでも、なんだか……暖かい感じがして好きですよ」
私の家は少し広すぎるかもしれない。お手伝いさんが居ないと機能しないくらいだ。
お父様が仕事の関係上、権威? などを示す為に買ったものらしいけど。
改めてもう一度、蒼太君達の家を見る。
蒼太君の育った家。……嫌いになるはずがない。
蒼太君の手に手を重ね、お義父様とお義母様についていった。お二人もニコニコとずっと楽しそうにしている。
玄関の隣には小さな鉢植えがいくつも置かれていて、パンジーが咲いていた。確か寒さにも強い花だったと思う。
「母さんの趣味なんだ。花を育てるの」
「そうなのよ。裏の方で育てて、季節の花なんかをこうして玄関に飾るの。楽しいのよ?」
「とても素敵な趣味だと思います!」
花というものはとても愛らしい。ずっと眺めたくなってしまう。
その気持ちをどうにか押し止め……後で蒼太君と二人で眺めたいな。でも寒いからな、とか考えていると、お義母様が扉を開いた。
「それじゃあ改めて――」
二人が玄関へと入り、くるりとこちらを向いて。
「「おかえり、蒼太。いらっしゃい、凪ちゃん」」
二人は口を揃えて、そう言った。蒼太君が小さく笑って。
「ああ。ただいま」
小さく。……しかし、感慨深そうに呟かれた言葉。
その口は緩んでいて。瞳には暖かい光が点っていて。
とても、嬉しそうだった。
「短い間ですが、お世話になります」
私は小さくお辞儀をした。すると、お二人は微笑み。
「次からは凪ちゃんにも『おかえり』って言うわよ?」
「蒼太のお嫁さんになるならもう家族だ。遠慮せず、自分の家にいるように過ごしてくれていい。……難しいかもしれないけど」
その言葉がまた、嬉しくて。
「はい!」
私は力強く頷いたのだった。
◆◆◆
ぎしり、ぎしりと。音を立てながら、階段を上がる。
手を洗ったら先に荷物を置いてきたら? と言われたのだ。その際に聞かれた。
『寝る場所、どうする? 一応客室も空いてるけど』
私は即座に返した。
『蒼太君の部屋に泊まります』
と。
「あー。俺の部屋、ベッド小さいぞ? シングルベッドだし」
「そ、蒼太君と近づいて寝られるという事ですよね」
あのベッドよりも小さいのなら……もっと近くで蒼太君を感じられる。
「それなら。だ、大歓迎です」
蒼太君は私の言葉を聞いて……顔を真っ赤にした。
「……そうか」
小さく呟かれた言葉には拒絶の意思など微塵も篭っていなくて。
また、嬉しくなったのだった。
◆◆◆
「ここが蒼太君のお部屋なんですね」
「ああ。向こうの寝室に比べると狭いけどな。色々物を置いてるから」
蒼太君の言う通り、あちらに比べると少し小さめの部屋に思えた。
ベッドに勉強机。クローゼットが二つと本棚。
でも、決して狭い訳ではない。
「まあ、ずっとこの部屋に居る訳でもないからな。勉強もここではなくカフェや図書館でやれば良いし。ちょっとだけ我慢してくれ」
「いえ! こっちが良いと言ったのは私ですし! それに、良い経験にもなりますから!」
一緒の部屋に暮らす。……それが良い事だけではない、という事も理解している。
いつか、一緒に暮らす事になるのなら。
今、二人で部屋を共にするのは良い経験になるはずだ。
元々あっちでも蒼太君の部屋で眠る事はあったので、あまり変わらないのかもしれないけど。
「……分かった。それと、多分そこのクローゼットが凪のだと思う。元々俺が使ってたのはこっちだしな」
「よ、用意して貰ったんですか!?」
「多分そうだな、このクローゼットは初めて見る。……後で父さん達にお礼言いに行こう」
「はい!」
蒼太君へそう返事をして、荷物を片付ける。
そうは言っても、そんなに多い訳ではない。着替えと生活用品、そして勉強道具くらいだ。
クローゼットのスペースが一つ空いたので、そこに勉強道具と生活用品を入れる。
そうして片付け、一息つく。
「勉強机と本棚も自由に使って良いからな」
「は、はい。……良いんですか?」
「ん? ああ。好きに使ってくれ」
ちらりと蒼太君を見た後に……本棚を見る。
「ほ、本当に大丈夫ですか?」
「ん? ああ」
「……え、えっちな本とか。ないですか?」
「な、ない! ないから!」
蒼太君が慌てた様子で首を振る。……ほんとにないのかな。
思えば、蒼太君の家にもそういうものはなかった気がする。……隠すのが上手いのかな、とか思っていたのだけど。
「そ、そういうのはないから。というか親が居るのに残していかないから」
「……そうですか。ごめんなさい、不躾な事を聞いて」
かなりプライバシーに関わる事だ。迂闊に聞く事ではなかった。
「い、いや。別に良いんだが。少し驚いただけだ。……凪がそういう事を言うなんて」
「羽山さんと西沢さんに聞きまして。そういう所から趣向を調べるべきだと」
「あの二人……」
「それと。ベッドの下よりも引き出しが二重底になっていたり、本のカバーの中をチェックした方が良いとも」
「妙にリアルだな。何を教えてるんだよ、本当に。……ないからな?」
蒼太君のこの様子だと、本当にないようだった。西沢さんが言ってたけど、もしかしたら紙ではなく電子派なのかもしれない。
勝手にスマートフォンを触る訳にもいかないので、これくらいにしておこう。
ふと、勉強机の上に目を向けると。写真立てがいくつか置かれていた。
「ん……ああ。小学校と中学校の入学式と卒業式の写真だな」
「可愛いです。この時の蒼太君も」
まだ小さくて。中学生の時もまだ幼さが残っていて。
でも――
「今の蒼太君は、かっこよくて可愛いですよ?」
今の蒼太君はまた違った良さがある。上手く言語化する事は難しいけど……。
「私は今の蒼太君が、大好きですから」
好きだ、という気持ちは隠したくない。……少し恥ずかしいけれど。
言葉にしないと伝わらないから。……調べたら、熟年離婚の原因にもなりかねないらしい。愛が冷めるとか。
だから、私は最低でも一日に一回蒼太君に言うようにしている。
……勢い余って何回も言ってしまうのは許して欲しい。一回では私が物足りなくなってしまうのだ。
「で、でも。それはそれとして、蒼太君ともっと小さい頃に知り合えたら、とは思いますけどね」
火照った熱を逃がしながら、蒼太君へとそう伝える。
「……そうだな」
蒼太君は小さく笑い、その写真を見た。
ふと、頭の中に疑問が
「蒼太君ってどんな学校生活を送ってたんですか?」
「前話さなかったか? 普通の生活だぞ。友人は居なかったが」
「聞きましたが……概要というか、大まかにしか聞いてなかったので」
せっかく蒼太君の故郷に来たのだから、蒼太君についてもっと知りたい。
もちろん、本人が話したくないのなら無理強いはしないけれど。
「休日とか、どう過ごしてたんですか?」
「……そうだな。小さい頃は父さんと近所の公園に遊びに行っていたな。中学生に上がる頃は家族と映画とか見に行ったり、釣りに行ったりしたな」
良い意味で蒼太君らしい言葉に、口の端から笑みが零れてしまった。
「蒼太君。お義父様とお義母様の事、大好きですよね」
「……そうだな。否定はしない。あの二人も二人だが」
「ふふ」
先程のやり取りを思い出し、思わず笑ってしまう。
「まあ。俺の事を考えてくれてるのは事実だ。父さんが過干渉気味だったから、あの高校に進学した訳だしな」
「……そうだったんですか?」
思わぬ言葉に私は首を傾げた。それと同時に、どうしてあの高校に進学したのか、とか聞いていなかった事を思い出した。
「ああ。近かったら気軽に会いに来れるからな。それと、俺も環境を変えたかったんだ。場所が変われば誰かしら友人が出来るかもしれないってな。実際それは成功した」
巻坂君の事だろう。確かに、と私は頷いた。
「一応あの辺に父さんの知り合いも居てな。元警察の人で、何かあればその人に頼れば良いと言われていた。……歩いて数分とかの距離でもないし、あまり会ってはいないけどな」
「そういう事でしたか」
色々と謎が解けてスッキリした。
「一人暮らしをするからと、色々母さんから習ってはいたんだ。……料理はどうも得意でなかったが」
あの部屋が綺麗だったことにも納得がいく。
うんうんと何度も頷いていると、蒼太君が笑った。その耳は赤くなっていた。
「大変な事も多かったが、良い事はたくさんあった。さっき言った友人。瑛二の事もそうだが……一番は、凪に会えた事だな」
少し恥ずかしそうに頬をかく蒼太君。でも、その瞳はまっすぐと私に向いていて。
頬に熱が帯びていくのを自分で感じられた。それと一緒に、幸せな気持ちが溢れだしてきて。
「えへへ」
頬が緩んでしまった。だらしない顔を見せそうになって、手で隠す。
「私も、蒼太君に会えて良かったですよ」
私はそのままベッドに座り、蒼太君にもたれかかった。
蒼太君の匂いがする。大好きな匂い。
「……蒼太君。いい、ですか」
大好き、という言葉で表せないくらい大好きな時。その時は言葉ではなく、体で表現する。
「……ああ」
蒼太君が言ってくれたのと同時に、私は蒼太君に抱きついた。蒼太君は私を受け入れてくれる。
蒼太君とぎゅっとするのも好き。全身で蒼太君を感じられるから。
自然と、蒼太君も抱きしめてくれる。……大好きだ。
「大好き、です。蒼太君」
「……俺も。大好きだよ」
思わず溢れてしまった言葉にも、蒼太君は応えてくれる。……本当に、大好き。
そのまま私は、蒼太君と唇を重ねる。果物を食べた時のような、甘い痺れが体を襲う。
嬉しい気持ちと、大好きな気持ちが混じりあって、体がポカポカし始める。
ああ、これ。止められない。……止めたくなくなる。
「すき、です。だいすき、です。そうたくん。……あなたにあえて、よかった」
触れ合うだけのキス。大人のキスとは呼べない、簡単なもの。
でも、それだけでも。心が幸せな気持ちでいっぱいになる。
……もし、これ以上の事をしたのなら。私は幸せで壊れてしまうんじゃないか、と不安になってしまうほど。
でも、止められない。
自然と蒼太君の手のひらに手のひらを合わせた。背中から肩に移動していたから、手を握るのは簡単だった。
ぎゅっと、蒼太君の手に力が入る。握り返して、私は呼吸をする短い時間だけ唇を離し、また重ね合わせた。蒼太君は何か話したそうにしていた気がする。
蒼太君の瞳は柔らかくも、何かを訴えかけてきているような気がした。
でも、あとちょっと――あとちょっとだけだから。
その時。
カチャリ、と。扉が開いた。いきなりの事に体が固まってしまう。
「喉乾いたでしょ? 飲み物もってき……た……あら」
恐る恐る振り返ると。……お義母様が立っていた。
「あらあらあらあら。ごめんなさいね。ノックしても出なかったのはそういう事だったのね」
ノックをしていた。……蒼太君が手を握ったり、何かを言おうとしていたのはそういう事だったんだ、と今更ながらに気づく。
「飲み物だけ置いていくわね。……ごゆっくり、ね?」
さささっと飲み物だけ机の上に置いて。お義母様は出ていった。
わ、私……気づいてなかったんだ。蒼太君に夢中になっていて。
「ご、ごごごめんなさい、蒼太君」
「……まあ。なんとなく、どこかでそうなりそうな気はしていたから。大丈夫だ」
顔から血の気が引いていく私の頭を、蒼太君は優しく撫でてくれた。
それから私も反省して、キスをするのは寝る前か家に二人で居る時にしようと決めたのだった。
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