第3章 最終話 第58話 あと一つだけ

「……須坂さん。元気そうで良かった」

「ふふ。須坂さんも蒼太君と話せるって楽しみにしてたんですよ?」


 須坂さんから大量のお土産を渡された。ケーキにチキン、パイなどクリスマスらしいものだ。


 須坂さんは上まで持つと言ってくれたが、さすがにそこまで迷惑は掛けられないので俺が持つ事にしたのだ。上まで着いてきてもらいはしたが。


「ご飯は温めちゃいますから、キッチンにそのまま置いてください」

「ああ。……何を手伝えば良い?」


 自分の家のように振る舞う凪を見て思わず笑顔がこぼれながらも、そう尋ねる。


 凪はふむ、と少し考えた後に……笑った。


「温めるだけですから、待ってる間。おしゃべりしませんか?」

「……ああ、分かった」


 つまりはいつも通りだ。

 このキッチンは凪の主戦場とも呼べる場所なので、俺の出る幕はほとんどない。


 料理が出来ない訳ではない。……一日三回、学校を抜いても二回作るのは中々面倒なのだ。しかも美味しいかどうかは別として、だから。

 今美味しい料理を食べる事が出来るのは凪のお陰だ。本当に感謝しかない。


 だが、それはそれとして。


「いつか、凪と料理作ってみたいな」


 そう口に出すと、凪がきょとんとした顔を向けてきた。

 そして、柔らかく微笑まれる。


「はい! 近いうちに一緒に作りましょう!」


 そんな約束をして。二人で料理を温める間、雑談を始めた。


 なんてことない雑談。家でどんな事があったとか、こんな本が面白かったとか。可愛い猫の動画を見つけたとか。


 そんな事を話す時間は俺にとって、日々の幸せの一つとなっていた。


 ◆◆◆


 テレビからはクリスマスソングが流れている。


 家族で聞いている時はそんなに歌詞に注目していなかった。そのリズムがなんとなく好きだったから聞いていただけだ。


 でも……今聞くと、改めて思う。


「……意外と、失恋の歌も多いんですね」

「そうだな」


 その歌は決して幸せなものだけではない。流行る理由も……なんとなく分かる。


 一歩間違えば、俺は一人でこの歌を聞いていただろうから。


「蒼太君」


 凪に名を呼ばれ、その馬鹿げた思考をかき消す。


 凪が折角吹っ切れたと言うのに俺がこれでは良くない。



 俺の思考は、酷く甘い口付けと共にまっさらに消された。


「そんな顔をしちゃう度に忘れてもらいます。……忘れさせます、全部」


 少しだけ口を離され、凪がそう呟いて。また、唇を押し付けてきた。


 深いキスではない。それなのに、酷く甘い気がした。



 凪の手が滑り、指を絡めて手を握ってくる。もう、絶対に離さないと告げるように。



 何度、その口付けは続いただろうか。呼吸が苦しくなる度に数秒の休憩を挟み、唇が乾くより先に押し付けられる。


 ビターなクリスマスソングが何曲か流れ、明るい曲調に切り替わった頃。やっと、凪の顔が離れた。


 しかしその顔は俺の首筋へと置かれ。腕は背中に回されて、ぎゅっと音が出そうなほど強く抱きしめられていた。


「大好き、です」


 その言葉は小さい。しかし、耳に。心に届いた。


「俺も、大好きだ」


 ケーキとは違う、花の甘い匂いがふわりと漂い。暖かく、そして優しく抱きしめられる。


 そんな時間がしばらく続いたのだった。


 ◆◆◆


 ぶおお、と強い風の音が部屋に響く。その風に凪のしっとりと濡れた髪が靡こうとしていた。


 そのしっとりとした髪に指を通し、水分を飛ばす。凪はくすぐったそうに、そして嬉しそうに身を委ねてきた。



 正直に言う。凄く綺麗だった。


 風呂上がりの凪はまた少し雰囲気が変わる。大人びたものへと。


「……ふふ」


 手が首元に触れ、くすぐったいのか凪が身を震わせながら笑う。しかし、その仕草の一つ一つがどこか艶やかで……心臓が嫌な音を立てた。



 どうにか堪え……髪を乾かし終えた。ホッとしつつ、ドライヤーを置く。


 その頃には凪がカーペットの上からソファの上に場所を移していた。隣に座ると、凪が体を預けてくる。ふわふわでもこもこなパジャマが少し触り心地が良い。


「ふふ。ありがとうございます、蒼太君」

「どういたしまして」


 凪が俺の手を両手で包み込むようにした。そして、手をマッサージするように揉んでいる。


「……楽しいのか?」

「はい!」


 笑顔でそう返され。それなら良いかとその手に視線を移す。


 凪の細く綺麗な指が手のひらをぐにぐにと揉み。人差し指を下から爪の先まで撫でられる。少しくすぐったい。


 指を絡ませて手を握られる。凪の頬がゆるゆるになり、外では決して見せないような笑顔になった。


「……蒼太君の手。おっきくて、優しくて好きです」


 その体温を確かめるように、頬に当てられる。すべすべとして気持ちいい。


「えへへ」


 目が合うと、少し恥ずかしそうに。しかし、それ以上に嬉しそうに笑う。



 大きく息を吐く。そうしなければ、感情が溢れ出しそうだったから。


「――我慢、しなくて良いんですよ?」



 凪の顔が、すぐ目の前にあった。吐息すら交わる距離。その吸い込まれそうな蒼い瞳に視線が行き。次に、小さく端が持ち上がった唇に目を奪われる。



 気がつけば、抱きしめて。唇を重ねていた。



 ほぼ毎日しているのに、慣れる事はない。……いつか、慣れる日が来るのだろうか。



 脳を焼くような甘さに思考が薄く引き伸ばされ、そんな事はどうでもよくなる。


 今はただ、凪の事が愛おしくて仕方がなかった。



 しかし、理性を放り投げる訳にはいかない。一度離れ、酸素を補給しながら理性を回復していると。凪の唇が小さく動いた。


「やっぱり、私。蒼太君とちゅーするの、好きです。……好きだって気持ちが直接流し込まれてるみたいで」


 その言葉の一つ一つが。仕草が、理性を削ってくる。




 ……恐らく。もう、大丈夫だろうと分かってるが。



 嫌われたくないとか、そういう思いもある。……それ以上に大切にしたいという思いも。



 だが、あと一つ。何か引っかかるものがあった。



 じっと、なんとなく凪の顔を見る。凪はとろんとした目のまま、小さく苦笑した


「……バレちゃってましたか」

「バレる、とかではないが……少し、引っかかるものがあってな」


 その正体が何なのか分からない。でも、合っていたらしい。


「私、今日で全部吹っ切れる事が出来ました。もううじうじ悩む事はありません。断言出来ます」


 真面目な表情へと戻り……しかし、距離を取る事なく凪は言う。


「そうか。それなら良かった」

「はい。ですが……一つ、けじめをつけなければいけない事があるんです」

「けじめ?」


 日常生活ではあまり聞き馴染みのない言葉。思わず首を傾げた。


「はい」


 凪は真面目な表情を崩さないまま頷いた。何のけじめなのか、俺もよく分かってないが……。


「分かった」


 今の凪なら大丈夫だ。自分の手に負えない事や、悩んでいる事があれば相談してくれる。


 俺でなくとも、宗一郎さんや千恵さん。須坂さんが居る。絶対に大事にはならない。



 しかし。凪は唐突に頬を赤くした。



「で、ですが。その……我慢は、しなくて良いんですよ?」

「――え?」

「わ、私! じ、準備は……いつでも、出来てるので」


 その言葉に思わず固まってしまった。


「が、我慢は良くないです。……い、いっぱいおまたせしましたから」


 続く言葉に俺は意識を取り戻し……一瞬、考えてしまった。


 頬が熱くなり、凪の瞳を見る事が出来なくなってしまった。


「ま、まだ……大丈夫だ。嫌とかではなく、だな。その……」


 上手く頭が回らない。そんな中でもどうにか自分の思いを口にする。


「……したい、というのはある。もう、覚悟は決まってるから」


 まだ十六歳だから、とか。心の準備が出来てないとかの言い訳はしたくない。


 婚前交渉がどうの、とか。そういう時代でもなくなってきているのだから。……いや、凪が望むのならそれでも良いのだが。


 とにかく。そこの壁はもう突破している。しかし……。


「どうせなら、その凪のやる事も全て終わってからが良い。それに、俺も我慢してない……と言うと嘘になるが」


 凪の頬に触れる。凪の体温が伝わってきた。


「こうして凪と触れ合えるだけで満足出来てるから。気にしなくて良い」

「……ありがとうございます」


 凪は柔らかく微笑んだ。


 ここで断って良かったのかという思いはあった。でも……大丈夫そうだ。


「では、そちらの方が終われば……お知らせしますね」

「あ、ああ」


 凪がくすりと笑い、耳に口を寄せてきた。



「もしかしたら、私の方が我慢出来なくなるかもしれませんが」


 ミシリと、理性が軋む音がした。


「それでは。台所の方、片付けてきますね」

「あ、ああ。いや、俺がやるぞ?」

「いえいえ。私がやりたいだけですから。すぐに終わりますので待っててください」


 そう言って凪は俺から離れ、立ち上がった。追い討ちが来なくて良かったと安心していると、凪があ、と声を出して立ち止まった。


「台所、片付けたら……二人でお部屋、行きましょうね?」


 他意はないのだろう。もう、凪は寝る時間だから。


「……ああ。分かった」


 そう言いながらも、俺は片手で顔を覆っていた。油断した時にこれだと。




 指の隙間から見えた凪の顔は、真っ赤だった。



 ◆◇◆


「ふわぁ……っ、」


 目が覚めると。目の前に蒼太君の顔があって、少し驚いてしまった。昨日は泊まったのだとぼんやりと思い出す。


「……楽しかったなぁ」


 寝る前に蒼太君とおしゃべりをして。ぎゅってして、キスもして。


 気がつけば眠っていた。

 薄れる意識の中、蒼太君の『おやすみ』という声は覚えていたけど。


 念の為…………念の為、装いを確認する。


「……さ、さすがに触ってません、ね」


 服装が乱れている事もなかった。蒼太君はしないと分かっていたけど、ほんの少しだけ残念に思ってしまった。


「……っ、ち、違います。べ、別に期待していた訳では」


 それではまるで変態さんだ。熱くなる頬を手の甲で冷やして。もう一度、自分の体を見た。


「むぅ。でも、ちょっとくらいなら触っても良いのに」


 少し前まではこんなもの、大きくて不要だと思っていた。あの時は恨みさえした。


 ……でも、蒼太君と出会ってからその考えは変わった。

 どちらかと言うと顔を合わせる機会の方が多いけど、確かに蒼太君は意識してくれているから。


 そこまで考えて私は首を振った。


「……もうすぐ、です」


 あと一つだけ。けじめをつけなければいけない。





 ――蒼太君のお父様とお母様に謝らなければいけない。


 あれだけ蒼太君を愛して、大切に育ててくださったお二人に。何も言わず、何事もなかったかのように接するなどあってはならない。将来の事を考えれば尚更。


 例え、許してくれなくても。婚約を認めてくれなくても、私は許してくれるまで謝罪をするつもりだ。


 そして、許しをいただいた際には――


「あと少しだけ。待っててくださいね」


 これさえ終われば、もうなんの心配もなくなる。



 蒼太君を見ると、まだすやすやと眠っていた。その髪に指で触れると、くすぐったそうに身をよじる。


「大好きですよ、蒼太君」


 小さく呟いて、その額に口付けをする。



 蒼太君を幸せにするために。


 私が幸せになるために。



「誰よりも、貴方の事を愛しています」



 今も幸せだ。


 でも、もっと幸せになれる。幸せに出来るはずだ。


 蒼太君と一緒なら。









 第3章 氷砂糖姫<~完~>

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