第54話 クリスマスの朝
「髪も……大丈夫。服も問題なし」
鏡で寝癖がないか入念にチェックする。まだオシャレについてはよく分かっていないが、おかしな格好はしていないはずだ。
「時間も大丈夫だろうな。さすがに」
待ち合わせは九時にいつもの場所。今の時間は七時。まだまだ余裕がある――はずだ。
「……いつもなら今行っても居そうなものだが。昨日、約束したもんな」
『明日。というか、これからはちゃんと時間通りに待ち合わせしましょう。どちらかが先に来てもう一人が待って体を冷やし、風邪を引いてしまってはいけませんから』
と言われたのだ。ごもっともである。
しかし、時間があるならば丁度いい。心がザワザワとしているので、スマホでデート時にやってはいけない事を調べる。
「……そうは言っても、当たり前の事がほとんどなんだが」
凪に嫌われたくない。だから、会っている時は凪が嫌な思いをする言動をしていないか、自然と注意を払うようになった。普段からなるべく気をつけるようにしているが、凪の時は入念に。
もちろん苦にならない程度に、である。
「将来を考えるなら、なるべく素でいた方が良いだろうしな」
自分を取り繕うのは簡単だ。かっこ悪い所を絶対に凪に見せない事も……かなり注意を払う事になるだろうが、出来ない事はないだろう。
しかし――いつか、限界が来てしまうはずだ。
小さなヒビはやがて器を破壊する。
そして、壊れた器は修復が難しい。時間もかかる。
我慢が続けば続くほど、壊れた際の被害は大きいはずだ。
「……最初の頃、凪に似たような話をしたんだったな」
色々と考えていると懐かしい事を思い出した。自然と頬が緩んでいく。
「あの頃の凪は……今より一歩引いていた感じはあったな。根っこは変わらないが」
そもそも友人になって一ヶ月経ったか経ってないかで『頭を撫でて褒めて欲しい』と言ってくるのだ。
距離感がおかしかった。……まあ、仕方ない事だと今では思うが。
「……俺で良かった」
もし、俺ではない他の誰かが凪の傍に居たら。
そんな事を考えるだけで黒いものが内から湧き上がりそうになり、ふうと息を吐いてそれを抑える。
「長いように見えたが、短くも見えるか」
あれから三ヶ月。男女が交際するには短いとも長いとも言える。結局は人によって変わるのだが。
「さて。あまり考え事に没頭するのも良くないか」
親しき仲にも礼儀あり。しかし、無理はしないと結論を出して俺は一度思考をリセットした。
とはいえ、時間はある。
今日の予定を再確認し、部屋を軽く見てまわり、掃除がいらない事を確認して。
九時丁度に待ち合わせ場所に間に合うよう、家を出たのだった。
◆◆◆
ガタンゴトン、と揺れる電車の中。俺は外を眺める。
外は曇り。
予報では、雪が降るかもしれないとか。
『もうすぐ着く』と送れば、凪から『私ももうすぐです』と来る。
駅に着いた瞬間。
ホームにやって来る人影が目に入った。
電車が止まり、扉が開く。
「おはようございます、蒼太君」
「ああ。おはよう、凪」
凪が電車に入り込む。入口の方から少し移動し、改めて凪を見た。
黒いスウェットにロングダウンコート。そして、厚い生地の青いロングスカートを履いている。
電車の中は外に比べて格段に暖かい。凪はもこもこな耳あてを外した。
「ふう。今日は冷えますね」
「ああ。そうらしいな」
凪と視線が絡む。その瞳は優しげに俺を見ていた。
「よく似合ってますよ。素敵です」
「凪こそ……その、可愛いと思う。凪の可愛らしさが引き立つ格好というか」
「ふふ。ありがとうございます」
ニコリと凪は微笑む。
それと同時に、周りが少し騒がしくなった。
何事かと視線をそこへ向けると……恋人らしき人物に頬を引っ張られたり、腕を抓られて悲鳴をあげる男達の姿があった。
「……? どうされたんでしょう」
「気にしなくて大丈夫だろう」
凪の可愛さに思わず見蕩れてしまったか。贔屓目抜きにしても。凪は可愛らしく美しいのだから、仕方がないとも言えるが。
それはそれとして思うところはある。
凪に向かう視線が減るように俺は立ち回ったのだった。
◆◆◆
「電車が暖かかったから余計寒く感じるな。……大丈夫か? 凪」
「はい。カイロも持ってますから」
電車から降り、駅を出てそう聞くと。凪がポケットからカイロを取り出してそう言った。
それなら大丈夫かと歩き出そうとすると、袖をちょんちょんと引かれる。
「そ、蒼太君。手、冷たいですよね」
「ん? ああ……まあ」
「そ、それなら。手、繋ぎましょう!」
凪の頬がほんのり赤く染まり。視線をふいっと逸らされる。
「……な、何より、私が嬉しいので。どうでしょうか」
少し伏し目がちにそう言って、両手でカイロを揉む凪。
気がつけば、俺はその手を取っていた。凪は少し驚いた顔を見せ、柔らかく笑った。
凪がカイロをポケットに入れ、その手が俺の手を包み込む。とても暖かい。
「……これくらい温かくなれば、手を繋いだあとも熱が逃げにくいはずですから」
そう言って、凪は片手を離し。もう片方の手を俺の手に重ねる。
そのまま凪が手のひらの位置を調整すれば、俺と凪は手と手を合わせたような形になる。
「やっぱり蒼太君の手、大きいですね」
「……別に、男子の中じゃ普通だと思うぞ」
「そうなんですか?」
凪はそう聞いて。……ニコリと微笑む。
「でも、私にはあまり関係ありませんね。……私の知ってる男の人の手は、お父様と蒼太君だけで十分です」
凪の指が滑り、俺の指と指との間に入る。
「さあ、行きましょうか。蒼太君。……蒼太君?」
そのまま凪が手を繋ぐ――いわゆる恋人繋ぎと呼ばれるものをしたまま、歩き出そうとする。
しかし、俺は思わず止まっていた。
「……今のは、反則だろ」
顔が熱くなり、思わず凪から顔を逸らしてしまうと、クスリと凪の笑う声が耳に届いた。
しかし、凪は何も言わずに俺が落ち着くのを待ってくれる。
歩き始めるには、十分近くの時間を要したのだった。
◆◆◆
「……! 蒼太君、迷路がリニューアルされたらしいですよ!」
「良かったじゃないか。他にも色々とクリスマス仕様になってるらしいぞ」
入場で並んでいる間にパンフレットを二人で見ていた。
迷路は特に凪が気に入ってそうだったので、新しくなっていると聞いて俺も少し嬉しくなる。
しかし、凪がハッと何かに気づいた様子で俺を見た。
「……あ。こ、今回は一人で考えないで、ちゃんと蒼太君と二人で挑みますからね!」
「別に気にしなくて良いぞ。真剣な凪の表情は見ていて飽きないからな」
「そうなんですか?」
「ああ。凪の真剣な表情はかっこよくて……普段とのギャップが凄いからな」
頭に?を浮かべる凪へそう説明をすると。凪は「それなら」と、顔を近づけてきた。
「余計、一人でクリアする訳にはいかなくなりましたね。……私も蒼太君のかっこいい所、見たいですから」
すぐ目の前に凪の綺麗な顔があり、その顔が少しイタズラっぽく笑う。
「ふふ。楽しみにしてますね?」
「……得意とは言えないが。頑張ってはみる」
「はい!」
ワクワクと、楽しそうにする凪。
――前に来た時とは明らかに違って。何も心残りがない、澄んだ表情をしていた。
気がつけば俺も笑顔になっていて、遊園地で他に何のアトラクションで遊ぼうかと楽しみになっていたのだった。
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