第51話 あの日の事

「ね、ねえねえ。あの【氷姫】とどんな話するの?」

「お、俺も気になるな」


 やはり日常が帰ってくるにはもう少し時間がかかりそうであった。

 さすがに昨日に比べて人は減ったし、増えたところで瑛二が「氷姫を怒らせても知らないぞ」と助けてくれるから問題はない。


 そして、昼。


「……改めて考えるとお前も凄いよな。昨日の今日で向こうにもカチコミに行くって」

「お昼は凪の弁当じゃないと落ち着かないからな」

「ちゃんと胃袋掴まれてんな。……まあ、俺も人の事は言えないが」


 瑛二が取り出したのは青い弁当箱。見慣れないそれに、俺は疑問を持った。


「弁当。作って貰ってるのか?」

「ああ。お前ら二人に触発されたらしくてな。作ってくれるならってありがたく貰ったんだよ」

「へえ。良かったじゃないか」


 しかし、感謝の気持ちは忘れないようにしないと。定期的に俺も何かするべきだろうか。考えておこう。


「そういえば。来週の初めで学校は終わりだよな。今週末は何かやるのか? いや、さすがに遊びに誘ったりしないが」

「……あぁ。クリスマスか」


 最近色々あって忘れていたが、もう今週末はクリスマスであった。


「ん? その様子だとまだ予定は決めてない感じか?」

「そうだな。……家族と過ごすか俺と過ごすのかは分からないが。ああ、そうだ。先に言っておくが、冬休みは実家に帰るからな。凪と一緒に」

「……サラッと受け流すには大きなイベントがあるな。俺らでもまだ両親への顔合わせしてねえぞ」


 驚く瑛二に俺は苦笑した。


「まあ、婚約者だからな。……俺も結構重いんだよ。凪の人生をめちゃくちゃにした自覚はあるし、その責任まで取りたいと思ってるしな」

「別にそれは良いだろ。つか重いのはお互い様だろうがよ。それに、生活に不満さえなければ今はそれで良いだろ。高校から付き合った人と結婚って珍しいケースに見えるけど探せば居るだろうしな」


 その言葉に俺は頷いた。


「それもそうだな。ちなみに瑛二はクリスマス、二人でどこか行くのか?」

「おお。朝からカラオケ行って、夜はちょっと遠出でイルミネーションを見に行くつもりだ。……で、多分泊まりかな。霧香の親とは面識あるし」

「……そうか」


 イルミネーションもありだな。凪は行った事あるのだろうか。いや、まずは色々相談しないとな。ぼっちでクリスマスという事も考えて……いや、それはないか。

 それならば、凪は「家に来て」と言うだろう。


「……あ」

「どうした?」

「クリスマスプレゼント。全く決めてなかった。……さすがに瑛二に相談も出来ないしな。気にしないでくれ」

「ああ。貰って嬉しいのは人それぞれだしな。……てか何贈っても喜ばれるんじゃねえか?」

「……それはそうかもしれないが。適当に選ぶ訳にはいかないだろ。まあ、どうにかなる。大丈夫だ」


 パッと候補は思い浮かんだ。いちおう凪にも欲しい物がないか聞かなければいけないな。


 そう思いながら、おかずの卵焼きを口に運ぶのであった。

 いつも通り、お弁当はとても美味しかった。


 ◆◆◆


「〜〜」


 凪は機嫌が良さそうに鼻歌を歌いながら、とんとんとまな板の上で野菜を切っていた。俺は横の方で、そんな凪を眺めていた。


 エプロンに身を包まれた凪の姿は非常に家庭的である。髪は一つにまとめてポニーテールになっていて、凪が体を揺り動かす度にそれがふわふわと揺れる。なんとなくそれをじっと見ていると、凪がチラリとこちらを見てきた。


 視線が絡み、その瞳に柔らかい日差しが差した。凪が包丁を置いて、手を洗い。タオルで拭ってから俺に近づいてきた。


「したくなっちゃったので。一回目、お願いします」

 凪の手がそっと俺の胸に置かれる。そのまま凪は自然に背伸びをして。


 柔らかい唇を重ねてきた。


 甘い匂いがふわりと漂い、そのサラサラな髪が一瞬靡く。

 少しひんやりとした手が俺の鼓動を捉え。唇から凪の体温が伝わってくる。


 凪の蒼い瞳が俺を見つめる。その目が嬉しそうに細められた。


 しかし、その時間は数秒のこと。凪が名残惜しそうに唇を離して、背伸びをやめた。


「……蒼太君の心臓。すっごくドキドキしてます」

「い、いきなりは心臓に悪いから。もう少し心の準備を――」


 俺が言うより早く、凪が俺の手を取り。……鼓動が感じられる場所に押し付けてきた。ぐにゅりと、そこが形を変える。


「な、凪……何を」

「私も。ドキドキしてるんですよ?」


 その柔らかな感触の奥から、とくとくと確かに鼓動を感じる。しかし……


「凪。これは、その。良くないというか」


 鼓動を感じられる場所。それは当然心臓に近い場所な訳で……


 その手に伝わってくる柔らかい感触に悶えながら凪を見ると、顔を真っ赤にしながらも微笑まれた。


「わ、私も……その、蒼太君の鼓動を感じるのが好きですから。おあいこです」

「お、おあいこって言ってもな……」

「……それとも」


 凪がふっと視線を逸らす。


「……嫌、だったでしょうか」


 俺は思わず、目を瞑った。


 そうでもしなければ、頭がどうにかなりそうだったから。


 俺は頭を振って雑念を消そうとする。しかし、中々消えてくれない。


「い、嫌とかではなく、だな。……我慢が出来なくなるから」


 どうにかそう告げると。やっと凪は俺の手を離してくれた。そして、少しむくれた顔をしてぷいっとそっぽを向いて。


「……我慢、しなくていいのに」


 そう、小さく呟いた。

 俺の心臓がドクリと嫌な音を立てる。


 落ち着け。落ち着くんだ、俺。


 自分の胸に手を当てる。先程まで凪に触れていた手であり……思わず、先程まで感じていた彼女の鼓動と自分の鼓動を重ねてしまった。ドクドクと心臓が早鐘を打つ。



 そうして――俺も、凪も。落ち着くには十分ほど時間を要したのだった。


 ◆◆◆


 どうにか、夕ご飯を食べる頃にはいつも通りに戻っていた。気がつけば凪と元通りになっているのは良い事……だと思う。いや、ふとした時に思い出して恥ずかしくなってしまうのだが。


「どうでしょう?」

「ああ、美味しい。すっごく」

 今日の晩御飯は魚の煮付けとお味噌汁、ほうれん草のおひたしである。


 どれもとても美味しい。凪にしっかりとそう伝えると、嬉しそうに笑った。


「良かったです!」


 そうして二人で晩御飯を食べながら、色々な話をした。


 友人との会話から授業の何気ない事まで。話題が尽きる事はなかった。


 そうして話して……食べ終わってもお皿を片付けてから話して。


 俺は前から気になっていた事を聞こうと思った。


「凪。少し聞きたい事があるんだが良いか?」

「なんですか?」


 俺の雰囲気を感じ取ってか、凪の表情が固くなる。


「話したくなければ話さなくていい。……その。元お見合い相手の会社とはどうなったんだ?」


 あの日、本当ならば凪とお見合いをする予定だった――名前は確か。


「南川さんの事ですよね」

「ああ、その人だ。……無理に聞くつもりはないが」

「いえ、大丈夫です。パパが上手く取り成してくれましたから」


 そして、凪からその後の事を聞いた。


 宗一郎さんは仕事のスキルが高いが、その中でも交渉力がずば抜けているらしい。


 南川さんの所に向かい、一から十まで全てを説明。自分の不手際を認めた上で、交渉に交渉を重ねた。

 その結果……色々と賠償金などのやり取りはあったものの、宗一郎さんが経営する会社への負担はそこまで大きくないそうだ。


「……ですが、パパの事ですから。話していない事はあるかもしれません」

「責任を感じさせないように、か」

「はい。ですが、今すぐパパやママが話してくれるとは思いませんし、話も難しいものが出てくるかもしれません。いつか、時が来れば話してくれると信じます」

「……そうだな。それが良いと思う」


 当然俺も無関係じゃない。というか色々とぶち壊した張本人なのだ。


「……俺も改めてお礼と謝罪に行かないとな」

「ダメです」


 しかし、俺の言葉は凪に止められた。


「今回は私達家族の問題に蒼太君を巻き込む形になったんです。それでも、蒼太君は私を……私達を助けてくれました。仲直りをさせてくれました。蒼太君が謝ることは何も無いんです。……色々と片付けてくれたパパにお礼を言いたいのなら、そっちは構いませんが。謝るのはダメです」


 最初こそ驚いたが、凪が言うのなら……そうした方が良いのかもしれない。


「分かった。お礼は言いに行こう。どちらにしても、宗一郎さん達とは近いうちに会って話しておきたかったしな。親交を深めるという意味でも」

「年末年始までは忙しいはずです。蒼太君の家に行くのであまり関係はありませんが。冬休み後なら問題ないと思います。話しておきますね」

「ありがとう」


 と、話していると良い時間になってきた。


「それでは……本当は今日も泊まっていきたい所ですが。最近はパパもママも居間で待ってくれてるので、帰りますね」

「ああ、了解だ。……凪。最後に二つ良いか?」

「はい? なんでしょうか」


 立ち上がる凪を引き止め……少しの間の後に、俺は凪の目をじっと見た。


「クリスマス。凪はどうするんだ? ……どうしたい?」

「蒼太君と一緒に居ますよ」


 一瞬の間を置く事もなく、凪はそう返してきた。そのままニコリと微笑み、柔らかい眼差しを向けてくる。


「蒼太君と一緒に居たいです」

「……そ、そうか」


 直球でぶつけられたその言葉に俺は一瞬固まってしまった。

 そして、凪はじっと。真剣な表情で見つめてきた。


「クリスマス。行きたい所があるんですが。良いでしょうか」

「……なんだ? まだ決めてなかったし、どこでも大丈夫だぞ」


 そう返すも――凪はいきなり押し黙った。


 じっと俺を見ていたはずの視線が下へ行き。その手がぐっと握られた。


「凪」


 俺はそんな凪を呼び、近づく。


 手を取り、その拳を解きほぐして手を握った。


「凪」


 もう一度名前を呼ぶと。凪はやっと視線を上げていた。

 その顔は酷く緊張していて……怯えにも似た感情が伝わってきた。


「何でも言って欲しい。全部、受け止めるから」


 そう言うと、凪は小さく頷いて。



「やり直したいんです。あの遊園地での事を」


 そう、言ったのだった。

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