第49話 独占欲と暴走
それから俺の体調はどんどん回復した。次の日にはいつも通りになっていたが、念の為に休む事にしたのだ。
さすがに凪には学校に行ってもらおう……と思っていたのだが。
『今日まではお世話します。洗濯や料理など、やる事はいっぱいありますから。ここで無理をしてぶり返すといけませんし』
と、断られたのだ。勉強の方が心配であったが、羽山に後でノートを見せてもらいたいと頼んだそうだ。
加えて、元々予習もしていたから大丈夫だと。宗一郎さん達も了承してくれたらしい。
ちなみに俺も瑛二から今度ノートを見せてもらう予定だ。瑛二もちゃんとノートを取る人間だから本当に良かった。
二日目も暖かいスープなどのお腹に優しい物を食べて。それに加えて凪の看病もあって、ほぼ全快する事が出来たのだった。
◆◆◆
「よーっす。生きてたか?」
「ああ、瑛二。おはよう。どうにか生き延びたぞ」
教室に入ると、真っ先に瑛二が挨拶をしてくる。いきなり肩まで組んできた。
「……治ったとは言えまだ病み上がりだ。そんなに近づかない方が良いぞ」
「ん? ああ。その前に一つ良いか」
そう言って瑛二は耳に口を寄せて。
「お前ら二人が付き合ったっていう噂が流れてる。土曜に遊園地に向かってるのを見た奴が居るらしくてな。どうする?」
小声でそう聞いてきた。
「どうするって……どうするかな」
少し俺は考える。凪に相談して決めた方が良いのかと。
「ちなみに俺としては公表するのがオススメだ。向こうに変な虫が近寄る事も少なくなるだろうしな」
「そうしよう」
普段の凪……【氷姫】の頃は発せられる圧が凄まじく、話しかけられる人は限られていた。
まあ、それでも話しかける人が後を絶たないほど凪は綺麗なのだが。
だからこそ、少し不安になった。
もし凪が……普段のあの様子を見せてしまったら。
考えるだけでも恐ろしい。凪が怖い目に遭わないか不安だ。
それに……俺が嫌だ。
「お前ってアレだよな。身内にはとことん甘いよな」
「元々交友関係が狭い。その内側くらいは大切にしたいだけだ」
わざわざ言葉にはしないが、当然その内には瑛二も含まれている。色々世話になっているし。
「ま、そうだろうとは思ってたが。んじゃ俺も。もし聞かれたら広めとくぞ」
「ああ、頼む」
そして、瑛二が離れた瞬間。一人の女子生徒が近づいてきた。よく教室で他の女子生徒とおしゃべりをしている子だ。友達も多かった気がする。
「ね、ねえ、海以君。あの【氷姫】と付き合ってるってほんと?」
その言葉に俺は一瞬喉を詰まらせてしまった。
……早いな。こんなにすぐ来るか。
先に瑛二から聞いておいてよかったと、ホッと息を吐きながら。俺は頷いた。
「ああ、本当だぞ」
「ほんと!?」
次の瞬間、教室がうるさくなった。歓声を上げる女子と嘆く男子の二分割である。
そして、女子達が続々と立ち上がり。近づいてきた。
「いつからいつから!?」
「どうやってあの氷姫と仲良くなったの?」
「出会いは?」
「どっちから告白したの?」
息をもつかせぬ怒涛の質問に俺は一瞬目が回った。瑛二を見るが、面白そうに見返されるのみ。
「良かったじゃねえか。モテ期が来て」
「お前なぁ……」
どうしようかと考えている間にも質問は飛んでくる。
「も、もうちゅーとかしたの!?」
「全然想像つかないけど……手とか繋いだ?」
俺の頬が自然とひくつき……ため息を吐いた。
これはしばらく解放して貰えなさそうだ。答えられる範囲だけ答えよう。
ニヤニヤと俺を見ている瑛二は……何か企んでいるようにも見えて、少し不穏であった。
◆◆◆
「ねえねえ、海以君。今から私達でカラオケ行くんだけど一緒に来ない? まだ話も聞きたいしさ」
驚くことに、質問責めは放課後まで続いた。代わる代わるに質問を繰り返され。もちろん男子生徒からもあったのだが、それ以上に女子が強く。果てにはこんな事まで言われた。
「いや、放課後は用事があるんだ」
さすがにこれだけ続くと鬱陶しくなってきた。さっさと凪の所へ向かおうとカバンを背負う。
「あ、ちょっと待ってよ。もうちょい、もうちょっとだけ聞かせて?」
「私もー」
「あ、俺も聞きたい」
その言葉にうんざりしながらも……校門を出るまでだと自分に言い聞かせる。今追い払った所で新しく第二波第三波が来るだけだ。
そうして答えられる質問のみを答えて校門へ向かうと――
どこか既視感を覚えた。なんだろうと思い出そうとしていると……その人集りが割れた。
「……凪?」
まるで波を割るように現れたのは凪であった。またもや既視感である。
それに気づくと同時に、俺は背中に冷や汗をかいた。
今。俺の周りには凪の知らない人が多い。しかも、少し……いや。パッと見ても女子の方が多いと分かる。
不貞を働いてはいないが。凪にとっては面白くない光景だろう。
「蒼太君」
「は、はい」
ピシャリと。凪が俺を呼んだ。自然と俺の背筋もまっすぐに伸びてしまう。
凪がちょいちょいと俺を手招く。俺は凪の傍へ歩く。さすがに空気を読んでいるのか、周りに居た生徒はそこで立ち止まっている。
「隣、立ってください」
凪に言われた通り、横に並ぶ。すると……
「……えいっ!」
凪が、俺の左腕をぎゅっと。胸に抱いた。
「ッ!? な、凪!?」
「……こうでもしないと。彼らは分かりませんから」
凪が小さく呟いて。辺りを見渡した。
「蒼太君は私の婚約者です」
決して大きくない声。しかし、その声はとても聞きやすく。
「ええ!?」
「まじ!?」
「婚約者!? 恋人とか通り越して!?」
途端に辺りはざわめき立った。
いきなりの事に戸惑いながら凪を見るも……凪はまだじっと。真っ赤な顔で辺りを見渡している。
「ですから」
またも大きくない声。しかし驚くほどその声は通り、すぐに周りは静かになった。
「蒼太君は私の――私が幸せにしますから。変にちょっかいを掛けようとか……絶対に思わないでくださいね」
普段よりワントーン落とした声。怒っている……と言うよりは確かな圧を感じた。
しかし――凪の言葉には歓声が返ってきた。
キャーキャーと女子生徒が騒いでいる。さすがに目の前に居る彼女達はそんな事をしていないが。
「蒼太君は魅力的な方ですから。こっちも大変な事になってましたので。行った方が良いだろうと羽山さんに言われて来たんです」
「……そうだったのか」
遠くで瑛二がこちらを見てピースサインを出してるが。元凶はあいつのようだ。
「ですが。ちょっとこれ、顔が保たないかもしれません」
「……どういう事だ?」
凪と顔を合わせると。凪は電車の中で見せていた真顔である。
……いや。ひくひくとその頬は動いていた。
「その、ですね。蒼太君の傍に居ると自然と頬が緩むようになってしまいまして」
「そんなパブロフの犬みたいな……」
しかし、このままだとまずい。この注目された中で凪の笑顔は印象が崩れたり……いや。それは別に良いのか?
……でも、俺がなんとなく嫌だな。
俺は目を瞑り……
「凪」
「なんでしょう」
「ちょっと隠すぞ」
凪の顔を俺の胸に埋めるように抱きしめた。更に女子の歓声が大きくなる。
「瑛二」
「私の方が早いよん」
「西沢!? いつから……というかどこから!?」
瑛二を呼ぼうとしたが、どこからか西沢も現れた。
「なんとなーく騒ぎになりそうだなって瑛二から聞いたからね」
「私も居るよ」
「羽山……はそうか。凪を送ってきてくれたのか」
「そゆこと。さ、もうそろそろ騒ぎで先生とか来ちゃいそうだから。私があの人集りどうにかするから着いてきて」
「瑛二も手伝ってよねー!」
「もちろん」
気がつけば、瑛二も近寄ってきて……どうにか先生が来る前に脱出する事が出来たのだった。
……明日からがまた少し怖かったが。まあ大丈夫だろうと俺は胸の中に居る凪の頭を自然と撫でていたのだった。
◆◆◆
「……ご、ご迷惑をお掛けしました」
「いや……まあ、俺もだな。最終的にかなり目立つ事になってしまった。すまない」
「いきなり抱きついた時はどうしたのかと思ったけどな」
高校から離れ。やっと俺達は暴走気味だったと悟った。
いくらなんでもあれはないだろう。公衆の面前でハグって……。
「まあ、これでみのりんが取られる事は……まあ元々ないだろうけど。ちょっかい掛けられる事はなくなったんじゃない?」
「確かに元の目的は果たせましたが……」
凪が顔を真っ赤にしてそう言うと。羽山がニヤリと笑った。
「じゃあ次は海以君にうちの高校来て同じ事やってもらわないと、ね?」
「……! は、恥ずかしくておかしくなっちゃいます! ……い、いえ。嬉しいんですが」
「さ、さすがにそんな勇気は……」
いや、しかし。それで良いのだろうか。凪にちょっかいを掛けてくる男子が減るならやるべきか……?
「ま、あれはやりすぎだが。牽制というか、付き合ってるのがほんとだって示すために一回ぐらい行っても良いかもな」
「……そうだな」
「そ、蒼太君!?」
「凪が俺を心配してくれたように。俺も凪が心配なんだ。……まあ、今すぐとは言わないが」
向こうにとって俺は誰なのか分からない人が多い。下手すれば『そんな奴より俺の方が良いじゃん』とか言い出すやつも…………まあ、居ないとは言えない。確率はとても低いだろうが。
そんな事を考えていると。凪が赤くなった頬を手で覆った。
「凪がどうしても嫌ならやめておくが」
「い、いえ。嫌とかではなく。……その逆と言いますか。蒼太君が迎えに来てくれるって考えたら。つい嬉しくなっちゃって」
ちらりと俺を見て。えへへと照れくさそうに笑う凪。
……本当に。
「こんな姿、誰かに見せられない……いや。見せたくないな」
まさか、自分がここまで独占欲が強いとは思っていなかった。
溜息を吐いていると、凪が俺の肩に顔を置いて。
「お互い様ですよ」
と、小さく呟いたのだった。
しかし――まさか、あんなに早く凪の高校へ行く日が来ようとは。この時の俺は思いもしなかったのだった。
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