第48話 凪の看病は刺激が強い
「ふむ……風邪ですね。恐らく、極度に緊張状態が続いた事が免疫力を低下させたのだと思われます。風邪薬を飲んで一日か二日ゆっくり休めば治りますよ」
「ありがとうございます」
凪達が会話をしているのを、俺はボーッと眺めていた。
頭痛とだるさが凄い。熱は38度あった。
どうやらお医者さんは凪……東雲家のかかりつけ医らしい。六十代ぐらいの優しそうな女性だ。東雲家で倒れた時もこの人が見てくれたとか。
「それではお大事に」
「ありがとうございます」
お医者さんはそのまま帰って行き。凪が見送った後、部屋まで戻ってきた。
「ありがとう、凪。……それとすまないな。もう高校遅刻だろ」
「いえ。元はと言えば私が原因ですから。……それとですね」
凪がベッドの端にすわり。俺の手を取った。少しひんやりしていて心地いい。
「今日、学校休む事にしちゃいました」
「……俺のため、か」
「はい。今日は私が看病します」
凪がニコリと微笑みそう言ってくれるが……俺は首を振った。
「これ以上凪に迷惑は掛けられない」
「家族に掛けるものは迷惑じゃなくて心配です。……迷惑だなんて微塵も思っていませんから、そんな言い方はやめてください」
凪の手が優しく俺の手の甲を摩った。そのまま凪は言葉を続ける。
「一人暮らしで風邪を引いちゃうと大変だとママから聞きました。……それに」
凪の手が額を優しく撫でてくる。冷たくて心地良く、目を瞑ってしまう。
「経験則、ですが。体調が悪い時って寂しくなるんです。誰かに傍に居て欲しい。手を握っていて欲しい、と」
そのひんやりとした手が滑り。頬に手の甲が当てられた。
目を開けると、すぐ傍に凪の端正な顔立ちが見えた。
「……風邪、伝染るぞ」
「ふふ。……昨日あんなにいっぱいキスしたのに言うんですか?」
凪の言葉に俺は苦笑した。
「確かにそうだな」
「はい。……もしかしたら私が気づかないうちにかかっていて、蒼太君に伝染した可能性もありますし」
凪は俺の手を包み込むように一度ぎゅっと握ってから立ち上がった。
「蒼太君。食欲はありそうですか? 一口でも構いません」
「……少しなら」
「分かりました。先程須坂さんにリンゴを持ってきて貰ったので剥いちゃいましょうね。少し待っ――」
凪が歩こうとして――ピタリと止まった。
「……ふふ」
その口から笑みが零れ、柔らかい瞳を俺に向けてきた。
それと同時に手をぎゅっと握り返され……あれ?
その時俺は気づいた。自分が手を伸ばし、凪の手を握っていた事に。
――まるで。寂しいから行かないで欲しいとでも言いたそうに。
いや。まるで、と言うのは間違いだ。少なからず……俺はそう、思ってしまっているのだから。
「大丈夫ですよ、蒼太君。すぐに戻ってきますから。……あ。こっちでリンゴ剥いちゃいましょうか」
「……頼む」
どうやら、想像以上に俺は弱ってしまったらしい。
凪はニコリと微笑み。「はい!」と元気よく頷いたのだった。
◆◆◆
しゃり、しゃり、と耳心地の良い澄んだ音が部屋に響く。
「はい、出来ました。蒼太君、あーんしてください」
お皿に移したリンゴを凪が指で摘んで俺に差し出してきた。
俺は座ろうか迷い……まだ少し視界がふらついていたので、横向きになって口を開いた。
リンゴを齧ると、爽やかな甘さが口いっぱいに広がる。この冷たさも気持ちいい。
「美味しいですか?」
「ああ。甘くて美味しい」
そのまま何度も凪が口に運んでくれる。少し恥ずかしかったが……それ以上に嬉しかった。
「……ふふ、良かったです」
凪は微笑み、また何度もリンゴを口へと運んでくれる。
毎度そうしてくれるのはさぞ手間がかかる事だろう。リンゴも剥いてくれたのだ。
その事に申し訳なく思っていたが……凪が楽しそうに俺を見ていて。俺も思わず見つめ返していた。
「……? ああ、ごめんなさい。えっとですね。不謹慎なんですが……その」
凪がえへへと恥ずかしそうに笑い。その口から柔らかな音色を紡いだ。
「いつもは私が甘えてばかりだったので。こうして蒼太君のお世話が出来るのが少し新鮮で……嬉しくて」
「……普段から結構甘えている気はするが」
「でも、まだ少し遠慮してますよね?」
「それは……」
確かにそうなのだが。遠慮と言うよりはまだ気恥しさが残るというか。
「良いんですよ」
そんな俺の唇にリンゴが当てられた。
「今日は私がいっぱいお世話しますから。蒼太君は思う存分甘えてください! 何でも言ってくださいね!」
「……ありがとう」
そう言って、おれはまたリンゴを齧った。口の中に甘酸っぱい味が広がって――
「はい! どういたしまして!」
凪の笑顔とその言葉を聞いていると、自然と気分も良くなってきたのだった。
◆◆◆
「……うた君、蒼太君」
薬を飲み、また眠っていると。凪に意識を掬い起こされた。
「……凪? どうかしたか?」
「ごめんなさい、起こしてしまって。ですが、寝汗が酷く、このままだとまた体を冷やしてしまうと思いまして」
凪に言われて起き上がると……ああ。本当に汗が凄いな。背中とか汗びっしょりだ。
「念の為タオルを敷いてて正解でしたね。……それと、汗で気持ち悪いはずなのでタオルとお湯も持ってきました。体調はどうでしょう?」
「さっきよりは全然良い。……本調子には遠く及ばないが。ありがとう、凪」
俺が座ると。凪も隣に座ってきた。……ええと。
「凪?」
「という事で脱いでください」
「……はい?」
凪の言葉が上手く耳に入らず。いや、ちゃんと聞こえはしたが、脳が追いつかず。俺は聞き返した。
さすがに聞き間違えだろう。
しかし、そんな俺の考えは――
「それとも私が脱がせた方が良いですか?」
その言葉と共に否定される事となった。
場に沈黙が訪れる。すると、凪が「あっ」と声を漏らし。段々と顔を赤くしていった。
「い、いえ。変な意味は…………ありませんよ?」
「その間が気になるんだが」
「……ちょっと気になっちゃいました。その。蒼太君って結構逞しい体つきをしてますから」
正直に言う凪。思わず笑ってしまった。凪は俺を見て慌てながら説明を続ける。
「そ、それに。さすがに全部脱いで貰おうとかは思ってませんよ? 背中とかは拭きにくいでしょうし。病人は安静にするべきですから」
「あ、ああ。……さすがに全裸は俺も恥ずかしいしな」
上だけでも脱ぐのは恥ずかしくはあるが……まあ、嫌悪感とかはない。
「じゃあ頼んでも良いか?」
「はい! もちろんです!」
俺としても、少し汗が気持ち悪かった。少し目眩がしつつも、凪に支えられながらパジャマを脱ぐ。こんな時だと言うのに、凪との距離が縮まって甘い香りがしてきた。
それと同時に、俺も……少し恥ずかしくなってきた。
「悪いな。汗臭いだろ」
「いえ。蒼太君のなら不快に思ったりしませんよ。本当に。……嫌いどころか、好き――」
凪が更に顔を近づけ。あっと声を漏らして首をぶんぶんと振った。
「い、いえ! 今のは違います! そ、その……違いますからね!」
「あ、ああ。大丈夫、分かってるから」
「うぅ……」
凪が顔を赤くして顔で隠してしまった。その指の隙間から蒼い瞳が覗いてくる。
「……蒼太君は」
小さな呟き。しかし、この部屋は静かなのでしっかりと聞こえる。
「そ、蒼太君は。私がはしたない子で……へ、変態さんだったとしても。嫌いになったりしませんか?」
俺の視界がぐらりと揺れ……背中の方に畳まれたタオルへ寄りかかる。
「そ、蒼太君!?」
「凪。悪いが熱が上がりそうな事は言わないで欲しい。……ドキドキするから」
「ご、ごめんなさい……?」
つい凪にそんな事を言ってしまって。俺は座り直した。
「……それと。俺が凪を嫌いになる事はないからな」
「は、はい! 私もです! それじゃあ体。拭いていきますね?」
「頼む」
凪がお湯に漬けたタオルを搾り、俺は凪へ背中を向ける。
熱い、しかし熱すぎないタオルが背中に押し当てられた。
そのまま優しく背中が擦られる。
「どうでしょう……? もっと強い方が良いですかね?」
「ああ、もう少し……それくらいだ。ありがとう」
良いぐらいの力強さで背中を擦られる。とても気持ち良い。
タオルが冷めてくると、凪はまたお湯に漬けて絞り、拭いてくれる。
「……こうして触れると。蒼太君の背中って大きいですね」
「そうか?」
「はい。……蒼太君が元気ならここにもたれ掛かってみたいですね」
「元気になったら、な。いつでも良いぞ」
そうして会話をしながら拭いて貰うと、凪が今度は俺の腕を取った。
「手までは拭いちゃいましょうね。意外と拭きにくい場所ですから」
「ああ、助かる」
凪が肩から腕。そして、手を拭いてくれる。
「……蒼太君。結構筋肉質なんですね」
凪が楽しそうに拭いている。丁寧に、優しく。手は指と指の間まで。少しくすぐったい。
すると、いきなり凪が手のひらを重ね合わせてきた。
「……おっきいです」
ちょっとした好奇心なのだろう。おお、と凪が声を上げて、
指を絡ませてぎゅっと握ってきた。
「……これ。蒼太君が強く感じられて好きです」
またぐらりと視界が歪む。
凪の微笑みが、そしてその仕草の一つ一つが心臓に悪すぎる。
「ご、ごめんなさい!?」
「……ああ。凪はもっと自分が可愛いって事を理解してくれ」
そんなハプニングがありながらも凪に手まで拭いて貰って。
凪に替えの服を持ってきて貰う間に俺は前と下の方は拭き終えて、すっきりしたのであった。
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