第45話 凪の罠
凪にいきなり泊まりたいと言われ、俺は慌てた。
「ま、待て。泊まるって荷物は――あ」
そう言葉にしながらも、俺は思い出した。
凪は荷物を――学校に行く時のカバンを持っていた事に。
「……はい、お泊まり用の荷物もあります」
「だ、だが。宗一郎さん達に話は」
「ママに言いました。……というか、ママに言われたんです。『今日泊まってきたらどうですか? パパには言っておきますから。それと、普段使うシャンプーや歯ブラシなどももう用意をしておきましたよ』と」
「……という事は」
「はい! 先程ママから連絡がありまして! 無事お父様の許可も降りました!」
ぱあっと眩い笑顔を見せる凪。俺が断る事など微塵も考えていないようで……
実際、断る事など出来るはずもなく。
「分かった、良いぞ」
そう言えば。凪の顔が向日葵のように更に明るく輝くのだった。
……大丈夫。俺の理性が保てば大丈夫だ。大丈夫のはずだから。
◆◆◆
「そ、蒼太君」
片付けなどを終えた頃。また凪がほんのりと頬を赤く染めていた。何かを言いたいのだろう。
「お、お風呂。お借りしたいんですが。お先に入ってもよろしいでしょうか」
「ん? ああ、もちろん。今沸かすから待っててくれ」
そう言って立ち上がると。また凪に「蒼太君」と呼ばれた。
「え、えっとですね。……もう一つ、お願いがありまして」
「……?」
もじもじと。少し恥ずかしそうに凪は俺を見る。先程の事ではなくこちらが本命だったかと、俺は続く言葉を待った。
「じ、実はですね。ホラー映画が思ってたより怖くて。それと、その。水場は霊を呼びやすいと昔、聞いた事がありまして」
「……ああ。そういえば俺も聞いた事があったな」
少し嫌な予感がして、背中に冷や汗をかいた。
「で、出来れば。……私がお風呂に入っている間。近くでお話相手になって欲しいんです」
その言葉に――俺はホッとした。
一緒に入って欲しいなどと言われるかと。一瞬でも思ってしまったから。
いや、俺は何を考えているんだ。いくら凪でもそんな事をいうはずが――
「ほ、ほんとなら。いっ、一緒に入って欲しいんですが。さ、さすがに。……ちょっと恥ずかしいので」
……ちょっとなのか。
ああもう、だめだ。……少し残念だと思ってしまっている自分が嫌だ。
しかし――まあ。
「それくらいなら。全然良いぞ」
「ほ、ほんとですか!」
「ああ。となると、俺は脱衣所の方で話す事になるが」
「はい! お願いします!」
別に話し相手になるくらいは問題ないだろう。
俺は頷き、改めてお湯を沸かすスイッチを押しに向かったのだった。
◆◆◆
しゅるり、という衣の擦れる音が耳に悪い。……変にドキドキしてしまう。
衣擦れの音が終わり。ガラガラと扉が開く。浴室への入口は左右開閉式の扉だからだ。
「は、入って大丈夫ですよ」
その声を聞いて。ガラガラと扉が閉まる音が聞こえたのを確認してから、俺は脱衣所に入った。
「……あ」
俺は即座に背を向けた。
ガラスは曇りガラスである。しかし、完全に見えない訳ではなく。うっすらと中の方が見えてしまう。
凪の体のラインが分かってしまう。……だから、俺は背を向けたのだ。
そのまま後ろ向きで少しずつ歩き、浴室の隣の棚の前まで来る。
ああもう。心臓がうるさい。
目を瞑り、他の事を考え――
「そ、蒼太君? ちゃ、ちゃんと居ますよね?」
「あ、ああ。居るぞ」
られなかった。そうだ。俺が来た理由は凪と話すためなのだ。
「え、えっと。じゃあまず……頭を洗いますので。その、申し訳ありませんが」
「俺が話し続けておけば良いんだよな?」
「はい。……お願いします」
「了解だ」
俺は落ち着くために一度ふうと息を吐き。シャワーの音に負けないよう、いつもより少しだけ大きな声で話しかける。
「そうだな。……じゃあ、これからの話をしよう」
何を話そうか迷ったが。俺はそう言った。
これからの事。それはもちろん――
「俺。凪と行きたい所がたくさんあるんだ」
楽しい事だ。
「この前。凪と初めて勉強会をした時に行ったカフェもまた行きたいし。もし凪の出る公演会があるならそこも行きたい。……他にもだな」
少し、迷いながらも。俺は話す事にした。
「いつか。俺の家――実家にも一緒に来て欲しい。そこそこ田舎ではあるが、悪くない場所だ。母さんも父さんも良い人だから。父さんも母さんから話は聞いているだろうが、ちゃんと凪の紹介もしたい」
一度話し始めれば、ぽんぽんと話題が浮かんできた。
実家での事から。……続いて、昔の事。友人は少なかったが、それでも楽しかった事など。
それらを話していると――凪は頭を洗い終えたらしい。
「――蒼太君」
「あ、終わったか」
「はい。……その、一つ質問なんですが。蒼太君って年末はどう過ごされるんですか? 帰省されるのでしょうか?」
「そうだな。そうしないと母さん達がこっちに来かねないからその予定だ」
俺がそう返すと。暫し、シャワーの音だけが耳に入った。何かを考えているのだろうか。
しかし、それも数秒の事。凪はすぐに話し始めた。
「――私もお供してよろしいでしょうか」
シャワーの音と同じくらいの大きさの声。……しかし、凪の言葉は澄んでいて聞き取りやすいから当然耳に入る。
その言葉に俺は驚いた。
「いや、でも……良いのか? 宗一郎さん達は」
「大丈夫です。でも、出来れば。来年は反対に蒼太君には私の家で年末を過ごして欲しいです。もちろん、お父様やお母様も一緒で構いませんし」
……それは悪くないな。
まだ高校生になったばかりで何を言う、と言われそうだが。俺は凪の婚約者であり。当然将来は結婚したいと考えている。
父さんや母さんを宗一郎さん達と一度会わせてみたい気持ちもあったのだ。
「……分かった」
「本当ですか!?」
「ああ。ただし、宗一郎さん達に相談する事。それと、家族との時間もこれからは作って欲しい」
「もちろんです! パパもママも須坂さんも大好きですから!」
その言葉に思わず笑顔になりながら。話を続ける。
凪がそのまま体を洗い、湯船に浸かる。それからも話していると――
俺は気づいてしまった。
洗濯カゴに丁寧に畳まれた――凪の衣服に。
丁寧に畳まれた衣服の上には真っ白な――
「蒼太君? どうしたんですか?」
その言葉に俺の意識が取り戻される。
「な、なんでも、ない」
少し声が上擦ってしまった。俺は目を瞑り――どうにか意識を落ち着け――られない。
とりあえず。俺は無理やり視線を逸らしながら、棚からタオルを取り出す。
そのまま俺はそこに視線を向けないようにしながら――洗濯カゴの上にタオルを敷いて、それを隠した。
「そ、そうだ、凪。凪は年末年始、普段どう過ごしているんだ?」
それから凪との会話に戻りながらも――俺は。
先程見えてしまったそれの事が頭から離れず。心臓がずっと嫌な音を立てていたのだった。
◆◆◆
どうにか。どうにか落ち着けた……と思いたい。
いや、思いこめ。大丈夫だと。
凪が服を着るのを外で待ちながら。何度も煩悩を消そうと頭を振った。
少しして、凪が出てくる。その顔は――真っ赤であった。
「み、見ました?」
「……なるべく見ないようにはした」
嘘はつきたくない。というか、タオルをかけている時点で気づいているという事なのだから。
凪が顔を真っ赤にして……じっと、俺の顔を見てきた。
「……そうですか」
怒っているようには見えない。恥ずかしそうにしていて……
ああもう。顔が熱い。
顔を隠そうにも隠せない俺を見て。
凪が一瞬だけ。本当に一瞬だけ、嬉しそうな顔をしているのが見えた――気がした。
これ以上は考えるなと思いながら。凪は何も言わず、くるりと横を向いて歩き始め。
俺は、ふわりと凪から漂ってくるシャンプーの甘い花のような香りにまた心臓がドキリと跳ねさせるのだった。
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