第32話 氷姫のお手伝いさん&氷姫にご褒美

「海以蒼太様。貴方にお伝えしたい事がありまして。お時間はよろしいでしょうか」

「は、はい……大丈夫ですが」


 一度瑛二達を見る。彼らも居て良いのかと思っていると、その女性は頷いた。


「もちろんご友人の方々も一緒で構いません。そんなにお時間は取らせませんので」

「分かりました」


 しかし、ここはまだ人が多い。会場から外に出て、駐車場の端の方へ向かった。そこには自動販売機とベンチがあるのだ。


 幸い、そこに人は居なかった。


「さて。まず初めに、海以様。お嬢様と仲良くなっていただき……そして、助けていただきありがとうございます」


 そう言って、須坂さんは深々と頭を下げた。俺は色々な意味で驚いてしまった。


「い、いや、えっと、その。凪から……凪さんから話を?」

「ご安心ください。海以様方の話を聞いたのは私だけです。それと、普段の呼び方と喋りやすい話し方で問題ありませんよ」


 その時俺は思い出した。


 確か、俺に弁当を作ると言ってきた時。お手伝いさんには話すみたいな事を言っていたような……。


 こほん、と咳払いをする須坂さんに俺は意識を戻した。


「もう一つ。お礼を言いたい事がありまして。お嬢様が今日、本来の実力を発揮できたのは海以様のお陰です。ありがとうございます」

「……俺の?」

「はい。お嬢様が時。視線の先に居たのは海以様でした」


 ……なるほど。だから俺だって分かったのか。


 いや待て。


「で、ですが。俺の隣にも友人は居ましたし、近いだけで別の所を見ていたとかは考えなかったんですか?」

「いいえ、考えませんでした。……もう一つ理由がありまして」


 須坂さんはニコリと柔らかく笑いながら。


「海以様はあの会場に居た誰よりも……誰よりも、お嬢様に見蕩れていました。ですから分かったんですよ」

「ッ……」


 その言葉に俺の顔が熱くなった。後ろで瑛二達がニヤニヤしているのが見なくても分かる。


「お礼を申し上げたかったのです。あんなに楽しそうな……昔のように話していただけるお嬢様は何年ぶりだったでしょうか」


 そう言う須坂さんの表情はどこか遠くを見つめていた。

 かと思えば、須坂さんはじっと。真面目な表情で俺を見てきた。


「そして、厚かましいと思われるでしょうが。一つ、お願いがありまして」

「……? なんでしょうか」


 お願い、と言われてもピンと来ない。須坂さんはそんな俺に説明をしてくれた。


「お嬢様は旦那様と奥様……お父様とお母様に大変感謝しております。自身を拾っていただき、その上大切に育てていただいた事への感謝の念を強く抱いております」

「……ああ。一度、聞いた事があります。両親からは愛情を持って育てられたと言ってました」


 俺の言葉に須坂さんは深く頷き……少し難しそうな表情をした。


「もちろん、お二方もお嬢様の事を同様に愛されております。ですが、年頃の娘との付き合い方は難しく。旦那様の行動が裏目に出たり、お二方ともお仕事が忙しく。すれ違う事が多々あります」

「なるほど」


 凪は確か一人っ子だったはずだし。年頃の子が難しいという事もなんとなく……本当になんとなくだが分かる。


「特にお父様は不器用でして。お仕事に関して右に出る者は居ないのですが……いえ、これ以上は話がずれてしまいますね。申し訳ありません」

「大丈夫ですよ。凪から両親の事はあまり聞いた事がなかったので」


 あまり深く踏み込むのはなと思い、凪に聞いた事は少なかった。……というか。本当に聞いた事がなかったな。


「ありがとうございます。ですが、これ以上貴重なお時間を取らせるわけにはいきませんから」


 そう言って、須坂さんはまたじっと俺を見た。


「まだ、修正が可能な綻びではありますが。いつか、旦那様はお嬢様と大きくすれ違ってしまうかもしれません。そうなれば、お嬢様が深く傷付く事も十分に有り得る事でしょう。それを旦那様や私に言う事も……顔に出す事すらしないはずです。その時は海以様とご友人の皆様に。お嬢様の。凪様の支えとなって欲しいのです」


 俺だけでなく。後ろにいた羽山達にまで視線を移し、須坂さんはそう言った。

 俺はその言葉に深く頷く。


「凪が困っているのなら助けます。必ず支えになります」

「はい! 私も!」

「俺達はまだ会って日は浅いですけど。何かあれば力になりますよ」

「東雲ちゃんとはもっと仲良くなりたいですし! 力になります!」


 俺に続いて、羽山達もそう言った。それを聞いた須坂さんは……ハンカチを取り出し、目元を拭った。


「申し訳ありません。歳のせいか、最近は涙脆くなっていまして。……もちろん私もお嬢様の力になりますので」


 ハンカチを元の場所に戻し、須坂さんはニコリと笑う。


「本日は本当にありがとうございました。まだお嬢様から口止めされているので、海以様の事は旦那様方には話せていませんが。いつかお会いになってください。きっと、喜ぶはずです」

「は、はい。分かりました」


 そうだ。……いつかは会わなければいけない。まあ、その時はその時に考えよう。


「こちらこそありがとうございました。それでは、また」

「はい。近いうちに会える事を心より望んでいます」


 そうして、須坂さんと別れた。帰りは瑛二達にからかわれながらも……無事、帰る事が出来たのだった。


 ◆◆◆


「あ、あの! ご褒美を! 頂きたいです!」


 次の日。学校から帰ってすぐに凪がそう言った。毎週月曜日は華道の習い事らしいのだが、昨日は大きな公演会だったのでお休みらしい。


「き、昨日頑張ったので……だ、だめでしょうか?」

「だめなんて事はないが。膝枕か? それとも別のご褒美か?」


 この言い方だと普段の……頭を撫でるものとは別だろう。


 そう思って聞くと、凪は顔を真っ赤にした。


「ひ、膝枕で……お願いします」

「ああ、分かった。手を洗ったらすぐしよう」


 凪と共に洗面所へ行って手を洗う。そして、寝室へと向かった。


 荷物を置いてベッドへ座る。そんな俺の隣に凪は座った。


「そ、それでは失礼します」

「ああ、どうぞ」


 凪がぽすりと頭を乗せてきた。今日は上向きである。


 その頭に手を置き。……そっと、もう片方の手で手を握った。


 凪は一瞬口を丸くして驚き……顔を綻ばせた。


「……えへへ。暖かいです」

 その顔に俺も思わず笑顔になりながら。頭を撫でる。


「昨日の公演会、な」


 俺がそう呟き始めると。凪はニコニコとしながら俺を見てきた。……可愛い。


「凄く。凄く良かった。実際に日本舞踊を見るのは初めてだったが、引き込まれた。本当に、行ってよかったと思う」

「ふふ。楽しんでいただけたなら何よりです。皆さん、すっごく綺麗でしたよね?」

「ああ。凄く綺麗だった」


 俺がそう返すと、凪が少しムッとなった。その頭を優しく撫でながら。俺はじっと凪を見た。


「でも、それ以上に。……誰よりも凪が綺麗だったよ」

「……!」


 凪は目を丸くし。……少しずつ、その頬が赤くなっていった。


「そ、そうですか?」

「ああ。凪は元々顔も整ってるし。着物も良く似合っていた。その所作も一つ一つが上品で凪らしかったな」


 俺も言っていて顔が熱くなってきた。……しかし、きちんと伝えなければ。


「凪がこれまで努力してきたんだって事が伝わってきた。本当に……よく頑張ったな、凪」

「……ぁ、ありがとう、ございます」


 凪は顔を真っ赤にしながらも。顔も隠さずにそう返してくれた。


「それに、凄くかっこよかった。扇子を返す所とか、一つ一つの技術が。表現力が凄かった」

「ま、まだあるんですか?」

「もちろん。まだまだあるぞ」


 うぅ、と恥ずかしがる凪に微笑みながら。俺は次々伝えていく。

 こうでもしないと……伝わらないと思ったから。少しずつ、伝えていかなければ。いきなりだと驚いてしまうはずだから。


「――誰よりも綺麗で、踊りも上手で。扇子を開いた後からは特に凄かった。思わず見蕩れてしまうくらいに」

「ぁ、ぁう……」


 あうあうと言葉にならない声を上げる凪に微笑みながら。そのおでこに手を当ててみた。凄く熱い。


「あの公演会の中で一番輝いていた。綺麗だったよ」

「か、からかいすぎです。蒼太君」

「からかってなんかないぞ」


 照れる凪を見るのは楽しいが、全て本心である。

 目をしっかり見てそう伝えれば。凪の耳まで真っ赤になる。


 そして。


「う、うぅ……嬉しいですけど恥ずかしいです」


 そう言って、俺のお腹に顔を埋めてきた。俺はそれを見届けて。上を向いてため息を吐いた。



 ……可愛すぎないか。


 今まで俺、よく我慢出来てたな。本当に。


 そのまましばらく凪が顔を埋めて……ふと、顔を上げた。


「私も、やります」

「……え?」


 主語が無いので俺は一瞬、理解が出来なかった。


「私も、蒼太君の事。膝枕していっぱい褒めます。だから、交代してください」


 俺は思わず……頬をひくつかせたのだった。

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