第31話 氷姫の公演会

「おお、凄い人の数。というかめちゃくちゃ偉そうな人がいっぱいだ」

「うわぁ……すっごい高級そうなスーツ着てる人とか着物着てる人とかたくさん。そういえば東雲ちゃんの家って凄いんだったよね」

「こっちじゃ有名だからね。お父さんが相当な実業家だとか権力を持ってるとかで」


 ついに、凪の出る日本舞踊の公演会が始まる日になった。


 公演会場は人でいっぱいで……見るからに裕福そうな人達が多い印象を受けた。


 幸いにも、俺達のような学生は礼服ではなく制服が多く。そんなに目立つ事もなかった。


「ちゃんとした会場だからあんまりはっちゃけるなよ。特にそこのカップル」

「わぁーってる、わぁーってるから心配すんなって。これでも日本芸能の瑛ちゃんって呼ばれてたんだぜ?」

「瑛二ってばその辺のテストだけ満点だったもんね。ま、瑛二が静かになるのは本当だし。瑛二が静かになったら私も静かになるから安心して」


 それなら……いや、まあ。さすがに瑛二達でも中に入れば騒がなくなるだろう。


「羽山は……まあ大丈夫そうだな」

「私は空気の読める女だからね!」


 自分で言わないで欲しいが。……まあ、あの時の事も黙ってくれているようだし。大丈夫だろう。


 そのまま俺達は受付に行き、中へはいる。座席は指定されていて……なんとなく、冷や汗をかいた。



 近くに凪の家族が居るのかと。


「あ、そーいえば。東雲ちゃんが言ってたけど、東雲ちゃん一家は別の……完全VIP席みたいな所に居るらしいから。向こうもこっちの席がどこなのかまでは分かんないって。一応呼んだ事は言ったらしいけど」

「そうだったのか」


 確かに、この人の多さではお互い見つける事は難しいだろう。


 ホッとしながらも……少し、会ってみたい気持ちはあったので残念でもある。


 そのまま会場に入る。中はシンとしていて誰も喋ったりしていない。


 ……それはそうか。格式高い、というか。日本舞踊を見に来るにはそれなりの教養も求められる。家族で来ているなら尚更騒ぐ人などいないだろう。


 そこからは会話も最低限に、席を見つけて座る。中央より前の席で、かなり舞台が見えやすい位置であった。



 席順は左から西沢、瑛二、俺、羽山である。楽しそうにソワソワとしている瑛二を横目に見ながら、始まるのを待つ。



 二十分ほど待っていると。アナウンスが聞こえ始めた。


 始まる際の前口上みたいなものだ。それを聞いていると……気になる言葉が聞こえてきた。


『また、本日最後を締めくくるのは。人間国宝である市竹いちたけつる様の唯一の弟子、東雲凪様の舞になります』


 思わず俺は瑛二と顔を見合せた。『知ってたのか』と聞いてくる瑛二に俺は首を振る。


 俺は次に羽山を見たが、『知らない』と首を振られた。


 ……市竹つる。名前だけ聞いた事がある。というか、日本舞踊について調べた時に出てきた名前だ。

 人間国宝……そんな人の弟子だったとは知らなかった。


 公演が始まるので、一旦俺達は落ち着き。舞台を見た。


 一つ目の演目は三味線と太鼓の音と共に始まった。



 日本舞踊、と言っても様々だ。凪に聞いたところ、今日行われるのは舞いや踊りを中心としたものだそうだ。


 三味線や鳴り物、笛の音と共に演者が舞い、踊る。

 場合によっては唄と共に。



「……すげぇ」


 隣からそんな声が聞こえてきた。瑛二だ。しかし、咎める事は俺には出来なかった。


 さすが、と言う事すらおこがましいだろう。人間国宝を師に持つ凪が出る公演会なのだから。


 演者の舞は繊細で、気がつけばじっと見てしまう。不思議な魅力があった。


 演目にも寄るらしいが、舞踊をする演者の動きは色々な動作を表すとの事だ。舞いや踊りで物語を表現する、と言った方が良いか。


 凪に少し教えて貰っておいて良かった。分からない動作の方が多いながらも、日常の一幕を再現していると理解出来た。


 そうして、最初の演目が終わり……舞台が暗くなった。


「……すげぇ」


 また、瑛二の小さな呟きが聞こえた。俺も思わず頷いてしまう。


 それからの演目も凄まじいものであった。

 多少齧ってはきたものの、俺は日本舞踊に関しては素人に過ぎない。それでも理解できた。


 演者の舞踊と、楽器を弾く演者のレベルの高さが。


 引き込まれてしまう。その世界に。画面で見るものとは比べ物にならない。



 演者達に会場が支配されていた。


 気がつけば魅入っていて。どんどん演目が進んで行く。

 楽器と共に舞う演目もあれば、演奏が無いまま踊る演目もあった。


 瑛二も、西沢も、羽山も同様で。言葉を発する事なく、ただじっと舞台を見ていた。



『続いてが最後の演目になります』


 だから、そう告げてきたアナウンスの声に俺は驚いてしまった。もう終わりなのかと。

 何時間もあったはずなのに、もうそんなに時間が経っていたのか。


 それと同時に。俺の全身から鳥肌が立った。最後は凪が踊る番なのだ。

 凪があれだけ緊張していたのも頷ける。……あれだけレベルの高い演者達の最後を締めるのだから。



 しかし、彼女が出てきた瞬間。ほんの少しだけ生まれてしまっていた、俺の緊張はなくなった。



 凪は、とても……とても綺麗であった。


 元々肌が白い事もあって、おしろいを塗られていてもほとんど違和感はない。そして、長い白髪は纏められて簪で結われている。


 真っ白な着物に桜の花びらが描かれている着物を着けた彼女は……あの、甘えてくる凪とは全然違った。


 スッと細められた瞳が。きゅっと引き結ばれた口元が。



 ――美しい。


 その言葉が誰よりも似合っていた。


 日本舞踊って白髪でも行けるのか、とか。そんな疑問はない。……黒髪ではこの美しさは引き出せない。白が、凪に一番似合う髪色なのだから。


 そして、演奏は無しに凪は踊り始めた。


 小さく動く首が、そして手足の動作は洗練されている。何処を注目するべきなのかすぐにわかる。


 表現力も凄まじい。その視線が、手の動きで何を表現しているのか。教えられなくても理解出来る。


 先程までもレベルが高い演目だったが……凪の動きは一線を画していた。


 いつになく真剣な表情。こんなに集中している彼女の姿は見た事がなかった。



 ……ああ、綺麗だ。凄く。


 その視線が、一瞬だけ。俺の方を向いた。表情は変わらない。


 しかし、その視線が一瞬だけ柔らかくなったように思えた。次の瞬間。


 その扇子を、胸の前で開いた。


 凪の瞳のように、蒼い。空色と蒼のグラデーションが綺麗な扇子であった。



 雰囲気が、変わった。上手く言葉に出来ないが……



 ――まるで、【氷姫】から【凪】に変わったように見えた。


 ゆっくりと、華麗に扇子を回転させる。ゆっくりであったはずなのに、その手の動きは一見ではどうやっているのか分からない。確か、調べた時に出てきた……要返しであったか。それかもしれない。


 滑らかに返されたその動きは、思わず見蕩れ。ほう、と息を吐いてしまうものだった。


 その後の動きは明らかに変わっていた。扇子はまるで体の一部かのように動く。


 その足や手の動きも変わった。先程より滑らかに。表情は変わっていないのだが……生き生きとしているようにも見えた。


 ……ああ、なるほど。


 凪、緊張していたのか。


 凪の動きが変わり、それと同時に三味線の音が会場に響き始める。

 頭一つ抜けていた動きが、更に練度を増していく。


 これが凪の本領なのだろう。



 俺は思わず笑っていた。


 凪らしさが見えて、嬉しくなってしまったから。

 誰よりも努力家で、優しくて。……綺麗な凪。その全てがこの舞一つに集約されているようで。


 本当に嬉しかった。


 ◆◆◆


「……凄かったな」

「ああ。もう本当に凄かった」


 瑛二の言葉に頷く。周りに歩いている人たちも凪を凄いとか綺麗だったと褒めていて、凄く嬉しかった。


 そんな俺を瑛二がニヤニヤしながら見ていた。


「いやー、蒼太が楽しそうで良かった。まーた『やっぱり住む世界が違う』とか言い出したらどうしようかと」


 瑛二の言葉に俺は苦笑した。


「……正直、最初は思ったぞ。でも、途中から凪らしさが出てきて。凪は【氷姫】じゃなくて凪で。一人の女の子である事には変わらないんだって思ったよ」

「お、おお、そうか。……お前もなんか変わったか?」

「……そうかもな」


 そして。改めて、俺は確信した。


 自分の気持ちに。もう、整理も出来たから――



「貴方が海以蒼太君でしょうか」


 その時、俺は後ろから声を掛けられた。振り向くと……そこには四十代程の女性が立っていた。



「は、はい。そうですが……貴方は?」

「これは失礼しました」


 その女性は綺麗なお辞儀をして、俺を見た。


「私は東雲家の家政婦……そして、凪様の専属のお手伝いをしている須坂翔子すざかしょうこと申します」


 その言葉に俺は固まってしまったのだった。


 ◆◇◆◇◆


 ――とある個室にて。


 一組の親子が向かい合っていた。


「お父様。お願いがあります」


 そう告げたのはスーツを着た好青年である。歳は二十前後程だ。その表情は至って真剣であり……緊張しているのだろう。ぐっと握った拳は汗ばんでいた。


「……なんだ?」


 対して、それに向かい合っていたのは黒い髪をオールバックにした男性。その顔から一切老いは感じられない。


「……最後の演目で踊っていた女性が気になっております」


 少し躊躇った後に、好青年が言った。迂遠な言い方ではあったが。その意味は男にしっかりと伝わっていた。


「本気か? ……相手が商売敵の娘だという事を理解して言っているのか?」


 眉をピクリとも動かさずに男は言った。しかし、好青年も視線を逸らさない。


「はい。……もしも無理ならば絶縁していただいても構いません。自力でお近付きになります」


 その言葉を聞いて……男は頭を抱えた。この言葉が本気である事は理解していたから。


「親不孝者で申し訳ありません。……ですが、例え絶縁されたとしても。いつか必ず恩は必ず返します」

「馬鹿な事を言うな」


 男はこの好青年……実の息子を溺愛している。今、男の天秤は揺れ動かされていた。


 仕事か、家族か。どちらを取るか。



 しばらく経った後に、男はため息を吐いた。


「それがお前の幸せに繋がるのか」

「はい、必ず」

「相手が高校生だという事も理解しているのか」

「年齢は関係ありません。……例え彼女がお父様と同じ年齢だったとしても、私はこうして頼み込んだ事でしょう」


 男は静かに。俯いた。


「考えておこう。……いつ会っても良いように準備だけしておけ」


 その呟きに、青年の顔が輝いた、


「……! ありがとう、ございます!」





 ――この出来事を彼が知るのは、まだ先の事である。

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