第30話 蒼太、気づく

 無事に勉強会も終わり、二週間近くが過ぎた。金曜日の夕方。


 ついに明後日が日本舞踊の公演会である。


 正確には、土曜日と日曜日の二日公演。出演者の人数が多いらしく、凪の出番は日曜日……しかも大トリであった。


 凪は土曜日には家族と見に行かないといけない。だから今日来る形となったのだ。

 ちなみに茶道と華道は今週いっぱいはお休みらしい。



「緊張してるのか? ……いや、緊張してて当たり前か」


 今日。というかこの一週間、凪の表情はどこか硬かった。それも当たり前だろう。


 俺なんて学校の発表ですら緊張するのだ。……公演会など、何百何千もの人の前で行うのだ。緊張くらいするだろう。しかも大トリなのだから。


「そうですね。お恥ずかしながら、少しばかり緊張してます」

「別に恥ずかしがる事でもないだろ。緊張感があるって事はそれだけ頑張ってきた証拠でもあるしな」


 俺がそう言うと、凪はニコリと笑った。少しぎこちない笑みだ。


「ありがとうございます。そう言って貰えると嬉しいです」


 そのまま凪が、ふうと長く息を吐く。……落ち着かないのだろう。


 何か、俺に出来る事はないだろうか。


 腕を組んで考えていると。一つ、考えが見つかった。


「凪。少し来てくれ」

「……? はい、分かりました」


 凪を連れて向かった場所は……寝室である。


「え、えっと? 蒼太君?」

「凪。前やったものするぞ」

「前のって……あれ、してくれるんですか?」


 凪の言葉に頷き。俺はベッドの端へ座る。


「さあ、凪。来てくれ」


 凪へそう言うと、隣へ座ってくる。その顔は少し期待しているようで……しかし、まだ緊張が解けていないように見える。


「ほ、本当に良いんですか?」

「良いって……今更だろ。ほら、凪」


 いつもなら喜んで飛び込んでくる……とまでは言わないが、嬉しそうに横になるのは確かだ。

 太腿を軽く手で叩くと、凪は恐る恐る横になった。……そう。横である。仰向けではなく、横向きに。


「……少し、甘えても。よろしいでしょうか」

「ああ、もちろん」


 今日くらいは良いだろう。そう思って頷くと。


 ぽすりと、体に顔を埋めてきた。


 俺の体が固まった。眉から足の先までビシッと。



 ふう、と息を吐く。

 俺は熱くなる顔を上へ向けながら、その頭に手を置いた。


「えへへ……」


 小さく笑う声と共に、顔を押し付ける力が強くなった。


「蒼太君の匂いがしてとっても落ち着きます。好きな匂いです」

「……そうか」


 少し。いや、かなり恥ずかしいが。凪が喜ぶなら良いかと頭を撫で続けた。


 そうしていると、凪の呼吸が規則的になっていく。視線を落とすと、瞼が閉じては開いてを繰り返すのが見えた。


「今日はまだ時間があるから。眠れる時に眠った方が良いぞ」

「ふぁい……そう、ですね。……あの、蒼太君」

「なんだ?」


 凪がその手を浮かせ、自身の胸の近くに置いた。


「手、握って欲しいです」


 ドクリと。早鐘を打っていた心臓の勢いが増した。


「その方がよく眠れるか?」

「ふぁい……おねがい、します」

「……分かった」


 そっと凪の手に自分の手を近づけると、きゅっと握られた。


「あたたかいです」

「ああ。そうだな」


 にへへと笑う凪を見て、俺も微笑みながら。その瞼が閉じていくのをじっと眺めた。


「おやすみ、なさい。蒼太君」

「ああ。おやすみ、凪」


 その言葉を最後に、今度こそ凪は眠る。眠っているものの、握った手は離そうとしない。



 こうして見ると、本当に幼子のようである。

 頬にかかる髪の毛を耳までかき上げると、くすぐったそうに声を漏らした。


「……本当に。可愛いな」


 思わず声に出してしまった。すぐ口を閉じたが、どうやら今回は凪に聞こえていなかったらしい。


 その事に安堵しながら。頭を撫でると、眠りながらもニコニコとし始める。


 家族に遠慮したり、しているのだろうか。


 養子だから……いや。そういう考えは凪に失礼だ。


 養子など関係なく、単に家族に遠慮しているのか。……確か、凪は自分の素を出さないようにしていたはずだ。それも影響しているのかもしれない。普段より甘えたがりなのは。


 それに加えて、今週は日本舞踊の練習も増えていたらしい。疲れていたのだろう。

 夜にする電話も。普段は凪が眠くて寝落ち通話みたいになっていたのだが、最近は普通に時間を見て切っている。その後は眠れないのかもしれない。


「せめて、ここでくらいはゆっくり眠ってくれ。……本番前の睡眠は大切って言ってたもんな」


 むにゃむにゃと言葉にならない声を出す凪を見て微笑みながら。ふと、俺は気づいた。



 俺。もう凪が居ないと生きていけないんじゃないか、と。


 食事が一番顕著だ。最近だと平日はお弁当。土日は凪が作るか作り置きをしてくれている。……実はそれが毎日の楽しみになっていたりする。

 そして、勉強面。分からない所があればとても分かりやすく説明をしてくれる。


 ……この二つだけじゃない。精神的な面でもかなり支えられている。


 凪が傍に居ると、不思議と落ち着くようになった。今では一人が……少しだけ寂しく感じる。


 もう、あの頃の日常には戻りたくないと思ってしまう程。




 あれ?



 俺、もしかして凪の事が好きになってる?




 その事実に気づいてしまった瞬間、顔が灼熱のように熱くなった。



「……待て待て、落ち着け。早計かもしれないだろ」


 そうだ。この前瑛二が言っていた事を試してみよう。


『人を好きになるってどんな感じなんだ?』

 と、この前瑛二に質問した。その時の事だ。


『おー。色々あるがな。例えばだ』


『気がつけばその人の事を考えてしまう』


 ……当てはまる。最近だと、凪が帰った後にもっとあの事を話したかったとか。そんな事を考えてしまう。


『気がつけば目で追ってしまう』


 これも当然当てはまる。というか、これは最初からそうだ。


『ずっと一緒に居たいと思う』


 ……当てはまる。


『ふとした仕草にドキリとしてしまう』


 当てはまる。


『何かしてあげたい、力になりたいと強く思う』


 当てはまる。


『そして、これは俺達にはあんまり……ではないか。さすがに俺も当てはまるな。……相手が、誰か別の男性と仲良くしていたら胸が痛む』


 気づけば。俺は自身の胸を押さえていた。


 ああ、これ。本当に――



「……そうた、くん? どうされました?」


 俺は自分の胸から手を離し。凪を見た。


「いや、何でもない。気にしないでくれ」


 そのまま凪の頭へ手を戻す。ぽや〜っとしていた凪はすぐに瞼を閉じ、眠りについた。


 それを見届けて。俺はふうう、と長く。……長く息を吐いた。



 今、気づくべきだったのだろうか。


 気づいてよかったのだろうか。



 凪の男性恐怖症は、少しずつ良くなりつつある。もし、今俺が凪にこの気持ちを伝えたら?



 ……分からない。どうなるのか。



 凪は俺の事を嫌ってはいないはずだ。しかし、好きなのか……分からない。


 いや、好いてくれていると……思いたい。


 前も考えた通り、凪は距離感がかなり近い。……こうして、膝の上で無防備に眠るくらいには。


 だが、それは俺を友人だから信頼しているだけなのでは……?


 もし俺が好きだなんて言えば……その信頼が崩れるのでは。


 ああ、だめだ。考えが上手くまとまらない。


 視線を落とすと。こちらをじっと見ている蒼い視線と目が合い、肩が跳ねた。


「……蒼太君?」

「な、凪。起きたのか? まだ寝てて良いんだぞ」


 俺の言葉にしかし、凪は首を振る。


「今起きたんですが、蒼太君が何かを考えているようだったので。……どうかなされたんですか?」

「……いや、なんでもない。気にしないでくれ」


 俺は首を振る。さすがにこれは凪の相談出来ない。


 決めた。


 凪の頭を撫で、手を握ると。凪はニコニコとしながら握り返してくれる。



 もし、凪が俺の事を好きじゃなかったとしても。振り向かせれば良いだけの話だ。


 少し、心の整理は必要だが。


 近いうちに必ず、答えを出そう。

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