第29話 氷姫のご褒美、見られてしまう
「そこはですね。このやり方ではなく……」
「ああ、そういう事ね! ありがと、東雲ちゃん!」
「いえいえ。どういたしまして」
俺達は勉強会に移っていた。まだ期末試験まで時間はあるにはあるが、対策はしておいて損はない。
主に瑛二は俺が。そして、西沢と羽山を凪が担当する形だ。
二時間ほど勉強をし、お昼時が近づいてきた時に凪が立ち上がった。
「さて。お昼の時間になりましたし、私がお昼作っちゃいますね。肉じゃがで大丈夫でしょうか?」
「……え? 東雲ちゃんが作ってくれるの?」
その言葉に西沢達が驚いた顔をした。元々そう決めていたので、俺は驚いたりしない。
「はい。宅配も考えましたが、折角の機会なので」
「やったー! ありがとー!」
「いぇーい! めっちゃ楽しみ」
凪の言葉に西沢達も喜びの声を上げた。
「じゃあ俺も凪の手伝いしてくるから。三人は待っててくれ」
「おっけー!」
そう残して俺は凪とキッチンへ向かう。今日はリビングとキッチンを繋げている
野菜室からじゃがいもを取り出して、凪は俺を見た。
ニコリと笑って。
「今日は蒼太君のお母様から教わった肉じゃがを作りますから。……安心してくださいね?」
その言葉に、俺は目を見開いた。
……見透かされていた。
凪の料理が俺ではない。他の誰かに振る舞われる事にほんの少し……嫉妬していた事を。
「私の……私の家の家庭料理は家族と蒼太君くらいにしか作りませんから」
凪はそう言って、じゃがいもを置き。俺に近づいた。
「……ん。お願いします」
そのまま、凪は少し俯いて。……俺に頭を差し出すようにしてきた。
「い、今するのか?」
「今日はこれを逃したらもう出来なくなる気がしたので。お願いします」
先程も述べた通り。リビングからは襖で見えない。……襖を一枚しか隔てていないとも言えるが。
今も小声で会話をしているが、普通に話せば聞こえる程の距離だ。
俺は、そっと手を持ち上げた。
……見えなければ、問題ないだろうと。
そのまま、凪の頭へ。サラサラとした髪の上へ手を置いた。
「えへへ」
そのまま優しく頭を撫でると、凪は嬉しそうに声を漏らした。
ふわりと甘い匂いが漂い。凪の手がそっと俺の胸に置かれる。最近、凪はこうやって手を置くようになった。『蒼太君の心臓の音が聞こえて落ち着くから』だそうだ。
……俺としては、心臓の音が聞かれるのは恥ずかしいのだが。嬉しそうに言う凪を見れば、断る事は出来なかった。
そのまま凪の頭を撫でる。その絹のようにサラサラな髪の毛は指も絡まったりしない。
この時間は俺も嫌いじゃなかった。……というか、好きである。無防備に信頼を寄せてくれる凪を見るのは。
頬を緩ませながら、凪の頭を撫でていると。
「ね、東雲ちゃん。ちょっと聞きたいのが――」
羽山が、襖を開けて顔を出してきたのだった。
俺と凪は離れる時間も出来ず。ただ、固まっていた。
時が止まったような。
そんな錯覚に陥る。
「……」
俺と凪だけでなく……羽山も固まってしまい、沈黙が訪れる。
「ひかるんどったのー?」
その声と共に、やっと時間が動き出した。
バッと凪の頭に置いていた手を取り。羽山の方を見ようとしたら……
凪の手がまだ胸に置かれていて。振り向けなかった。
凪を見る。……凪は潤んだ瞳で俺を見ていた。
まるで、『続けてくれないんですか?』とでも言いたげに。
『本気か?』と目で問うと、こくこくと頷かれた。
手を戻すと、凪は嬉しそうに目を細めた。
「いや続けるんかい」
同時に、羽山がずっこけそうになった。
「……? ひかるん?」
「あ、いや、何でもない。ちょっと待ってて」
羽山がそう西沢へ伝え。襖を閉じた。
向こうに戻るのではなく、キッチンに入ってきてからだ。
「……で? 一体どういう状況なのかな? これは」
「これはだな。……なんと言うか」
凪を見ると、こくりと頷き。やっと手を取ってくれた。
そのまま手を離そうとすると……寂しそうにこちらを見てきたので、そのままにしておく。
「今見た事とこの話はご内密にお願いしたいんですが」
「おっけーおっけー。分かってるよ」
凪の言葉に羽山は頷いてくれる。それを見て、凪が話し始めた。
「蒼太君に会って気づいた事なんですが。実は私、かなりの甘えんぼさんだったんです」
「……なるほど?」
羽山は明らかに納得していない様子であったが。とりあえず飲み込もうと思ったのか、頷いた。
「それでですね。紆余曲折ありまして、蒼太君に頭を撫でてもらうのが……す、好きになりまして。こうして二人になった時にお願いするようになったんです」
「……今は二人じゃないけど」
「い、今終わると今日の分が終わりになってしまうので。もったいないかなあと」
顔を真っ赤にさせながら凪が答える。俺は思わず手を止めてしまい。ふとこちらを見てきた凪と視線が合った。
「蒼太君? どうしたんですか?」
「……別に。凪が望むなら何回やっても良いんだが」
「い、良いんですか!?」
凪が思わずといった様子で声を上げる。瑛二達に声が聞こえていそうだが……幸い、こちらに来る事はなかった。
「あ、す、すみません。大きな声を出して」
「……いや、大丈夫だ」
なんとなく手を動かして頭を撫でると。少し不安そうだった顔が緩んだ。
「そ、それと。本当によろしいんでしょうか」
「ん? ああ、もちろんだ。元々制限も設けてなかったし」
俺がそう言うと、凪は顔を輝かせ……しかし、すぐに難しい表情を見せた。
「い、いえ、ですが。制限もなしにすると、一日で十回ほど頼んでしまいそうなので……」
「そ、そうか」
さすがに一日十回は多いな。……断りはしないだろうが。
「俺としても、凪の頭を撫でるのは嫌いでは……いや、好きではあったんだが。仕方ないか」
そう言うと。凪がハッと顔を上げた。
「そ、それなら。一日に二回、二回までなら。お願いしたいです!」
その表情は少し焦っているようで。思わず笑つてしまった。
「ああ、分かった。……もし増やしたくなったら、また言ってくれよ?」
「はい!」
嬉しそうに笑う凪を撫でると、どんどん頬が緩んでいく。
「ね、私の事忘れてない? 熱々なお二人さん」
「……あ」
横からひょこっと顔を出してきた羽山に、俺と凪は顔を見合せて……笑うのだった。
◆◆◆
「えっ、すご、美味しっ」
「おー。めちゃくちゃうめえ」
「凄いほっこりする味。うん、すっごく美味しい」
凪の作った肉じゃがは好評であった。もちろん俺としても美味しい。……懐かしい味だ。
「ふふ、良かったです。蒼太君のお家風肉じゃがでした」
凪がそう言うと、瑛二と西沢が喉を詰まらせた。
「んぐっ……げほっ、ごほっ。そ、そういや蒼太のお母さんと会ったんだっけか」
「そんな事も言ってたね。……私でも瑛二の家の家庭の味とか教えて貰ってないんだけど」
その言葉を聞いて、俺の中にも疑問が生まれた。
「そういえば。いつの間に俺の母さんから聞いたんだ? 肉じゃがのレシピなんて」
「え? 連絡先を交換した後に送っていただきましたよ? ……肉じゃがもそうですが、あの時の唐揚げとか。あとカレーもですね」
いつの間に。いや、母さんならやっていてもおかしくないか。
まあ、美味しいし問題ないか。
そう考えながらほくほくのじゃがいもを食べていると。凪があっと何かを思い出したように声を上げた。
「そうでした。みなさんにお願い……というか。良ければ来て欲しい場所があるんです」
「来て欲しい場所?」
「はい! お食事中ですが、少し失礼しますね」
凪がそう言って自分の鞄を取り。中から一枚の紙と四枚の細長い……チケットのような物を取り出した。
大きい紙は……何かの広告のようだった。
「実は十一月中旬……再来週末に。私が習っている日本舞踊の公演会があるんです。私の先生はもちろん、私も出ます。……それで、出演者には家族や友人を呼ぶためのチケットが配られまして。ど、どうでしょうか?」
「行く。凪が出るなら」
反射的に俺はそう返していた。
それと同時に、凪の不安そうな顔がホッと緩む。
「おー! 俺もこういうの好きなんだよ。行くわ」
「そーいえば瑛二、こういう芸能とか芸術系のもの好きだったね。じゃあ私も!」
「私も行こっかな。東雲ちゃんも出るんだし」
続いて瑛二達がそう言う。瑛二がこういったものに関心を示すとは俺も知らなかったな。
三人の言葉を聞いて、凪は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます! 期末試験の前になると思いますが、是非楽しんでいってくださいね!」
その笑顔を見ると、思わず俺も笑顔になってしまうのだった。
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