第33話 氷姫の膝枕

 俺は今、窮地に立たされていた。


「な、なあ。重いぞ? 足とか痺れるかもしれないし」

「……私。そんなに重かったですか」

「いや、そうではなく。ほら、単純に俺の方が頭とか大きいだろうしさ」


 少ししょげそうになる凪へそう伝え。どうにか回避する方法はないかと頭をフル回転させる。


「早く観念して横になってください」

「し、しかしだな……」


 それでも渋る俺の……服の裾をきゅっと握った。


「それとも……嫌、だったでしょうか」


 凪は小さくそう言って、俯いた。



 ……それは。卑怯だろ。


「分かった、分かったから。……その。嫌じゃなくて恥ずかしかっただけだ」


 俺がそう言うと。凪は顔を上げた。


 ニコニコと、とても良い笑顔をしていた。


「ふふ、知ってます」

「は、図ったな」


 凪はくすりと笑い。自身の膝をぽんぽんと叩く。


「さあ、早く来てください」

「……分かったよ」


 凪のそんな笑顔には勝てず……俺はそこに頭を置いた。


 凪に背を向ける形に。


「蒼太君?」

「……なんでしょうか」

「だめです。蒼太君のお顔が見れませんから」


 凪が俺の体を回して仰向けにしてきた。そうして視線が合うと、凪はニコリと笑う。


「それとも。こちら側に横になりますか?」

「……遠慮しておきます」


 それは色々と刺激が強すぎる。……いや。仰向けも色々と刺激が強すぎるのだが。

 そこを見ないよう注意しながら目を背けると。頭に優しく手が置かれ……手を握られた。


「こうして見ると蒼太君、可愛いですね」

「……あんまり男に可愛いって言わないでくれ」

「……? 私は可愛い蒼太君も好きですよ?」


 その言葉に俺の心臓が嫌な音を立てた。甘い匂いと後頭部に感じる柔らかさで、もう既にかなり参っていたのだが。


「じゃあ、かっこいい蒼太君のお話をしましょうか。私も蒼太君の事、いっぱい褒めたいので」

「……あんまりからかわないでくれよ」

「本心ですよ、全て」


 その言葉に更に顔がまだ熱くなる。一度凪の顔を見ると……ずっとニコニコと笑顔で俺を見ていた。


「まずはですね。……あの時、助けていただいた時です。とっても、とってもかっこよかったですよ」

「……不器用なやり方だったぞ」

「かっこよかったですよ。私の事を一番に考えて助けてくれましたから。……あの時、もし警察を呼んでいたら。私はこうして、蒼太君と仲良くなれなかったでしょう」


 その言葉の意味が分からず……凪はそんな俺に説明をしてくれた。


「お父様が心配性なので。もしバレたら、車で送り迎えをする事になったはずです。……蒼太君にお礼も言えず。いえ。いつかは必ず伝えに行くはずですが。今のように仲良くなれたのは、もっとずっと先の事でしょう」


 凪の人差し指が俺の額を撫でた。少しくすぐったかった。


「その後の蒼太君もすっごく紳士的で……毎回扉の方に来て、迎えに来てくれて。大変だったでしょうに、文句一つも言わずに毎朝毎夕……本当にありがとうございます」

「……別に。そんなに手間じゃなかったしな」


 思っていたより恥ずかしくて目を逸らすと。凪の手が滑り。……そろり、と頬を撫でられた。


「一日だけならそうかもしれません。ですが、それを毎日二回。普通の人なら愚痴も零したくなっちゃいますよ。それなのに、蒼太君はそんな事を一言も言わず。態度にも出しませんでした」


 そのまま顔がほんの少し動かされ。凪と視線が合わされた。



「助けてくれたのが蒼太君で、本当に良かったです」

 ほんのりと頬を赤く染めて。目を細めて笑っていた。その表情は喜色で溢れ、見ているだけで嬉しさが伝わってくる。


「だから、ありがとうございます。蒼太君」

「ど、どういた……しまして」


 ああ、だめだ。嬉しくて。頬がだらしなく緩んでしまう。


 しかし、凪はそんな俺をニコニコとしながら見ていた。その白く細い手が俺の頭を撫で、優しく。しかししっかりと手を握る。

 顔は隠させないぞとばかりに顔をじっと見てくるので、視線を逸らす事も出来ない。


 そのまま、視線が絡み合い。……時間が過ぎていく。


 カチッ、カチッと鳴っているはずの時計の音は聞こえない。……そんなものより、早鐘を打つ心臓の音の方が大きかったから。


 凪の指が俺の髪をくるくると弄び、もう片方の手の指が俺の手の形を確認するようになぞってきた。



「……蒼太君の手、しっかりしてるんですね。大きくて頼もしいです」


 そんな言葉の一つ一つが心を撫でてきて、脳が沸騰したように真っ白になる。


「こうしてみると、蒼太君って男らしいですよね。……肩幅も、手や顔の形も私と全然違います」


 俺は思わず。小さく息を吐いた。


「……怖く、ないのか」

「男の人は、まだ抵抗感があります。……ですが、蒼太君を怖いと思った事はありませんし。これからもありませんよ」


 凪の手が俺の前髪をかき分け。額を指の腹で優しく撫でた。


「例え、蒼太君が太ったり、ガリガリになったり。いきなり身長が二メートルになったとしても、今と何も変わりませんよ。……ご飯は私が作ってあげてるので、問題ないとは思いますけどね」


 その瞳に。からかいなどはない……全て、本気で言っているようだった。



 ……もう、限界だった。



「……蒼太君?」


 俺は、空いている方の手で自分の顔を隠した。……だらしなく、見られない顔になっているはずだったから。


「むぅ……お顔、隠さないでください」

「凪だって耐えきれなくなったら隠すだろ」

「それはそうですが……ふふ、仕方ありませんね」


 凪の笑う声を聴きながら。俺は、顔が元に戻るまで手で覆い続けるのだった。


 ◆◆◆


「美味しい。毎度思うが、味付けが絶妙だよな。薄くも濃くもない。好きな味だ」

「ふふ、ありがとうございます。……実は少しずつ、蒼太君の好きそうな味を探ってたんですよ」


 俺は野菜炒めを食べていたのだが。思わず凪を見てしまった。


 もぐもぐと咀嚼している俺を、凪はニコニコとした笑顔で見ている。


 俺はしっかり飲み込んでから口を開いた。


「初耳なんだが。それ」

「初めて言いましたからね。蒼太君はいつも美味しそうに食べてくれますが、いつもよりペースが早いなとか。美味しそうに食べているなという事がありまして。あ、この味付けが好きなんだって気づいたんですよ」


 普段食べている姿をよく見られているなと思っていたが。そういう事だったのか。


「……本当に。凪には頭が上がらないな」

「ふふ。私は蒼太君が美味しそうに食べるのが好きだからやってるだけですよ」


 また食べる俺をじっと見て微笑む。本当に嬉しそうに。


 見ながらでも自分の分は食べている。これで食べ終わるタイミングは同じなのだから、しっかりしている。


「ご馳走様でした」

「はい、お粗末様でした」


 食事を終え、お皿を片付ける。後は凪を家まで送り届けるだけだ。


「……ありがとうございます、本当に」


 出る準備をしていると、凪がそう言ってきた。


「どういたしまして。俺も……好きでやってる節はあるから、あんまり気にしないで良いぞ」



 その言葉は気遣いではなく本心である。なぜなら……


「俺も。凪と一緒に居られる時間が増えて嬉しいからな」


 そう言うと、凪の頬が赤くなる。しかし、嬉しそうに微笑んでいた。


「……私も、嬉しいです。それじゃあ行きましょうか」

「ああ」


 家を出て、駅に向かう。もうほとんど冬と言っても良いくらい寒い。

 しかし、駅まで歩く時間は好きだ。凪と隣に並んで歩けるから。


「お互い、もうすぐ期末テストですね」

「ああ。今日はあまり出来なかったが、明日からまた勉強は頼む」

「はい! 私も英語、教えてくださいね!」

「もちろんだ」


 そんな会話をしながら……俺は、嫌に鳴る心臓を押さえた。


「蒼太君?」


 心配そうに俺を見てくる凪を見て……俺は一つ、深呼吸をした。



「今度、テストが終わったら。……前のように、お互いご褒美をあげないか」


 自分で言いながら、顔が熱くなるのを感じた。そんな俺を見て。凪は元気よく頷いた。


「はい! もちろんです!」


 その言葉が返ってきて、少し体の力が抜けた。


 ……良かった。断られたらどうしようかと。


 すると、凪がじっと俺を見てきた。


「私から言おうと思ってましたが……蒼太君、何か私にして欲しい事があるんですか?」

「ん? ……そうだな。して欲しいというか、一緒にしたいと言うか。まあ、その時まで待ってくれ」


 俺はそう軽く誤魔化し。歩き始めると、凪はすぐ隣についた。



 テスト、頑張らないとな。

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