第27話 寝惚けた氷姫は攻撃力が三倍。防御力は半分

「ん、んぅう」


 頭に伝わってきた、優しく。暖かい温もりで、私は意識を取り戻した。暖かいものを枕にしていたからか、すっごく調子がいい。


 ……というか。この枕、すっごく気持ちいい。いい匂いもする。


「えへへ……」


 思わず、その暖かい所に顔を埋めて抱きしめた。全身がその匂いに包まれるような気がして、嬉しかった。


「な、凪……?」


 おまけに蒼太君の声まで聞こえる。どくん、どくんという音も耳に、体に心地良い。……ふふ。幸せだ。


 そうしていると、また眠気がぶり返してきて。私は静かに意識を――


「凪! そ、その体勢は少し、恥ずかしいというか」


 その言葉に。私は再び意識を呼び戻された。


「……あぇ?」



 ◆◆◆


 目を覚ますと、俺は東雲――ではなく、凪に寄りかかりながら眠ってしまっていた。時計を見るが、まだそんなに時間が経って居ない。


 少し体を起こし……まだすやすやと眠っている凪を見た。


 眠っている姿は無防備で、その頭の置かれた肩からは暖かな体温が伝わってくる。


 思わず、手を伸ばしてその頭を撫でてしまった。


「ん、んぅう」


 凪が小さな寝言を漏らす。起こしてしまったかと俺は手を離す。


 すると。


「えへへ……」


 凪の暖かな手が。もたれ掛かる方と反対の肩へ伸び……もう片方の手が俺の背中に回され。


 ぎゅっと。抱きつかれた。その上……


 その顔を俺の首筋に埋めてきたのだった。


「な、凪……?」


 いきなりの事で思わず俺は声を上げてしまう。先程まで肩にしか伝わっていなかった暖かさが……そして、柔らかさが左半身を中心に広がって。

 しかし、凪は起きない。そのまま……俺に抱きつきながら、また寝ようとしていた。


 眠りにくい体勢だろうに。俺を抱き枕か何かと勘違いしているのか、凪はそのまますやすやと寝息を立て始めようとする。

 甘い匂いが脳を揺さぶり、その柔らかさに煩悩が生まれ……無理やり破壊し。


「凪! そ、その体勢は少し、恥ずかしいというか」


 俺はどうにかそう声をかけた。凪の体がビクリと跳ね……その顔が上がった。


「……あぇ?」


 とろんとした目は焦点が定まらず、どこかぼーっとしている。まだその手は俺の体から離れていないので近い。……あ、唇の端から涎が垂れている。


 間の抜けた。しかし、愛らしい表情に。思わず頬が緩んだ。


「お、おはよう、凪。よく眠れたか?」

「……ぁ」


 やがて、その瞳の焦点が合ってきた。それに従って、顔も赤くなっている。俺の肩を握る力が強くなり……凪はハッとしたように手を離した。


 その時。唇の端から。銀色の糸が垂れそうになった。


「おっ……と」


 俺は机からティッシュを即座に取り、その糸を掬う。そして……折り畳みながら、その唇の端に残っていた液体も拭った。


「ぅ、ぁ……あ」


 どんどん赤くなっていく顔を見て、俺はやらかした事を悟る。

 しかし、凪は俺……というか、俺の首筋をじっと見ていた。


 少し、そこだけ肌寒い気がして……俺は何があったのか察した。


「ご、ご、ごめんなさい! い、今拭きま――」


 凪が慌ててティッシュを取ろうと立ち上がり……



 寝起きだったせいか、足をもつれさせた。


「ひゃっ――」

「凪!」


 前に倒れ込みそうになる凪の腕を掴み。引き寄せ、慣性をこちらに持ってこさせる。


 ポスリと。凪は俺に倒れ込んできた。ギシリとソファが軋むが、丈夫なので問題ない。


「だ、大丈夫か? 怪我はないか?」

「ぅ、あ、その、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「お、怒ってないから。とりあえず落ち着いてくれ」


 その事を示すために……俺は。少し迷いながらも。前言っていた凪の言葉を信じて。

 凪を抱きしめ、その背中をとんとんと叩いた。物凄く恥ずかしかったが。そのお陰で、凪も少しは落ち着いたようだった。


 凪が、俯きながら。俺の服をきゅっと掴んだ。


「……わ、私の事。はしたない子だと。思ってませんか?」

「凪が? 思ってないぞ」


 というか。はしたない等とは対局の位置に居るだろう。


 そう思っていると……凪がやっと顔を上げた。

 その顔は真っ赤で、瞳が潤んでいる。



「わ、私がはしたない子でも。嫌いになったりしませんか?」


 上目遣いで、そう言われた。


 俺は思わず息を飲んだ。目眩が起きたようにクラクラとしてしまう。


 嫌に大きく音を立てる心臓を無視しながら。俺は不安そうにこちらを見ている凪に首を振った。


「……嫌ったり、しない。それくらいで凪を嫌いになったりしないから」


 俺はそう告げて……凪から目を逸らす。


「と、とりあえず。そこから離れて貰って……いいか」


 今の距離は近すぎる。そう告げると、凪は慌て――ずに、立ち上がり、俺の隣に座った。


 そして、ティッシュを取って俺の首筋を拭いてくれた。


「す、すみません! 御手洗お借りしますね!」

「あ、ああ。分かった」


 お互い、一度頭を冷やした方が良いかもしれない。俺が頷くと、凪も立ち上がって部屋を出たのだった。


 ◆◇◆


 御手洗を借りて。私は思わず顔を覆ってしまった。


 凄く、ドキドキした。


 寝惚けて蒼太君に抱きついてしまって……だらしない事に、その首元に涎を垂らしてしまって。


 そこから慌てて転びそうになって、蒼太君に抱き止められて。


 はしたない子でも。嫌いにならないと言ってくれて。


「ど、どれだけ私をドキドキさせたら気が済むんですか」


 彼はかっこいい。……そして、優しい。誰よりも。


 安心感の方が強かったはずなのに。ううん、安心感はまだまだ強い。


 彼の匂いが強いと。彼の暖かさが感じられると。彼の声を聞くと。私は安心してしまって、眠くなる。まるで、母の腕の中で眠る赤子のように。


 ……でも、それでいて。最近は心臓がドキドキするようになっていた。


「もう、止められません。いえ、止めてはいけません」


 私は首を振り、頬を軽く叩いた。


「彼の事をもっとす、好きになって。……私の事をもっとす、好きになっていただいて。そうしたら、私ももっと彼の事が好きになれるはずです」


 そして……両想いになる事が出来たのなら。


「お父様に、言うんです。彼の事が好きだと。言えるようにならないといけないんです」


 ごめんなさい、お父様の願った私になれなくて。……恩を仇で返すような子に育ってしまって。


 でも、彼の事が。蒼太君が好きなんだって言えたら。彼の事を理解していただけたら。きっと、お父様もお母様も認めてくれるはず。


 そのために……


「もっと、彼の事を好きにならないといけない。他に何も見えなくなるくらい。……そして、彼もそれくらい私の事を好きになっていただけるように。頑張らないといけません」


 好きになってもらうための方法は、羽山さんと店員さんから聞いて少しずつ実行している。


 こんな時だけは、自分の容姿が整っていて良かったと思う。


 ふう、と息を吐いてから。私は彼の元へ戻ったのだった。


 ◆◆◆


 凪が戻ってきてから。少しの間、無言が続いた。


 何か、話さなければ。その時俺はとある事を思い出した。


「そ、そうだ、凪。瑛二達……俺の親友とその彼女が今度、凪と俺に勉強を教えて欲しいと言ってきたんだ。もう期末テストも遠くないからな」

「……あの時の方々、ですよね?」


 凪の言葉に頷く。凪は一度……否。二度、彼らを見た事があったはずだ。


「雨の日、凪が迎えに来てくれた時の二人だ。あと、その前にも一度電車で見た事はあったよな」

「はい。確か、巻坂さんと西沢さんでしたね」

「ああ、その二人だ。……どうだ?」


 俺がそう尋ねると。凪は顎にちょんと手を置いて考えた後に。


「構いませんよ。ですが、私も……そ、蒼太君に会いたいと言っているお友達が居まして」


 その言葉に俺は驚いた。


「……本当か?」

「はい。そのうち会ってみたいとおっしゃられていましたが。良い機会ですし、どうでしょう?」

「一応瑛二達にも確認は取ってみないといけないが。俺としては大丈夫だぞ」


 凪の友達というのも正直気になっている。凪はホッとした顔をして……じっと。俺を見た。


「……それと、あと一つ。非礼を承知でお願いしたい事があるのですが」

「なんだ? なんでも言ってくれ」


 俺の言葉に凪はニコリと。嬉しそうに微笑んだ。


「私、人見知りなので。蒼太君がずっと傍に居てくださると嬉しいです」


 思わず。俺の頬まで緩んでしまった。彼女の信頼しているという気持ちが伝わってくるようで。


「ああ、もちろんだ」


 そして、二人で微笑みあったのだった。

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