第26話 氷姫と念願の――

「ど、どうして。分かったんだ?」


 東雲にご飯を作って貰った事がバレた。誤魔化す事もでき……いや、不可能だ。

 それが分かっているからこそ出た言葉だった。


「簡単よ。調味料の位置がお家と全然違ったからね。……こういうの、家庭で癖が出やすいの。それでどう? 合ってる? 凪ちゃん」


 凪が少し困ったように俺を見た。俺は静かに……頷いた。


「は、はい。ですが。わ、私が勝手にやってるといいますか。普段からかなりお世話になってるのでやってるんです。……あんまり蒼太君を責めないであげてください」


 東雲はそう言った。……本当に気の使える子だと思う。しかし、実際俺は怒られるべき立場だと自覚している。


「……東雲。お前は俺の食生活を心配してやってくれてるんだろ。隠していたが、俺は最初の数日以降自炊をやっていなかった。ごめんなさい、母さん」


 俺は母さんへ頭を下げる。数秒程して……母さんがため息を吐く音が聞こえた。


「もう、仕方ないわね。……初めての一人暮らしなんだし、学校生活もあるし。すぐに怒ったりしないわよ。それより凪ちゃん、ありがとうね。この子のお世話してくれてたみたいで」

「い、いえ。本当に、私の方がお世話になっているので」


 東雲はこう言ってくれているが。いやもう、本当に東雲には頭も上がらない。


「……もう一つ言っておくと。お弁当までお世話になっていたりします、はい」

「……凪ちゃん、大丈夫? 負担が重すぎたら言うのよ?」

「いえ。お弁当もご飯も私が好きで作ってる節もありますから。楽しいですよ? ちゃんと美味しいって言ってくれますから、作り甲斐もありますし」


 東雲の言葉を聞いて、母さんが笑う。優しく、そして柔らかい笑みで。


「という事は凪ちゃん、本当に料理が上手なのね」

 その言葉がよく分からず、俺と東雲は首を傾げた。確かに東雲は料理が上手だが。

 そんな俺達を見て、母さんが説明を続けてくれた。


「この子ね。すっごい正直なのよ。ご飯も美味しい時は美味しいって言うけど、そうじゃない時は見て分かるのよ。食べる速度も表情も、何もかもが違うから」

「そ、そうだったのか!?」


 それは初耳である。思わず驚いてしまうと、母さんはええ、と頷いた。


「お惣菜とか冷凍食品なんかが顕著だったわね。いえ、単にお母さんの料理が好きだったかもしれないけど。ぶすっとした顔で食べるから。自然と時間がなくてもお母さんが作るようにしたわね」

「……知らなかった」


 という事は。最近東雲から貰ったお弁当を食べる時とか、ご飯を食べる時につい美味しいと言ってしまうのは……昔からの癖だったのか。


 東雲は母さんの話を聞いて驚いた顔をした後に……俺をじっと見て、笑った。



 柔らかく、本当に嬉しそうに。


「蒼太君と私。似たもの同士だったんですね。……それに、嬉しいです。蒼太君、お世辞とか言ってるんじゃないかって思ってたので」

「そんな訳ないだろ」


 それにしても……やはりくすぐったい。名前で呼ばれるのは。


「ええ。蒼太は良い意味でも悪い意味でも素直な子だから。凪ちゃんも褒められたら素直に受け入れた方が良いわよ」

「そ、そうですか……」


 母さんの言葉に東雲が顔を赤くして頷く。何を思い出しているのか……心当たりが多すぎて分からない。


「それにしても。本当に凪ちゃんが居ないと生きられなくなりそうね、蒼太」

「返す言葉もありません」


 俺の命は東雲に握られていると言っても過言では無い。……また元の生活に戻れるかと言われても頷けない。


 あの頃は。あんな日常が嫌じゃない。というか好きだと思ってたんだが。

 そんな事を考えながら東雲を見やると……難しい顔で何かを考えているようだった。


「どうした? 東雲」

「……いえ。少し急がなければと……考え事を少々」


 その表情は普段より少し深刻そうだった。


「何かあるなら相談に乗るぞ」


 俺は思わずそう言っていた。東雲はニコリと笑い。首を振る。


「いえ、これは私の……そして、蒼太君には言えない悩みですから。それに、私の数少ないお友達にも少しは相談してるので。問題ありません」

「そうか? ……それなら良いんだが」


 深く聞いて欲しくないようにも見えたので、とりあえずそこで話を切る。


 それを見計らって。母さんが俺達へ話し始めた。


「……まあ、凪ちゃんが付いてるなら蒼太も安心ね。それじゃあお母さんも作ってくるから。待っててちょうだい」

「ああ、分かった。ありがとう」


 そして、今度こそお昼ご飯となったのだった。


 ◆◆◆


 お昼は唐揚げだった。母さんの料理は懐かしく、それでいて美味しかった。東雲にも好評であり。かなりたくさん作られていたが、ぺろりとたいらげる事が出来た。


 そして、今は何をしているかと言うと……


「これが蒼太が小学生の時のアルバムね」

「わあ、この子がそうですね! すっごく可愛らしいです!」


 母さんが持ってきたアルバムの鑑賞タイムである。俺としては物凄く恥ずかしい。


「蒼太ってば、どうしてか分からないけど全然友達が出来なかったのよね。本当なんでかしら」

「一人の方が好きだったからな。……こう、周りに合わせるのが疲れるというか」

「この頃から大人びてたんですね。あ、これ。リレーの写真でしょうか」


 東雲が見たのは……確か、俺が小学生二年生の時のリレーだ。


「そうそう。蒼太、足はすっごく早かったのよね。運動会のアンカーをしてたんだけど、確かこの時はビリから一着まで追い上げたのよ」

「そんな事もあったな」


 懐かしいな。小学生時代は全てアンカーを務めていた。

 それと同時に……ふと、ある事を思い出してしまい。母さんがニヤリと笑った。


「そんな蒼太がかっこいいってモテ期が来たのよね。毎年運動会が終わった後の蒼太は大変そうだったわよね〜。ちょっと困ってるけど嬉しそうで」



「……へぇ」


 ゾクリと。東雲の【氷姫】らしい視線が舞い戻ってきて、背筋が少し冷たくなった。


「と、とはいえ。一ヶ月もすればみんな飽きて居なくなるぞ?」

「一ヶ月、ですか。……それに飽きる? 蒼太君に?」


 あれ、おかしい。なんで俺は言い訳みたいな言い方をしているんだ。それと東雲はどうして怒ってるんだ。


「そ、それより。これ懐かしいな。学芸会の劇」


 とりあえず話を逸らそうと。そこに写っていた写真を指さした。

 東雲は少しじとっとした目で俺を見ていたが……そこに視線を移す。


「……木、ですか?」

「ああ、木だな」

「えっと、なぜ木?」

「演技とかが苦手な子向けにあったんだよ。木とか石の役が。俺達が卒業した後に親御さんからクレームがあってなくなったらしいが」


 懐かしいな。木の役。あー、懐かしい。


「……まあ良いですが」


 その東雲の言葉にホッとしながら。またアルバムを見る。



「あ、ここから中学生ですか」

「ええ、そうね。……ほんと友達出来なかったわよね。心配になるくらい」

「一人が好きだったんだよ。この頃の俺は本の虫だったしな」


 幸い、俺は一人が好きな人間だった。


 ……と、言ってはみたものの。今思えば、友人が居る楽しさを知らなかっただけだったな。


 一人が苦痛じゃなかった人間なのは確かだが。


「……少し親近感を覚えますね。私もずっと、一人でしたから」

 少し寂しそうに、東雲が言う。


 ……そうだ。東雲も自分で言っていたではないか。あまえんぼなのかもしれないと。


 東雲は俺と違って。一人が嫌いだったのかも……いや、実際そうだったのだろう。


 自意識過剰に思われそうだが。東雲と仲良くなって、東雲はどこか生き生きとしだしたように見える。


「今はお互い一人じゃないからな」

「はい! そうですね!」


 東雲は笑い……しかし、その表情に少し陰りが見えた。



「もう、一人にならないよう。頑張らないといけません」

「……東雲?」

「いえ、なんでもありません」


 東雲は首を振り、またアルバムへと視線を落とす。


「こうして見ると、少しずつ蒼太君に近づいてきてますね……」

「そりゃ俺だからな」

 苦笑しながらそう答え、ページをめくる。


「懐かしいな、本当に」

「そうねぇ。友達は居ないって言ってたけど。結構一人をエンジョイしてたわよね」

「勉強とかもあって忙しかったからな」


 いや、暇だから勉強か読書ぐらいしかやれていなかったのだが。


「そういえば。この前のテストはどうだったの?」

「あ……」


 まだ話していなかった事を思い出した。


「少し待っててくれ」


 俺は自分の寝室へ向かい、一枚の紙を取った。そして、リビングへ戻って母さんへ渡す。


「一位! すごいじゃない! ほら、おいで」


 母さんはそう言って手を広げる。


「いや、その。さすがに俺も高校生になってるし。さすがに気恥しいというか。東雲も居るし」

「だめよ。我が家の家訓でしょ。『頑張った子はお母さんかお父さんにたっっくさん褒められないといけない』さ、早くはやく」

「しかし……」


 俺が渋っていると。母さんはあっと声を上げて……首を傾げている東雲をニコニコとしながら見た。


「ちなみに凪ちゃんはどうだったのかしら?」

「あ、私ですか? 一位を取りましたが」

「凄いじゃない! じゃあ凪ちゃんもいっぱい褒めてあげないとね。さ、二人ともおいでおいで」


 母さんが嬉しそうに手を広げた……仕方ない。


 俺はまだ首を傾げている東雲を見た。


「こうなったら母さんは頑固だ。東雲、付き合ってくれるか?」

「へ? つ、付き…………こほん。付き合うって?」

「前にも話したが。母さんは頑張った子を褒めなきゃいけないタイプの人間だ。……端的に言うと。一緒に母さんに甘えてくれないか?」


 俺がそう言うと、東雲は目を丸くして。……口をぽかんと開けた。


「い、良いんですか?」


 想像していた言葉と違うものが返ってきて、俺も思わず驚き……苦笑した。


「……ああ。頼む」

「さあさ、早く早く!」


 早く来いと急かす母さん。俺は東雲と見合い……二人で母さんへ抱きつかれに行った。


「よーしよしよし。二人ともよく頑張ったわね。本当に凄い事よ。何百人も居る中から一位なのよ? 本当に偉いわね」


 頭を撫でられる。東雲も同様だ。少し……いや、かなり恥ずかしかったが。

 しかし、東雲を見て。俺の頬は緩んでしまった。


 その表情が……とても嬉しそうだったから。


 そのまま、少しの間。俺達は母さんに頭をもみくちゃにされたのだった。


 ◆◆◆


「もう行くんだな」

「ええ。ちょっと顔をみたいだけだったし。お父さんが来れるならもっとゆっくりしたかったんだけど。仕方ないからね」


 母さんが帰るとの事で、俺達は玄関で見送っていた。


「本日は色々とありがとうございました」

「こちらこそ。蒼太がかなりお世話になったみたいだし。……大変だと思うけど、これからも蒼太の事お願いね?」

「はい! ……私もお世話になってますから。二人で支え合って頑張ります!」


 その言い方に俺はまた良くない事を考えてしまい。目を瞑って煩悩を消し去る。


「それじゃあ、帰りも気をつけて。母さん」

「はい、ありがとう。蒼太も体調気をつけるのよ? それじゃあ、またね」

「ああ、また」

「ま、またよろしくお願いします」


 そうして母さんを見送り、俺達はソファに座る。


「良い、お母様でしたね」

「ああ……俺もそう思う」


 親と仲が悪い高校生は多いと聞くが。少なくとも、俺の所はそんな事なかった。少し暑苦しいというか、子供の事が好きすぎるが。


「とっても、暖かかったです。……そ、蒼太君みたいに」


 そう、言われ。呼ばれて……俺の心臓が嫌な音を立てた。



「し、東雲。母さんも帰ったんだし、名前呼びは――」


「――なぎ


 東雲は俺を遮り。俺をじっと見た。


「凪って、呼んでください。お、お友達なのにまだ苗字で呼ぶのは……仲良くないように思えるので」


 少し恥ずかしそうに、東雲ははにかむ。


「し、しかし。以前は難しいと」

「前は前、です。……お互い慣れましょう、頑張って」


 東雲の言葉に俺は考え……。


 頷いた。


なぎ

「は、はい。蒼太そうた君」


 東雲は顔を赤くしながらも。そう返してくれる。


 思わず少し、恥ずかしくなって。それ以上に。嬉しくて。


「蒼太君」

「凪」


 お互い名前を呼び合い。……少しして、お互いふうと息を吐いた。


「まだ、少し緊張しますが。慣れましょうね」

「ああ。……そうだな」


 そのまま二人でソファに持たれる。少しすると……東雲。否。凪が寄りかかってきた。

 その瞼は今にも閉じようとしている。……昨日、夜遅くまで起きたからだろう。


「いいぞ、そのまま眠って」

「……はい」


 いつかの電車でも、同じような事があった。心臓がドクドクと音を立てるが、前ほどではない。


「おやすみ、凪」

「……おやすみなさい、蒼太君」


 そのまま凪は、すやすやと寝息を立て始める。……少しすると、俺も瞼が重くなってきた。

 それに逆らうこともせず。瞼を閉じるのだった。



 ◆◇◆


 買い物袋を忘れてしまった。今さよならをした所だけど仕方ない。


 チャイムを鳴らしても反応がなかった。おや、と思いながら……少し申し訳ない気持ちもあったけど、スペアキーで扉を開く。


「……凪ちゃんといい雰囲気になってたら悪いわね」


 そう思いながらも台所に置いたままだった買い物袋を取り……こっそり、リビングを覗いた。


「……あらあら」


 そこでは。ソファで寄り添い合い、静かに寝息を立てる二人の姿があった。


 まるで仲の良い兄妹のように気を許し合い。しかし。兄妹とは確かに違うどこか甘い雰囲気を醸し出していて。


「これは……お母さんがおばあちゃんになる日も遠くないかしらね」


 つい、その日が待ち遠しくなってしまうのだった。

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