第22話 氷姫はまだ恥ずかしい

 すやすやと心地良さそうに眠る東雲。その頭を揺らさないよう、優しく撫でると。


 その頬がだらしなく緩んだ。


 ……これで本当に。寝たフリが出来ていると思っているのだろうか。


 東雲は完璧美少女に見えるが。どこか抜けている所があったりする。

 それが東雲の可愛らしさに拍車をかけているのだが、それは置いておこう。


 あまり意識しすぎてはいけない。そう自戒しながら。さすがに起こさなくてはいけない時間になった。


「東雲、そろそろ時間だぞ」


 そう言うと。東雲は「……ん、う」と言葉にならない声を上げながら起きてきた。


「おはよう、東雲」

「お、おはようございます。海以君」


 頬を少し赤らめながら、挨拶をしてきた。


「そういえば。時間は大丈夫なのか?」

「あ、大丈夫です。お母様に話をしていますので」


 そうか。それなら大丈夫……か?


「ちなみに聞いておきたかったんだが。俺の事は話してるのか?」


 俺がそう尋ねると。東雲はさっと目を逸らした。


「……お友達、とは話しています。お母様には」

「なるほどな」


 まあ、俺も母さんに東雲の事は話してないし。お互い様とも言える。


「で、ですが。あまり遅くなると心配するはずですから。……そろそろ行きましょうかね」

「ああ、分かった。送っていくよ」

「ありがとう、ございます」


 そして、東雲は帰宅の準備を進めていく。……そうしていると。俺はある事を思い出した。


「あ、お菓子の事忘れてたな。どうする? 食べていくか?」


 俺がそう言うと。東雲はくすりと笑った。


「今日はやめておきます。……明日も来ますから。その時にでも」

「そ、そういえば明日は土曜か。分かった」


 明日も東雲は来る。その事に気づいて嬉しくなりながら。俺は頭を振って邪念を捨てた。


「よし、それじゃあ行こう」


 そう言って扉を開くと……幸いな事に。雨はもう止んでいた。


 ◆◇◆


「毎度の事ですが。本当にありがとうございます」

「どういたしまして。ここから帰るのも気をつけてな」

「今日は迎えが来ているらしいので大丈夫ですよ。海以君もお気をつけて」


 海以君は優しい。……とても。


 私を送る際は毎回駅まで送ってくれる。最初に私が頼んだ通りなのだけど。

 ……それが当たり前だと思ってはいけない。


「それではまた、明日」

「ああ。後で来る時間、連絡しておいてくれな」

「分かりました」


 そうして海以君に手を振って、私は駅を後にする。


 駅を出てすぐに。私は自分の家の車を見つけた。私はそれに近づき、二度ノックをしてから乗り込む。



 すぐに、私は異変に気づいた。



 運転手さんが違う。……いつもの運転手さんは、田辺さんと言う名前の。初老の女性であった。


 今日は――


「お、お父様?」


 お父様が運転していた。


「ああ、遅かったじゃないか」


 その冷たい声に。私の心も……すっと。冷えていくのを感じていった。


 ……そうだ。切り替えなければ。


「申し訳ありません」

「……良い。千恵ちえから聞いていたからな」


 千恵ちえ、とはお母様の名前だ。お母様が話を通してくれていた事に安堵しながらも。気を引きしめる。


「それにしても。どうしてお父様が運転を?」

「なに、簡単な事だ。最近は凪と話していなかった事を思い出してな」


 ほんの少しだけ……私は警戒してしまう。


 海以君の事がバレてしまえば。……良くない事になると分かっていたから。

 絶対に隠し通す事を心に秘めながら。私も口を開く。


「そう、ですね。お父様、最近お仕事が忙しかったようですから」

「ああ。だからこそ、たまには話したくなるんだ。……話をしても良いか?」

「……どうぞ」


 手に嫌な汗をかきながら。私はお父様の言葉を待つ。


「最近。稽古以外で外に出る事が多くなったと聞く」

「……はい」


 怒られてしまうだろうか。そう思い、自然と拳を握った。


 しかし――



「楽しいか」



「……はい?」



 静かにそう聞かれ。私の言葉尻は上がってしまった。


 バックミラー越しに視線が合う。その表情は一ミリも変わらない。


「友人と遊ぶのは楽しいか?」

「は、はい」


 私はどうにかそう返すと。「そうか」とお父様は頷いた。

 続けて、お父様は口を開く。


「凪の事だ。友人に時間を使いすぎて稽古や勉学に支障を出すとは思っていない」

「……この前の試験では良い結果を出せたかと」

「だから言っている。凪はよく努力している。……だから、そう構えるな」


 バレていた。私はその言葉を聞いて。少しだけ握っていた拳を緩めた。


「千恵達に連絡もしているし。友人と居る事で得るものもあるだろう。……そして、凪が楽しんでいるのなら。私から言う事はない」


 その言葉に。また私は驚いた。


 きっと、怒られると。そう思っていたから。


「私も千恵も。後悔の多い人生だった。……凪は私達のようにならないでくれ」

「……はい。ありがとうございます」


 私はその言葉に頷き。改めて心に刻み込む。

 お父様とお母様。……私を拾ってくれた二人に。


 受けた大きな恩を返さなければいけない、と。


 ◆◇◆


「今日のお昼はハンバーグを作ります」

「おお」


 東雲の言葉に俺は思わず声を漏らした。


「あのカフェのように、とはいきませんが。普通のハンバーグなら作れるようになりましたし。海以君はお嫌いではありませんよね?」

「ああ、大好きだ」

「……そ、そうですか。良かったです」


 ハンバーグは大好きである。東雲の言葉に食い気味に答えると、何故か顔を真っ赤にしていた。


「わ、私も大好きですから」


 そういえば。東雲は向こうで煮込みハンバーグを食べた時も美味しそうにしていたな。

 そう考えていると……なぜか。東雲は少し頬を膨らませていた。


「……東雲?」

「な、なんでもありません!」


 東雲はぷいとそっぽを向いて。料理の準備を始める。

 俺は相変わらず、手伝いという名のおしゃべり担当である。何か手伝おうと思いながらもやんわり東雲に断られるのだ。


 空色のエプロンを身に付ける東雲。……その後ろ姿に、俺は思わず。考えた事を口に出してしまった。


「こうして見ると。東雲はいい奥さんになりそうだよな」


 言ってからまずいと俺は口を閉じる。しかし、東雲の耳に既に届いていたようで。


 その耳がどんどん赤くなっていった。


 やらかしてしまったと口を噤むと。東雲はばっと振り向いた。

 その顔は真っ赤でありながらも……微笑んでいた。少しだけ悪い笑みだ。


「もう、あんまりからかわないでください――」


 東雲はそう言って、俺に近づき……



蒼太そうた君」


 そう、言った。


 ただでさえ熱かった頬が更に熱を帯び。思考がどんどんと染まっていく。


 そこで、名前呼びは……反則じゃないか。


 東雲は、まるで反撃が成功したとでも言いたそうに。得意げに笑っていた。


 ……俺の胸の中でほんの少し、反抗心が顔を出してきた。


なぎ


 俺がそう名を呼ぶと。東雲の笑顔が固まり。口元がひくひくとし始め……

 その表情が変わる前に、顔を手で覆った。


 そして……俺も。顔を手で覆う。


 俺は、何をしているんだ。


 羞恥と照れが混じり、俺の顔は今大変な事になっているだろう。


「と、とりあえず。一旦名前呼びはやめておこう」

「そ、そうですね、私にはまだ、刺激が強すぎました。またの機会にしましょう」


 ……いつかは名前で呼び合うようになるのか。


 俺は耐えられるだろうか。いや、その時の俺に任せよう。

 呼吸と共に心臓を落ち着けていると。東雲がふと、指の隙間からちらちらと俺を見ていた。


「あ、あの……」

「どうした? 先程の事なら謝るが」

「ち、違います。謝らなくて良いです。……それより、一つ聞きたい事があるんです」

「なんだ?」


 じっと見てくる東雲へ。俺は続きを促した。


「海以君。私は本当に良いお嫁さんになれると思いますか?」


 それは、少し不安そうな言葉だった。東雲もそういう事が不安になるのかと思いながら、俺は頷く。


「ああ。料理も出来るし、優しいし。一緒に居て飽きないし……」


 そして、何より可愛い。

 そう言おうか迷ったが。恥ずかしくなってやめた。


「ふふ、そうですか」


 東雲は俺の言葉に微笑み。やっと手を下ろした。


「それじゃあお昼、作っちゃいますね」


 くるりと半回転し、東雲はキッチンに立つ。後ろ姿しか分からないが、機嫌は良さそうだ。


 そのまま俺は。楽しそうに作る東雲とまた雑談を始めたのだった。

 ……結局、食べるその時まで。お互い、顔から熱は中々引かなかったのだが。


 ◆◇◆


 ハンバーグは海以君にとても好評だった。

 一口食べて顔を綻ばせ、美味しいと告げながら食べてくれるのは本当に……作って良かったと思う。


 ただ、少し物足りなかったのか。最後の一口を惜しそうに食べる姿は……少し可愛らしかった。


 私は自分の物を少し海以君に分けてあげると海以君は喜んで。私までなんだか嬉しくなった。


 そして、食べ終えて。お片付けをした。


 それから私達は、昨日買ったお菓子を食べていた。チップスタイプのスナック菓子と、アーモンドチョコレート。


 どちらも美味しく、さくさくと食べ進められた。


 二人で会話をしながら食べていると。海以君の携帯が鳴った。


「あー……母さんからだ。少し待っててくれ」

「分かりました」


 海以君が立ち上がり、別の部屋へ向かった。その間、私はポリポリとお菓子を食べ。海以君の分を残さなければと手を止めた。



 数分程して、海以君は戻ってきた。……何かを言いたそうにしながら。


「どうされました?」

「あー。いや、な。来週の土曜日に……」


 しかし、言い淀む海以君。私は思わず首を傾げた。

 海以君は一度目を瞑り、ふうと息を吐いて。


 私を見た。


「母さんが来るんだ」


 その言葉に私は少し驚き……慌ててしまった。


「そ、そうなんですか。どうしましょう。新しいお洋服、買いに行った方が良いですよね。普段着だとラフすぎますし」


 私がそう言うと。海以君はぽかんとした表情をしたのだった。

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