2章 氷姫 ??を知る
第21話 今日の氷姫は一段と可愛い
がたんごとん、と揺れる電車の中。真っ白な髪をした美少女を眺める。
神が何年もかけて作ったかのような。とても綺麗な顔立ちは誰もを寄せ付け……そして、凍てついた視線に。皆やられていく。
そんな彼女を朝から眺めるのが、しばらく前までの俺の楽しみであった。しかし現在は――
◆◆◆
「あ、今日はお魚が安いですね……お吸い物と煮付けを作りましょうか」
俺の隣で魚を吟味する美少女。……
痴漢に襲われている所を助け、男性恐怖症を治すため……そして、他の男性より信用が置けるとの事から仲良くなった。
友人だ。……多分。
「今日は和食にしましょうか。酢の物と、お魚の煮付けとお吸い物。これで足りそうでしょうか?」
東雲はそう言って、俺の顔を覗き込んできた。ふわりと甘い匂いが漂い、深い海のように真っ青な瞳が俺をじっと見る。
先程も述べたように。彼女は美少女である。というかドタイプである。
真っ白で、絹のようにサラサラな髪の毛。睫毛は長く、鼻も高い。ぷるぷるとした唇から紡がれる音は耳心地が良く、聞くだけで脳が支配されたかのような感覚に陥る。
「あ、ああ。大丈夫だ」
「わかりました。お魚には自信がありますから、楽しみにしててくださいね」
東雲はカゴに魚入れて、楽しそうに頬を緩めた。その表情はあの時と全くと言っていい程違う。
【氷姫】と付けられた二つ名が嘘に思えてしまうぐらいだ。
「後は……他に買いたい物とかあります?」
「そうだな……。あ」
俺が足を止めると。東雲も足を止め、俺を見て首を傾げた。
「どうされました?」
「折角だ。お菓子も買って行こう。東雲は何か買いたいのはあるか?」
「え、えっと。どら焼きとか。羊羹とか好きです」
「和菓子。……いや、和菓子が好きなのは良い事なんだが」
まさか、と思いながら東雲を見る。
「……普通のお菓子を食べた事がない、はさすがにないよな」
「え、えっと、その。ミルクチョコレートぐらいなら」
「ぐらい、か」
いや、お菓子を食べないのが悪い事とかまったくないし。いい事なんだろうが。
「む、昔から家にあるのが和菓子で。自然と私も和菓子が好きになったので。お菓子コーナーに行っても、同じ物しか買わなくなったんですよね。それか、普通に甘味処で食べるとか」
「急にお嬢様っぽい事言ってきたな」
甘味処、か。逆に俺は行った事ないな。近所にないし。
「しかし……それだと将来が大変じゃないか? もし自分の子供が出来た時、カロリーとか栄養とか。色々把握出来ていないと、与えすぎとか。逆に与えなさすぎて将来に響くかもしれないぞ」
東雲の事だ。いつかはハイスペック男と共になるのだろう。……何も思わない訳ではないが、と考えながら聞くと。
「大丈夫ですよ。その時は海以君が私とその子に教えてくれれば良いんですし」
東雲はそう返したのだった。
「それもそうか」
……ん?
今、東雲。なんと言った?
思わず足を止めて。東雲を見ると。東雲も俺を見ていた。
その真っ白な頬が林檎のように真っ赤になっていき。やがて、それは耳や首にまで侵食していった。
その目は潤んでいき、口をぱくぱくと金魚のように開けている。
……そして。
「い、い、いえ、その。口が滑ったと、言いますか。いえ、違うんです。あの、その、」
「お、落ち着け、東雲。分かってる、分かってるから」
普通に、将来も親子ぐるみで『友達として』仲良くしたいとか。そういうので、言葉選びを間違えただけだろう。
……その、はずだ。
「あ、あぅ……」
しかし、俺の言葉も虚しく。東雲は顔を逸らした。
「お、お菓子は。海以君のおすすめで、お願いします」
「分かった」
東雲が復活するまで、少し時間を要した。
レジへ向かい、支払いをして。俺はまた傘を買い忘れていた事に気づいた。
「悪い、東雲。傘買ってくるから少し待っててくれ」
「……? 私のがあるじゃないですか」
東雲はそう言って、傘から水滴が垂れないよう付けていたビニールを取った。
「さあ、行きましょうか。傘を買うお金も勿体ないですよ」
「……ああ。分かった」
東雲の言葉には一理あった。お金は無駄遣いするべきではない。俺は買い物袋を持ち、東雲から傘を受け取ろうとすると……。
ひょい、とかわされた。
「東雲?」
「海以君は荷物もありますから。傘は私が持ちます」
「いや、しかし」
「もう、これぐらい出来ますから。……ちゃんと濡れないよう近寄ってくださいね?」
そう言って、東雲は傘を差した。仕方ないと。俺はその傘に入った。
先程のように……とまでは言わないが、近寄る。どうにか、そこに当たらないよう。
東雲が。少しだけ怒ったような顔をした。
「……海以君。変な体勢で歩くと骨を歪めますよ」
「いや、でも」
「わ、私は大丈夫ですから。……それとも、私から行った方が良いですか?」
その言葉に俺の頬はひくつき。……それならば、と。俺は少し上げていた腕を下ろす。
……むにゅんと。そこに当たった。
落ち着け。大丈夫、大丈夫だ。平常心を保て。
しかし――
「東雲?」
「ひゃい!」
いつまでも歩き出さない東雲。不思議に思って呼ぶと、慌てたような声が聞こえ。ピクンと肩を跳ねさせた。
……同時に、またそれが当た――平常心。
東雲を見ると、顔を真っ赤にして。しかし、顔を背ける所もなく……上目遣いで俺を見ていた。
今まで見た事がない視点で。東雲が視界に映った。俺の心臓がドクドクとうるさくなり……思わず、じっと見てしまう。
視線が重なり。一秒、二秒と過ぎる。いや、分からない。実際には何十秒。……もしかしたら一分は経っていたのかもしれない。
こほん、と背後から聞こえた咳払いに。俺と東雲は思わず声を上げそうになった。見れば、後ろで女性が邪魔だと言いたげに俺達を見ている。
「す、すみません。東雲、行くぞ」
「は、はい!」
俺は東雲へそう言って、家へと急いだのだった。
◆◆◆
「すっごく美味しかった。東雲、ご馳走様。ありがとう」
夕食を食べ終えて。俺はふう、と長く息を吐いた。
煮物も、お吸い物も、和え物も。全て味が良く、驚く程に箸が進んだ。
俺自身。そこまで魚は好きという訳ではなかった。寿司なんかは好きだが。
こういう食事をあまり食べてこなかったから、だろう。
しかし……思わずおかわりを求めそうになってしまうぐらい。食事は美味しかった。
「お粗末様でした。とても良い食べっぷりでしたね。私も心地良かったですよ」
そうして東雲がお皿を片そうとした。俺がやると立ち上がろうとしたが……東雲が止めてきた。
「海以君は待っててください。……その。ご褒美を貰うためにやっていますから」
その言葉に。再び俺の心臓が嫌な音を立てた。
そうだ、そうだった。
……ご褒美。以前、東雲に頼まれたもの。今回はそれにもう一つプラスするのだ。
俺は一度、目を閉じて瞑想した。
「……よし、大丈夫だ」
高鳴る心臓を落ち着け、俺は東雲を待ち。
「お待たせしました、海以君」
「ああ、ありがとう、東雲」
俺はそう言って、立ち上がる。
「東雲。ご褒美をあげるから着いてきてくれ」
「……? 分かりました」
そうして、東雲を。
俺の寝室へと連れていった。
◆◆◆
「さて、東雲」
俺の寝室……というか部屋は簡素である。
勉強机とベッド。そして、制服や私服を入れるクローゼットのみだ。
そのベッドに座り、東雲を見ると……もじもじとしていた。
「……東雲?」
「は、ひゃい! そ、その。み、海以君! そ、そういうのは、まだ私達には早いと。申しますか!」
「ご褒美。要らないのか?」
別に、嫌ならそれで構わないのだが。そう思って聞くと……東雲はじりじりと近づき。俺の隣に座った。
「さあ、ここ。横になってくれ」
俺がそう言って膝……というか腿を叩くと。東雲は一瞬キョトンとした顔をして。
ほうっ、と。息を吐いた。
「そ、そういう事ですか」
「……? 何の事だと……あ」
その時。俺は気づいた。
ベッドに座り、異性に早く来いと急かす。……ご褒美は要らないのかとまで言って。
……これ。そういう流れにしか聞こえなかったな。
「す、すまない。そういう意味はなかったんだ。誤解を招くような言い方になってしまった」
俺がそう言うと。東雲は顔を真っ赤にしながら……
俺の腿に、頭を乗せた。
「べ、別に。海以君がそういう事をする人じゃないって分かってましたから」
手で顔を隠しながら、東雲はそう言う。
信頼されているのは嬉しい。この信頼を裏切らないようにしなければ。
「ああ。まだ男性が怖いという人に迫るほど落ちぶれてはいないからな」
そう言って、その頭に手を置こうとすれば……。
「……海以君は。怖くありませんよ」
東雲がそう言った。俺の頬は思わず緩んでいき、
改めて、その頭に手を置いた。東雲は大人しく、その手を受け入れたが……顔は隠したままだ。
「ありがとうな、東雲。今日は助かった」
そして、今日の礼を告げる。東雲は何も返さないが……聞いているのは確かだ。
「驚いたぞ、いきなり現れるんだから。……でも、嬉しかった。これで瑛二達に隠し事をしなくても済むしな」
そう言うと。東雲の耳がピクリと動いた。
「……海以君は」
「ん?」
ぼそりと、小さな声で東雲は語りかけてくる。
「昨日、あの方と行って。どんな事を話されたんですか?」
その言葉に、俺は少し驚いた。……もう聞かないのかと思っていたから。
しかし、聞かれたのならば当然話す。
「東雲の事だよ」
「――え?」
東雲は驚き、やっとその手を離した。綺麗な顔がよく見えるようになった。
「東雲、と名前は出してないが。新しく出来た友人、と告げてな。そんなに細かく話していないが。どんな子だとか。そういう話で盛り上がったぞ」
「……そう、だったんですか」
ホッとしたように東雲は息を吐き……俺を見た。
「海以君」
「なんだ?」
「十分経ったら起こしてください」
「え?」
そう言って。東雲は目を瞑った。いきなりどうしたんだと思ったが……もしかしたら疲れていたのかもしれない。
友人に相談事をしていたと言っていたし。睡眠不足だろうか。
東雲の真っ白で、サラサラとした髪の上から頭を撫でる。
手と膝に。暖かい温もりを感じ。俺の頬は段々とだらしなく緩み始めた。
そして――十分近くたっただろうか。俺はその間ずっと、東雲の頭を撫で続け。無防備に眠る顔を見ていた。
「東雲は本当に……可愛いな」
ついぽつりと。そう言葉が漏れ出た。次の瞬間。
ボッと。火がついたように、東雲の顔が真っ赤になった。
「……起きてたのか?」
「……す、すー。すー」
「なんだ、寝てるのか」
わざとらしい寝息に俺は笑いそうになり。どうにかそう言葉を押し出した。
そして……また、五分ほど。東雲を寝かせたのだった。
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