第1章 最終話 第20話 氷姫、動き出す 後編

「……ふぇ?」


 私は間の抜けた声が漏れた。自分でもびっくりするくらい、間抜けな声。


 羽山さんの笑う声が電話越しに聞こえてきた。


『東雲ちゃんもそんな声出すんだ』


 私は少し恥ずかしくなって。こほん、と一つ咳払いをした。


「そ、それより。詳しくお話を聞きたいんですが」

『おっけおっけ。……って言っても話は簡単なんだけどさ』


 私は熱くなっている顔を押さえながら、羽山さんから話を聞く。


『東雲ちゃん、恋した事ないでしょ?』

「……ええ、そうですね」


 恋。それを題材とした小説は読んだ事がある。しかし、それを自分が経験したかと聞かれれば……頷く事は出来ない。


『だからちょっと混乱してるっぽいけど。じゃあ質問。その彼といてドキドキした事はある?』

「……ドキドキ、ですか?」


 私は少し考えた。……彼と居て、ドキドキする事は……。


「……ありません」

『え、まじ?』

「はい。どちらかというと、安心感というか。そういう意味合いの方が強かったです」


 彼の傍に居ると、それだけで心が安らぐ。ついうとうとしてしまうし、リラックスが出来る。


 私がそう返すと。あー、という声が聞こえた。


『そっちね。恋愛っていうか結婚に向いてるタイプ』

「け、結婚!?」


 思わず私は大きな声を上げてしまった。まずいと思ってすぐ口を閉じる。……大丈夫。お母様達の部屋はここから離れている。


『そう、結婚。……まあでも分かんないね。一回自覚しちゃえば心は恋愛寄りになるかもしんないし。明日以降の反応次第かな』


そのまま羽山さんは続ける。


『あ、でもさ。彼が他の女性と居るのは嫌なんだよね。うん、恋だわ。恋であり愛だ』


その言葉に私は困惑しつつ。肝心な事をまだ聞いていなかった。


「え、えっと。その。そちらは一旦置いて。私は解決方法を知りたいのですが」


 私がそう尋ねると、羽山さんは笑った。


『ごめんごめん、そっちね。……でももうちょっと待って。一つ話しておきたい事があるんだ』

「気になる事、ですか?」

『そう。例の彼の親友。それとその彼女の事』


 私はその言葉に思わず首を傾げてしまった。続けて、彼女は説明をしてくれる。


『これは私の直感なんだけどさ。そのお友達は、東雲ちゃんの事を見極めようとしてるんじゃないかなって』

「見極める、ですか?」


 そう、と羽山さんは続ける。


『多分だけど。その彼は東雲ちゃんの事、そのお友達に伝えてないと思うんだよ』

「……そうですね。伝えていないはずです」


 伝えていたら、あの時電車で隠れる事もなかった。私がそう告げると、満足そうに頷く声が聞こえた。


『お、じゃあ合ってるかな。……濁してでも東雲ちゃんの事は伝えてそうな感じ? そのお友達に』

「はい、濁してなら。お洋服を買いに行ったのも、みの――彼のお友達の家族が勤めているお洋服屋さんでしたし。お弁当も、作ったので。少しは話しているかと」

『……大好きじゃん。彼の事。まあ、それは良いんだけど』


 私は羽山さんの言葉にまた顔が熱くなるのを感じながら。話の続きを待つ。


『んー。じゃあさ。そのお友達からすると、東雲ちゃんの事は完全に謎なわけよ。もしかしたら、東雲ちゃんは大切なお友達を弄ぶ悪女かもしれない、って思われてるかもね』

「わ、私はそんな事しません!」

『ははっ、分かってる分かってる。ま、他にも色々可能性はある訳だけど』


 そして、他の事も私は聞いた。


 ・海以君が……私に『恋』をしているが、気づいていない可能性。一度他の女性と接してみて、私へ『恋』をしている事を気づかせる


 ・反対に、私が『恋』をしているが気づいていないだろう、という可能性。相手も海以君の事は理解しているだろうし。海以君が私に全て話すだろうと踏んで。私に嫉妬をさせて、『恋』していると気づかせる。


 ・本当に友人として見てる可能性を追う。


 聞いていて、どんどん顔が熱くなっていった。もう顔で卵焼きが作れそうだ。


『こんな感じかな。可能性が高い、というか。私ならそうするって考えだけど』

「な、なるほど……ですが、これ。お相手の彼女さんが大変な立ち位置では?」

『ま、そうだね。というかこれ、彼女が計画立ててる気がするね。彼女の協力がないと出来ないし。なんにせよ、東雲ちゃんが喧嘩を売られた事に変わりはないから』


 その物騒な言葉に私は眉を顰める。……羽山さんは言葉を続けた。


『友人達は場を掻き乱そうとしてるからね。東雲ちゃんが何かアクションを起こすならよし。恋心に気づいて彼にアタックするなら万々歳。……もし何もアクションが起きなければ、本当に『友人』として見てる。と分かる。直接伝えないけど不快に思っているのなら『彼』が気づく。どうなっても仲は進展する。例の彼に全幅の信頼を寄せてないと出来ないんだけどね』


「す、凄い考えですね」

『案外そこまで考えてないかもしれないけどね。なーんも考えないでただ遊びに行ってるだけの可能性もあるし。でもさ』


 羽山さんは、ふっと空気が抜けるように笑った。


『もし、本当に相手がジャブを仕掛けてきたんだったら。思いっきり右ストレート、ぶつけてみない?』


 ◆◆◆


「こ、こここ氷姫!? なん、いや……そういう、事か」


 海以君の隣にいたお友達が目を白黒とさせて。どこか納得したように頷いた。その隣にいた……お友達の彼女らしき人も。唖然としている。


 そうだ。まずは挨拶をしなければ。


「初めまして。貴方が海以君のご友人ですよね。お話は聞いていました。私は東雲凪と言います。以前から海以君と懇意にさせていただいております。……以後、お見知り置きを」


 そう言って、一つ礼をする。彼らの慌てる音が聞こえた。


「お、いや、その、私は。巻坂瑛二と申しまする?」

「武士か。普通に挨拶しろよ」


 そんな二人のやりとりにくすりと笑いながら……私はもう一人の方へ向く。


「先日は海以君がお世話になったようですね。ありがとうございます」


 私がそう言うと。彼女の喉からひゅっと空気の漏れる音が聞こえる。


「い、いえいえ。あ、私は西澤霧香です。そ、その。命だけはご勘弁を?」

「武士に粗相をした農民か。お前らカップルは揃いも揃って……。というか、東雲もなぜここに」

「その話は後でしましょう。海以君」


 海以君へそう言って。私は西澤さんの耳元へ口を寄せた。


「ありがとうございます。自分の想いに少しは気づく事が出来ました」


 実はそこまで怒っていない事を告げるために、私はそう言った。

 ……思うところがない訳ではない。でも、それ以上に。感謝の気持ちの方が大きい。


 そして、西澤さんは。ピクリと肩を跳ねさせた後に、私の言葉を理解したのか。苦笑いをした。


「さて、海以君。ご友人方に挨拶も済ませましたし。行きましょうか」

「……待て。その、朝も言った通りなんだが。俺は傘を持ってない」

「……? だから私が来たんですよ?」


 真っ白な傘……お母様に買っていただいた、お気に入りの傘を開いて。海以君に向けてそっと手招きをする。


 今日、ここへ来た理由はもちろん、ご友人方への挨拶だけではない。寧ろ、本題は別にある。


 それは、羽山さんに伝えられた事。




 私はまだ。これが恋だ、と胸を張って言えない。……朝から、海以君の隣に居るとドキドキするようになってしまったけど。


 でも、分からない。だから、確かめないといけない。


 本当は、良くない事だ。自分の感情を確かめる為に、海以君を利用するなんて。


 でも、私は知りたい。



 ――これが本当に恋なのか。それとも違う何かなのか。


 もし、恋なら……本で見たそれなら。私は、今の私から変われるかもしれない。


 だから、その為に――


 ◆◇◆


 凄い視線を感じる。それもそうだろう。


 ――俺は今、東雲と帰っているのだ。しかも、同じ傘に入る。いわゆる相合傘で。


 しかも距離が近い。

 俺が傘を持っているのだが。腕に東雲の肩が当たっている。


「そ、そういえば。東雲はなんでここまで来たんだ?」

 俺がそう聞くと。東雲は少しムッとしたような顔をした。


「海以君が風邪を引くのは嫌ですから」

「そ、そうか……」

 いや、そうだよな……うん。東雲ならそう言う気もする。


 その時。東雲の視線が俺に……俺の左半身へ向いた。まずい、バレたか。


「……海以君?」

「な、なんだ?」

「私の見間違いじゃなければ。海以君の左肩が濡れているような気がするんですが」

「気のせいじゃないか?」


 俺がそう言うと。東雲はジトッとした目で見てきた。


 ……ぐ。しかし仕方ないのだ。

 傘の大きさからして。俺達二人が入るには、かなり密着しなければならないのだから。


 そう、思っていると。東雲も同じ事を考えたのか、傘をじっと見た。


 そして――




 ふわりと。甘い香りが脳を刺した。同時に、腕に。そして体に暖かい感覚が走る。


 東雲が、更に近づいてきたのだ。……体を密着させるように。


「し、東雲!?」

「こ、これで。問題ありませんよね?」

 東雲は顔を真っ赤にしながらそう言った。俺も自分の顔が熱を帯びていくのが分かる。


「あ、当たっ、当たってるから」


 俺はどうにかそう告げた。……そう。当たってしまっている。腕に。


 東雲は耳まで真っ赤にして。ほんのり涙目になりながらも……離れようとはしなかった。


「し、仕方、ありません。家に着くまでの、間でしゅから」


 東雲は噛みながらそう言う。……待て。


「家?」

「そ、そういえば言ってませんでしたね。今日は茶道のお稽古だったのですが。先生が熱を出してしまいまして、お休みになったんです」

「……という事は」


 東雲は真っ赤な顔のまま、笑顔で口を開き。


「今日は晩御飯、作ってあげます」


 そう、言った。また手料理が食べられて嬉しくなるのと同時に。心臓がバクバク跳ねるのが分かる。

 それと同時に気づいたのだが……東雲の心臓も、ドクドクと音を立てていた。


 その事を意外に思いながら……その事実がより緊張を生み出し、心臓が痛いぐらい強く鼓動を奏ではじめ……。


 一度、落ち着こう。


 そう思って、冷静になろうと思っていた矢先。


「それと、海以君」

「な、なんだ?」


 東雲が俺の名をもう一度呼んだ。……その位置が耳元に近く。俺はビクリと肩を跳ねさせてしまう。


 そんな事を気にせず……東雲は続ける。


「お家に帰ったら。ご褒美、お願いしますね?」


 そう、言って。笑った。顔は真っ赤で、しかし期待したような視線を向けてきて。


 これから先、俺はどうなるのだろうか。


 これ以上されると。本当に、良くない。




 ――好きになってしまう。


 そう、思いながらも。


「……分かった」


 俺は、そう返す事しか出来なかった。










 第1章 隣町の氷姫 <~完~>

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