第16話 氷姫は甘え上手

「じ、準備は良いか?」

「は、はい」


 俺と東雲は今。お互いを見つめあっていた。理由として……


 これから、東雲の頭を撫でるからである。


 東雲の願い。それは、頭を撫でて褒めて欲しいというものだった。


 俺は凄く悩んだ。いくらなんでもそれはまずいのではないか、と。

 しかし、東雲も勇気を出して言ってくれた。だから、俺は引き受ける事にした。


 そして今に至る。


「い、行くぞ」

「いつでも、どうぞ」


 東雲は顔を真っ赤にしながらも。じっと待っていた。


 俺はゆっくりと。痛い程に鼓動を奏でている心臓を無視しながら、手を伸ばした。


 そして、ぽん、と。サラサラでありながらも、ふわふわな髪の毛に辿り着いた。


 俺とはかなり違い、かなり手入れが行き届いている。絹のように滑らかな触り心地に、俺は思わず驚いた。


 そのまま。ガラス細工の芸術品にでも触れるように。俺は優しく頭を撫でる。


 ほんの少し。東雲の頬がピクリと動いた。


 確か、褒めながらと言っていたか。


 ……褒める、と言われても難しいな。


 ああ、そうだ。折角の機会だ。


「ありがとな、東雲」


 今までの感謝を伝えよう。


「勉強もそうだが。東雲のお陰で、最近は毎日が楽しくなっている。電車の行き帰りもそうだし、夜だってそうだ」


 もし、東雲に会わなければ。あの時助けていなければ。前のように、淡白な生活を送っていただろう。


 俺の言葉に。東雲の頬が緩んだ。


「わ、私も、です。最近は毎日が楽しくって仕方ありません」

「……良かった」


 そのまま、東雲と視線が合う。俺が頭を撫でる度に目を細め。……先程までは結んでいた口角が。今を境に、どんどん緩み始めている。


 ……そろそろ良いだろうか。そう思って手を離そうとすると。


「ぁ……」


 東雲は寂しそうに、俺の手を握った。心臓が嫌な音を立て始める。


「……あと少し。だめ、でしょうか」

「……分かった」


 俺が手を戻すと。東雲の瞳から不安の色は消え。行き場を失った手が……無意識にだろう。俺の太腿の上に乗せられた。


 その手から伝わる温もりに、俺はゾクゾクとしたものを感じながら。決してそれを表面に出さないよう努める。


 そのまま、髪型が崩れないよう。雪のように真っ白な髪の上から頭を撫でる。


 東雲は静かに目を閉じ。ふにゃりとその表情を緩め続けていた。


 ……なんだ。この可愛い生き物は。氷要素どこいった。


 髪を撫で付けるように。そして、労わるように撫でると。東雲の体から力が抜けていくのがなんとなく分かる。


 いつの間にか、最初の真っ赤な顔はほんのりピンクがかってはいるものの。いつもの健康的な肌へと戻っていた。しかし、まだやめないでとでも告げるように頭が突き出されている。


 俺としても、いつまでも続けていたくなるような。不思議な気持ちであった。


 すると、何故か。また東雲の顔に赤みがさしてきた。


「……あ、あの」

「どうした?」


 東雲は顔を上げる。俺は思わず撫でる手を止めてしまったが、東雲の視線が一度そこに向いたので。撫でるのを再開した。


「もっと。甘えてもよろしいでしょうか」


 その言葉に俺は固まった。さすがに良くない。拒否をしろ、と脳の片隅が叫んでいるというのに。


「良いぞ」


 気づけば口から言葉が漏れ出していた。東雲はまた俺の手が止まっている事に気づいて、少し寂しげな顔をする。慌てて俺がまた撫で始めると、面白いくらい簡単に表情が変わった。


 そして。東雲はじっと俺を見て。じりじりと近づいてきた。


 ……まさか、甘えるって。そういう事なのか。


 心臓がはち切れんばかりの勢いで鳴り始める。まだ触れていないが。東雲にも聞こえているんじゃないかと思える程。


 そして、東雲は。前のめりになり、俺に体を預けようと――




 ピンポン


 ビクリと。俺と東雲の体が大きく跳ねた。


「ハウスピザでーす。宅配に参りましたー!」

「……あ、はい! 今行きます!」


 そうだ。もうピザのデリバリーが来る時間だ。……いや待て。という事は俺、十分以上東雲の頭を撫で続けていたのか。


 見ると、東雲の顔は真っ赤になっていた。……俺もそうだが。東雲も少しハイになっていたようだ。


「それじゃあ受け取りに行ってくる」

「は、はい。分かりました」


 俺は立ち上がって、玄関に向かおうとすると。



「……東雲?」


 袖を。東雲にきゅっと掴まれていた。東雲は。じっと、俺を見て。


「また。お願いしてもよろしいでしょうか」


 そう言ってきた。やっと火照りがなくなってきたはずの顔がまた熱くなってくる。



 断るのは簡単だ。というか、断った方が良いだろう。……分かっているのに。


 東雲からの頼みという事と。また、あの表情が見れるのかという思いが溢れ出し。


「ああ、東雲が望むなら」


 と。言ってしまったのだった。


 ◆◆◆


「も、申し訳ありません。少し調子に乗ってしまいました」


 ピザを受け取り、戻ると。冷静になったらしい東雲が頭を下げてきた。


「別に構わないぞ。東雲がちゃんと素を出せてるって事だからな」


 俺はそんな東雲に苦笑しつつもそう返す。


 俺も、冷静になって考えてみたのだ。東雲は普段から自分を取り繕って生きている。……その息抜きになるのなら。自分へのご褒美として、これぐらいは良いのではないか、と。


 そんな事を考えている俺を。東雲がじっと見つめた。


「お、怒ったり。してませんか?」

「怒る?」


 少し不安が残ったようなその声に。俺は思わず笑ってしまう。


 そんな俺を。東雲はきょとんとした顔で見ていた。


「怒るはずないだろ。というか、嬉しかったんだよ。東雲が俺に気を使わなくなっていくのがな」


 物理的な距離も縮んだが。それ以上に、心の距離が縮んだような気がして。

 俺の言葉に東雲は目を丸くした後。柔らかく微笑んだ。


「ふふ。それじゃあ時々。お願いしますね」

「ああ。……だが、周りに人が居ない時で頼むぞ」

「分かってますよ」


 どこか跳ねるようなリズムで。東雲は楽しそうに言う。


 もう、【氷姫】の面影は存在していなかった。


 ◆◆◆


「……! ……!」


 がぶっ、とピザにかぶりついた東雲が目を輝かせる。


 何かを言いたそうにしているが、さすがの育ちの良さ。もぐもぐと咀嚼の方を優先している。


 そして、こくん、と飲み込んだ。


「海以君、海以君! すっごく美味しいです!」

「ああ、見ていて伝わってきたよ」


 隣で美味しそうに食べている東雲を見ていると、こちらまで嬉しい気持ちになる。


 そのまま俺もピザを食べる。やはり美味しい。


「美味しいな」

「はい! とても!」


 俺の言葉に。東雲は笑顔でそう返してくれる。そのまま東雲は美味しそうにオレンジジュースを飲んだり、ポテトを摘んだりして。


 もしかしたら残るかもしれない、と考えていたのだが。ぺろりと二人でたいらげてしまったのだった。


 ◆◆◆


「「ご馳走様でした」」


 手を合わせてそう言ってから。俺は出していた皿を片付け始める。


「お手伝いしましょうか?」

「これくらい大丈夫だよ。東雲は適当にくつろいでおいてくれ」


 洗うと言っても取り皿くらいだ。お箸は使うか迷ったが、東雲が『折角なら手で食べてみたい』と言ったので使わなかったし。


 そうして、台所にお皿を持ってくると。


 とことこと後ろから東雲が着いてきていた。


「……? どうした?」

「あ、えっと、その。き、キッチン! 確認しておきたかったんです。後で使う際、調理器具や調味料の場所を確認しておいた方が良いかと思って」

「そうか」


 スポンジに洗剤を染み込ませていると。東雲が話しかけてくる。


「良かったです。調味料はまだまだありますね。買い足す必要はなさそうです」

「あ、ああ。まだあるから大丈夫だぞ」


 少しだけ心臓が跳ねる。恐らく東雲は、俺は料理が出来るのだと思っている。


 ……上手いこと隠し通せるだろうか。


「あ、調理器具も……新品同然ですね」


 東雲は驚いたような顔をした後……じっと。俺を見てきた。


 ジト目になっているような気がする。


「……」


 じー、と。東雲は見ている。思わず冷や汗が流れるが。……ぐ。


 仕方ない、か。


 俺は皿を洗い終えてから。東雲を見て。


「……実は俺、自炊してないんだ」


 と言ったのだった。

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