第17話 氷姫の手料理

「……自炊されていないのなら。ご飯、どうされてるんですか?」

「こ、コンビニ弁当とか。外食で済ませております」


 今現在。俺は正座をしている。


 そして、東雲が俺のすぐ対面に座り。ニコリと微笑みながらそう尋ねてきた。


 圧が半端ではない。思わず冷や汗が垂れた。


「……コンビニ弁当。私もそこまで詳しい訳ではありませんが、栄養が偏ったり、塩分が高いと聞いています。実際の所、どうなんでしょう?」

「は、はい。おっしゃる通りでございます」


 俺の言葉に。東雲から発せられる圧が大きくなった……気がした。


「今はまだ良いかもしれません。しかし、将来的には不利益となる可能性が大きいです。……海以君なら理解していると思いますが」

「……何も言い返せません」


 痛い所を突かれるが。本当にその通りである。


 しかし、東雲は俺を見て。少し難しそうな顔をしながらも頷いた。


「まあ、一人暮らしが大変だということも理解できます。どうやら料理以外はしっかり出来ていたようですし」

「は、はい」

「あと先程から。妙な敬語は使わないでください」

「あ、ああ。分かった」


 なんとなく俺も敬語になっていたが。東雲に言われたのでやめる。


「……仕方ありません、海以君」

「な、なんだ?」

「毎週土曜日。時間は空いてますか?」


 俺は東雲の言葉に首を傾げた。


「基本は空いてるが」

「分かりました」


 東雲は一度頷き、まっすぐと俺を見て。


「私も土曜日は習い事を入れていないので、ご飯を作りに来ましょう」


 そう言った。俺は思わず目を見開いてしまう。


「い、良いのか?」

「はい。大切なお友達が病気になったり、免疫力が低下したりするのは嫌ですから。……それと」


 続けて東雲は、顔を少し赤く染めながら。俺をじっと見た。


「海以君が良ければ。学校がある日はお弁当を作ってきましょうか?」

「え……」


 その時俺は、さぞ間抜けな顔を晒していた事だろう。

 東雲はクスリと笑う。


「ふふ。海以君もそんな顔するんですね」


 俺は一度頭を振って表情を正し。改めて東雲を見た。


「だ、だが。さすがに負担になるだろ」

「一人前も二人前もあまり変わりませんよ。私、お弁当は自分で作るタイプなんですが。……お手伝いさんに話しておけば、お母様達にバレることもありませんし」


 ほ、本当に……良いのだろうか。


「お、お礼だと考えてください。……ま、また。お願いする事があるはずなので」


 ……ああ。そういう事か。いや、しかし。それだと俺が貰いすぎな気がする。


「……今度は膝枕つきでやってやろうか?」


 俺は思わず冗談交じりにそう言って。

 少し悪ふざけがすぎたかと東雲を見ると。


「へ? ……い、良いんですか?」


 東雲は案外乗り気であった。


「お、おお。東雲がそっちの方がよいんだったらあ」

「じゃあ、お願いします」


 まあそれぐらいなら。とは思ったが。


 もしかして、流れでとんでもない事を決めてしまったか?


 いや、東雲が作ってくれるというなら安いものだろう。


「朝、渡すようにしますね。お弁当」

「……ああ。ありがとう」

「ふふ、どういたしまして」


 東雲は微笑み。さて、と立ち上がり。


「それじゃあお話はこれくらいにして。一緒にお買い物、行きましょうか」


 そう言ったのだった。


 ◆◆◆


「あ、今日はじゃがいもが安いですね。というか、ここのスーパー。全体的に安いです」

「……なんか意外だな」


 じゃがいもの質を見定める東雲を見ながら。俺はそう言葉を漏らした。東雲が首を傾げて俺を見てきた。


「東雲ってお嬢様みたいな……というか、実際お嬢様だろ? 完全に俺の偏見ではあるが、お金持ちは値段とか気にしないのかと思ってな」

「お父様からの教えですね。『常識は知るべきだ。特に若いうちに』との事です」


 ……なるほど。前から思っていたが、東雲の父親は凄そうだ。


「私もまだまだ常識知らずではありますが。お買い物くらいは一人で出来るんですよ」

「凄いな、東雲は」


 俺がそう言うと。東雲は得意げに笑う。


「ふふ。もっと褒めてくれても良いんですよ?」


 東雲は先程のあれから少し変わったような気がする。もちろん、良い意味で。


「それじゃあ次は……そういえば。カート、運んでくれてありがとうございます」

「ん? いや、これぐらいはしないとな」


 じゃがいもをカートに入れながらお礼を告げてくる東雲へそう返し。俺達は歩き始めた。


 東雲は相変わらず俺の隣に居て。目的の品がある所に着くと、じっくりと品を見定め始める。俺はそんな東雲を眺めながら……ふと、思った。


 恋人が居ればこんな感じなのだろうか、と。


 すぐに頭を振って邪な考えを消し去ろうとした。良くないぞ、俺。


「海以君はどのお肉が……海以君? どうされました?」

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」


 そうですか、と東雲は返して。お肉をいくつか取った。そして、また俺達は歩き始めるが……


 一度考えてしまった事はなかなか消えてくれず。心臓は、普段より早く鼓動を奏でていたのだった。


 ◆◆◆


 家に帰ってすぐに。東雲はカレー作りを始めた。俺はちょっとした手伝いに呼ばれたのだが……あまり手伝える事もなく、喋る相手になっていた。


 東雲は手際よく料理を進めた。疑っていた訳では無いが、本当に料理が出来るらしい。


 そして、煮込みを終えて。時刻は六時を過ぎた頃。


「はい、出来ましたよ。海以君」

「おお!」


 そう言って東雲がことりとお皿を置くと、そこから湯気が立ち上る。


 スパイシーな香りが鼻を刺し、丁度空き始めたお腹が鳴った。


 肉と野菜がゴロゴロしていて。お米もツヤツヤと光り輝いている。


「はい、お水です。それではいただきましょうか」

「ああ、ありがとう」


 準備を手伝おうと思っていたのだが。東雲はすぐ終わるからと断り、準備をしてくれた。


 東雲はどういたしまして、と言ってから。隣に座る。


 一度視線を交わし、微笑み合ってから手を合わせ。


「「いただきます」」


 食事を始めた。


 まずはお米と少量のルーを掬う。湯気が立ち込めたので、息で冷ましてから。口の中へと運んだ。


「……!」


 ピリッと舌を焼くような痛さと熱さ。それをお米がマイルドにしてくれて。肉や野菜から染み出した旨みが味蕾みらいを刺激した。


「……美味い。めちゃくちゃ」

「ふふ、良かったです。お口に合ったようで」


 東雲は俺が食べるのを見守っていたようで。俺の言葉を聞いて、ホッとしたように笑った。


 そのまま俺は二口目三口目を食べ進める。


 肉は牛肉を使っており、噛むとほろほろと崩れていく。じゃがいももほくほくで熱く、少し舌を火傷しそうになった。


「まだまだたくさんありますから。ゆっくり食べてくださいね」


 そんな俺に東雲は暖かい眼差しでそう言い、自身もふーふーと冷ましながら食べていた。


「凄い、めちゃくちゃ美味いぞ。東雲」

「ふふ。ありがとうございます」

「お礼を言うのは俺の方だ。ありがとな」


 ちゃんと味わいながらも。かなり早いペースで食べ進めていく。


 東雲はそんな俺を見て、嬉しそうに目を細めた。

「ご飯を美味しいって言われるの。そして、美味しそうに食べてもらえるのって。とても嬉しいんですよ」


 ……ああ、そうか、


「だから東雲はあんなに美味しそうに食べるんだな」

 東雲の食べっぷりは見ていて心地いい。しかし、東雲は「ふぇ?」と変な声を出した。


「た、確かに、言葉に出すようにはしていましたが。そこまで分かりやすかったですか?」

「……気づいてなかったのか」

「そ、そうですね。あ、ああ。だからあんなに食べてる私を見て……」


 途端に東雲の顔が真っ赤になっていく。そして、両手で顔を覆った。


「す、少し恥ずかしいです」

「俺は良いと思うぞ? 美味しそうに食べる東雲はかわ……見ていてこっちも美味しくなるからな」


 思わず「可愛い」と言おうとして。さすがにデリカシーがなさそうだと止めた。しかし、東雲は顔を真っ赤にして……その指の間から覗く瞳がお皿に移った。


「あ、お、おかわりいりますか? 入れてきますね!」

「お、ああ。ありがとう」


 そして、俺のお皿を取り。キッチンへと向かっていったのだった。


 ◆◆◆


 夕ご飯を食べ終えて。少しゆっくりとしてから、東雲を送る。


「色々。本当にありがとうございます、海以君」


 電車の中。東雲はいきなりそう言って、軽く頭を下げてきた。


「海以君のお陰でとても楽しい休日を過ごせました。……今までで一番楽しかったかもしれません」

「俺こそありがとう。とても楽しかったし、美味しかった。明日もありがたくいただくよ」


 カレーはお鍋で作っていたから明日の分まである。今からでも楽しみである。


「それと、弁当の事も。ありがとな」

「ふふ。腕によりをかけて作りますからね」


 そして、東雲の家の最寄り駅へと着くと。



「海以君」

 楽しそうに。一度、俺の名前を呼んだ。


「ありがとうございます。そして、言うタイミングを逃していましたが、どういたしまして」

「……ああ。俺こそどういたしまして。そして、ありがとう」


 俺もそれに呼応するように返すと。……東雲は手を差し出してきた。


「これからも。よろしくお願いしますね」


 俺は、その手を握り返した。


「ああ。これからもよろしくな、東雲」


 あの時から大きく変わった日常。しかし、もうその日常が手放せなくなるくらい……俺は東雲に染まりきってしまっている。


 しかし、こんな日常も悪くないなと。俺は笑ったのだった。




 ……この時の俺は、まだ知らなかった。


 またすぐに。新たな日常が顔を見せる事になるなんて。

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