第11話 ピンチ到来

「ありがとな。この二日間でかなり追い込む事が出来た」

「いえ、私こそありがとうございました。……今回こそ、英語で良い点が取れそうです」


 電車の中。つり革を掴み。二人で揺られながら帰っていた。


 今日もかなり勉強は捗った。東雲は勉強を教えるのがとても上手い。分からない所は全て理解出来るようになったし、暗記もかなり出来た。


「それに……楽しかったです、凄く」

「ああ、俺もだ」


 微笑みながらそう言う東雲の言葉に。俺は頷く。


 俺自身、勉強がそんなに嫌いじゃないという事もあったが。……もし、俺が勉強が嫌いだったとしても。楽しめていたと思う。


「料理も美味しかったしな」

「はい! また食べに行きましょうね!」


 ……こういう所だぞ。


 もし東雲に友人が多くいれば。コミュ力の問題ではないのだろうが。


 そうすれば、今以上に人気だっただろう。男女問わず。それと同時に、かなりの男たらしになっていそうだ。

 いや。そんな考えは良くないか。


「ああ。また行こうな」


 そう返して。すると、ふと。東雲が俺を覗き込んできた。


「すみません、一つ。聞きたいんですが」

「なんだ?」

「海以君って本当に恋人とか。居ないんですか?」


 今まで言われた事のない、そんな言葉。思わず苦笑が零れた。


「居ないぞ。悲しい話だがな。今まで、東雲以外に女の友人など――」


 一瞬。瑛二の彼女の事を思い出した。……あれは友達カウントして良いのだろうか。

 いや、瑛二の彼女は瑛二の彼女以外の何者でもないな。


「居なかったからな」

「……妙な間がありましたが」

「気にしないでくれ。友人の彼女だ。多少話した事はあるが、友人かどうかは分からん」


 別に隠す必要もない。こういう時は素直に話した方が良いだろうし。


 なるほど、と東雲が頷き。また俺を見た。


「すみません。なんというか。女性の扱いに慣れていると言いますか。今までの言動から見ても、恋人が出来ない方がおかしいと思えるくらい。良い人でしたから」

「はは。お世辞でも嬉しいぞ」

「お世辞なんかじゃありません」


 乾いた笑いと共に俺が言うと。


 珍しく。東雲は声に少し怒りを含ませた。


「海以君は人に気を使えて、優しく。勇気のある人です。海以君と出会ってから短い期間ではありますが。それが伝わりました」


 まっすぐ、目を見て。そう言われた。


 東雲はこんな所で嘘をついたりしない。そう、分かっている。

 しかし、心の中のモヤが引っかかって。つい口を開いてしまう。


「……分からんぞ? もしかしたらそうやって東雲と仲良くなりたい、下心を隠してるだけなのかもしれない」

「これでも、人を見る目は培ってきたつもりです。それと、私のお友達をそんな風に言わないでください。例え本人であろうと。怒りますよ? ……絶対に、そんな事はありえませんから」


 東雲の言葉に。俺はふう、と息を吐いた。


「すまない。自虐が過ぎた」


 良くない。必要以上に自分を下げる事は。反省していると、東雲も頭を下げた。


「……いえ。私も少し熱くなってしまいました。すみません。ですが、これだけは伝えさせてください」


 東雲はまた俺を見て、柔らかく笑う。


「あの時、海以君に助けを求めて。正解でした。まだ、男性は怖いですが。楽しく日常を過ごせているのは海以君のお陰です」

「……どういたしまして」

「ふふ、そういえば。私が海以君に興味を持ったのがそれでしたね」


 東雲はくすりと笑う。俺はそんな東雲を見て……


「東雲は。変わったよな、色々と。そちらが素なのかもしれないが」


 そう、言ってしまった。


 言ってから、俺はまずかったかと口を閉じる。


「……そう、ですね。こちらが素、なのかもしれません」


 東雲は静かに笑った。怒っている訳ではなさそう……だ。多分。


「ですが、そろそろ。私生活でもボロが出そうなので。気をつけなければいけませんね」


 あ、違う。良くないやつだ。これ。


 なんとなく変わった空気に、俺は冷や汗をかく。


「俺はそっちの東雲の方が……良いと思うぞ?」

「いえ。……その、ですね」


 東雲は少し躊躇った後に。口を開き始めた。


「私の父は、有名な事業家なんです。色々な有名人やお金持ちの人との付き合いがたくさんあります」


 東雲の家の事を聞くのは初めての事だ。俺は驚きながらも、話の続きを聞く。


「父は、よく私に言っていました。『この業界では人に弱みを見せないようにしなければならない。その為に自分を取り繕うのが最善である』と」


 凄い、教えだな。


「だから。いつもは取り繕っていると?」

「はい。私もいつかは父の事業を継ぐか。それか……いえ。父の言う通りに私は過ごして来ました。ですから、今の状況は……良くはありません」


 なるほど。なるほど……。


 他人の家庭の事情に深く突っ込む訳にはいかない。

 しかし、それが東雲にとって良くない事なのではないか、と思ってしまう。


「この前、学校でも言われたんです。その……授業中に。少し顔が緩んでしまってると」

「……? なんでだ?」

「海以君と一緒に居る時の事を思い出して、楽しくなってしまったからです」


 その、直球で告げられた言葉に。俺の顔が熱を帯び始めた。


「……ですから。少し、気を引き締めなければいけません」


 俺は東雲の言葉に火照った顔を冷ましながらも考える。


「……なあ、東雲」

「なんでしょうか」

「東雲の父親は。ずっと……厳格というか。気を張りつめているのか?」


 東雲の言いたい事は分かった。そのために、自分を取り繕っていた事も。


 しかし。それだと疲れてしまわないだろうか。


「……はい。少なくとも、私の見てる前では」

「それなら。東雲の母親と二人で居る時はどうだ? 聞いた事はあるか?」


 俺の問いに。東雲の表情は固まった。


「……聞いた事、ありません」

「東雲の考えを否定するつもりはない。それを前提に、俺の考えを聞いてくれないか?」


 東雲の将来を考えるのなら。その方が良いかもしれない。……しかし。


 友人として。そんなの、良くない気がした。


「……聞きます」

「ありがとう。俺はな。気を緩める、というのも大事だと思っている」


 脳内で自分の考えを整理しながら。東雲をじっと見つめた。


「もちろん、常に努力を続ける姿勢は凄い事だし。大事な事だと思う。だけどな。……いつか、疲れる時が来ると思うんだ。そうなると、何に対してもパフォーマンスが落ちてしまう」


 俺の言葉に静かに……東雲は頷く。


「理解は、出来ます」

「……別に、素の東雲を常にさらけ出せとは言わない。それが東雲の意向とそぐわない事は知ってるし」


 ああもう、また顔が熱くなってきた。


 しかし、言わねばならない。


「せめて、俺の前に居る時くらいは。楽にして欲しい。その方が。今の東雲を見れた方が、俺も嬉しいから」


 まっすぐ、東雲を見据えて。素直な気持ちを伝える。

 東雲は、そんな俺をじっと。……長い間、見つめる。


 ふっ、と。その頬を緩めた。


「分かりました。お友達の頼みなら断れませんね」


 俺は心の底から安堵して……どうしてここまでホッとするのかと疑問に思った。

 その疑問が解消される前に。東雲は言葉を続けた。


「それに、海以君の言う通り。生活に緩急を付けるのも大切でしょうし。その訓練にもなりますから」

「ああ……そうだな」


 その言葉に俺も微笑んでいると。スマホの通知が鳴った。


「悪い、少しスマホを見る」


 そう断ってスマホを見る。通知は瑛二からであった。


『先に蒼太の家の最寄り駅に向かっとくな。今高校の近くの駅で、次の電車に乗る予定だ。あとどれぐらいかかりそうだ?』


 俺は冷や汗をかいた。


 次の駅は、俺の通う高校から一番近い……普段乗り降りをする駅だったから。

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