第6話 氷姫の顔の良さを嫌という程思い知らされてしまった
「……という事があったんです」
「良かったじゃないか。話しかけられて」
帰りの電車では勉強をしながらも。今日何があったとか、どんな勉強をしたとかの雑談をしたりする。
学校であった話を聞いて、俺は苦笑しながらそう答えた。
それにしても、ついに東雲に話しかけてくれる子が現れたか。……もしかしたら。東雲の友人になるかもしれない。
とても良い事だ。そう思って返したのだが。
「それは……そうですが。もう、これからは気をつけます!」
少し怒ったようにそう返された。……俺との関係を聞かれただけだと言われたが。他にも何か言われたのだろうか。
しかし。東雲の言動は男女の友情のそれに比べれば少し近い気がする。物理的な距離感もそうだし……こうして話してくれるのもそうだ。精神的な距離も近いような気がする。
まあ、男女の友情を語れるほど俺はそのケースを知らないのだが。もしかしたら、これが普通なのかもしれない。
絶対に、勘違いをしてはいけない。彼女は俺がどれだけ手を伸ばしても届かない、遥か遠くに居る存在なのだ。
……よし、大丈夫だ。
「ああ、そうだ。しの――」
「きゃっ」
その時。電車がガタンと揺れた。俺は体勢を崩しながらも。東雲の体に当たらないよう壁に肘を着く。
「いっ……東雲、大丈――」
肘を打った痛みに悶えながらも。怪我がないか東雲を見ようとすると。
目の前に。綺麗な顔があった。
深く、底まで引きずり込まれそうな。深い蒼の瞳。荒れ一つない肌に、薄い桃色の唇。
その深い……海の底のような瞳に。心が全て引きずり込まれそうになる。
そんな顔が、目の前に。……何かがあってしまえば、触れかねない程の距離に。
やけに甘い香りが脳天を突き刺した。思考が働こうとするも、その匂いに阻まれる。
「ぅ、あ……」
思わず。そんな声が漏れてしまった。それは、とある事に気づいてしまったから。
高鳴っていた胸が更に勢いと激しさを増していく。俺の視線が下へ移っていくと。
東雲の胸が俺の胸に押し潰さ――
「だ、大丈夫でしょうか? 海以君」
その言葉に。急速に頭が冷え始める。
目を瞑り、呼吸を整え。頭の、心の冷却を加速させ……改めて、東雲を見た。
「……俺は問題ない。東雲はどうだ?」
「は、はい、大丈夫です。しかし、その……」
「分かってる。俺も今全力で退こうとしている」
しかし、背中が押されて動けない。向こうで誰かが転んだのかもしれない。
俺を支えている腕もぷるぷると震えている。俺はインドア系なのだ。耐えるので精一杯だ。
「す、少しだけ。我慢してくれ」
「は、はい……分かりました」
そのまま数分ほど……その状態のままであった。その端正な顔立ちや甘い匂いに脳を焼かれながらも。俺はどうにか……耐え切った。
「ふう。すまなかったな」
「い、いえ。大丈夫です。海以君こそ本当にお怪我は……?」
「大丈夫だ。……強いて言うならば。腕が少し痛いくらいだな。まあ、時間が経てばどうにかなる」
痛いと言っても一時的なもの。数分もすれば良くなるだろう。
そう俺が言うと、東雲はホッとしたように頬を緩め。
東雲は改めて俺を見てきた。
「……その。ありがとう、ございました。守っていただいて」
じっと、顔を見ながらそう言われ。えも知れぬ感情が湧き上がってきた。
「い、いや……これも最初の約束の内だ。気にする必要はない」
そう返すと。東雲はニコリと笑った。
「それでも、ありがとうございました」
その笑顔は反則だろうと思いながら。
「……どういたしまして」
俺は、そう返したのだった。
結局。土日のどちらに行くのか、聞くのを忘れてしまった。
◆◆◆
「ただいま」
そうポツリと呟くが、当然返事は無い。昔からの癖のようなものだ。
俺の実家はかなり田舎の方にある。高校進学に当たって引っ越してきたのだ。
俺には広すぎる1LDKの部屋。父さんや母さんが『もしかしたらお友達を呼ぶかもしれないし、家計的にも問題は無いから』と決めたのだ。……ありがたい話だが。いつか瑛二を呼ぶ日が来たりするのだろうか。
そのいつかが来た時のために掃除はこまめにやっている。掃除は、なのだが。
「さすがに自炊を覚えないとな……」
買ってきたコンビニ弁当をテーブルの上に置きながらそうボヤく。最初の数日は自炊をしていたものの、途中から面倒になってやれていない。今の健康は若さが勝ち取ったものだろう。
しかし、それもいつまで続くかは分からない。
「はぁ……復習するか」
俺はカバンを寝室に置いて。現実から逃げるために、勉強を始めたのだった。
◆◆◆
「えっ……どっちか、でしょうか?」
「……あ。もしかして両方だったか?」
朝。早速聞いてみると、東雲は少し困惑した表情をし……真っ赤な顔をした。
「す、すみません。……今週末と言ったら伝わると思っていて」
その言葉を聞いて……自省する。
「いや。俺も自分で勝手に決めてしまっていたな。……ちなみに。時間はもう決めていたりするのか?」
「い、行こうと思っていたカフェが予約制でして。朝一の九時から予約を……」
「そうか……いや、悪いのは俺だ。ちゃんと聞いておけば良かっただけの話だし。勘違いをしていたのは俺だからな」
自分一人のものさしで測ろうとしてはいけない。きちんと東雲と話をしておくべきだった。
……それはそれとして。友人が出来て舞い上がり、勢い余って準備を進めていた東雲というのは。可愛いな。
いや待て、落ち着け。あまり考えすぎるな。そのうち良くない方向に向かうぞ。
友達。あくまで友達。それ以上でも以下でもない。
東雲から視線を逸らし、そう自分に語りかけてから。東雲へ疑問をぶつけた。
「ちなみに聞いておきたいんだが。何時までの予定なんだ?」
「土曜日は十八時までで、日曜日は十六時までです。すみません、勝手に決めてしまって。……勢いのまま電話をしてしまいました」
「いや。……それならどうにかなりそうだ。うん。ありがとな、予約までしておいてくれて」
十六時までなら。……十七時から勉強会をすれば。まあ、どうにかなるだろう。
……瑛二が良ければ俺の家でしても良いし。
「い、いえ」
「ちなみに場所はどこなんだ?」
「電車で海以君の降りる駅から三つ数えた場所。そこからバスですぐです。数ヶ月前から人気になり。つい最近、学生向けに一定の席を長時間使えるようにしたらしいんです。予約制にはなりますが」
「ああ……そういえば何度かテレビで紹介されていたな。黒い猫が有名な」
「はい、そこです」
学校の人達も何度か話をしていたな。なんでも、料理のコスパが凄まじいとか。学生向けの値段で凄く美味しいとか。
「分かった。じゃあ土曜日は八時半に東雲の乗る駅で良いか? それとも八時が良いか?」
「あ、はい。八時半で大丈夫です。もし居なければ、ホームで待って頂けると嬉しいです」
「了解だ。……っと、もう駅か。それじゃあ今日も頑張ってな」
東雲の高校がある駅に着くと、軽く会釈をしてきた。
「ありがとうございます。海以君も頑張ってください。……それでは、また帰りに」
「ああ。またな」
……スタイルも、顔も、性格も。完璧であるとはこの事なんだろうな。いや、完璧というか。人間力が高いというか。どうして友人が出来ないのだろうと思うほどに。
そうして、駅のホームへ向かう東雲をボーッと見つめていたのだった。
◆◆◆
「という事で十七時からでも良いか?」
「おお! 良いぞ! もちろんだ! 助かる! 俺らは時間何時まででも行けるぞ! 蒼太はどうだ?」
「俺も基本的には何時まででも。ああ、そうだ。それと。場所なんだが……俺の家はどうだ?」
俺がそう聞くと。瑛二はおっと嬉しそうな声を上げた。
「いいのか?」
「ああ。実は俺、一人暮らしなんだ。なんなら夕飯は宅配でも頼んで食べていくか?」
「あお! めっちゃ楽しそうじゃん! そうしようぜ!」
笑顔で何度も頷く瑛二へ笑いかけ。……今週の予定は全て埋まったのだった。
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