その先に

 次の日。私は昨日と同じように、白砂くんのクラスのホームルームが終わるのを待っていた。伝えないといけないこと、伝えたいことがたくさんある。でも、そんな勇気だけでここに立っていられるほど、私は強くはなかった。いつもの私なら、ガラスの向こうに揺れる人影を見て、逃げ出してしまっていただろう。

 でも、今日は、絶対に逃げてはいけない。

 輪郭のぼやけた「さようなら」が聞こえてきて、次の瞬間教室のドアが解放される。人がいったん出ていったあと、教室の中を覗き込み、彼の姿を探す。

 友達と愉快に話している彼の姿が目に留まる。肩を穏やかに揺らしながら、笑い合っているのが背中しか見えていなくても分かる。「じゃあな」と挨拶して、彼がドアの方向を向いた瞬間、私と目が合った。彼が私から目を逸らしかけたその時、私は叫んだ。

「白砂くん!今ちょっと時間あるかな?」

「ある」

 低い声で短く彼は呟く。私は彼が教室から出てくるのを待ち、一緒に下駄箱まで行く。

「昨日はごめんね、白砂くんが私のことたくさん知ってても、知られたくなかったことってあるよね」

「俺こそ、なんっも話せなくて、小春に嫌な思いさせてた。ごめん」

 沈黙が流れる。いつしか私たちは校門をくぐっていた。人通りが少なくなってきたところで、本題に入る。

「私、白砂くんのこと知らずに色々押し付けちゃったかもしれない。」

 ―――佐野初花さんが・・・

 その名前を出していいのか迷った。けど、逃げてはいけない。踏み込んではいけないかもしれない領域だけど、見てしまった以上は引き下がれなかった。

「佐野――初花さん、のこと、昨日知ったんだ」

 佐野初花、という固有名詞を聞いた瞬間、彼が一瞬息を呑んだのを、私は見逃さなかった。

「それ、誰から聞いたの?」

 彼は若干の怪訝な面持ちで尋ねてくる。

「えっと・・・昨日、自分自身で・・・」

 私はこれ以上言えることがなく、苦笑いしながらそう言った。嘘一つついていないのに、確実に理解されない、と諦めまで感じてしまう不思議な感覚だ。

「自分自身で?そんなことある?」

 すかさず聞き返してきた彼の目をしっかりと見つめ、頷く。

「小春って相変わらず面白いな」

 彼は目をほんのり細めて、私に笑いかけた。その笑顔がいつまでも続いてほしい、と微笑み返しながら、強く願っている。

 分かれ道が来る。ここからは、方向が違うので、一人で帰ることになる。

「じゃあね」

 心の奥から湧き出てくるような笑顔で、お互い言葉をかけあって、今日は別れてきた。

 たたん。

 一歩踏み出すと、また黄緑色の彼の背中が見える。その隣に、小さく私の像が、結ばれていた。

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踏まれ、踏んで、踏み込んで 潮珱夕凪 @Yu_na__Saltpearl

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