ぎみちょこ②

 放課後。ゆまはチョコを食べながら、雪の降る街を歩いていた。

 頭に雪をつけて歩くゆまを、いつもの私なら可愛いと思っただろう。だけど今の私にはそう思うだけの余裕がない。


「ゆま。チョコ、歩きながら食べていいの?」

「これは友チョコだから。本気っぽいやつは家でちゃんと味わって食べるよ」


 ゆまは人の思いには真摯に向き合う。

 それは私が一番よく知っていることだった。

 でも。


 今は、他の人の思いじゃなくて、私の思いに向き合ってほしいと思う。

 一年で何人もの男子に告白してきた私の思いは、ゆまには軽薄に見えているのかもしれないけれど。


 本当の私の想いはずっと変わっていない。

 ゆまのことが好きだ。

 私のために必死になってくれて、いつだって私のことを考えてくれて。


 私に生きていいんだと信じさせてくれた彼女のことが、ずっと昔から好きだった。


 だからもっと、彼女の感情が欲しかった。

 私が誰かと話していたら、嫉妬してほしい。

 私が離れたら、寂しがってほしい。

 私が笑ったら、彼女も一緒に笑ってほしい。


 彼女の感情を全て私のものにしたい。私はゆまがいないと生きていけなくて、彼女もそうであるはずだから。

 なのにどうして、私にはちゃんとチョコをくれないの?


「毎年そうしてるの?」

「まあね。メッセージカードがついたのもあったりするから、ちゃんと返事もしてる」


 ゆまが遠のいてしまう気がして、私は息が苦しくなった。

 ゆまは私をずっと追ってくれていたはずだ。

 でも、本当は違うのかな。


 いや。そんなはずない。ゆまはいつでも私を第一に考えてくれている。そのはずだ。


 だって、そうじゃなきゃ。

 私が生まれてきた理由が、わからなくなるじゃないか。


「モテるんだね」

「まあ、それなりに。モテるって言い方は、あれだけどね」

「……告白、たくさんされるの?」

「主に同性にね。……結構本気でしてくれる子が多いから、断るのが心苦しいけど」

「ふーん」


 どうでもいい。

 ゆまが誰に告白されたって。

 ゆまが私のものだって事実は変わらないはずだ。


 なのに心のもやもやが止められない。苛立ちに似た感情がふつふつと湧き上がって、どうしようもなくなる。


「でも、ゆまは昔から告白断るのに慣れてるじゃん」


 声が少し震える。

 変なことを言ってしまいそうだ。


「んなことないけど」

「あるよ。だって中学生の頃も、男子の告白、断ってたじゃん」

「……? あったっけ、そんなの」

「忘れたの? 吉田君。ゆまが好きだった男子」

「……あれ。私、吉田に告白されてたんだっけ」

「本当に、忘れてたんだ」


 ゆまは不思議そうに首を傾げて、止まった。

 もう数メートル先に家が迫っているけれど、このままずっとここにいればいいのに、と思う。


 今はゆまと一緒にいたくない。

 でもゆまとは一秒でも長く一緒にいたい。相反する感情に満ちた胸は張り裂ける寸前で、一歩間違えればゆまに変なことをしてしまいそうだった。


「断った理由聞いても答えなかったけど、あれ、私のためでしょ」

「なんでそうなるの。そもそも、覚えてないし」

「じゃあ、思い出してよ。ゆまならきっと、思い出せるはずでしょ」

「知らんし」


 ゆまはそう言って、また歩き始めてしまう。

 手なんて簡単に握れるはずなのに、今日はどうしても彼女に手を伸ばすことができない。


 冷たい手は空気を掴むばかりで、彼女の体温までたどり着かない。

 私は慌てて彼女を追う。


 前と違ってゆっくり歩いている彼女に追いつくのには、そう時間はかからなかった。


「思い出せた?」

「出せない。吉田のこと、言われるまでそもそも忘れてたし。思い出さないってことは、そんな重要じゃないってことでしょ」

「じゃあ今告白断ってるのは、どうして?」

「好きじゃない相手と付き合うとか、どっちのためにもなんないでしょ。不誠実だし」

「じゃあ私以外に好きな人ができて、その人に告白されたら付き合うの?」

「……そりゃ、付き合うでしょ」

「でも吉田君とは付き合わなかった」


 あの頃ゆまは確かに、吉田君のことが好きだった。

 彼に告白されて喜んでいたのも確かだ。でも即答はせずに時間をもらって、結局彼女は吉田君のことを振った。


 その理由なんて一つのはずだ。

 それをゆまの口から聞きたい。


 いつも以上に、今。今彼女の口から、私への想いを聞きたい。確かめたい。

 好きって言って。ゆまが好きって言ってくれなきゃ、やだ。


「何を言わせたいわけ?」

「私のこと、好きって言って」


 縋るように言うけれど、ゆまは眉を顰めるのみだった。


「無理」

「言ってよ、ゆま」

「無理だって、言ってるじゃん」

「言ってくれなきゃ、寂しくて死んじゃう!」

「……花凪?」


 私の様子がおかしいのに気がついたのか、ゆまは目を瞬かせた。

 でも、すぐに不機嫌そうな顔に戻る。


「す、き。……じゃ、ない」

「……」

「花凪は、どうなの? そっちこそ、私のことが好きなんじゃないの。だからいっつも好きって言わせたがるんでしょ」


 そうだよ。

 でも、ゆまは私の王子様なんだから、ゆまから言ってくれなきゃやだ。

 ……いや。


 それだけじゃ、ない。

 私はきっと、自分から言えるほど強くないんだ。


 ゆまは私のことが好きだって、わかっている。だけど私から好きと言って、もしその想いが通じなかったら。


 好きって言って、ゆまが離れて行ってしまったら。

 それが怖くて、自分から言えない。だから彼女の想いを確かめたがってしまう。嫉妬させて、不安がらせて、好きって言葉を引き出そうとしてしまう。


 ただ好きと言われるだけじゃつまらないとか、日常を楽しくするとか。

 そんなのはただの言い訳なのかもしれない。


 だって私は、ちゃんとしたチョコをもらえなかっただけでこんなにも不安になっている。怖くて寂しくて、息が詰まってしまう。


 ゆまから私を求めてほしい。愛してほしい。

 昔から私はそうやって、待っていることしかできなかったから。


「……それは」


 好きだよ。好き。大好き。

 でも、言えない。からかうのも嫉妬心を煽るのも簡単なのに、もっと簡単なはずの「好き」の一言が言えない。


 そこで私は、気がついた。

 私は自分が思っていた以上に、ゆまに甘えていたんだ。


 臆病な自分を隠して、ゆまに全部気づいてもらえるのを待っていた。

 自分の思い通りにゆまを動かしていたつもりになっていたけれど、本当は。


 期待していたことをゆまがしてくれなかったら悲しくて、寂しくなって、いじけてしまう。

 私はそんな、どうしようもない人間だ。


「……やっぱいい。あんたに好きなんて言われても、信じらんないし」


 いつの間にか、家が目の前にあった。

 ゆまは家に入って行こうとする。

 待って。


「あんたが何考えてたって、関係ないし。……じゃあね、花凪。また明日」


 明日じゃ駄目だ。

 今日ゆまからもらいたいものがあるから、まだ別れの挨拶はしたくないのに。


 なのに、何も言えない。

 ゆまが冷たいのはいつものことだ。でも、瀬川さんにはチョコをあげて、一番好きなはずの私にちゃんとしたチョコをくれなかったから。


 だからこんなにも不安になって、苦しくなっている。

 結局私はゆまがいなくなるまで見送ることしかできなかった。


「は……くしゅっ」


 刺すような寒さが身に染みてくしゃみが出る。

 それでようやく少し頭が回るようになった私は、静かに自分の家に帰った。

 その間、どうしようもなく美味しくなかったチョコの味を思い出しながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る