ぎみちょこ①

 春は近いはずなのに、ここ最近はとても寒い。

 雪が降ることもしばしばあって、私はその度にゆまと目が合わなかった日のことを思い出す。


 私はまだその理由を考えている。

 ゆまに聞いても無駄だということはわかっているから一人で考えるしかないんだけど、結局答えは出ない。


 私が嫌いになったとか、私の顔が見たくなくなったとか。

 そういうことは絶対にないと思う。

 ゆまが私のことを嫌いになるなんてありえないのだから。


「ゆまー。マフラー巻いてー」

「……そのマフラー、別にあげたわけじゃないんだけど?」

「いいじゃん。代わりに私のマフラー貸してるんだし」

「これ、私には似合わないでしょ」

「でもつけてくれてるんだよねー」


 赤いタータンチェックのマフラーは、不機嫌そうな彼女の首で自己主張をしている。


 クリスマス気分を引きずっているみたいでなんだかおかしい。だけど私のマフラーを巻いているゆまを見ていると、彼女が自分のものになったみたいでちょっと嬉しかった。


 実際ゆまは私のものだし、私はゆまのものなんだけど。

 目に見える形になるとまた趣が違う感じがする。


「マフラーなきゃ寒いからしょうがなく。……ほら、じっとしてて」

「はーい」


 ゆまは慣れた手つきで私の首にマフラーを巻いてくる。

 私はその柔らかな手の動きに少し見惚れながら、にこりと笑ってみせた。


「予行演習?」

「は?」

「ゆまが私の首に本当につけたいものをつける時のための予行だったりするのかなーって」

「何それ。花凪の首につけたいものなんてないけど」

「あるはずだよ。誤魔化したってわかるもん」


 私はゆまの耳元に唇を寄せた。

 ゆまが私への独占欲を忘れないように。あの日プレゼントした、ゆまの独占欲に形を与えるための首輪のことを、思い出させるように。

 私は彼女に甘く語りかける。


「本当は私に、マフラーじゃなくて首輪をつけたいんだよね」

「……」

「ゆまが望むなら、私は——」

「うるさい」


 ゆまはマフラーを引っ張って、私の首を絞めてくる。

 乱暴だ。

 少し息が苦しくなって、私はゆまを睨んだ。


「ひどいよゆま。私の可愛い首が曲がったらどうするの」

「可愛い首て。小枝じゃないんだからこんなことで曲がるわけないでしょ。……馬鹿なこと言ってないで、学校行くよ」

「……ぶー。強がっちゃって」


 ゆまが私を見る目は、いつもと変わらない。嫉妬と独占欲が入り混じった、狂おしく愛おしい瞳だ。


 でも、なんだろう。

 いつもと同じはずのその瞳が、どこか変わったように見えてしまうのは。

 私は違和感を抱きつつも、その正体を掴めないままゆまと一緒に登校する。


 世間話をしながら歩く通学路は寒くても暑くても普段通りで、それに安心する自分がいることに気がつく。


 私とゆまの日常は何があっても決して変わらない。

 そのはずなのに、何かが少しずつずれ始めているようにも思えた。





「私はもしかすると大富豪になってしまったのかもしれない……」


 若松さんは机の上に置かれた大量のチョコを見て、恐ろしげにそう言った。

 クラスメイト全員と遊ぶという目標を達成したらしい彼女は今日、クラスメイトからの友チョコで机を埋めていた。


 バレンタイン。

 私は何人か男子や友達に渡したけれど、まだゆまには渡していない。


 毎年あげてはいるけれど、今年は一日の終わりまで焦らすつもりだ。もしかしたら貰えないかもしれないと、ドキドキすればいいと思う。

 その方がチョコをもらった時にもっと、私に対する想いを強めるはずだ。


「なんなの、大富豪って」


 ゆまが呆れたように言う。

 いつの間にか彼女と若松さんは仲良くなったらしく、物理的な距離がかなり近くなっている気がする。


 少し、むっとなる。

 ゆまは私のものなのに。


「チョコレート大富豪。どんなモテ男子でも今の私には敵わないに違いない……」

「へー」

「ゆまはどれくらいチョコをもらったのかな?」

「……これくらい」


 ゆまは大きな紙袋を若松さんに見せる。

 袋いっぱいに入ったチョコは、彼女が今日一日でクラスメイトやら他のクラスの子やらにもらったものらしい。


 ゆまが私以外の誰にチョコをもらおうとどうでもよかったから今までは気づかなかったけれど、よく見ればそこには本命と思しきものまで混ざっている。


 ゆまが他の人に靡くとは思わないが、やっぱりもやもやする。

 私たちは二人で完璧なのだ。


 二人で世界が完成されているのだから、ゆまが誰と話していても、誰と仲が良くても、嫉妬なんてしない。


 そのはずなのに。

 どうしてこんなに嫌な感じがするんだろう。


「……参りました」

「や、勝負じゃないし。こういうのは相手の気持ちなんだから、数で優劣とかつけらんないでしょ」

「うわ、モテる女の言い方だ」

「そういうのではないけど」

「花凪はチョコもらったー?」


 若松さんに話を振られて、私は曖昧に笑った。


「うん。友達からね」

「そっかそっか。……本命チョコは誰かに渡したの?」


 若松さんの目が爛々と輝く。

 人の恋愛話に興味があるのは他の子も同じだけど、若松さんは他の子よりも目力がすごい気がする。


 少し気圧されながら、ちらとゆまを見る。

 ゆまは私を見つめていた。

 目が合うことに安心するけれど、あまり興味がなさそうなのが嫌だ。


「渡したよ」

「え、誰に誰に? 私の知ってる人?」

「どうかなー」


 ゆまは退屈そうに私を見つめたかと思えば、目を逸らし始めた。

 なんで。


 そう思って彼女の視線を辿ると、瀬川さんが教室に入って来ているのが見えた。


「あ、わかった。この前話してた藤野君? でしょ。反応はどうだったの?」

「う、うーん。いまいちだったかも。やっぱり異性として見られてないのかなー」

「そっかー。それじゃあもう押して押して押しまくるしかないね!」

「あはは……」


 若松さんと会話している間に、瀬川さんはゆまの視線に気づいてこっちに歩いてくる。


「おはよう諸君。バレンタインは楽しんでいるかな?」

「何その口調。なんか見たでしょ昨日」

「チョコ作りながらニュース見てた」

「影響受けやすすぎ」

「女子高生なんてそんなもんですよ。で、ゆま。例のブツは?」

「持って来たけど」


 ゆまはバッグからラッピングされた小さな袋を取り出した。

 それは見るからに既製品ではなく、どこからどう見ても手作りチョコだった。


 胸がざわつく。私はゆまから手作りのチョコなんてもらったことがない。彼女は既製品の方が絶対美味しいからという理由で、手作りはしない主義だったはずだ。


「おお、これがゆまの手作りチョコ。輝いて見えるね」

「味は保証しないよ?」

「いいのいいの。こういうのは気持ちの問題でしょ? 愛があれば問題なし!」

「愛もないですが」

「愛は込めるものじゃなくて漏れるものだよ。手作りのチョコには漏れ出た愛が入ってるものさ」

「……そーですか」


 いつの間に手作りチョコなんて作っていたのか。


 私はまだゆまからチョコをもらっていないけれど、いつになったらくれるんだろう。


 ちょうだいって言ったら、意地を張ってくれなくなる気がする。

 でも、もしかしたら今年はくれないんじゃないかと心配になる。私は一体、どうすれば。


「ゆまさん、私には?」

「若松とは約束してないし。お得用でよければあげるけど」

「……わーい」

「テンション露骨に下げるじゃん。花凪も食べる?」


 ゆまはたくさん入ったお得用のチョコの一つを私に差し出してくる。

 これがバレンタインのチョコだったり、しないよね。


 うんって言ったらもうチョコがもらえないような気がして、どうすればいいのかわからなくなる。


 そうしている間に、ゆまは包装を開けて、チョコを私の口元に近づけてくる。


「ほら、花凪」


 待って。

 これは、どっちなの?


 これを食べたら私のバレンタインは終わってしまうのか、それとも。彼女の瞳を見つめてみても、答えは見つからない。


 ゆまはさっき、他の友達にもチョコをあげていた。

 瀬川さんには手作りチョコまであげて、私にはお得用のチョコひとつなんてありえない。


 他にも用意しているはず。

 そう思うのに、口を開けることができない。


 これを食べて、今日彼女から他にチョコをもらえなかったら。他の友達より私の方が、下ってことになってしまう。


 違う。

 ゆまに一番愛されているのは私だ。だからこんなチョコ、今食べたって問題はないはずなのに。

 どうしてこんなに、不安になるんだろう。


「ハッピーバレンタイン」


 やだ。

 これが今年のチョコなんて、やだよ。


 そう思っても、ゆまの手は止まらない。死刑を告げるようにやってきたその白い指は、真っ直ぐ私の口に入ってきて、そのまま離れていく。

 痛いほどの甘さは、絶望の味だった。


「ゆまゆま。私にもあーんして」

「え、無理。春香には手作りあげたじゃん」

「うわ、ひいきだひいき。判官贔屓だ」

「……昨日歴史の勉強でもしたの?」


 私は呆然としながら、やけに甘いチョコレートを咀嚼した。

 美味しくない。


 ゆまはちゃんと私と目を合わせてくれるけれど、瀬川さんたちに構っている時間の方が多い。


 私は彼女と何かを話そうとしたが、結局何も思いつかなくて、ただ静かにチョコを食べた。

 甘いものがこんなにも美味しくないのは、初めてだった。

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