ぎみちょこ③

 結局昨日は一睡もできなかったせいで、今も頭が熱を持っている。

 私は学校に行く気にもならなくて、朝からずっとぼんやりとしていた。


 熱っぽい感じはするけれど、体温計で測ってみても熱はないみたいだった。いっそ風邪でも引いたらゆまに看病してもらえるんだろうけれど。


 私はため息をついて、ベッドに転がった。

 眠れば体調もマシになるかな。

 そう思ったけれど、眠れない。


 昨日のことが延々と頭の中で思い返されて、ちくちくと胸が痛くなるからどうしようもなかった。


 仕方なくスマホを見ていると、ゆまからのメッセージがあることに気がついた。


『今日休み?』


 随分前に来ていたメッセージに返信するすることもできないまま、ぼんやり過ごす。


 そうしていると、いつの間にか学校が終わる時間になっていた。

 誰もいない家に一人でいると、途端に寂しくなってきて、部屋を出た。

 ちょうどその時チャイムが鳴る。


 気だるい体を動かしてモニターを見ると、ゆまの姿があった。

 私は少し迷ってから、ボタンを押した。


「鍵開いてるから、入っていいよ」

「そ。お邪魔します」


 窓からじゃなくてちゃんと玄関から来るってことは、気を遣っているんだろうか。


 嬉しいけれど、嬉しくない。

 でもゆまが来てくれただけで胸が高鳴っている自分がいて、やっぱり彼女のことがどうしようもないくらい好きなんだって思う。


 しばらくするとゆまが家に入ってくる。

 靴を脱いでそっと揃えた彼女は、私の方に近づいてきた。


「……はぁ。やっぱサボってただけか」

「風邪引いたかもしれないじゃん」

「そういう顔じゃない。花凪、風邪引くと分かりやすく土気色になるし」

「お見舞いに来てくれたんじゃないんだ」

「熱出してるようならするつもりだったけどね。確かめに来ただけ。……元気なら、帰るから」


 頭が熱くて、ぼーっとしているから。

 私は何も考えずに、ゆまの服の裾を掴んでいた。


 視界がぐらぐらして、倒れそうになる。ゆまは私の体を支えて、そのままお姫様抱っこをしてくれる。


「……花凪。あんた、昨日寝てないでしょ」

「なんで、わかるの?」

「……幼馴染だから」


 ぶっきらぼうにそう言って、彼女は私を部屋まで運ぶ。

 ベッドに寝かされるけれど、慰めてもらう時と違って、そういう雰囲気にはならない。

 ゆまはベッドの端に座って、私を見つめてくる。


「何? 愛しのゆう君にフラれたわけ?」

「そんなんじゃないし」

「じゃあ何。ゲームでもしてたの」

「違うもん!」


 私は布団をかぶって、ゆまとは反対の方向を向いた。

 帰ってしまうんじゃないかと不安になるけれど、彼女が立ち上がる気配はない。

 その代わりに、ゴソゴソという何かを探るような音が聞こえてきた。


「花凪。今日、ご飯食べた?」

「……食べてない」

「……そ。じゃ、布団から出てきなよ」


 私は少し迷ってから、ゆまの方を向いて布団から顔を出した。

 ゆまは私に手を近づけてくる。その手で摘んでいるのは、小さなチョコレートだった。丸い形のチョコレートは、市販品だとわかる艶があった。


「いらない。それ、昨日もらって食べきれなかったやつでしょ」

「いいでしょ、別に。本命チョコってわけでもないし、花凪に食べさせてもいいやつだから」

「いらない!」


 そう言ってみたけれど、お腹が空いているのは事実だった。

 だけどゆまが誰かからもらったものを食べるのは嫌だ。もしかしたらゆまはこのチョコをくれた人ともチョコを交換していたかもしれないと思うと、嫌な気持ちになる。


 ……嫉妬なんて、しない。

 するはずないって、思っていたのに。

 私は今痛いくらいに嫉妬している。ゆまにチョコをもらった人に。


 ゆまの一番が私じゃないと考えるだけで、頭が変になりそうだった。見境のない嫉妬心で、ゆまの友達皆に嫌なことを言ってしまいそうになる。


「ちゃんと食べないと、ほんとに風邪引くよ」

「いいもん。風邪引いたらゆまに看病してもらう!」

「や、自業自得で風邪引いても看病なんかしないから。……はぁ。仕方ない」


 ゆまはようやく諦めたのか、チョコを自分で食べ始める。

 小さく動く形のいい唇が、今は憎い気がする。


 じっと彼女を見つめていると、いつの間にか甘い吐息が私の近くまで迫ってきていた。


 あっと思った時には、キスされていた。

 両手が頬に添えられて、長く甘い唾液の交換が始まる。舌の上に乗ったチョコレートが彼女の熱で溶けて、私の口に流れ込んでくる。


 いつも以上に甘い口づけ。

 見れば、彼女は普段より少し優しい顔をしていた。愛おしむような、でもちょっと呆れているような。


 甘い表情は絡んだ舌よりも強く私の心を溶かしてくる。

 私は目を瞑って、しばらく彼女の舌を貪った。

 唇が離れる頃には、ゆまはいつも通りの冷たい表情に戻っていた。


「いじけてる花凪には、強制的に食べてもらうしかないから」


 聞いてもいないのに、ゆまは言い訳のようにそう言った。


「……こんな使い方されたって知ったら、渡した子怒るよ」

「その辺は別に、問題ないから」

「わけわかんない」


 ゆまにしては珍しい。友チョコだとしても、彼女は適当には扱わない人のはずなのに。


 私の知っているゆまじゃなくなってしまっているのだろうか。

 頭がぐるぐるして、落ち着かない。


「一個食べたら、二個食べるのも三個食べるのも同じでしょ。……はい」


 ゆまはチョコの箱を私に差し出してくる。

 ちょっと迷ってから、私はチョコを口に咥えて、彼女に唇を突き出した。


「ん」

「何甘えてんの。別に可愛くないからね」

「ん!」

「……はぁ。まあ、いいか」


 ゆまはチョコを咥えて、そのまま私の唇を奪う——かと思いきや、チョコだけ噛み砕いて離れていってしまう。

 私は半分になったチョコを咀嚼しながら、眉を顰めた。


「なんで」

「別に、一人で食べれるでしょ」

「食べれない」

「食べてんじゃん」

「……」


 抗議の視線を送ると、ゆまはさっきよりずっと深いため息をついた。

 先にキスしてきたのはゆまなのに、どうしてこんなにしょうがないなぁ、みたいな顔ができるんだろう。


 ずるい。私とのキスで、もっともっと余裕をなくしてほしい。

 ゆまが感情を動かしてくれないと、今の私は不安で仕方がなくなってしまう。


 だから私は自分からチョコを口に放り込んで、彼女のタイを掴んだ。

 数ヶ月前まで私のものだったそのタイは、もう体に馴染んでいるみたいで、ゆまの一部って感じがする。


 私はそのさらりとした感触を辿って、彼女の首に腕を回した。

 そのままキスをすると、彼女は静かに目を瞑った。


 静かな部屋の中で、水音が響く。唾液とチョコレートの混ざった甘く粘着質な水音は私たちそのものみたいで、脳がぐらりと揺れるのを感じた。


 ドキドキする。

 気持ちがいい。


 体を支えていた一本の柱がぐずぐずに溶けて、支柱を失った私はゆまにしなだれかかるしかない。


 腰に回された手は、ちゃんと私の知っているゆまだった。

 キスを終えると、ゆまは私の頭を優しく撫でてから、チョコの箱をそっと閉じた。


「残りは全部、花凪にあげるから。後で食べな」

「……やだ」

「やだって言っても、持って帰らないからね。……とりあえず、一旦寝なよ。花凪、今顔すごいブサイクになってるから」

「女の子に顔のこと言うとか、最低だし」

「あーはいはい。いいから寝なって。邪魔なら私、帰るから」

「邪魔じゃ、ない。……私が寝るまで、傍にいて」

「ん」


 私は目を瞑って、枕に頭をくっつけた。

 体が途端に重くなって、水底に沈んでいくような感じがする。


「頭も撫でて。寝るまでやめちゃ駄目」

「今日の花凪は、ワガママだ。……わりといつもかもだけど」

「……ゆま、優しくない」

「今更私があんたに優しくしても、キモいだけでしょ」

「私は優しい方がいい」

「花凪が生意気じゃなきゃ、優しくするけどね」


 意識が遠のいていく。

 ゆまの温かくて綺麗な手が私の頭を撫でてくれているのを感じるだけで、あんなに眠れなかったのが嘘みたいに眠くなる。


 昨日のこととか色々考えてしまうけれど。

 でも、ゆまはきっと私以外の頭は撫でないから。

 今はそれで、いい。


「チョコ、美味しかった?」

「おいし、かった」

「そ。よかったね。わざわざ有名な店で買ったやつだから、感謝して食べなよ?」


 え。

 私に買ってくれたやつだったんだ。


 ゆまが人からもらったチョコを私にくれるはずがないとわかってはいた。

 でもそれなら最初から、素直にそう言ってくれればいいのに。


「昨日帰ってから渡そうとしたら、窓の鍵閉めてるし」

「だって。ゆま、昨日冷たかった」

「そんなのいつものことでしょ」

「自覚、あったんだ」

「そりゃ、私だって……」


 ゆまは何かを言いかけて、やめたようだった。

 いつもなら鮮明に聞こえるはずの呼吸音が、遠すぎてよくわからない。

 頭が白熱している。


「なんでもない。とにかく、今は寝なって」

「……うん。起きたら、私もチョコ、あげていい?」

「ん。待ってる」


 ゆまの優しい指先が、私の髪を梳かす。


「おやすみ、花凪」

「おや、すみ」

「ちゃんとたくさん寝て、いつもの可愛い花凪に戻りなよ」

「……ゆ、ま」


 可愛いって、久しぶりに言われた。

 なんで今言ってくれたんだろう。

 疑問に思ったけれど、でもとても幸せで、私の意識は自然と無くなった。

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