crazy for you③
集中力を欠いたまま午後の授業がわって、帰る時間になる。
ゆまはさっさと帰り支度を済ませて教室を出て行ってしまうから、私はすぐにその後を追った。
「ゆま、速いよ! もっとゆっくり歩いて!」
「……今日は私と帰るつもり?」
目が、合わない。
二人きりでいるのにゆまは視線を逸らすばかりで、私を見る気配がなかった。
私は下唇を軽く噛んでから、いつものように笑ってみせた。
「うん。今日はゆまの日!」
「……ふーん。ま、いいけど。どうせ方向は同じだしね」
「よし、じゃあ行こ!」
ゆまの手を握ろうとしたら、避けられた。
そのままゆまは足早に階段を降りて、自転車置き場の方に向かっていく。
だけどその足は、校舎から出てすぐに止まった。
「……すごい雪」
「え? あ、ほんとだ」
いつの間にか雪は勢いを増し、地面に積もり始めていた。
吐き出した息はミルクみたいに白くなって、鼻がつんと痛くなった。
私はゆまから借りたマフラーで口元まで覆って、空を見上げた。
鈍色の空から大粒の雪が降ってきている。外に出ると雪は私たちを包んで、やがて消えていく。
コートの上で溶けた雪はもう雪じゃなくて、ただの水になっている。
白い雪は綺麗なのに、透明な水は煩わしいだけだ。
たくさん濡れそうでやだなぁ。
「自転車、今日は置いてく。歩いて帰ろう」
「うん。じゃあ、手繋ご?」
「無理」
ゆまの声が、いつもより冷たく感じられる。
自分の吐き出した白い息と、天から舞い降りる雪に隠されて、目を凝らしてもゆまの表情をちゃんと見ることができない。
ゆまの顔が見られないなら、息なんて止まってしまえばいいのに。
私は一度深く息を吐いてから、彼女にそっと近づいた。
「なんで?」
「手ぇ繋いでたらさ。花凪が転んだら、私も一緒に転んじゃうじゃん」
「大丈夫だよ。ゆま、力強いから」
「とにかく、無理だから」
わからない。いきなりどうして?
今まで男子に嫉妬していた時だって、手は繋いでくれた。キスだってしてくれた。目も合わせてくれた。
なのにどうして、何もないはずの今日、今までしてくれたことをしてくれないんだろう。
不安になる。
表情がわからなくて、聞き慣れた彼女の呼吸の音も聞こえなくて。今のゆまがどんな感情を抱いているのか知りたい。
でも近づいた分、ゆまは離れていってしまう。
早足になって歩くと、呼吸が浅くなる。白い息の量が増える。余計にゆまが見えなくなる。
行かないで。
ゆまは振り返ることなく、歩いて行ってしまう。その背中を追っていると、ローファーが雪の上で滑った。
そのまま雪の上に倒れ込んでも、ゆまは止まらない。
「ゆ……」
私は大きく息を吸い込んで、叫んだ。
「ゆまあ!」
雪の中で、私の声が響く。
ゆまはようやく振り返って、私の方に歩いてきてくれる。
紺のコートを着た彼女は、雪の白によく映える。
じっと見ていると、手を差し伸べられた。
「なんで置いてくの、ゆま」
「花凪が遅いんだよ」
「違う。絶対に、違うよ。ゆまが速いの。ゆまが私を置いてった」
「……」
ゆまの表情は、まだ見えない。
雪に閉ざされた街の中で、二人。
向き合っているのに目が合わない。
私はマフラーを外して、ゆまの首に巻いた。そしてそのまま、彼女をこっちに引き寄せる。
どれだけ雪が降っていても、息がかかるほど近くまで体を寄せ合えば互いの表情がよくわかるようになる。
鼻が真っ赤になったゆまは、眉を顰めて私を見ていた。
嫌そうな顔だけど、目が合ったからそれでいい。
「今日のゆま、変だよ。いつもは絶対私のこと置いてったりしないのに」
「……それは」
「目も全然合わないし、なんで? 何があったの。朝は普通だったじゃん」
「……知らない」
「ゆまのことなのに、ゆまが知らないなんてないでしょ」
「知らないものは知らないって言ってんの」
ゆまはそう言って、私から離れようとした。
だから私はマフラーを思い切り彼女の首に巻き付けて、逃げられないように引っ張り続けた。
いつもならキスしてるってくらいの距離まで近づく。
ゆまの瞳にはいつも通りの独占欲が滲んでいるけれど、それだけではないようだった。
見たことのない感情がそこにある。
どんな感情なのかはわからないけれど、それがいいものでないことだけは確かだった。
「そんなに私のことが気に入らないなら、一緒になんて帰らなきゃいいよ。ここで別れよう」
「そういう話じゃないじゃん! 誤魔化さないでよ!」
「じゃあ、どういう話なの?」
「今日のゆまは、どうしたのって話」
「……どうでもいいでしょ」
ゆまは小さく息を吐いた。
「私に何があっても、花凪には関係ない」
「関係なくない! だって、ゆまは! ゆまは私の……。私の、ことが。大好きでしょ」
「いつも言ってるでしょ。好きじゃないって」
「……嘘つき」
好きじゃないなんてありえない。
好きじゃなかったらキスなんてしない。私を慰めてくれるはずない。嫉妬も独占欲も、抱かない。
ゆまはどこまでも、素直じゃない。
そうさせているのは私かもしれないけれど、でも。
私たちは二人で完成形だ。二人だけの世界が完璧で、互いの存在がなければ生きていけない。
それは絶対のことなのに。
絶対じゃなきゃ駄目なのに。
「そんなの嘘! ゆまは素直じゃなさすぎ!」
「素直だから。本当に、あんたのことなんか好きじゃない!」
そう言って、ゆまは私に雪をぶつけてくる。
ふわりと雪が散って、顔が冷たくなる。
私は片手でマフラーを引っ張って、コートの襟から雪を大量に入れてやる。ゆまは体を震わせて、私の服の中に雪を流し込んできた。
冷たい。
寒い。
「なんで嘘ばっかりつくの!? ゆまの気持ちなんて、バレバレなのに!」
「勝手なことばっか言わないで! この馬鹿!」
「馬鹿はゆまの方でしょ! 私より成績悪いくせに!」
「うるさいこの節操なし!」
私たちはしばらくそうして互いの悪口を言い合いながら、雪をかけ合った。
それから何分経ったのかは、わからない。
でも体が寒さのあまり震えてきて、手がかじかんできているせいで雪を掬うこともままならなくなる。
私たちはやがてどちらからともなく立ち上がって、そのままゆっくりと歩き始めた。
会話はもうなかったけれど、ゆまの歩く速度はいつも通りに戻っていた。
冷たくて動きが硬くなった手を彼女に差し出すと、ためらいがちに握られた。
彼女の体温は一切感じられない。
だけど手を握ってくれたという事実が嬉しくて、私は深く息を吐いた。
雪の勢いは強くなるばかりだったが、ゆまと手を繋いでいるから、もう転ぶことはない。
私たちはゆっくりと、家に向かった。
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