crazy for you②

 年が明けて、三学期が始まる。

 三が日はずっとゆまと一緒で、初詣も二人で行った。特に変わったことはなかったけれど、おみくじが凶でテンションが下がっているゆまは可愛かった。


 思わず笑うと、冷たい風が肌を滑った。

 風を切って走っているから、寒いのも当然だ。


 私は小さな背中に抱きついて、髪に顔を埋めた。

 ゆまの匂いがする。


「ゆま、寒い」

「そりゃそうでしょ。冬なんだから」

「もっとゆっくり漕げない?」

「漕げない。ゆっくり漕いだら私の方が寒くなるでしょ」


 前にゆまが捻挫した時、自転車で二人乗りして帰ったのは記憶に新しい。

 今日はそのお礼ということで、今度は私が後ろになって二人乗りをしていた。


 ゆまの自転車に乗せてほしいと言ったのは私からだ。ゆまは露骨に面倒臭そうな顔をしていたけれど、断らなかった。


 そうだよね、と思う。

 私の頼みを聞いてくれるのは、私が好きだからだ。


 キスしてくれるのも、慰めてくれるのも。

 全部全部、私が好きだから。


「……そんなに寒い?」

「寒いよ。凍え死んじゃう」

「……はぁ。仕方ない」


 ゆまは一度ブレーキをかけて、私の方を向いてきた。

 そのまま自分の首に巻いていたマフラーを、私の首に巻いてくれる。


 ふわりと彼女の柔らかな匂いが鼻をくすぐって、マフラーから体温が伝わってきた。


 紺のマフラーは飾り気がなくて可愛くはないけれど、ほんのり温かくて、巻いていると幸せな気分になる。


「寒いなら、それに顔埋めてれば」

「ふふ、ありがと」

「別に。花凪が風邪引いたら、私が看病しなきゃだし」

「してくれるんだ」

「何その反応。いつも誰が看病してきたか忘れたわけ?」


 忘れるはずがない。でも、最後に風邪を引いたのは数年前のことだから、今も彼女が看病してくれるつもりでいたとは思っていなかった。


 これで私のことが好きじゃないなんて、無理がある。

 ゆまはそれをわかっていないんだろうか。


 私はくすりと笑って、また自転車を漕ぎ始めた彼女の背中をじっと見つめた。


 学校に着く頃には彼女の鼻はすっかり赤くなっていて、頑張って漕いでくれたんだってことがそれでわかった。


 私のために必死になってくれるゆまが、好きだ。

 もっともっと、私に感情を向けてほしい。


 何をしている時も、私のことを忘れないでほしい。

 その冷たい頬に触れた私は、強くそう思った。





 私とゆまは仲がいい幼馴染だけれど、学校ではいつも一緒というわけではない。


 ゆまの感情を引き出すために男子と関わることが多いけれど、女子とも最低限の付き合いはしていた。


 私の友達とゆまの友達は意外とタイプが違うから、あまり交わることがない。

 だから今日も、私はゆまとは違う友達と昼食をとっていた。


「花凪、最近藤野君とはどうなの?」

「うーん、あんまり進展ないかなー。デートはちょくちょくしてるんだけどね。妹みたいに思われてるのかなー」

「えー、何それ。もっと攻めた方がいいんじゃないの?」

「かもねー」


 なんてことのない会話。

 こういう会話は決して嫌いではないけれど、誰としても変わらない会話ならならゆまとしたい。


 私はワンコインのそばを食べながら、隣に目を向けた。

 この前初めて遊びに行って、それなりに気が合うことが判明したクラスメイトが、そこにいた。


「もしかして、私のモテ話が聞きたいの?」


 若松さんはそう言って笑った。

 大盛り唐揚げ丼なんて運動部が食べるようなものだと思うけれど、帰宅部の彼女は平然とそれを食べている。


 しかもすごい勢いで。

 元気というか、健啖家というか。

 ゆまが見たら引きそうだな、と思う。


「一年の頃から通算百回以上は告白されてるこの私のモテエピソード、驚かずに聞けるかな?」

「……」


 急に胡散臭くなった。

 そもそも若松さんの話を聞きたいと言った覚えはない。


 しかし、こういう裏表がない感じは好ましく思う。

 それは、私が裏のある人間だからかもしれない。


 ゆまもどちらかというと裏のあるタイプな気がするけれど、彼女は裏表がどうのというより、素直じゃないだけかな。


「んー。エピソードより、どうしたらそんなにモテるようになるのか教えてほしいな」

「それはズバリ!」

「ズバリ?」

「……恋愛に強い友達に相談する!」

「……」


 自称モテ女の若松さんは、全く参考にならないことを言う。


「ファンクラブがある子に相談してみるのが近道!」

「……そ、そっか」

「ファンクラブっていや、水原さんもあるよね」


 友達が言う。

 私は首を傾げた。


「え。ゆまにもあるの?」

「知らなかったんだ。男子からはあれだけど、女子から結構支持されてるよ。この前もなんかプレゼントされてるの見たし」

「……そうなんだ」


 知らなかった。

 ゆまとはいつも一緒にいるけれど、彼女が他の生徒からどんな評価をされているかなんて興味がなかった。


 ゆまは私のものだし、私のことが大好きで仕方がないのだ。

 誰に好かれていようと、それは変わらない。


 でも、私の王子様が他の人からも好かれていると思うと、ちょっと嬉しいかもしれない。

 ゆまは誰よりも魅力的なんだから、好かれない方がおかしいのだ。


「あ、私も女子から告白されてるの見た!」


 若松さんが同調する。


「へー。ゆまってモテるんだねー」

「そういう話、水原さんから聞かないの?」

「んー。ゆまの恋愛話は聞かないかも。好きな人もいないらしいし、私が相談することの方が多いよ」


 そう言うと、若松さんにぽんと肩を叩かれた。


「……免許皆伝だよ。私から教えることは何もない」

「免許安すぎじゃないー?」


 私はそのまま、若松さんたちとぽつぽつ話をした。

 途中で若松さんは彼氏に呼ばれたとかで食堂からばたばた出て行ってしまった。


 なんというか、忙しい人だ。

 私は友達と一緒にゆっくりと食事をしてから、教室まで歩いていく。その途中、通りがかりに中庭の方を見ると、雪が降っているのに気がついた。


「あれ? あれって水原さんと瀬川じゃん」

「あ、ほんとだ」


 この寒い日に、中庭でお昼を食べていたんだろうか。

 なんとなく彼女たちを見ていると、不意に瀬川さんがゆまに近づいた。こっちからだと角度的によく見えないけれど、かなり接近しているのは確かだ。


 キスしていても、おかしくない距離。

 心臓が、跳ねる。


 私は居ても立ってもいられなくなって、中庭に走っていった。

 二人は私の接近に気づいていないみたいだった。


 よく見れば瀬川さんはゆまの髪に触れているだけで、そういう雰囲気でもなさそうだった。


 ほっと胸を撫で下ろしたが、瀬川さんに触れられているゆまは見たくないと思った。


 ゆまは私のものなのに。

 頭のてっぺんから、つま先まで全部私のものなんだから、気安く他人に触れさせちゃいけないのに。


 でも。

 でも嫉妬なんてしない。


 だってゆまは、私のことが大好きなんだから。私が一番なんだから。だから、ほら。今だってゆまは、私の方を見て——


「雪、取れた?」

「ん、取れた。取れたけど、また髪に落ちてきてるよ」

「……キリないじゃん。もう中入ろうよ」

「えー。もうちょい見てこうよ、雪。一年ぶりだし」

「……はぁ。仕方ない。ちょっとだけだからね」

「わーい。さすがゆま。甘々だ」

「……え。私、もしかして舐められてる?」


 ゆまは私の方を一瞥して、瀬川さんに視線を戻した。

 ……なんで?

 ゆまは私のことを見てないといけないのに。なんで、目を逸らしたの?


「ゆま」

「あ、花凪ちゃんだ。花凪ちゃんも雪見に来たの?」

「……うん。二人は、ここでご飯食べてたんだ」

「そうだよ。寒い中我慢してパン食べてた。ね、ゆま」

「あー、そうね」


 ゆまは気のない返事をする。

 目が合わない。私はゆまを見ているのに、ゆまは全く別の場所を見ている。


 なんで。

 なんで。なんで、どうして?


 瀬川さんより私の方が好きだよね。好きな人の前なのに、目も合わせようとしない人なんていないよね。

 なのに。


「花凪、いきなりどうしたのー?」


 友達が駆け寄ってくる。


「ちょっと、雪が気になって」

「確かに降ってるけど……寒いから教室行こ。凍えるわ」

「待って、私……」

「ほら、寒い寒い」


 友達に手を引かれて、歩き出す。

 抵抗するのも変だ。だってこの場にはおかしいことなんて何もなくて、雪が見たいからって理由だけで留まれる空気じゃない。


 でも、ゆまが。

 ゆまの方を見ると、瀬川さんに手を振られた。かろうじて手を振り返すけれど、ゆまは私を見ようともしない。


 駄目だ。

 ちょっと、待って。


 どうすれば、ゆまは私を見てくれるんだろう。今すぐ駆け寄ってキスすれば、彼女の心を奪える?


 いや、でも。

 考えている間にも足は動いて、ゆまから遠ざかってしまう。


 言葉は喉で詰まったまま出てこなくて、ゆまの視線を感じることもできない。


 私はそのまま、教室に戻ることになった。

 ゆまは少し経った後に戻ってきたけれど、やっぱり目が合うことはなかった。

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