crazy for you①

 最初にゆまとキスしたのは、確か小学一年生の頃。

 あの頃は私の両親もゆまの両親も今より仕事が忙しくて、二人きりでいることが多かった。


 まだまだ甘えたい盛りだった私は両親がいない日は悲しくて、よく泣いていた。


 お世話してくれる人は来ていたけれど、私の心はそれだけでは埋まらなかったのだ。


 あの日、私は部屋でゆまと一緒にアニメを見ていた。それは確か、囚われのお姫様が王子様に助けられて、最後に結ばれるという内容だったはずだ。


「いいなぁ、お姫様。私もあんなふうになりたいなー」

「花凪はお姫様になりたいの?」

「うん。かっこいい王子様と結婚して、楽しく暮らすの。……寂しいのはやだよ」

「……そっか」


 膝を抱えてテレビを眺めると、余計に寂しくなった。

 隣にはゆまがいたけれど、やっぱり寂しいものは寂しくて。


「早く王子様、迎えに来てくれないかなぁ」

「きっと、いつか迎えに来てくれるよ」

「うぅ。寂しいよぉ」

「花凪、泣かないで。花凪が悲しいと、ゆまも悲しくなっちゃう」


 この頃の私は今よりずっと感情を制御できなくて、泣いたり笑ったり怒ったり、いつも忙しかった。


 ゆまはそんな私に優しく寄り添ってくれていたけれど、慰めるのはちょっと下手だった。


 だから私が泣き出すとおろおろし始めて、どうすればいいのかわからないって顔をする。この時もそうだった。


「……そうだ! 花凪、こっち見て」


 ゆまは何か名案を思いついたみたいで、にこりと笑った。

 今とは比べ物にならないくらい、無邪気な笑み。

 私はその笑顔が大好きだった。


「こほん。姫、迎えにきました」

「ゆまちゃん?」

「今のゆまは王子様なの。ほら、花凪。王子様だよー」


 王子様は王子様だよー、なんて言わないと思う。だけどゆまの気持ちが嬉しくて、私は自然と笑顔になっていた。


「ゆまちゃんが、私の王子様?」

「そう。本物の王子様が花凪を迎えにきてくれるまで、ゆまが代わりの王子様」

「ほんとに? いいの?」

「うん。寂しいときはいつでも花凪のとこに飛んでくよ」

「……えと、じゃあ。あの、ね。お願い、してもいい?」

「なあに?」

「その、ね。ちゅ、ちゅーって、してほしい……」


 自分がどうしてそんなことを言ったのか、今となってはもう思い出せない。

 だけど多分、両親がいない寂しさと、ゆまが王子様になってくれた嬉しさとで、わがままになっていたんだと思う。


 私もお姫様みたいに、王子様にキスしてもらいたい。

 そんな願望も、あったのかもしれない。


「……うん。いいよ」


 ゆまは迷うことなく、私に柔らかくキスをしてくれた。

 そのとき初めて、私はこの世界で産声を上げられたような気がした。


 きっとゆまのキスは祝福だったんだと思う。彼女にキスされただけで幸せな気分になって、嬉しくなって、生まれてきてよかったんだって気持ちになった。


 私は一人じゃない。

 王子様が……ゆまがいてくれる。


 ゆまが優しくキスしてくれるなら、両親がいない家も怖くない。

 そう、思った。


「どう?」

「え、えへへ。ふわってした」

「もう、寂しくない?」

「うん。ゆまちゃんがいて、ちゅってしてくれたら、寂しいのなくなった」

「よかった。じゃあ、花凪が寂しいときはいつでもキスしてあげるね」


 そう言って、ゆまはまたにこりと笑った。

 その笑顔に、どれだけ救われただろう。

 いつからゆまのことが好きなのかはわからない。


 だけどこのとき私の人生が始まって、ゆまと一緒に歩き出したことだけは確かだ。


 そして、あれから十年経った今も。

 私はゆまと一緒にいる。





「今日が最後だね」

「何が?」


 クリスマス当日、ゆまの家でパーティをした私は、そのまま彼女の部屋に遊びに来ていた。


 今日はお父さんもお母さんもこの家に来ていて、ゆまの両親と何かを話していた。お酒も飲んでいるみたいだから、下の階はかなり騒がしかった。


 だけどここは静かだ。私とゆましかいない、完璧な世界。

 二人でいられるならどこでもいいけれど、どちらかといえば静かな方がいいかもしれない。

 そっちの方が、ゆまの音がよく聞こえる。


「アドベントカレンダーが」

「ああ」

「ああって、反応薄いよゆま。一緒に開けられなくなっちゃうんだよ? 寂しいとかないの?」

「や、カレンダーが終わるくらいでんなこと思わないでしょ普通」

「私は寂しいけどなー」


 寂しいという言葉に、ゆまはぴくりと反応した。

 私のことが好きじゃないなら、約束なんて覚えているはずないのに。バレバレなのに自分の気持ちを隠そうとするゆまは可愛いけれど、もどかしくもある。


 早く好きと言ってくれないだろうか。

 もっともっと嫉妬させれば、好きだと言ってくれるかな。


「……してくれないの?」

「するわけないでしょ。下に皆いるんだし」

「いなかったらしてくれるんだ」

「さあね」


 私はアドベントカレンダーを手に持って、ベッドでスマホをいじっているゆまの横に座った。


「昨日さ。誰とデートに行ったか、気になる?」

「別に」

「嘘だ。絶対気になってるでしょ。教えてあげよっか?」

「……若松」

「え?」

「若松でしょ。……知ってる」


 私は小さく息を吐いた。

 見られていたのか。


 ……ということは、つまり。

 昨日ゆまもあそこにいたということになる。


「ゆまも、来てたんだ」

「まあね」

「一人? それとも、誰かと一緒?」


 ゆまが誰かと一緒にあそこにいたと考えると、少しもやもやする。ゆまを独占していいのも、嫉妬させていいのも、私だけだ。


 私は昨日、ずっとゆまのことを考えていた。

 でもゆまは私のことを考えていなかったのだろうか。だとしたら、嫌だ。私たちは互いがいないと生きていけない存在だ。

 いつだって、互いのことを考えているべきだと思う。


「春香と行った。……嫉妬した?」

「ふふ、何それ」


 嫉妬なんて、しない。

 私と一緒に行った場所に瀬川せがわさんと一緒に行ったと考えると胸が痛くなるけれど、ゆまは私のものだってことは変わらないのだ。


 ゆまは私のことが大好きで、私の傍を離れられない。

 結局は私のところに帰ってくる。

 そうわかっているから、嫉妬なんてしない。するはずがない。


 ゆまが私じゃなくて別の人のことが好きだったら嫉妬するかもしれないけれど、そんなことはありえないのだから。


「意趣返しのつもり? そういうところは可愛いねー」

「……うざ」


 ゆまはスマホを見ながら、眉を顰めた。


「それよりさー。これ、最後だから二人で一緒に開けようよ」

「めんどいから花凪がやって」

「駄目だよ。最後は毎年二人でやってるでしょ?」

「……はぁ」


 気だるそうに体を起こして、ゆまはアドベントカレンダーに指を置いた。私もその隣に指を置いて、少しずつミシン目に指を食い込ませていく。


 ぱり、と音がして、カレンダーが開く。

 中に入っていたのは、二つのチョコレートだった。


「はい、一個どうぞ」

「私はいい。花凪が全部食べなよ」

「それじゃつまんないじゃん! 二人で食べることに意味があるの!」

「何それ」


 ゆまは呆れた顔をしながらも、チョコを口に入れる。

 私も一緒にチョコを食べた。


「……甘い」

「そうだねー」


 今キスしたら怒るんだろうなぁ。

 そういうのが許される空気じゃないし。

 でも。


「花凪?」


 手を握るくらいなら、大丈夫だろう。

 そう思って彼女の手に自分の手を重ねる。

 ゆまは静かに指を絡ませてきた。


「好きな人とは、うまくいきそう?」

「んー、どうだろ。わかんないよ、どうなるかなんて」

「そっか」


 ゆまとの関係がうまくいかないなんてことは、ありえない。

 だけど私がゆまを好きだってことは、まだ秘密だ。

 彼女が好きと言ってくれるまでは、黙っていないといけない。


「……うまくいくといいね」


 ゆまは本気でそう言っている様子だった。

 その瞳に嫉妬と独占欲があるのが、確かに認められる。

 なんでそんな顔で、心からうまくいくといいね、なんて言えるんだろう。


 ゆまがもし別の人を好きになったら、私は絶対にまともではいられなくなる。嘘でも冗談でも、今のゆまみたいなことは言えないだろう。


 私は少し不安になって、ゆまの手を強く握った。

 私から目を離さないで。

 私を追うのをやめないで。

 ……ゆまは、私のことが大好きで仕方がないんだから。それを抑えないで。


「うまくいかなかったら、ちゃんと慰めてね?」

「……まあ、いいけど」


 ゆまはそう言って、私の手をもっと強い力で握り返してきた。

 痛いくらいの力だったけれど、それがかえって心地良くて、私は思わず笑った。

 ゆまの瞳から独占欲が消えることはなかった。

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