第13話

「ゆま。今日がなんの日かご存知?」


 唐突に、春香が言う。

 私は首を傾げた。


「12月12日。なんの変哲もない月曜日じゃないの?」

「そう、その通り」

「……で?」

「この今日というなんでもない日を、ゆまと一緒に祝おうと思って」

「えぇ。何それ」


 なんの変哲もない、代わり映えのしない月曜の昼休み。春香は妙に張り切った様子で、コンビニで買ったと思しきお菓子を机の上に二つ置いた。


「これはなんでしょう」

「シュトーレンって書いてあるけど」

「そう、シュトーレン。クリスマスを待つ間に食べるスイーツだよ」

「うん。それで?」

「これをゆまと一緒に食べようと思った次第」

「……唐突すぎない? いいけど」


 私はシュトーレンを一個受け取って、袋を開けた。

 あまり甘いものは得意ではないけれど、齧ってみると甘さ控えめで美味しかった。

 春香はもそもそシュトーレンを食べながら、私をじっと見つめている。


「何?」

「ん? シュトーレン、気に入ったかなーって」

「まあ、それなりに」

「それは何より」


 春香はそれだけ言って、無表情でシュトーレンを咀嚼する。

 昔、小学校で飼っていたウサギにご飯をあげた時のことを思い出す。あの時のウサギはこんな感じでご飯を食べていた気がする。


 私たちは別に沈黙を会話で埋めないと気が済まないような関係でもないため、無言のままシュトーレンを食べる。


 その途中でさりげなく教室を見てみるけれど、花凪の姿はない。

 藤野のところに、行っているのかな。


 最近私は、ゆう君の苗字が藤野だということを知った。別に調べたとかそういうのではないけれど、注意深く聞いていれば情報は勝手に入ってくるものだ。


 私には関係ない。

 私に関係あるのは結果だけだ。


 花凪が藤野と付き合うか付き合わないかで、対応が変わる。ただそれだけであって、別に思うところなんてありはしない。


 というのは、嘘だ。

 わかっている。私は花凪に歪んだ独占欲を向けているのだ。

 その瞳を、心を、体を。


 全部私のものにしたくて仕方がない。私の傍を離れてほしくなくて、喉をかきむしりたくなる。

 でも、これは。


「なんでもない日を特別な日にするのって、なんかいいよね」

「え?」

「さっき廊下でカップルが今日は付き合ってから一年だねーって言ってて。それで思ったの」

「あー、そういう」

「そそ。偉人じゃなくても、ただの平凡な日を特別な日にできる。まさに人間の力だね」

「それ、なんか違うと思うけど」


 シュトーレンを食べ終わった私は、ゴミを丸めて弄び始めた。


「今日は私とゆまのシュトーレン記念日ね。来年の今日も私とシュトーレンを食べるように」

「謎記念日じゃん。別にいいけど」

「よし、決まり。なんかいいよね、謎の記念日。青春っぽくて」

「春香も恋人作って、もっと青春っぽい記念日作ったら?」

「それは別にいいかな。私は自分が誰かと付き合うより人の恋愛話が聞きたい」

「耳年増になるよ」

「それはそれで楽しいかもね」


 春香はシュトーレンを全部食べて、ゆっくりと立ち上がった。飲み物を買いに行くんだとわかったから、私も立ち上がって彼女についていく。


 二人で並んで歩いていると、廊下で話し込んでいる男女の二人組が妙に多いことに気がついた。


 無意識のうちにその中に花凪がいないか探してしまう私は多分、どうかしている。


 怖いもの見たさって言うんだろうか。

 見たくないのに、見たい。


 見たら絶対独占欲が胸に満ちるから嫌だけれど、見えないところで私にはわからない何かをしていると考えるともっと嫌だ。


 だから花凪の姿が見たくて、見たくない。

 ぐちゃぐちゃになった感情は私の心を千々に乱れさせている。


「なんか、カップル多くない?」

「あーね。そろそろクリスマスだから、皆急いで恋人作ろうとしてるんじゃない?」


 春香はのんびりと言う。

 イベントのために恋人を作るのって、どうなんだろう。


 いや、別に学生時代の恋人作りなんて遊びみたいなものだからいいんだろうけれど。


 しかし、うーん。

 適当に付き合って、後で別れて気まずくなるのも面倒だと思う。面倒ごとを避けるなら絶対別れない相手と付き合って——。


 そんな相手がどこにいる。

 私は誰のことを考えているんだ。


 ゆま、と誰かの声が頭の中に響く。

 うるさい。

 私の頭を、埋めないでよ。


「そんなに恋人とクリスマスを過ごしたいのかね」

「さあ? 多分。……試してみる?」

「何を」

「恋人気分で、クリスマスを過ごしてみるの」

「え、私と春香で?」

「うん。楽しそうじゃない? それともゆまには本物の恋人がいるから用事が入ってたり?」

「や、そういうのはないけど。……まあ、いいか。どうせ今年は暇だし。いいよ。イヴ? クリスマス当日?」

「イヴの方がいいかも。雰囲気的に」

「おっけ」


 花凪とはともかく、春香となら別に変なことにもならないだろう。去年はクリスマス当日を花凪を含めた家族と過ごして、イヴは花凪と二人で過ごした。


 今年の花凪はデートに行くみたいだから、クリスマス当日がどうなるかはわからない。

 別に、いいけど。

 私は飲み物を一階の食堂にある自販機で買って、その間ずっと視線を右へ左へと動かしていた。


 結局花凪が見つかることは、なかったけれど。

 小さくため息をつくと、幸せが逃げる気がした。





「もー! やっと帰ってきた! 遅すぎだよ、ゆま!」


 家に帰ると、不法侵入者がいた。

 我が物顔で私の部屋に居座っている不審者は、なぜかベッドの上でごろごろしていた。制服を着たまま何をしているのか。


 もし私が潔癖症だったら、彼女のことを叩き出していたところだ。

 私はため息をついて、制服を脱ぎ始めた。


「砂とか色々ベッドにつくんだけど。花凪も着替えたら?」

「そんなことより、することがあるでしょ!」


 今日はやけにテンションが高い。

 や、まあ、いつも通りかもだけど。


 もしかしたら他の生徒たちと同様、クリスマス気分でわけもなく楽しくなっているのかもしれない。


 私はネクタイをハンガーにかけた。

 このネクタイ、本当に花凪のなんだろうか。あの時花凪は私のネクタイだとわかっていて選んだみたいだったけれど、実際どうなんだろう。


 ネクタイはネクタイだから、花凪のだろうと私のだろうとどっちでもいいんだけど。


 ……別に何も思わない。花凪が身につけていたからなんだってのか。

 私は考えを振り払うように部屋着に着替える。

 花凪はそれを退屈そうに見ていた。


「恥ずかしがらないんだね」

「はぁ?」

「私の前でも、平然と着替えるんだ」

「当たり前でしょ。何年付き合ってると思ってんの」

「つまんないなー」

「そもそも……」


 着替えどころか全部見せ合っているのに、今更恥ずかしがるとか、ある?

 そう言おうとして、やめた。

 私から言うと、なんだか他意があるみたいじゃないか。


 裸を見せるのも、彼女の体に触れるのも、ただ慰めるためだけにやっているのだ。


 キスは私の独占欲を満たすためだけにやっているけれど、でも。

 慰めを私のための行為として定義してしまったら、私はぶれてしまう。だからあれだけは、花凪のための行為だと思っている。


 思うようにしている、わけではない。

 実際そうだ。

 私だって花凪を慰めてあげたいという気持ちくらい、あるんだから。


「そもそも?」

「なんでもない。で、することって?」

「えー? 忘れちゃったの? アドベントカレンダーだよ!」

「……あぁ」


 そういえば、毎年アドベントカレンダーを二人で開けるようにしているのだった。今年も毎日二人で開けているけれど、今日は色々あって忘れていた。


「約束したのに。ゆま、ひどい」


 二人で毎日、一緒に開けようね。

 そう約束したのは、いつのことだったか。

 時期は思い出せないけれど、約束したことは覚えている。


 私はゆっくりと立ち上がって、机の上に置かれたアドベントカレンダーに指で触れた。


「12、12と……」

「ここだよ、ゆま」

「ああ。じゃ、開けるね」

「ん」


 私はミシン目に指を食い込ませた。

 少しだけ、肌と肌の触れ合いを思い出す。人間の肌には紙とは違った弾力と温もりがあって、力を入れれば入れるほど反発してくる。


 その反発が心地良くて、もっと触れたくなって指が動くのだ。

 私の意志とは反するように。


「今日のお菓子は何かなー」


 アドベントカレンダーは、花凪が買ってきている。

 甘いもの好きの彼女は、中にお菓子が入っているカレンダーを選んでいるのだ。


 中を見てみると、小さく個包装されたチョコが入っていた。クリスマスカラーの包装をぴりっと破いて、丸いチョコレートを取り出す。

 花凪が見ていたから、私は何も言わずチョコを口に放り込んだ。


「あー! 食べた! 私も食べたかったのに!」

「知らない」

「ゆーまー!」


 期待なんてしていなかった。

 特に何も考えていなかった。


 だから、この結果は私が予期しなかったもので、歓迎すべきものではない。

 花凪は私の両頬を掴んで、そのまま顔を近づけてきた。


 静止する暇なんてなかった。なかったから、あっという間に彼女の舌が唇を割って入ってくる。


 甘いのは溶けたチョコレートで、彼女の舌ではない。

 そうわかっているのに、甘さを求めるかのように彼女の舌を吸っては、その生命力を感じさせる弾力に酔っていく。


 甘いのは苦手だ。

 不自然な甘さが染みついた舌を歓迎する気持ちなんて、私にはない。

 なのに今はその甘さが心地良いのは、一体なんでなんだろうと思う。


「ん……ぷっ……はぁ。……ゆま、してほしかったんでしょ」

「んなわけ。花凪が物欲しげに見てたから、ムカついて食べただけ」

「私が買ってきたやつなのに」

「だったら一人で開ければ?」

「ゆまの馬鹿」


 私が馬鹿なら、花凪も馬鹿だ。

 チョコはもうとっくに溶けて無くなっているのに、花凪はまた私にキスをしてくる。


 二人で分けた甘さは、薄れることなく舌に染み付く。

 いや。


 舌どころか、心にまで染みついているのかもしれない。

 ふとした瞬間にまた求めてしまいそうなくらい、深く。

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