あなたの音を③

 私たちは話題の恋愛映画を見て、デートの終わりにイルミネーションを見に来ていた。十二月に入って、巨大なクリスマスツリーが街に飾られるようになっている。


 その中でも有名なところに私たちは来ていた。

 目が眩むほどの光の中を、多くの人々が行ったり来たりしている。ここまで人が多いとムードも何もあったものではないと思う。


 ゆまはどう思っているだろう。

 こういう時、最近のゆまだったら「クリスマスは本来静かに過ごすものなんだよ」なんて言いそうなものだけど、意外にも彼女はツリーに見惚れているようだった。


 煌めくツリーを見上げる彼女の瞳は、ツリーよりもっと輝いているように見えた。


「ゆま」

「何、花凪」

「綺麗だね、ツリー」

「そうかもね」


 ゆまはそう言って、ツリーに手を伸ばす。その瞳はいつもより幼いように見えた。


「昔さ。ツリーのてっぺんにどっちが星つけるかで喧嘩したよね」

「そんなこともあったねー」


 あの頃から私たちは家族ぐるみの付き合いがあって、毎年一緒にクリスマスパーティしていた。

 ゆまは毒気のない表情で、昔を懐かしんでいた。


「あの時って、確か私が星を飾ったんだよね」

「そうそう。なんで私が折れたか、覚えてる?」

「……なんだっけ?」


 彼女と交わした約束は覚えているけれど、会話を全て覚えているわけではない。私が首を傾げていると、彼女は微笑んだ。


「花凪が泣いたから」

「そ、そうだっけ」

「そうだよ。私がやるのーって聞かなくて。言い争ってるうちに泣いちゃって。あの頃は泣き虫だったからなぁ、花凪は」

「恥ずかしいからやめてよ」


 確かに昔の私はよく泣いていたかもしれない。あの頃は感情的になりやすくて、自分の感情を制御することができなかったのだ。


 感情を制御できないのは、今もかもだけど。

 だけど、流石にこの歳で泣くとかそういうのはない。今まではゆまにしてもらってばっかだったけれど、これからは私からも色々するつもりだし。


 でも、それは彼女から好きと言ってもらってからだ。

 こればかりはゆまから言ってほしい。

 ゆまの口から好きという言葉が出ることにこそ、意味があるのだから。


「したいことがあったら絶対譲らなかったよね」

「そうかも。だって、したいのにできなかったら嫌でしょ?」

「ん……私は別に」

「……ゆまにはこれだけは絶対にしたい! ってこと、ないの?」

「絶対にかぁ。絶対っていうのは、ないかもね」

「私には、あるよ」


 ゆまに好きと言ってもらいたい。

 ゆまとずっと一緒にいたい。それだけは、天地がひっくり返っても変わらない。ゆまにもそう思ってほしいけれど、基本的に何かに固執しないのが彼女だ。


 だけど、ゆまだって私を求めているはずだ。

 私を独占したい、私が誰かと一緒にいたら嫉妬する。


 それは、絶対に私を自分のものにしたいという感情の発露に違いない。

 なら、絶対にしたいことがあるってことだ。


 澄ました顔をしていないで、言えばいいのに。

 ゆまにも絶対したいことがあるって。


「どんなこと?」

「好きな人を自分のものにするってこと。これだけは、絶対したいし譲れない」

「……そ」


 ゆまは短くそう言ってから、スマホを取り出した。

 無言でツリーの写真を撮ってから、彼女は私に目を向けてくる。


「花凪」


 珍しく、ゆまはなんの含みもない笑顔を浮かべていた。その笑顔が私に向いたから、私も笑みを返す。


 その瞬間、私に向かってシャッターが切られる音が聞こえた。

 どんな写真が撮れたのかはわからないけれど、ゆまは満足げにスマホの画面を眺めていた。


「……うん。やっぱり自然な笑顔は悪くないね」

「可愛いでしょ」

「可愛いって言ってくれるよ」

「誰が?」

「花凪の好きな人が」


 私の好きな人は、ゆまだ。

 だからゆまに可愛いと言ってほしいんだけど、彼女はそれを言うのを避けているようだった。


 なんでだろう。

 可愛いって言うくらい、別にいいじゃないかと思う。減るものじゃないんだし。


「ゆまの写真も、撮ってあげる」

「や、私は——」

「はい、チーズ」


 私はツリーと一緒にゆまの写真を撮る。

 目を丸くしたゆまの顔は、ちょっと間が抜けていて可愛い。私はゆまの写真をホーム画面の壁紙に設定して、スマホをゆまに見せた。


「ほら、可愛いよゆま」

「ちょっ。なんで壁紙にしてんの」

「可愛いから」

「私は花凪と違って、可愛いとか目指してないし。さっさと別の壁紙にしてよ」

「んー。じゃあ、私の写真を壁紙にしてくれたら、考えてあげる」

「は?」


 伸びてくるゆまの手を避けて、私は笑った。

 さっきまでの笑顔が嘘みたいに、ゆまは不満げに柳眉を逆立てている。


「いや、どこの世界に幼馴染の写真なんて壁紙にするやつがいんのよ」

「ゆまがしないならこのままー」

「このっ、花凪!」


 ゆまは私のスマホを奪おうとしてくるけれど、私の方が身長が高いから腕を上げてしまえば届かない。


 小さい子供みたいに飛び跳ねていたゆまは、やがて諦めたのか自分のスマホを操作し始めた。


「……はぁ。これでいい?」


 ゆまはホーム画面を見せてくる。そこには笑顔の私の写真が表示されている。


「ロック画面は?」

「は?」

「ロック画面も私にしないと、駄目だよ」


 頭だけじゃなくて、スマホも私でいっぱいになればいい。ふとした瞬間にスマホを見た時に私のことを思い出して、もっと私色に染まればいい。


 ゆまの視線は、思考は、私だけに向けられるべきだ。

 にこにこ笑って待っていると、ゆまは同じ写真をロック画面にも設定して、スマホを見せてきた。


 それでいい、と思う。

 誰と行ったかわからない水族館の写真なんかよりよっぽどゆまらしい。


「これでいい?」

「うん、いいよー。……じゃ、ご飯食べて帰ろっか」

「壁紙変えてからね」

「しょうがないなー」


 私は壁紙を前と同じ画像に戻して、ゆまに笑いかけた。


「ゆまはそれ、変えちゃ駄目だからね。もし変えたら、私も壁紙ゆまの写真にしちゃうから」

「それで男に引かれても、知らないから」

「ゆまが私の写真をずっと壁紙にしてくれてれば、そんなことにはならないからねー」

「……」


 ゆまは大きくため息をついたけれど、壁紙を変更しようとはしなかった。

 私はそれに満足して、彼女の手を引いた。


 後でこっそり壁紙を彼女の写真に変えたら、どんな反応をするだろう。少しそう思ったけれど、そんなことをしたら私の写真が彼女のスマホから消えてしまいそうだから、やめておくことにした。





 食事をとってから家に帰る頃には、夜の九時になっていた。私は一度お風呂に入ってから、部屋の窓を開ける。


 刺すような冷たい風が部屋の中に入ってきて、思わず身震いする。

 私は今日ペットショップで買ったものが入っている紙袋を手に、ゆまの部屋に行こうとした。


 その時、狙い澄ましたかのようにゆまの部屋の窓が開いて、彼女が顔を出してきた。


「何してんの?」


 紅潮した顔で、彼女は問う。

 私は少し、笑った。


 お風呂に入るタイミングも、部屋の窓を開けるタイミングも同じなんだ。


「ゆまにプレゼントあげようと思って」

「何それ。クリスマスにはまだ早いでしょ」

「まあ、クリスマスプレゼントじゃないからねー」

「……?」


 ゆまはわけがわからないといった様子で首を傾げる。


「とにかく、渡しに行くね」


 屋根の上に身を乗り出そうとすると、手で制された。


「やめて、危ないから。今日は冷えるし、滑って落ちるかもしれないでしょ。投げて渡して」

「えー、しょうがないなぁ」


 心配、してくれるんだ。

 私は寒いのに胸がぽかぽかするのを感じながら、軽く紙袋を彼女の方に投げた。紙袋は放物線を描いて、彼女の胸に飛び込む。

 静かに吹く風で髪を靡かせながら、彼女は目を細めた。


「開けてみて?」

「……いいけど」


 その軽さに何かを感じたのか、彼女は訝しげな表情で紙袋を開けていく。

 中から出てきたものを見たゆまは、信じられないといった様子で私を見る。


 その視線に含まれる感情は当惑だけではない。何かを期待しているというのは、見ればわかる。どろりとした欲望のようなものも混ざっているようだった。


 くすりと笑う。

 遠くを走る車の音と風の音のせいで、彼女の呼吸の音は聞こえてこない。だけど、きっと彼女の呼吸にも隠せないほどの感情が含まれているはずだ。


 好きと言ってくれるなら。

 私を縛り付けてくれてもいいんだよ。

 そういう思いを視線で送ると、ゆまは眉を顰めた。


「何、これ」

「見ての通り、首輪とリード。ゆま、欲しがってると思って」

「なんで、私が」

「さあ? 理由はゆまが自由に考えていいよー」

「ちょっと、花凪」

「要件はそれだけだから。じゃあ、また明日ねー」

「花凪!」


 これ以上、私が何かを言う必要はない。

 目に見えない感情は時に、それを誤魔化すことができてしまう。形がないからこそ、気のせいだと思うことができてしまう。


 だから私は彼女の独占欲に形を与えるために、首輪を買った。

 独占欲を、私と一緒にいる相手に向ける嫉妬心を強く自覚して、それを言葉にすればいい。


 その言葉の先に、私たちの未来があるのだから。

 私はくすくす笑って、窓を閉めた。

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