あなたの音を②
ペットショップで目的のものを買ってから、他の店で休んでいるらしいゆまの元へ急ぐ。
一応デートなんだから、一人にしないでほしい。とはいえ買ったものが今ゆまにバレたら色々言われそうだから、好都合ではある。
「ゆまー。何飲んでるの?」
私は端っこの席に座っているゆまに声をかけた。
ゆまは小さな口をストローにつけて、妙に白い飲み物を飲んでいる。
その唇に、リップはまだついていない。
「クレームブリュレチーズケーキ」
「くれ……?」
「わからないならそれまで」
「えー。一口ちょーだいっ」
「普通にやだ」
「なんで!? ゆまのケチ! ケチケチ星人だよ!」
「そうですか」
ゆまは涼しい顔をして、すごい勢いでドリンクを飲んでいる。
むむ。
これが密室だったらキスをして飲んでいるものを奪っているところだ。流石にこんな人目が多い場所でキスなんてしたら絶交されそうだから、やらないけれど。
「花凪も何か買ってきなよ。何も買ってないのに座ってたら、変な目で見られるかもよ」
「んー、しょうがないなぁ」
「いや、何その態度。さっさと行ってきなよ」
「はーい」
私は一度店のカウンターに行って、注文を済ませる。
ゆまが飲むことを考えて、あまり甘くなさそうなほうじ茶ラテを選んだ。
商品を受け取って席に戻ると、彼女は半分ほどドリンクを飲み終わっていた。
「バッグ、こっち置く?」
「あ、うん。ありがと」
「ん」
ゆまは空いている席に私のバッグを置く。
一人なのに、ソファじゃなくて椅子に座っているのが彼女らしい。
……私が来るのがわかっていたから、ソファの方を開けといたんだろうな。ゆまにはそういうところがある。
恩着せがましくない感じの気の遣い方が、私は結構……いや、とても好きだったりする。
だけどそれについてお礼を言ったら、別に気なんて遣ってないしと言われるのが目に見えている。
そうなってしまったら、彼女はきっと何もしてくれなくなるだろう。だから私はわかりやすい行動以外にお礼は言わない。
ゆまはそれを求めていないだろうし、そういうことは言わなくたってきっとわかる。
だって、私たちは二人で完璧になる人間だから。
「あ、美味しい」
「何買ったの?」
「ほうじ茶ラテ」
「ふーん」
「……一口交換する?」
「交換なら、いいけど」
私の飲んだものが飲みたかったから、わざわざ何か買ってこいなんて言ったんだろうか。
そんな気もするし、そうでない気もする。
だけど、どっちでもいいと思う。
キスとか、もっと深い触れ合いとか。そういうのも好きだけれど、こうした日常的な何気ない触れ合いも私は好きだ。
それに、キスばかりだとゆまを飽きさせてしまうかもしれないから。
日常には変化が必要だ。
平凡な日常もそれはそれでいいが、起伏があった方が楽しいのは確かだ。
ゆまとならつまらなくてもいい。でも、つまらないよりは楽しい方がいい。だから私はゆまを惑わせる。嫉妬させる。
彼女がちゃんと私に好きと言ってくれるその日まで。
好きと言ってくれたら、その後はまた違うアプローチをするつもりだ。
二人の日常を彩るために。
「くれなんちゃらも、美味しいね。ほうじ茶ラテはどう?」
「ん、甘さ控えめで美味しい」
「こっちのは結構甘いね。ゆまの好みじゃなくない?」
「かもね」
交換したものを飲みながら、彼女は言う。
一口だけ交換するって話だったはずだったが、彼女は私にほうじ茶ラテを返してくる気配がない。
それならそれでいいけど。
私はストローに口をつけながら、彼女を見た。
彼女も私を見ていたらしく、視線が完全に交わる。
互いの瞳には、互いの姿しか映っていない。
いつもこんな感じならいいのにな、と思う。ゆまは私だけ見ていればいい。友達も家族も全て捨てて、私だけを選んでくれれば。
現実的に考えて、それが無理だってことはわかっているけれど。
「もしかして、私のために選んでくれた?」
「は? 自意識過剰。なんでもかんでも花凪のためにするほど、単純じゃないから」
「そう? 結構色々してくれてると思うけどなー」
「それは私じゃなくて、周りの男子じゃないの。どうせあんた、大学行ったらサークルの姫とかやるんでしょ」
「それも楽しいかもねー」
彼女の瞳の色が変わって、私の姿が薄れる。
嫉妬の色が混ざった瞳は溶けかけの飴みたいに艶やかで、甘い。私はにこりと笑った。
「男に媚び売るのって、そんなに楽しい?」
「楽しいとかじゃなくて、好きだからやるんだよ。好きな人を振り向かせたいから、可愛い自分でいるの」
「……そ」
「可愛くいるために努力するのって、そんなに悪いこと? ねえ、ゆま」
この言葉は、嘘じゃない。
好きな人に可愛いと言われるための努力は、誰になんと言われようとするべきだと思う。
外野の人間のためではなく、好きな人のためにしていることなのだから。
他者から見てどれだけ醜くても、他者にどれだけ嫌われても、好きな人を射止められるのならそれでいい。
私の今の行動も、ゆまに好きだと言ってほしいから。
……それだけではないんだけど。
「全部ゆまのためだって言ったら、どうする?」
「何、が」
「全部だよ。今の私の全部、ゆまに可愛いって言ってもらうためだって言ったら、どうする?」
甘く、彼女を溶かすように囁く。
私はそっと彼女の髪に触れた。さらりとした感触が伝わってくると、遅れて彼女が体を震わせた。
その反応は、どういう感情から来ているの?
喜び?
何かへの恐れ?
ううん。考えるまでもないよね。
ゆまはとても嬉しそうだった。無表情だけれど、瞳の奥に満ちる感情を誤魔化すことなんてできない。
ほら。
言うことがあるでしょ。
好きだって。私に想われて嬉しいって。言えば全部終わる。全部始まる。だから、言って。
言って、言って、言ってよ、ゆま。
ゆまだって本当は、言いたいはずでしょ?
「私の心も体も、全部ぜーんぶ、ゆまの物にできるとしたら? 嬉しいよね、ゆま」
ゆまの呼吸が荒くなる。
浅く、深く。
見たことのない喉の動きに、聞いたことのない呼吸音。
もう少し。もう少しできっと、彼女は私の望む言葉を口にしてくれる。そう思った瞬間、店内にアナウンスが響き始めた。
どうやら、迷子のお知らせのようだ。
その音で現実に戻って来たのか、ゆまの瞳は透明に戻っていく。鏡になった瞳は私の姿を映すだけの無感動なものに変化して、途端に彼女の心が遠のいてしまう。
「そういう言葉で男は落とせても、私は別になんとも思わないから」
「えー、ほんとにー? 絶対嬉しかったでしょ」
「あんたのその自信がどこから来てるのか知りたいわ。何度も振られてるのに。……私に変なこと言う余裕があるなら、もっと好きな人に好かれるように努力したら」
刺々しい声で言ってから、ゆまははっとしたような顔で目を逸らした。
私を傷つけたと思ったのかな。
可愛いなぁ。
私のことが大好きなのに、よくそんなに我慢できるな、と思う。
私は笑ってしまいそうなのを堪えて、悲しげな表情を作ってみせた。
「……そうかも。ごめん。もう、行こっか。もっと努力しないとね」
「……花凪」
もっとゆまの色んな顔が見たい。好き同士になった後じゃ見られないような顔を、私に見せて。
私の心に呼応するように、ゆまは少し気まずそうな顔をした。
私が傷ついているとしたら、何をしてくれるんだろう。
期待するように見つめてみると、ゆまは小さく息を吐いた。
「恋愛のことは、よく知らないけど。いつかうまくいくんじゃない」
それ、全然慰めになってないよ。
いいけど。
私は、笑った。
「あはは、だったらいいね」
あんまり追い詰めたらこの後のデートがつまらなくなりそうだから、私は立ち上がって彼女の手を握った。
「……うまくいかなかったら、ちゃんと慰めてね、ゆま」
ゆまの瞳が、また溶けた。
「……わかってる」
普通はこんなこと了承しないんだよ、ゆま。
でも私はそういう普通じゃないゆまが好きだ。私のことを想ってくれていて、優しくて甘くて嫉妬深くてどうしようもないゆまが。
だって、私もどうしようもない人間だから。
私も普通じゃない。まともじゃない。
だけどゆまのことが好きだという気持ちだけは本物で、これだけは誰にだって負けないと思っている。
ゆま。
ゆま。ゆま。ゆま。
私から目を離しちゃ駄目だよ。私もゆまのこと、いつも見てるから。
想いを込めて手を握ると、強い力で握り返された。
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