あなたの音を①
休日のショッピングモールには、かなりの人がいる。
都内ということもあって、少しうんざりするくらいの喧騒だ。
だけど今日このショッピングモールを選んだのには、理由がある。
「なんでわざわざ土曜にこんなとこ来ないといけないの」
ゆまはぶつぶつ文句を言いながら、ため息をついた。
「クリスマスデートの予行のためかなー」
「……はぁ。今年は一体誰とデートするわけ?」
「まだ決めてない。でも、一緒に行きたい人はいるよ」
「……そ」
ゆまはなんでもないように言っているけれど、不機嫌になったのがわかる。
本当は私が誰とデートしようとしているのか気になって仕方がないくせに、聞くことができないところがいじらしくて、可愛らしい。
誰と行くの。
私と行って。
そんな言葉が今すぐにでも彼女の口から出てきそうに見えるけれど、必死に抑えているらしい。
ああ、ほんとに。
ゆまは可愛い。
でも、無表情になるよりも、嫉妬をむき出しにした表情を私に見せてほしい。もっと私に強い感情を見せてほしい。
「誰だと思う?」
「は? 知らない」
「知らないじゃなくて、考えてよ。ゆまは私が、誰とデートに行くと思う?」
「……」
羨ましいなら、そう言ってくれればいいんだけど。
ゆまは暗い瞳を私に向けて、小さく口を開いた。
「ゆう君、でしょ」
「ふふ、どうだろうね」
いつもはゆまと一緒に過ごしているけれど、今年は違う人と過ごすつもりだ。それは彼女を嫉妬させるためだけだから、相手は男でも女でも、誰だっていい。
私を本気で好きになってくるような人間とは関わっていないのだ。
今の知り合いは皆私なんて眼中にないし、暇なら付き合ってくれる程度の仲でしか無い。
傍から見れば私は哀れな人間なのかもしれないが、どうでもいいことだ。
いつだって私が欲しているのはゆまの感情だけなのだから。
「今日はちゃんと付き合ってね、ゆま」
「……はぁ。別に、いいけどさ」
あれこれ言うけれど、ゆまはいつも私と一緒にいてくれる。
それは幼い頃の約束のためかもしれないけれど、何より彼女が私から離れられないためなのだろう。
だってゆまは、私のことが大好きだから。
私も好きだよ、ゆま。
何歳になっても、ずっと一緒にいようね。
にこりと笑うと、ゆまは呆れたような表情を浮かべた。
「かわいー! 見てゆま! ほら!」
「あー、はいはいわかったから。可愛いねー」
一階にあるペットショップで、私たちは子犬を眺めていた。手を引っ張ってはしゃいでみるけれど、彼女は全く楽しそうにしていない。
今日ここに来たのは別に子犬を眺めるためではないからいいのだが、こうも冷たい態度を取られると少し気に入らない。
私とのデートが楽しくて仕方がないですって顔にしてやりたいけれど、どうしたものか。
「ゆまは犬派じゃないの?」
「犬も猫も四足歩行だし、そう変わんないと思うけど」
「いやいや! 全然違うよ! 見てあの子犬! ぬいぐるみみたいで可愛いじゃん!」
「……ぬいぐるみの方がいいんじゃない?」
今日のゆまは不機嫌だ。
そうさせたのは私なんだけど。
この態度も、私が好きだってことを示しているのだからそれはそれで構わない。しかしそれだけだとつまらないのも確かだ。
「わんわん」
私は手で狐の形を作って、ゆまに差し出した。
「それ、犬じゃなくて狐でしょ」
「狐は犬科だから犬みたいなものだよ」
「みたいなものでは、ないと思うけど」
「いいから。ほら、わんわんわん! 可愛い子犬だよー!」
「何それ」
私は手を彼女の顔まで持っていって、啄むように頬を挟んでみる。不機嫌そうに眉を顰めた彼女は、頬を膨らませて私の指を弾こうとしてくる。
そこで彼女の頬が思ったよりも柔らかいことに気がついた。いつもそんなにほっぺたの感触を楽しむことがなかったけれど、これはいい機会かもしれない。
「あ、左からも子犬来たよ。わんわん」
「……花凪」
私は左手も狐の形にして、彼女の両頬をつまむ。
そのままむにむにとしていると、段々彼女の唇が気になってくる。別にいつもと何が違うってわけじゃないんだけれど、最近は空気が乾燥しているからか、ケアに力が入っている気がする。
柔らかくて、触り心地が良さそう。
私はそっと彼女の唇を親指で押した。
「真ん中からも来た。……わんわん」
顎を指で少し上げさせて、そのまま唇を奪う。
見た目通り、柔らかい。
私たちを見ている人はいない様子だけど、長くキスしているとゆまに怒られそうだ。私は短い時間でキスを堪能するべく、すぐに舌で彼女の唇を舐めた。
一瞬唇が硬くなったけれど、すぐに元に戻って私を受け入れてくれる。
開かれた唇に舌を入れて、そのまま彼女と舌を絡ませ合う。
辺りで人が動きが動き出す気配を感じて、私はそっと彼女から顔を離した。
「最悪。リップ、取れたんだけど」
「でも、気持ちよかったでしょ」
「よくないし。そもそもこんなところでやるものじゃないでしょ。なんでしたの」
「犬の可愛さを知ってもらうため?」
「わけわからん」
「今の私は、犬だから。舐めるのは愛情表現だよ。わんわん。ご主人様、可愛がって」
「いい人に拾われるといいね」
「いきなり捨てないでよ。犬を捨てるのは犯罪だよ」
キスしたからって、ゆまが顔を赤くするとか、恥ずかしそうな顔をするとかそういうことはない。
でも気持ち良かったのは確かだと思う。
だって、少し機嫌が直ったみたいだから。
眉間の皺がなくなって、私を見つめる瞳は透明になっている。嫉妬と独占欲でどす黒く濁った瞳も好きだけれど、こういう時の素直な瞳も大好きだ。
私はいつもの笑顔で彼女の視線を受け止めた。
「……わん」
ゆまはそう言って、私の顔に手を近づけてくる。
何をされるんだろうと思ったら、唇に触れられた。運命じみた偶然で私たちに向いていなかった周りの視線は、今は私たちに突き刺さっている。
今変なことをしたら、周りに見咎められてもおかしくはない。
だけど私は別に、ゆまにならいつどこで何をされても構わないと思っている。だから私は、静かに目を閉じた。
喧騒が遠のいて、耳鳴りがした。
きーんという音の向こうに、呼吸音が聞こえた。
甘く、重く、まとわりつくような呼吸の音。それはゆまの息に他ならない。鼓膜に染み付いた過去のゆまの音が呼び起こされて、頭の中がゆまの吐息だけになる。
不機嫌な時の呼吸。
キスした後の呼吸。
私に気を遣ってくれている時の呼吸。
今まで聞いてきたあらゆる呼吸が鮮明に脳に響くから、今の彼女の呼吸がどんな意味を持っているのかはすぐにわかる。
この、息の音は。
軽い嫉妬の音だ。
目を開けると、ゆまと視線が交差した。
彼女は私に微笑むと、そのまま親指で唇を拭ってくる。
「愛情表現?」
「どうかな」
彼女の親指には、リップがべったりとくっついていた。
暖色の光に照らされた彼女の指は、私色に染まっている。
「それ、どうするの?」
「拭くに決まってるじゃん」
「塗らないんだ」
「や、それはキモすぎるでしょ」
「……リップ、あるよ。塗ってあげよっか」
「花凪が使ったやつでしょ、それ。無理」
「今更じゃない? ここまでしてるのに」
私はべっと舌を出してみせた。
ゆまは一瞬私の舌に手を伸ばしてきたけれど、すぐにそれを引っ込めた。
「それとこれとは別」
「同じだと思うけどなー」
「違うから。……喉乾いたし、なんか飲み行ってくる。花凪は?」
「ここでもうちょっと、子犬見てる」
「そ。……ねえ」
ゆまは手を狐の形にして、私の方に差し出してくる。
「わんわん」
犬じゃなくて、私を見ろってことかな。
犬にまで嫉妬するって、狂犬だなぁ。
でも、それがゆまだ。
可愛いと思う。
私は手で狐を作って、彼女の狐にくっつけた。
「わんわんわん」
「犬と犬じゃ、収拾つかないでしょ」
「ゆまはどっちやりたいの?」
「……犬、じゃなくてご主人様」
「そっか。でも、駄目。さっき私のこと捨てたからね。後悔しなよ」
「……じゃあ、終わりね」
ゆまは軽く私の手を叩いてから、くるりと踵を返した。
素直じゃない。
私のことを犬にしたいなら、そう言ったらどうなんだろう。
私はもっと犬とご主人様ごっこを続けても良かったんだけど。ゆまだって私を犬にして、色々したかったんじゃないの?
そう思いながら、私は彼女を見送った。
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