焼きいも

北緒りお

焼きいも

 昼休みって名称は優良誤認だと思う。少なくとも、自分はそう思う。

 一時間の中で食事を済ませ息抜きをし、それで午後の仕事に備えよなんて言うのは虫のいい話だ。

 しかも、12時きっかりに昼休み扱いとなり、13時には持ち場に戻ってないといけない。にもかかわらず、休み時間直前に要件を振ってくるものがいて、15分ほど時間をとられる。そこから慌てて会社を出ても三十分ぐらいしか食べる時間が無い。注文してすぐに出てくるような丼物でごまかし、とりあえずのカロリーを摂取する。日によっては食べる時間すら無いこともある。いっそのこと、会社の机に回転寿司のレーンでもつけてくれて、そこに時々おにぎりでも流してくれた方がよっぽど人の道に沿ってるだろう。

 そうやって限られた時間を節制し、仕事も忙しいのに輪をかけて昼も忙しくしている。なのにもかかわらず、あと五分で昼休みが終わろうという今、会社の前で焼きいもの軽トラを待っていて、休憩どころの話ではない。


 いつもの昼に比べて今日はまだましな方だった。

 ECのWebのマーケティングとの役割で勤め人をしているが、要は通販屋の何でも係みたいなもので、その上に集客をしろと求められているようなものだ。

 仕事をすればするほど休憩が消えていく。

 夜遅くなるのは当然のことで、昼休みだって食べる以外の時間がとれることが少ない。そんな中でもかろうじて、昼休みに表に出られるときだけは、なにか少しでも違うものを見ようと会社の近所を歩くようにしている。これだって働き始めて少し経ってからやっているのだから大体のところには行っている。

 いわゆるオフィスエリアで働いていると、大規模なオフィスビルがそこかしこにある。

 働いている会社は雑居ビルの一室でも、オフィスビルの店に入って食べるだけでも、なんとなく気力が上がるような気持ちがするのもあり、よく食べに行っている。

 会社の近隣で少し気に入っているビルがある。弁当が食べられるイートインがあり、さっさと昼を済ませるのにちょうどいいとよく使っている。建物自体は十数階ぐらいあるのだろうか、上の方は立派な会社が入ってそうなオフィスエリアになっているが、一階と二階は解放されていて、コンビニとしっかりとした食事を出すカフェ、二階にはいくつか飲食店が入っているイートインがあり、それぞれの階に中庭的な広場があり、ベンチやテーブルなんかも置いてある。食後に缶コーヒー一本分の休憩するのにちょうど良い。

 何をするというわけではないが、今日みたいに秋晴れで風も少し冷たいぐらいの日は、昼を食べて少し上がった体温が落ち着くまで、ただただぼーっとしているのが気持ちよい。

 数週間前まで、昼の時間はアイスコーヒーを片手に涼しいところを探すようにしていたのだが、それが嘘のように涼しくなった。

 忙しいときの弁当はあれこれ入っているような具だくさんのものよりも、単品で量が多いものの方がありがたい。それこそ、チャーハン弁当やカレー弁当、カツ丼なんかをテイクアウトできるものがあると積極的に選ぶようにしている。

 今日はハンバーグ丼という、ハンバーグ定食を皿に盛るのがめんどくさくなってどんぶりにしたようなものがあり、目に入った瞬間にそれに決めた。

 プラ容器を片手に持ち、ご飯の上に主役として横たわっているハンバーグを箸で適度な大きさに切っては口に運び、一緒に申し訳程度に盛ってある野菜をつまみ、ご飯を掻き込む。

 仕事に時間の余裕がないと食べるのも早くなるらしい。そこら辺の女の子がランチセットのサラダをつついているぐらいの時間でプラスティック製の薄っぺらい丼が空になる。

 こういう弁当の利点は、熱くないからすぐに食べられるところだろう。けれども、不思議なことに食べ終わると少し暑くなる。

 イートインからテラスにあるベンチに移り、なんとなく、涼しい風が気持ちよくなり、深呼吸をするかのように深く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出してみる。

 数度繰り返してみると、肺の奥までなにやら心地よい空気に満たされたように感じたが、少しだけ煙くさいような気がする。

 タバコの煙とは違うたき火の匂いみたいなのがふわりと鼻の奥で感じた。。

 小学生の頃に校庭の端っこで落ち葉やなんかを燃やした記憶があるが、ここは都心だ。

 そんな雑なたき火はできないだろう、と不思議に思う。

 気のせいにしては、気付いてみるとはっきりとたき火の存在を感じる。けれども、軽く見渡してみたところで火はもちろん、煙の気配すらない。

 まだ昼休みが終わるまでには、少しの時間がある。

 気になるという感情に任せて動くのもなにか気恥ずかしいが、自分の中で食後の運動という言い訳を見つけ出し、この匂いの正体を探すのに少し時間を使ってみようと考えた。

 まずは、風上に向かって歩くのがいいのだろう。

 冷たい風が緩やかに流れているので、風上に向かって歩き始める。

 今居るビルを抜け、似たような感じの大きなビルをいくつか抜けていく。

 たき火の匂いは少し強くなってる気がするが、肝心の煙の元は全然見つからない。

 いつもならば歩かないような静かな区画にまできたが、まったくと言えるほど、それらしいものはなかった。

 けれども、匂いはだんだんとはっきりしてきていて、歩いてきた方向は正しいのだ、と、思ったが昼休みの残り時間や、会社から歩ける範囲とは言え、初めて見るところで引き返すときに道を間違えずに帰れるかの心配やらで、そろそろやめようかと考えていた。

 会社があるのと同じ千代田区の中だというのにやたらと一戸建ての多い通りに入りこんでいく。

 会社があるあたりと雰囲気が大きく違い、なにか落ち着かないような居心地の悪さを感じていた。

 ついさっきまでは、オフィスビルの間を縫うように飲食店や、急な必要に応えられるような名刺印刷屋、勤め人をターゲットにしたマッサージ屋なんかの看板を目にしていたのだが、ここではまったくそういう気配はなく、植木に水をやっている老人や家の駐車スペースにつながれ退屈そうにしている犬なんかが目に入るようになった。

 会社の近くでうっすらと漂っている職場の延長線上のような緊張感はなく、このあたりだと平穏と日常、それに休息という言葉が似合うような落ち着いた時間が流れている。

 車がすれ違えばいっぱいになってしまうような道を鼻を頼りに歩いて行く。

 視線の先にほんの少し砂利っぽい灰色が見えた。駐車場で、今ではほとんど見なくなったような、空き地に砂利を敷き詰めてそこにロープで区画を作って車を止めるような作りだ。

 このあたりの家だと三件分ぐらいの区画に砂利がひいてあり、ほぼ真ん中ぐらいの区画に、軽トラがある。

 軽トラの荷台は屋台のように屋根が付いていて、煤けた赤いのれんには〝やきいも〟と書いてあるのだった。

 薪を燃料にして芋を焼いているのでたき火の匂いがしたのだ、と一人で合点がいっていた。

 けれども、なんでこんな人気の無いところで、と思い通り過ぎる風を装いながら眺めていた。

 車の周りには人影が無く、十台も止まれば満車になるような駐車場にぽつんと一台だけ停まっていて、たき火の匂いを振りまいている。

 煙が出てるから火は残ってるんだろうが誰も見当たらない。車の周りを少し歩いていると、運転席の人影と目が合った。

 屋台の親父のようでスマホをいじっている。

 窓は全開になっていて、AMの番組らしき会話がカーラジオから流れている。

 こちらに気付いたのか、スマホから目を離すとこちらに一目見、とっさに何かを把握したらしく、まだ焼いている途中だから待ってくれ、とよく通るけれども少しガラガラとした声で言うのだった。

 買うつもりは無いのだけれども、どれぐらいで焼けるかと聞いてみる。

 焼きいも屋の親父は腕時計に目を落とすと、あと十分ぐらいだなぁ、と声量は変わらずに返事をよこす。

 ついうっかり会話をしてしまったのもあり、買わなきゃいけないような雰囲気になってしまった。が、まだ焼けてないのならば、その必要も無くなった。

 ああ、それじゃ、と曖昧な返事をして煙の匂いの正体もわかったんで帰ろうとしたとき、オヤジは親切心を出してくれたのか、この近所の会社だったら十分後ぐらいにそっちまで行ってやろうか、と言う。

 ちらっと時計を見ると大体十分後ぐらいに午後の仕事が始まる。

 ありがたいがギリギリになりそうだから、受け取れないかもしれないと伝えると、何かを刺激してしまったのか、間に合うように持ってってやるよ、と提案してくれた。

 買う気は微妙であったが、ここまで言ってくれると買う以外の選択肢がなくなる。

 会社のある建物の隣にあるコンビニを伝え、これから戻るから十分後ぐらいにそこでとお願いしてみる。

 間に合えば買うし、間に合わなければ不本意であるが買えなかった、という言い訳が立つ。

 帰り道は少し早歩きになることになった。

 せっかく少し涼しいぐらいに落ち着いたのが、動いたせいでほんのりと体が温まる。

 午後の仕事が始まる五分前にコンビニに着く。

 焼きいも屋が待っていた。

 こっちが着くよりも早く着いたのだという。ここまでされてしまうと買う以外の選択肢が消失する。食べたばっかりだしと、そんなに大きくない芋を頼む。新聞紙をハンカチぐらいの大きさになるように切って作ってある袋に入れて渡され、何も考えずにそのまま受け取ると、驚くぐらいに熱かった。

 オヤジから、焼きいもが好きだったら、これぐらいの時間にここ通るようにもできるぞ、と言ってくれるが、とっさに、外回りもあるから会社にはいたり居なかったりする、と、それっぽい嘘をついて、毎日は買えないとやんわりと断る。

 結果、昼食と大体同じような金額の芋を買ってしまった。

 会社で席に戻ると、この熱々の芋を食べるのには時間が無どこにもないのに気付く。

 芋はとりあえず、机の端に置いておき、夕方にでも食べようかと考え、仕事の泥沼の中に潜り直すのだった。

 やることは際限なく発生する。沸いてきた業務を片っ端から片付けても、空いた隙間に作業をねじ込むかのように新しい注文が入る。自分で忙しくして、自分で処理しているようなものなので、仕事のテンションが下がると、急に自分がやっていることに疑問がわいてくる。

 夜。といっても、もはや深夜の時間帯だ。牛丼屋ですら深夜割り増しが付く。そんな時間まで液晶画面とにらめっこをし、沸いてくる仕事を次々とやっつけ、終わらせ、自分の手元から離れるようにする。まるでシューティングゲームをやっているような錯覚にもなるが、仕事とゲームとで大きく違うのは、仕事はひたすらめんどくさいと感じているところだ。

 好き好んで選んでいる仕事ではあるが、それはそれとしてめんどくさい。めんどくさいから仕組み化したり、自動化するためのツールを使ったりするのだが、それはそれとしても、めんどくさい。

 めんどくさいというのは悪であるが、それ以上に天使のささやきをくれたるする。

 楽をするためにどうしたらいいか、少ない手間で同じ結果になるようにするのには何をすればいいのか、そういうのを考えるようになり、それをすることで、去年の自分が手間暇かけてやっていたことを今では片手まで終わらせられるようになる。

 そうやって余裕ができた時間で新しいことをやって、というサイクルで動かそうとしているのだが、販促がうまくいくと商品の手配や発送に時間がとられるようになる、と、効率化した過去の自分によって今の自分が苦しめられるようになるのだった。

 その結果が、マクドナルドですら閉まるような時間まで仕事をするようになるのだった。

 一区切りを着く。もう少しだけ仕事の整理をしたら帰らないと終電までの余裕がなくなる。

 気付くと、新聞紙に包まれた焼きいもは机の上ですっかりと冷えていた。冷たくなると言うよりは室温ぐらいまで温度が落ち着いたと言った方が正しいのだろう。

 焼きいもはコンビニでも置いてあるし、スーパーの入り口には芋を焼く機械を見たりしていて、毎日の中でそこそこ目にしているが、実際に買ってみるのは初めてだった。

 そもそも焼きいもを食べようという欲求自体はなく、なし崩しに買ってしまったのだけれども。

 芋をやんわりと包んでいる新聞はすっかりと湿ってしまっているが、その表面は少し乾いているところもあり、長いこと放っておいたのが湿った新聞紙の乾湿に現れている。

 おやつではないが、これが夕食と考えるといささか戸惑う。

 夕食ならばもう少しまともなものと食べたいのだが、目の前には焼きいもしかない。

 これを捨ててしまうのには惜しいし、という、かなり消極的な理由で口にした。

 すっかりと冷めてしまっているが、堅くなることはなく柔らかだった。

 皮は食べていいのか判らないので、簡単に剥がせるところは剥いてしまう。

 店頭で見る芋系スイーツの宣伝文句に〝黄金色の〟なんて形容があるが、まさしくその色で、軽く半分に割ってみると、その断面は繊維が少し走っている黄金色のペーストで、かじりつく前から美味しそうと思った。

 焼きいもどころかサツマイモを食べないものだから、もっとパサパサしていていて味気ないもののかと思ったら、まったく違う。

 どんな芋なのか判らないが、やたらとしっとりとしていて栗きんとんを食べてるようなねっとりとした甘さの印象しか残らない。

 気付けばあっという間に食べてしまっていた。

 仕事はもう少しだけだが、まだ残っている。

 これが毎日食べられるなら、焼きいも屋のオヤジにつまらない嘘をつくんじゃなかったと少し思ったのだった。

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