5

「じゃあアーニャ、また放課後にね」

「おうさ」

「……気を付けてね!」

「ここは学校だぞ。何を気を付けることがあるんだ」

「人生何があるかわかんないじゃん、隕石が降ってくるかもしれないし」

「そのレベルだと気を付けようがない気がするんだが」

「いいから、何かあったらちゃんと呼んでね! すぐ助けに行くから!」

「ほいほい」

 妹がうるさいのでそう答えたが、蓮太郎は何かあったらすぐ妹に助けを求める兄にはなりたくないなあ、と思いつつ、二年の教室へつづく階段を上った。一年生の築音とはここでお別れである。普段は一緒に登校することのない兄妹だったが、昨日のことがあってから妹が過保護だった。

「おー蓮、はよー」

「はよっす、ハト」

 教室に着くといつものように友人の鳩間が声をかけてくる。当たり前だが学校はいつも通りだった。迷宮の魔物の計略にかかり殺されかけたことなどは、ずっと遠い世界の出来事に感じられたし、実際それはずっと遠い世界の出来事なのだった。

「どうした蓮? ぼやーっとして」

「うん? ああ、いや……」

 蓮太郎はのほほんとした表情の鳩間を見て、ふと思い出して言った。

「すまんなハト。昨日お前のことだけ思い出さなかったわ」

「……何の話?」

 親玉と対峙したとっさの時、鳩間の言葉は浮かんでこなかったことを思う蓮太郎だった。鯖さんは出てきたのに。

「ああ、そういや、前鯖さんと二人で相談に乗ってもらったことがあったろ」

「ん? あの鯖さんがエロい絵描いてた時のやつか。あの絵あとで貰ったんだよね」

「良かったな。俺のほうもあんときの話、役に立ったよ。ありがとう」

「そりゃ良かった、どういたしまし……って!? あれ参考にしちゃったの!?」

「おう。大変参考になった」

「参考にしちゃダメな奴だって言ったろ! ということは……?」

 鳩間がひきつった顔で蓮太郎の隣の席を横目に見る。ちょうどそのタイミングで、その席の主が教室に入ってきた。

「おはよう、伊坂くん」

「はよー、秋本さん」

「……お、おはよー」

「……? 鳩間くんもおはよう」

 麻咲は鳩間の様子に小首をかしげつつ、蓮太郎に話しかけてきた。

「伊坂くん、体調は大丈夫なの?」

「ああ。筋肉痛ぐらいはあるかと思ったんだが、頗る快調だよ」

「それなら良かったわ」

「……」

「秋本さんこそ、体は何ともない?」

「私は少し痛いわね、さすがに慣れない運動が身にこたえたわ」

「……」

 何とも形容しがたい表情でやり取りを聞いていた鳩間は、ふらふらとした足取りで自分の席に戻っていった。

「鯖さんの絵を参考に……会うなり互いの体を気遣って……慣れない運動、筋肉痛……」

 ぶつぶつと呟く鳩間がとんでもない勘違いをしているのは分かっていたが、面白いのでしばらくそのままにしておこうと蓮太郎は思った。


「ア――――ニャ――――!」

 放課後になるなり、慌ただしいつむじ風のように築音が飛び込んできた。傍らには手を引かれてきた友の姿もある。さんざんに急がされたらしく、友は息も絶え絶えだった。

(あの子だ、また来たの)

(息切らしちゃってカワイイよねー。伊坂くんの妹だっけ)

(もう一人の子は? あれも伊坂くんの関係者?)

(だからアーニャって誰だよ)

 さざ波のように広がる悪意のないくすくす笑いを気にも留めず、築音は蓮太郎をびしっと指差して頷いた。

「アーニャ確認、ヨシッ!」

「ヨシッじゃないわよ。もうちょっと大人しく入って来れないの?」

 派手な妹の乱入を笑っていたクラスメイトの驚いたことには、そんな築音を諫めたのが麻咲だったことだった。麻咲は相変わらず、クラスではほとんど口を開くことのない寡黙なキャラクターで知られているのだ。

 先ほどとは違った意味でざわめくクラスメイトをよそに、蓮太郎は居心地悪そうにしている友に声をかけた。

「友ちゃんごめんね。妹に引きずってこられたんでしょ」

「はあ……はあ……。いえ、築音ちゃんに引きずられるのには慣れてますから……」

 息を整えた友は、さすがに集まった注目に顔を赤らめて、蓮太郎の袖を引っ張った。

「とはいえ、早く行きましょう。目立ちまくってますから……」

「だな」

 頷いて鞄を手に取った蓮太郎に、背後から声がかけられた。

「蓮」

 信じられないという表情を浮かべた鳩間だった。鳩間は認めがたい真実を知ってしまったとでもいうように、一語一語を区切りながら、こう言った。

「蓮、お前――ひょっとして、モテているのか?」

「……!」

 その言葉を聞いた途端、何かが蓮太郎の中で腑に落ちた気がした。思えば怒涛の日々だった。秘密基地大明神様の扉が開いたのを始めとして、聖剣と腕輪の発見、ラ・スボスとの対峙、ウリユとの出会い……それはやがて友や麻咲も巻き込んで、大きなうねりとなって蓮太郎の生活を変えていった。しかし蓮太郎は、生活が一変したというほどの実感は持っていなかった。異世界迷宮の出来事は遠く見えて、蓮太郎にとっての日常の延長線上にあった。

「そうか……」

 では蓮太郎の日常はいったいどう変わったのか。その答えが、この言葉にあったのだ。

「俺は、モテていたのか……!」

「違うと思うよ、アーニャ」

 妹は無慈悲に言った。


「ここもずい分こぢんまりとしちゃったもんだな」

「そうですね。ちょっとした庭って感じです」

 蓮太郎たちいつもの五人は、迷宮の第一階層――かつて大森林だった場所に立っていた。

 ラ・スボスの間へつづく扉が草むらの上に唐突に立っているのはそのままだが、他は全てが様変わりしてしまったと言ってよかった。立っている木々の高さはせいぜい三、四メートルで、階層自体もひと目で端から端まで見渡せるほどに狭くなっていた。

「魔力暴走によってできた階層だ。おそらく、蓮太郎が倒したあの親玉が階層全体の鍵になっていたのだろう。ほとんどの魔力が形を取れなくなったんだ。……おかげで、私の宝剣もいくらか力を取り戻せたようだな」

 宝剣の柄を撫でながらウリユが言った。その柄の宝玉はなるほど前に見たときはくすんだ灰色だったのが、今は少し青みがかった色に変化していた。

「ということは、この調子で階層ボスを倒していけばいいってことだね!」

「……そうかもしれない。だが、これはかつての約束に反することかもしれないが、もう一度だけ聞かせて欲しい。今回のことで、この迷宮に住まうものが本気で君たちを殺しにくるし、築音の強さがあっても絶対安全とは言えないことが分かったと思う。それでも、私と共に迷宮に挑み続けるつもりか?」

 ウリユは、『私を助けてくれるつもりか』とは聞かなかった。目的を同じくする仲間だとはとっくに認めていたからだ。だからこれは、ウリユにも答えの分かっている問いだった。

 その予想にたがわず、蓮太郎はこたえた。

「まあ、今回は確かにちょっとヒヤっとしましたけどね。でも危ないのは最初から分かってたことだし、今さら危ない目に遭ったからもうヤダとはなりませんよ」

「そうね。私はもとより覚悟は決まっているし、一番危なかった伊坂くんがこう言っているのだから否やはないわ」

 麻咲につづいて、築音も元気よく言った。

「あたしもとーぜん、最後までやるよ! ね、友ちゃん!」

「わたしは『やる』とは一度も言ったことないと思うんだけど……。でも乗りかかった舟ですし、わたしもいい加減覚悟を決めますよ。役に立てるかどうかは分かりませんけど、皆さんについて行きます」

 友までもそう言って、あらためて五人の気持ちは決まった。

「わかった、ありがとう皆。どうも、言わずもがなのことを聞いたようだな」

「そんなことないですよウリユさん、所信表明は大事です。……さて、そうと決まったら次の階層をちゃちゃっと確認して、打ち上げやりましょうか」

「はいさー」

 待ってましたとばかり築音が歩き出し、他の四人もそれを追いかけた。次の階層へと続く扉ははるか高く天井にあったが、森林が縮むのにあわせて下に降りてきていた。もともと今日は階層突破のお祝いに打ち上げをやる予定で集まったのだが、どうせなら先に少しなりとも次の階層を覗いてみてからにしよう、ということになって迷宮に降りてきたのだ。

 木立の間を抜けていくと、あっという間にその扉に辿り着く。まずは築音が皆を代表して、扉を開けてみることになった。

「次はどんなところですかね、お兄さん」

「そうだなあ、大森林ときたら、次は海とかかな」

「あり得ない話じゃないわね。それならイカの化け物がボスかしら」

「私としては、石畳の通路が通った当たり前の迷宮だとありがたいんだがな」

「開けてみれば分かるって! どれどれ、がちゃりとな……むむ?」

 扉を少し引き開いた築音が、隙間から中を覗き込んだ。かと思えば、頭を入れたり引っ込めたりしながら首をひねっている。

「どうした妹、何があった?」

「んー、なんにもない。しいて言うなら、なんにもないがある?」

「なんだそりゃ、哲学の話か?」

「もー、いいからアーニャも覗いてみなって。見たら分かるから」

 言われて蓮太郎も歩み寄り、築音の代わりに扉を開けてみた。その向こうは暗闇がよどんでいてよく見えない。どれどれと、築音がしていたように首を突っ込んでみた。

「……」

「どうでした? お兄さん」

「何もないがあるな」

「でしょー!」

 兄妹そろって要領を得ないことを言うので、友がため息をついて歩み寄った。

「まったくもう、二人とも……。暗くてよく見えないなら、文明の利器を使えばいいじゃないですか」

 と言ってスイッチを入れた懐中電灯をぷらぷらさせる友に、兄妹はそろって首を振った。

「そういうんじゃないんだって、マジで」

「友ちゃんも見てみれば分かるよー」

「まあ、見てみるけど……」

 明らかに信じていない様子で友は扉を押さえ、先に懐中電灯で中を照らす。そして兄妹がそうしたのと同じように、顔を突っ込んだ。

「……」

 しばしの間をおいて、顔を引っ込めた友はこちらを向いて言った。

「……何もないがありますね」

「「でしょー!」」

 次の階層も、一筋縄には行きそうにないようだった。

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放課後異世界探検記 うお @fish_or

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